白ノ瀬家の別荘 宿泊一日目(3)
夕食の
「──よぉぉぉしっ! 時間もいい頃合いだからこれより幽霊調査を開始したいと思う!」
玄関のほうから勢いよく現れた
みんなが
──幽霊調査? いきなり何を言い出すんだこの人は……。
「こらこら
なるほど肝試しのことだったのか。なんとも夏らしい定番イベントだ。
「簡単に説明すると、森の各所にルート看板を立ててあるからそれ通りに二人一組で進んでいって、中間ポイントでツーショット写真を撮って戻ってこれればクリアって感じだね。もちろん参加は自由だよ」
何にでも好奇心旺盛な先輩が嬉々とした様子を見せる。
「肝試しかぁ。遊園地のアトラクションとかだったら何度も体験したことがあるけど、実際の夜道を出歩いて行うのは初めてかも。面白そうだね」
「うーん、そうですか?」
「あれ?
「いえ、特に好きでも嫌いでもない感じですけど。こういうのって驚かし役が複数人いてこそ成り立つものだと思うので単純に人数不足で盛り上がらない気がするんですよね」
リラックスチェアに座ってだらけている姉貴の様子を見るかぎりこの企画を事前に知っていたのは大人三人だけのようで、元より宿泊すら面倒がっていた姉貴や参加する気満々の
「ちょ、ちょっと待てよ
絨毯の上で
「なんだリョウ。もしかして怖いのか?」
「そうだけど違うっ! オレが怖がりなんじゃなくて、あの森には本物の幽霊がいるんだよ!」
「あぁ? 本物の幽霊?」
「毎年
なんとも信じがたい話だが、よく見れば
それに思い出せば
俺は幽霊肯定派ではないがそこまで必死になられると一気に緊張感が増す。リョウの危惧も妥当に思えてきた。
「弟妹たちよ、勇気を持て! 危険を恐れてちゃあ幽霊の決定的証拠を掴められない! オカルト研究会の代表として今年こそはその姿をカメラに収めてやる!」
「大丈夫大丈夫。懐中電灯はもちろん、何かあった時のための防犯ブザーと知り合いの神主さんに用意していただいた魔除けの護符もあるから」
やっぱりこの兄たちに『不安』の二文字はないか。
「それと、この試練を乗り越えた暁には報酬として現金一万円をプレゼントするよ」
「加えて、幽霊もしくは未確認生物を写真に捉えた者は俺から情報提供料として更に一万だ」
未成年を金で釣るとは悪い大人たちだ。でも魅力的な提案であることには間違いない。
「そのことを踏まえて、まずは参加人数を把握したいから肝試しする人は挙手してくれるかな?」
ここまで用意周到だと断りづらいな。しかも先輩が迷いなく手を挙げたので余計に。
他も俺と似たような意見みたいで流れに流されるまま手を挙げる。
ただ一人を除いて。
だがしかし、他全員が参加の意思を見せるこの状況下でやつが黙っているはずがない。
「なんだぁ、
「僕は他にやることがあるので」
「何かは知らねぇけど、今じゃなくてもできることなんだろ。一人っきりで家にいてもつまんねぇぞ。俺の幽霊調査を手伝ってくれよ」
がっしりと
気弱な人に絡むヤンキーにしか見えない。海水浴の時もずっとウザ絡みされていたしやっぱりターゲットにされてしまったか。
「全員参加で嬉しいよ。それじゃあ二人組を決めよう。このボックスの中にある紙を……そうだね低い年齢順に引いていこう。紙には番号が書いてあって同じ数字の人と組むと同時にそれがスタート順だからね」
好きな人同士で行くわけじゃないのか。まぁ余りが出たら虚しいもんな。
しかしこれは良い展開じゃないか。くじ引きなら
ここまでの
あとは二人が一緒になることを祈るばかり。
***
濃い暗闇が支配する森林。
明るいときの木漏れ日射す穏やかな情景は一変しておどろおどろしくなり、カサカサと微風で木の葉が擦れ合う小さな物音にも反応してしまうほど心に警戒が生まれ、懐中電灯が照らす木々の樹皮が時おり人の顔に見えてきて恐怖を煽る。
一歩一歩が重く、思うように前に進めない。
ただそれは恐れからではなく、ぴったりと俺の腕に絡みついてくる彼女が原因だ。
「うぅ……」
俺は心の中でため息をつく。
まさか俺と
祈りが通じなかったどころか最悪の組み合わせになってしまった。
ペアとスタート順は次の通り。
①先輩と
それに
──やっぱり放っておけない。先輩の身に何か起こるまえに合流しなければ!
