白ノ瀬家の別荘 宿泊三日目
その異変は気づかないうちに着実と進行していた。
時刻はもうすぐ正午。場所は女子部屋。
リョウがスマホのカメラレンズをこちらに向けてくる。
「──それじゃあ、
「えーっと、だったら…………こんな感じはどうでしょうかお嬢様?」
「うおぉ! その胸に手を当てて主人を出迎える仕草カッコ可愛いぃ! やっぱりオレの目に狂いはなかった! ほらほら、
「なんで俺まで……」
自身が着ているフリルだらけのメイド服を見下ろして辟易する。
宿泊最終日は生憎の雨模様でスタートとなった。
灰色の曇り空からはぽつりぽつりと雨粒が降り、外に出るのは億劫に思うぐらいの雨脚だ。天気予報では正午過ぎから強まり、帰る予定の夕方ごろには止むらしい。
当然ながら今日は屋内で過ごすことになったわけだが、さすが
そして現在。リョウの提案で女子限定のファッションショーをしている。
どうやらみんなの可愛い姿を写真に収めたいという欲望ありありの理由らしい。もちろん姉貴のことも誘っていたが案の定断られ、姉貴以外の全員がいる。
部屋中に散乱する様々なデザインの衣服と、その中でも異彩を放っているコスプレ衣装を見ると、リョウの用意周到さに呆れて溜息が出る。
初めはオシャレな夏コーデを着るだけで済んでいたが、途中から巫女服やらチャイナドレスやらのコスプレ衣装をどこからか持ってきやがったのだ。なんでも事前に俺たちに似合う物をネットショッピングで購入したそうだ。まじで行動力がやばい。
それ以降、こうして付き合わされている。──朝の十一時ぐらいから始めたからすでに一時間が経過しているのか……来たり脱いだりを繰り返してそろそろ疲れてきた……。
しかし、この貪欲で変態な撮影家は止まらない。
「
「……なぁ、もう終わりにしないか? 十分に撮っただろ」
「も少しだけっ! 特に
「今しかって……なんだよそれ……」
こんなことをしている場合じゃないのに……。
ちらりと視線を
白衣のナース姿をした
どう考えても昨日の出来事が原因だろう。
今日の午前中を過ごした中で、
挨拶や相槌などのちょっとした会話をしないことはもちろん、一瞬たりとも顔を合わせようともせず、みんなでパーティゲームをしようとなった時だって
あまりの冷たい態度に業を煮やした俺が声をかけてみたものの、あいつは頑なに無視を決め込んでまるで相手にならなかった。
そのたびに
俺はできるだけ明るく言葉を返すよう努めたが、反対に気遣っていると解釈されてしまったようで、より
考えれば考えるほど、心の中の焦りは大きくなる。宿泊期間はもう残り五時間ほどしかないが、あそこまで素っ気ない態度を取り続けられればどうすることもできない。
今、俺が取れる最善の行動って一体なん────
「──
「……え、はい」
先輩に声をかけられて思考がストップした。
訳も分からないまま、言うとおりに壁に近づく。
「これでいいです……っ!」
振り返った瞬間、顔のすぐ横を先輩の手が勢いよく通り過ぎ、そのまま壁にバンっと張りついた。先輩の顔が真ん前にきてカァーッと全身に熱が帯びる。
「せ、せんぱ……」
「
「へ……俺? あ、あの……」
急に男口調の低い裏声で囁きかけてくる先輩に、どう反応を返していいかわからずにいると。
「はいっ、オッケー!」
いつの間にか真横にいたリョウが声を上げた。ふへへ……と頬が緩みきって気持ち悪い。
「良い……すごく良い壁ドンだ!
