白ノ瀬家の別荘 宿泊二日目(3)
時は早々と過ぎ去り、就寝時刻になる。
昨日の夜と同様、床に布団を敷いて眠りにつく。人の位置も同じままだ。
俺は窓のほうを向き、何となしに月明かりを受けて淡く光るカーテンを見つめていた。
しばらくして肩が凝ってきて寝返りを打つと、隣にいる先輩の寝顔が目に入ってしまう。
今日はすでに枕を胸に抱いているため昨夜のように
そのどこか幼さを感じさせる行動が普段のしっかりした性格との間にギャップを生み出し、可愛さを助長させている。
「……はぁ」
やっぱり寝つけない。
恋人がすぐそばであどけない顔を晒しているのは当然なことに、今日はそれだけではない。
悶々とした考えが激流のように脳内を駆け巡る。
じっとしていられず、静かに上体を起こした。
すると、
昨日のように
そこで眠気は完全に消え、あまりの脳疲労からなんか息苦しくなってきた。
──ダメだ。ネガティブな思考が止まらない。風にでも当たって気分を落ち着かせよう。
昨夜を繰り返すように音を立てず部屋を抜け出し、そのまま真っ暗な廊下とリビングを突き抜けて玄関から外に出る。
瞬間、服から露出した顔や手足を夜風が撫でた。
日中の汗ばむ陽気とは様変わりして、夜中は半袖短パンだと少し肌寒く感じるほどに涼しい。冷却ジェルシートを貼ったときのように熱を帯びていた頭が冷えて、ちょっとだけ思考に冷静さが戻る。
しかし、未だ心に蔓延する蟠りは消え去ってくれない。
あの廃神社で喧嘩別れしたあと、沈鬱した
先輩やリョウたちは安堵しながら出迎えつつも、
ムードメーカーの
どうにもできないまま花火の打ち上げが終了し、別荘に帰る車内ではどんよりとした重たい空気に誰も軽口をつけず、結局のところ、今の就寝時間まで二人が言葉を交わすことは一度もなかった。
「……どうすりゃいいっていうんだ」
一向に進展が見えない現実に疲れ、情けない思いが口を衝いて出る。
今までの
そうなれば俺はこの性別で一生を過ごす羽目になる。
生活の変化に慣れたといっても短期間のつもりだったから我慢できているだけで、生涯このままだと言われれば耐えられそうにない。交友関係だって今のところは大丈夫だが、リョウの俺に対して見る目が変わったようにいつまでも変わらない保証はない。先輩との恋人関係だっていずれ……。
「……っ」
もう溜息すら出ないほど息が詰まって胸が苦しい。
また深くて消極的な思考に囚われようとしたそのとき、玄関のドアが開く音がした。
振り返ると、中から出てきたのは先輩だった。俺を見てどこか安心したように顔を緩ませる。
「あ。
「先輩…………こんな夜更けにどうしたんですか?」
「
「ああ……ちょっと考えごとがあって眠れなくて、夜風に当たって気分を静めてました。……すみません、起こしちゃいましたか」
「ううん、私も目を瞑ってただけで眠るにはまだ時間が掛かりそうだったから気にしないで。……たくさん歩き回って体は疲れてるのに、頭は冴えてくるんだから厄介だよね」
「……そうですね」
どうやら先輩も俺と同じ気持ちで、怪現象の解決に四苦八苦しているようだ。
『…………』
遠くのほうで、ザザァ……と穏やかな波の音が聞こえるほどの静寂が漂う。
それはどちらにも打開案がない証明だった。
しばらく妙な沈黙が続いたあと、突如として体の横に下げていた左手から温かくて柔らかい感触が伝わってきた。
顔を向けると、先輩がぎゅっと手を繋いでいた。しかも指を絡ませて。
不意打ちを食らって思わずドギマギしてしまう。
「せ、先輩、いきなりどうしたんですか?」
「んー、なんとなく」
「なんとなくって……」
「べつに恋人同士なんだから変じゃないでしょ。それとも
「まだ根に持ってたんですか……」
「そりゃあ大好きな彼氏が他の女の子とイチャイチャしてたら嫉妬して当然です」
「そんな要素は一切なかったですよ。……でもそう見えてしまっていたのならごめんなさい」
「ふふ。じゃあ許します」
ヤキモチを焼いてきた割には軽いな。……まぁ先輩のことだから、この鬱屈とした空気を変えようと行動してくれたのだろうけど。
先輩は気持ちを切り替えるように「よしっ」と明るい声を出す。