五分間隔でスタートしたから走れば余裕で追いつく……のだが。
「なぁ
俺に密着しながら魔除けの護符を握り締めている
「む、ムリです……! 走って足音なんて立てたら幽霊に見つかっちゃって即捕まえられますよ! そしてわたしたちは大きな口で頭から捕食されていくんだぁ……」
「お前の中の幽霊ってどんな化け物なんだよ……。もう少し歩くスピードをだな……」
「ムリなものはムリなんですっ! でも置いていかないでぇ……!」
より俺の腕を強く抱いて引き止めてくる。
性格的に怖がりだとはなんとなく予想していたが、まさか介助が必要なほどビビリだったとは。隣にいるのが俺でなく
「置いていかないから子供みたいに愚図るな。それと怖さで忘れてるけど俺男だからな」
これじゃとても先輩たちに追いつけないな。さすがに見捨てていくわけにはいかないし。
まぁよく考えてみれば、いくら邪悪な
だがもしも先輩の身に何か仕出かした時は絶対に許さない。宿泊の楽しい雰囲気をぶち壊してでも罪を償わせてやる。
「ふ、
物事をポジティブに考え直して逸る気持ちを静めていると、ついに
結局のところは
今の状態では足に根が生えたように動かないから手を繋いで勇気を分け与える。
「ほら、これぐらいなら男の俺でも大丈夫だろ」
「……はい……ありがとうございます……」
「そう不安になるな。もし何かあった時は俺が盾になるから安心しろ」
「ダメです! 今の
「追い剥ぎかよ。せめて幽霊観を統一しろ。……ったく、いる前提で物事を考えるから怖くなるんだ。今までに見たことがあるのか?」
「それはないですけど…………でも
「幽霊の正体見たり枯れ尾花って言葉があるだろ。見間違いだ見間違い。幽霊なんていない」
「…………」
俺たちは緩やかな足取りで歩みを再開させた。
無言でいるとまた神経が
「それにしても
「人を軟弱者みたいに言わないでください。どこでもここでも怖がってるわけじゃないです」
「ほんとかぁ? 強がりにしか聞こえないぞ」
「本当ですっ。ホラー系の漫画や映画だって見れますしお化け屋敷にも入れます。そりゃ好きか嫌いかで言えば嫌いですけど人並みにです」
「じゃあさっきの様子には何か訳があるのか?」
恐怖心を遠ざけようと敢えてからかってみたが、あの尋常じゃない怖がり方を思い出すと理由が気になってくる。
中学二年の夏頃に、今のような森の中で迷子になったことがあるんです。
わたしは美術同好会に所属していて、その日の放課後の活動は風景画を描くことでした。
校舎の外に出て絵になる良い景色を求めるうちに足は学校の裏山に入っていました。とくにわたしは人の手が入ってない自然の様子が好きだったので素敵な場所があるんじゃないかと思ったんです。
普段から言われている『山の奥には行かないように』という先生の注意を軽んじていくつもの木々を抜けながらベストな写生スポットを探していると、やがて岩間を流れる小川を発見しました。
オレンジ色の夕日が水面と木々を照らし出す哀愁漂う様が写生の決定打になりました。
わたしは近くの倒木に腰を据え、没頭して描き続けました。辺りが薄闇に覆われてきても、あとちょっとだけあとちょっとだけと言い聞かせて描くことを止めませんでした。
さすがに灯りが必要になってきたところでスケッチブックを閉じました。
そして良い風景を見つけられて心が浮き立つ帰り道でした。
自分では校舎のほうに向かっているはずなのに一向に辿り着けなかったんです。徐々に見づらくなる視界も相まって焦りが大きくなっていき、駆け足で森の中を彷徨いました。
迷子になったと気がついた時には足元も見えないほど周囲が暗闇に包まれていました。
もう方角どころか数歩先でさえ分からない状況に陥って絶望しました。しかもそんな時に限って怖い話を思い出すんですから人間の脳っていじわるです。