「お、お前……もしかして写真だけじゃ飽き足らず動画まで撮ってたのか!?」
「写真だけじゃ全ての可愛さを記録できないだろ~。でもただ普通のムービーじゃ勿体ないから、従者同士の甘々な絡みを演出させてもらいました」
「監督ぶるな! 盗撮だ!」
「オレはちゃんと先に断りを入れたぞー。上の空で聞いてなかったお前が悪いんだー」
リョウは悪びれもせずに「名残惜しいけど時間がないから
ようやく解放されてホッとしながらも、ネクタイを緩めて息をつく先輩に謝る。
「先輩。リョウがすみません。あいつ、一度やると決めたら止まらなくなるんです」
「全然全然。むしろこれまで遊びや他のことに夢中で写真を残すことを忘れてたから、
「多分あいつのアルバムにあるのは綺麗なものじゃなくて欲望まみれのものですよ」
「それでも後で見れば、きっと良い旅の思い出になってるよ」
「……そうなればいいんですけどね」
先輩の言葉を疑うわけじゃないが、今の状況じゃその未来は訪れなさそうに思えてしまう。
「それに私、一度はコスプレしてみたいって思ってたんだ~。こういう男物とかファンシーな衣装って着る機会が滅多にないから今すごく新鮮で楽しい」
「まぁ確かに日常じゃなかなかできませんからね。少し恥ずかしいですけど、俺もこんなカワイイ服を着れて嬉しいです」
「え?
「はい、普通に嬉しいですけど? もしかして俺には似合ってませんか……?」
「う、ううん。十分似合ってると思うけど……」
明らかに困惑した先輩をおかしく思ったとき、リョウが歓喜の声を上げてそちらに目が行く。
「よーしっ、
「がおー」
「我が妹ながら最っ高にかわゆいっ! そして小柄で守ってあげたくなる可憐なみゆちゃんには赤ずきん! ぜったいに似合うと思うから着てほしい!」
「……あ、はい」
リョウから赤ずきんの衣装を手渡された
すると突然、先輩が慌てた様子で俺のまえに躍り出てきて緊迫した声を出す。
「みゆりちゃん! 下着下着!」
「え……────っ!」
急変した二人の様子を疑問に思っていると、リョウが呆れたような細目を向けてきた。
「お前はちょっと目を逸らすとかしろよ……さすがにガン見は引くぞ」
「はぁ? ただ見てただけだろ、お前と一緒にすんな。っていうか女同士なんだから恥ずかしがることねぇだろ」
『────!?』
なぜか
「え? みんなして何を驚いてるんだ?」
「お前……それ本気で言ってるのか……?」
「本気も何も、ただどうしたのか聞いてるだけ……」
「じゃなくてさっきの言葉だ! お前は男だろ!」
「あ? 俺が男? …………っ!?」
そこで強い違和感に襲われた。
先程、自分の口から自然に発せられた『女同士』というワードが思い返され、次第に心臓の鼓動が速まって冷や汗が額に浮かぶ。
──なんで俺はあんなことを口走ったんだ!?
思考が混乱を極める。
自問自答を繰り返しているうちに、船酔いした時みたいな気持ち悪さが体に表れて吐き気が募り、たまらず部屋を飛び出して脱衣所に向かった。
ノンストップで辿り着き、すぐに洗面台に手をついて排水口に顔を突っ伏す。
荒い呼吸を繰り返すだけで吐きはしなかったものの、依然として気分が優れない。
顔を上げると、洗面台の鏡には黒髪の女の子が映っていて目が合う。
これは俺だ。だけど違う。俺だけど俺じゃない。本当の俺は……。
また言い知れぬ不安に駆られたとき、不意に風呂場に続く戸の開く音が聞こえた。
思考がそちらに持っていかれて振り向くと、そこから出てきたのは
腰にタオルを一枚巻いた裸の。
「あ、
「れ、
「ああ、さっきまで家の補修に外に出ててね。びっしょり雨に濡れて気持ち悪かったからシャワーを浴びてたんだ。それよりもメイド服? 可愛いね」
自分で訊いておきながら全く言葉が頭に入ってこず、ただただ
