第4話

「昨日言ってたことは冗談ですよね? レシピの件……」


 カフェのテーブルに向かい合って座る平野に、菜々子が尋ねた。


「作ってくれるの?」

「教えてくれるんですか?」


 間髪を入れず聞き返した。


「じゃあソースは追々ってことで、まずはハンバーグのレシピ送るから、メールアドレス教えて」

「え? あ、はい……」


 思わぬかたちで平野と繋がることが出来て、菜々子は胸を弾ませた。


 その日の仕事帰り、スーパーで食材を買い込んだ菜々子は、平野のレシピを見ながら必死に作ったハンバーグだねを成形して冷蔵庫に寝かせた。


 翌朝それを焼きあげてから、平野にメールを送った。


『ハンバーグ作ったので、平野さんのお店に行ってもいいですか?』

『楽しみに待ってるよ』



 開店前の店はシャッターが半分だけ開いていて、覗き込むと平野がドアを開けて出迎えてくれた。

 菜々子はバッグから取り出したタッパーを平野に差し出した。


「上手くできたと思います。点数付けてください」


 そう豪語した菜々子は、ハンバーグを頬張った平野の様子をじっと見つめる。


「うーん……」と唸って暫く黙った後、平野が口を開いた。


「九点」

「え? それは十点満点の、ですか?」

「いや、百点満点の」


 言われて一瞬言葉に詰まった。


 ――厳しい……


「次は頑張ります!」


 菜々子がそう意気込むと、優しく微笑んだ平野は、九点のハンバーグを食べ始めた。


「この玉ねぎ一センチ角くらいあるから、微塵切りはもっと細かくね」

「はい」

「玉ねぎはちゃんと炒めた?」

「あの……レシピには飴色って書いてありましたけど、飴ってなに飴ですか? べっこう飴? 紅茶飴?」


 菜々子が尋ねると、突然平野が吹き出した。


「なるほど……そういうことか。菜々子ちゃんは、レシピ見ただけじゃ難しいかもしれないなぁ」

「え?」


 それほど酷い仕上がりということだろうか。


「忙しかったら無理にとは言わないけど、時間がある時、店おいでよ。一から教えるよ」

 

 平野から笑顔でそう提案されて店を出た菜々子は、足早にサロンへ向かう。 


 必死に磨いた自分の技術とセンスを買ってくれる顧客も増えて、それなりに満足しているつもりだった菜々子にとって、平野から下された『九点』の評価は、深く胸に突き刺さった。土俵が違うのはわかっているが、鼻をへし折られたような気分になった。


 そして、菜々子のやる気に火が付いた。


 その日仕事を終えた菜々子は、ジェルネイルを落として爪を短く切り揃え、平野の店に向かった。



「ちょっ、菜々子ちゃん! 危ないっ!」

「え?」

「そんなんじゃ怪我するよ」


 包丁を持つ菜々子の右手を掴んだ平野はそのまま後ろに回り、菜々子の左手に自分の手を重ねて指を曲げた。


「食材に添える手は、猫の手って習わなかった?」


 平野の息が耳にかかり菜々子の鼓動が速くなる。


「な、習いました」


 菜々子は平野から包丁の使い方と玉ねぎの微塵切りの手解きを受けた。

 そうして菜々子が微塵切りに奮闘する横で、平野は客からの注文の料理を次々と作っていく。


「ゆっくりでいいから、怪我しないようにね」


 少し屈んで菜々子に顔を寄せた平野が、優しい眼差しを向ける。

 傍で平野に見守られていることで、なんとも言えない安心感が菜々子を包んだ。


 最後の客を送り出した平野は、立て看板を仕舞うと店のシャッターを半分下ろした。


「菜々子ちゃん、お疲れ様。今日はそこまでだよ。一緒にご飯食べよう」


 平野の表情がオフモードになったのがわかった。


「それ、昨日言ってたタンシチュー」

「えーっ、嬉しい!」


 いつの間にかカウンターに二人分の食事が出来上がっていた。

 横並びに座って、温かいシチューを食べながら幸せなひと時を過ごした。


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