あまりの恐怖に助けを呼ぶ声も出ず、足が竦んでその場に蹲りました。時間が経つにつれて精神も弱まりきって、このまま帰れないんじゃないか、得体の知れないものに襲われるんじゃないかってマイナスなことばかりが心を支配しました。
わたしはずっと孤独に涙を流して助けが来るのをただ祈ることしかできなかったんです。
「結局のところは懐中電灯を手にした部長が助けに来てくれて事なきを得たんですけどね。だから今でも暗い森の中に行くとあの時の情景が思い浮かんで平静を保てなくなるんです」
「そんな大変なことがあったのか……」
「これでもわたしがただの怖がりだとからかいますか?」
「……俺が悪かった。まさかそんな悲惨な目に遭ってるとは思わなかったんだ。許してくれ」
立ち止まって謝ると、
「
「それはよかった。というかそこまでのトラウマがあってよく今回の肝試しに参加したな」
「だってみんなが参加する空気的に拒否できないじゃないですか」
「みんながみんな心の底からやりたいってわけじゃなかったっぽいし、今の話を打ち明ければ誰かが別荘に残ったと思うぞ。とくに姉貴なんかは人数合わせで仕方なくやってるふうだったからな」
「……あの時は言いたくなかったんです」
「まぁ自分の失敗談をみんなの前で話すのは気が引けるよな」
「それもありますけど……」
「それも? 他に何かあるのか?」
「……いえ、なんでもありません。────それよりも早く暗い森とはおさらばしたいので先を急ぎましょう!」
「お、おう」
何やらはぐらかされた気もするが、完全に立ち直ってくれたみたいだし良しとしよう。
それからは学校生活などの他愛もない話をしながらA型看板の矢印に沿って進んでいった。
やがて先の光景に明かりが見えてきた。
そこは少し視界の開けた場所で、真ん中には中間ポイントという看板とともにキュートな魂のおばけたちが浮遊するスタンドパネルが用意されてある。……わざわざツーショット写真を撮るためだけにこんな写真映えスポットを作成したのか、イベントを盛り上げようとする熱意がありすぎるだろ。
そしてその近くには先輩と
すぐに
「先輩っ!」
「あ、
「大丈夫でしたか!? 変なこととかされてません!?」
「変なこと? 特に変わったことはなかったけど……幽霊とかにも遭遇してないし」
何のことか分かっていない反応的に
「いえ先輩が無事ならいいんです。それはそうと随分とゆっくり進んでるんですね」
「そうだね。
「会話ってどんな話を?」
「んー、学校のこととか家のこととか色々かな」
二人の談笑する様子を想像してしまい、ちょっとだけモヤモヤ感がした。先輩の話し上手な性格的に誰が相手だとしても無言でいることはあり得ないので何らおかしいことじゃないんだけど。
「
言葉とは真逆な不満の声で言って、さらにはジト目を向けてくる。
そこで
「こ、これは
「そうです
「……まぁそうとは思ったけどさぁ。少しは私に気遣ってくれてもよかったんじゃない?」
「たしかに配慮が欠けてました……でもほら、恋人繋ぎをしてるわけじゃなくてただ手を握っただけですのでそこまで拗ねなくても……」
「ふーん。じゃあ私も
「すみません! 全面的に俺が間違ってたので考え直してください!」
先輩が俺以外の男とツーショット写真を撮るだけでも嫌なのに、そんなことをされたら嫉妬心で気が狂ってしまう。
「んーどうしよっかな~。私の好意を軽く見られてすごく傷ついたしぃ、今後のためにも
「勘弁してください! これからは気をつけますので!」
「ほんとかなぁ~? 同じ男の子として
先輩が振り向いた先に
周囲やスタンドパネルの後ろ側を見てもいない。さっきまでそこにいたはずだが。
「ま、まさか幽霊に攫われたんですか!?」
「なわけあるか。それだったら悲鳴の一つでも上げるだろ」
大方、俺たちの会話に焦れて先に進んだのだろう。懐中電灯は先輩の手にあるが足元を照らすぐらいならスマホのライトでどうにでもなる。
「一人で行っちゃったのかな……早く追いつかないと」