胸を締めつけるほどの羞恥心が込み上げ、さらにそう感じてしまう自分に不快感を抱く。激しい動悸とともに息苦しさも伴い、だんだんと目の前が霞んでくる。
「
急激に全身の力が抜けて
薄れていく思考の中、脱衣所のドアが開いて「
***
最初に目を開けると、清潔そうな白い天井が瞳に映った。
しばらくして体の後面から感じる柔らかい質感がマットレスのものだと気づき、自分が仰向けに寝ていることを悟る。
まだ霧がかった頭で天井を見つめていると、視界を遮るように誰かが俺の顔を覗いてきた。
「先輩……」
呟くように言うと、先輩は心配が色濃く表れた面持ちを緩め、安堵したように胸に手を置く。
「目覚めてよかったぁ。気分はどうかな?」
「えっと、特には何も。……ここは?」
「別荘の一室だよ。救護室なんだって」
六畳ほどの室内は、スチール製の机があったり薬品や包帯が仕舞われた棚があったりと、どこか保健室を彷彿とさせる。二日間で全ての部屋を把握したつもりでいたが、こんなところもあったのか。
ゆっくりと上体を起こしてその場にアヒル座りする。壁にかけられた時計は午後二時を指し示している。
「どうして
「脱衣所で意識を失った
──ああ、そうだった。仮装をしている途中で気分が悪くなって脱衣所に駆け込んで……。
「……っ」
倒れた経緯とともにその時の感情を思い出し、また心が激しく揺れる。
「先輩…………俺……俺は……」
みっともなく声が
──自分なのに自分じゃない。本当の俺は一体何者なんだ……?
自身の存在が曖昧になっていく恐怖に心が押し潰されようとしたとき。
不意に先輩がベッドに上がり、そのまま俺のほうに体を寄せて優しく抱きしめてきた。
「先輩……」
「ほら、私の体をぎゅっとして。しばらくこうしてよ」
たくさんの感情がごちゃ混ぜになって思考がまとまらないまま、先輩の背中に腕を回す。
華奢な体の熱がじんわりと俺の体内に伝わって怖気づく心を包み込むように温め、耳元で聞こえるゆったりとした息遣いが乱れた鼓動を正常に戻す。
この心地よい感覚だけに意識を委ね続けた。
やがて気持ちが安らいで理性を取り戻すと、全身から湯気が出そうなほど一気に体温が上がった。鋭敏になった五感がより先輩の存在を感じ取り、幸せながらも居た堪れない気持ちになる。
その俺の変化に気がついた先輩が、俺の首の後ろに回していた手を解いて肩に置き、「落ち着いた?」と穏やかな声で訊いてくる。
鼻が当たりそうな距離で微笑まれ、俺は照れて小さく頷くことしかできなかった。
「それじゃあ。私は誰で、君の何かな?」
突然の問いかけにワンテンポ遅れながらも「
先輩は慈愛に満ちた表情で頷いた。
「うん。だから君は、私の大切な恋人。性別なんて関係ないよ」
「────」
その確固たる言葉は、不思議と胸にすとんと落ち、心に居座る違和感を消し去ってくれた。
──そうだ。俺には先輩がいる。こうして俺の存在を証明してくれる人がいる。男とか女とか重要じゃなくて、それだけあれば自分を信じるには十分じゃないか。
思い詰めていたのが馬鹿らしく感じるほど、ようやく気持ちに整理がついた。
「先輩、ありがとうございます。おかげで不安が消えました」
「うんうんっ。もしまた心が落ち着きを無くしたときはハグするから遠慮せずに言ってね」
「それは恥ずかしいので他の方法だとありがたいです」
「えー。私としては恋人がべったりと甘えてきてくれて嬉しかったけどなぁ」
「小さな子供みたいに言わないでください。そこまでは甘えてません」
軽口を叩いていると、何やら部屋の外からドタバタした足音が聞こえてきてドアが開いた。
入ってきたのはリョウだ。何やら切羽詰まったような顔をしている。
「
いきなり来て喧しいやつだなと思ったが、続くリョウの言葉で考えが変わった。
「みゆちゃんと
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