「このままじっとしてても気が滅入るだけだから、少しだけ海辺を歩いてみない?」
俺が頷くと、先輩はニコッと微笑んで俺の手を優しく引っ張る。
柔らかい砂浜に踏み出して、足跡を残しながら海のほうに近寄っていく。
先輩は波打ち際で足を止め、目の前に広がる海原を眺める。
「夜の海って新鮮。すごくロマンチックだね」
ゆるやかに打ち寄せては引いていく海面には、月の輝きによってできた光の道が水平線まで続いていて幻想的な雰囲気を作り出している。
それから俺たちはゆっくりとした同じ歩調で砂浜を歩きながら、この二日間であった明るい出来事について話を交わす。夜の海辺は安穏としていて、まるでこの世界に俺と先輩しかいなくなってしまったかのような錯覚を覚えた。
やがて道を折り返した別荘に戻る途中で、先輩が足を止めた。
「──こう思い出すと、短期間のうちに目いっぱい遊んだなぁ。満足満足…………と言いたいところだけど、やっぱり今日は気持ちよく眠れそうにはないね」
その苦笑いに、俺は不甲斐なくも冗談の一つすら返せず、同じ表情をするのが精一杯だった。楽しい思い出の中にはいつも失敗の記憶がついて回るから。
あまり先輩の前で気弱な姿を見せたくなかったが、手の打ちようがない状況にどうしても心が揺れ動いて本音が口から漏れる。
「二人を和解させようとすればするほど溝が深まっていくんです……」
小学生の頃のように時間が経てば自然と仲直りとはいかず、看過すれば悪化を通り越して無関心となる。手遅れになる前に誰かが仲立ちをしないといけない。
そう思って今日まであの手この手を使って行動したが、最終的にはあの状況だ。俺には先輩のような他人の気持ちに寄り添えるだけの器用さも寛容さもないから。
「
唐突な問いかけだった。主語が分からずに少し反応が遅れる。
「いいって、何のことですか?」
「みゆりちゃんと
「それは……仕方ないことです。逆に今の過大な好意を抱かれる状況もおかしな話ですしね。何より性別をこのままにしてはおけませんから」
「じゃあ、もし自分の性別に変わりがなくて他の怪現象も起こっていないとしたら、
「…………」
頷けなかった。そしてそんな自分が嫌になる。結局俺は自分が助かるために動いているだけで、二人の為を想う善意的な感情がない。これじゃあ上手くいくはずもないか。
「私は許せない」
一瞬、その言葉が先輩から出たものとは思えなかった。他の人に対して憤りを断言するのは初めて見たからだ。
俺の心の驚きは見透かされていたようで、先輩はその感情が偽りでないことを示すように仏頂面を作り、「私だって人間なんだから嫌なことは嫌って言うよ。それが自分の大切な人に関係することなら尚更」と前置きしたあと、
「これまで
「……たしかに散々な目に遭わされて正直憎む気持ちはあります。けど、今は先輩やリョウたちのように俺の内面を見てくれる人たちがいるので、そこまで深く捉えていません」
「本当に? 私なんか肝試しの時に文句をぶつけてやろうかって何度も考えたよ」
「その先輩の気持ちだけで俺は十分に救われてますよ。今さら過去を掘り返したところで新たな火種になるだけですから」
「……そう…………」
先輩は安堵を見せず、顔色を曇らせて俯く。
気丈に振る舞ったことが却って心配をかけたか。しかしくどくどと不平不満を並べて気遣わせるのはもっとさせたくない。どうしよう……。
柔弱な様を見せてしまったことを後悔していると、先輩がずっと握っていた俺の手にもう一方の手を添えてから俺の顔を見上げてくる。
「たとえ物事が上手くいかなくて
「は、はい」
真っ直ぐな好意を向けられて思わず照れる。
だけど同時に、その言葉の中には無理して怪現象を解決しなくてもいいという意味も含まれているような気がして釈然としなかった。
それからはお互いになぜか言葉を紡げず、足を止めることなく別荘の女子部屋へと戻った。
「おやすみ」という挨拶を交わして布団に入る。
先輩と出歩けて大分心が落ち着いたが、残念ながら深い眠りとはいかなかった。
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