「放っておきましょう。一人行動が好きみたいだし」
「それならいいんだけど……ここまで来るときも様子がおかしかったからちょっと心配かな」
「様子がおかしい?」
「うん。私が言葉を投げかけたらその都度返事してくれたんだけど、どこか心ここにあらず状態っていうか落ち着きがない感じだったの」
「先輩と二人きりだったから緊張してたとか?」
「歳の離れた
俺が言ったのは先輩が可愛すぎてという意味だったのだが。まぁたしかにあの図太い
そうなると理由はなんだ? 今一人で森を突き進んでいることからして幽霊にビビッていたわけじゃないだろうし。まったくあいつの考えは読めない。
なんにせよ、もし体調不良的な理由だったなら先輩の杞憂も分かる。大事にならないよう一緒にいるべきだ。過去の
「分かりました。俺が呼び止めてくるので二人はゆっくり来てください」
ルートを逸れている可能性も視野に入れて辺りに懐中電灯を向けながら早歩きで進んでいく。
ほどなくして
すぐさま追いついて肩を掴む。
「おい。断りもなく一人で行くな。まだ写真も撮ってないだろ」
「…………」
「おいってば、無視すん……」
「────うるさいなぁ……!」
怒声とともに肩を激しく動かされて手を振り払われた。こちらを向いた
「僕のことは放っておいてくれって何度言えば分かるんだよ!」
「ちょっと落ち着け。何をそんなにキレてんだよ。もしかして先輩と写真を撮るのがそんなに楽しみだったのか、俺と
「誰がそんな子供じみたことするか! そもそも君の彼女にはこれっぽっちも興味ない!」
「その言い方は失礼だろ! 先輩の魅力を軽視するような発言はやめろ!」
「彼氏からすれば男の僕が関わりないほうがいいでしょ!?」
「当たり前だろうが! ふざけんな!」
「じゃあなんて答えればいいんだよ!? 君は本当にめんどくさいな!」
「そこはもっと気の利いた言葉があるだ……」
そこで話が脱線していることに気づいて口をつぐむ。こいつと言い合いを始めると小馬鹿にした態度や口調につい乗せられて感情が止められなくなる。
ため息をついて気持ちを仕切り直した。
「なんにしても、みんなに黙ったまま勝手に行動するな。早く戻れ」
「僕はこのまま一人で行く。君たちのイチャイチャしてる姿を見ると虫唾が走るからね」
「誰もイチャついてねぇよ。っていうかお前の意思なんて知るか。一人にして何かあったら俺たちの責任になるから引き止めてんだよ」
「小さな子供じゃあるまいし考えが過保護すぎでしょ。それともなに? 本当に幽霊がいるとでも思ってるの?」
「思ってねぇよ。俺が言いたいのは──────ッ!?」
俺は言葉も中途半端に息を呑んだ。
暗がりの中に薄っすらと、
顔を覆い隠すほど伸びて荒々しい黒髪に、よれよれの薄汚れた白装束。リョウから聞いていた話と完全に一致した姿。
俺が見ていることに気づいたのか、ゆらりゆらりと体を振りながら近づいてくる。
一瞬だけ髪の隙間から血走った眼が見えたような気がして、幽霊の存在を信じていない俺でも『もしかしたら本当に……』と考えが過るほど恐怖と命の危機を感じ、急いで
「──
「おい、マジで出た! 早く逃げねぇと!」
「はぁ? 出たって幽霊? 君の小芝居は猿以下だね。今どき子供でもそんな手に乗らないよ」
「冗談じゃねぇよ! 後ろ見ろ、後ろを!」
「君の指図に従う気はない」
「こんな時に変なプライド保ってんじゃねぇ! いいから見ろっ!」
両肩を掴んで強引に体の向きを反転させる。すでに幽霊は
「────うわぁぁぁぁっ!!」
「ちょ、おま……!」
「う……
痛みの次はくすぐったいような感覚がして目を開ける。
覆いかぶさるように目前には
そのいかがわしい体勢に遅れて気づいたらしい
「ち、違うこれは体勢を保つためで偶然こうなって……! っていうかなんで下着をつけてない……いやそれよりも幽霊が……」
混乱を極めているようで俺の上から退く様子もなくただただテンパる。
ちょうどそのとき地面を駆ける足音が聞こえてきて先輩と
「さっき悲鳴みたいな声が聞こえたけど二人とも大丈夫!?」
「幽霊ですか!? 幽霊が出たん────…………」
俺たちの姿を見た途端、
無言でこちらにツカツカと歩み寄ってきて
「この最低男ぉぉぉ!」
左手を大きく振りかぶってそのまま
しかし
そして唖然とする
「暗がりで女の子を押し倒しただけではなく、む、胸を揉むなんて最低ですっ!」
「ちょっと待ってくれ! これは不慮の事故なんだ! それに
「言い訳するなっ! このヘンタイ! ゲス! ケダモノ!」
怒りと羞恥に満ちた真っ赤な顔でこれでもかと罵詈雑言を浴びせる。今もなお近くにいる幽霊の存在に気づく様子はまったくない。
このままではみんなまとめて幽霊の餌食になってしまう。
俺は地面に手をついて素早く上体を起こした。
「
「騙されちゃいけません! 故意じゃなければすぐに手を離せばいい話です! それをこのスケベぇ男は感触を堪能するように長時間触れてぇ……! 二度と同じ真似ができないようトラウマを受けつけてやるぅ……!」
「ああもうっ、幽霊がすぐそばまで来てるんだよ幽霊が!」
「……へ? ゆうれ───────にぎゃあぁぁっ!!」
ようやく気づくと、尻尾を踏まれた猫のような声を張り上げ、なぜかこちらに飛びついてきてまた俺は地面に転ぶ羽目になる。
「なんで俺に抱きつくんだよ!? はよ逃げろ!」
「もうダメだもうダメだもうダメぁ……!」
一気に感情が恐怖に取って代わったようで涙混じりの声で叫ぶばかり。
収拾がつかない状況の最中、すぐ近くでカメラのシャッター音が鳴った。
見るとそこには幽霊の至近距離でスマホを構えた先輩の姿が。
「先輩っ、何やってんですか!? 襲われますよ!」
「初、幽霊と遭遇記念に一枚」
「危機感なさすぎです!」
「うそうそ。よくできてるなぁと思ってね」
「よくできてる……一体なにを言って……」
先輩の恐れを知らない態度に疑問を抱いている間にも、幽霊が茂みの奥から進み出てきて何やら両手で顔の前の髪をたくし上げた。
「──ごめんごめん、驚かしすぎちゃったね」
そこには
***
ふかふかの敷布団の上で横向きになりながら就寝する。
目を瞑って視界が閉ざされると他の五感が敏感になり、背後から聞こえる微かな寝息や制汗剤のような甘くて良い匂いがまざまざと感じ取れる。
俺は肌かけ毛布を頭まで被った。
──こんな状況で寝れるわけがねぇ!
瞼の裏側を見つめてから一時間が経ったが、一向に睡魔は訪れてくれない。
肝試しが終わったあと、別荘に戻って続々と女子たちから入浴を済ませて
最初は女子たちと一緒に寝るのは無理だと思ってべつの所で寝ようとしたものの、先輩たちが気にしないと言ってくれたので素直に厚意を受け取った……のが間違いだった。
信頼してくれる気持ちは嬉しかったが、それにしてもみんな無防備すぎだ。
俺の姿が女だから警戒心が薄れているのか、キャミソールやショートパンツなどの肌の露出が多い服装に平気でなった。ふとした動作で下着がチラ見えして目のやり場にかなり困る。
極めつきはすぐ隣で先輩が寝ていることだ。
せめて四人との間に姉貴を挟んで
となると反対側の隅に寝るしか選択肢がなくなり、必然的に誰かが隣に来ることになる。
添い寝をしているわけではないが、真後ろで恋人が寝ていると思うとやっぱり落ち着かない。
先輩の怪現象中に一度だけ同じ部屋で寝たことはあるものの、ベッドと床で高低差があったあの時とは違って今は目線が同じ高さにあるため寝返りを打つだけで先輩の寝顔が見えて心が動揺してしまう。
そんな俺の気苦労なんて露知らず、みんなは遊び疲れたようでぐっすり。俺も体力の限界まで海水浴を楽しめばよかった。
「ん……んぅ……」
そのとき背後から先輩の小さな声が聞こえてきた。何やら呻くような声音だ。
数十秒しても
先輩の表情は眉間にしわができるほど強張っていてかなり寝苦しそうだ。
肝試しのあとだし怖い夢でも見ているのだろうか。一度起こしてあげたほうがいいか。
「ん……んん…………ま……まく……」
「まく……?」
「ま……まく……らぁ……」
──ああ、枕か。両手を前に突き出して彷徨わせているから抱き枕を欲しがっているっぽい。
そういえば、前に俺がクレーンゲームで取った河童のぬいぐるみをいつも抱いて寝てるとか言ってたな。まぁまぁの大きさがあるからさすがに宿泊には持ってこれなかったようだ。
少し考えて自分の枕を渡してみる。
両腕の間にそっと置くと、獲物を捕らえるタコの触手みたいに絡ませてギュッと胸に抱く。同時に苦心の顔がスヤァっと満ち足りたように和らいでいく。
「……こりゃ眠れねぇわ」
先輩の新たなる可愛い一面を垣間見てしまい、余計に眠気が遠ざかる。
しかたない。ここはもう開き直って夜更かしするか。この部屋にいるといつまでも乱れた心が静まらないから、なにか飲み物でも飲んで思考をリセットしよう。
みんなを起こさないよう忍び足で部屋を出る。
廊下の棚の上にある置時計は深夜零時を指していた。
そのままリビングに続くドアを開けると、予想外にも照明が点いており、暗さに慣れた目が自然と細まる。
誰かいるのかと眩しさに耐えて目を凝らすと、そこには
「…………」
一人佇みながらリビングの壁に掛けられた絵画を見ている。俺に気づかないほど一途に。
こんな深夜に一人でどうしたのか。なにか悪いことを企んでるわけじゃないだろうな。
彼我の距離が半分まで近づいたところでようやく向こうも気づき、俺だと分かると顔をしかめる。
「こんな夜更けに何してんだよ?」
「このやつれた顔を見れば察せるでしょ。……まったくあの兄たちはいい歳して枕投げを全力でし始めるし、弟は構ってオーラを出してじゃれてくるし……どいつもこいつも遠慮が無さすぎる。おまけに全員寝相が悪いなんて休まるか」
そう言って重い息を吐く。
状況は違うが、どうやら俺と同じで眠れないらしい。
「それで絵画鑑賞してるのか? お前に絵を楽しむ心があるのは意外だな」
「失礼だね。小さな頃から著名人の展覧会に何度も連れて行かれたおかげで芸術分野に関してはある程度の知識があるんだよ」
「へぇ。そんなお前から見てこの絵は凝視するほどのものなのか?」
アンティーク調の額縁に飾られた抽象画。丸や四角などの図形に、人の目やら手やらが描かれていて雑然としている。色使いも独特で、しっかりと塗っている箇所もあれば筆を振り払ってできた飛沫みたいになっているところもある。何を表しているのか俺にはさっぱりだ。
「教養のない人に言っても伝わらないよ」
「教えてくれるぐらい良いだろ。
「端から人に聞く時点で君に芸術は向いてないよ。多視点で見方が変わるから面白いんだろ」
「くっ」
こいつに正論を吐かれると非常にムカつく。
しかし何度見ても感想が思い浮かばない。風景画なら綺麗だなとか上手いなとか出てくるものの、この絵はまずどこをどう見始めればいいのか取っ掛かりさえ見つからない。
これが芸術に携わっている人なら理解できるのか、とても信じられないな。そういえば
「お前は絵が好きなんだよな?」
「そうだけど?」
「じゃあ自分で描いたりもするのか?」
「……前は暇つぶしでしてたけど今は勉強で手一杯で全然だね。そんなことしてたら母さんに何を言われるか……」
「なるほど、そうかそうか」
やっと二人の共通の話題が見つかった。
「
「余計って言うな。っていうかどうしてもっと早く絵が好きなことを言わねぇんだ。無駄な気を回すことになったじゃねぇか」
「今したのも無駄な気だよ。本当に君ってやつはお節介者だな」
「俺のどこかお節介者だ。胸を揉まれても普通に接してあげてるだけありがたいと思え」
「だからあれは事故だって言ってるでしょ! あと女の自覚があるなら下着ぐらい着けろ!」
「締めつけた感じがして不便なんだよ。お咎めなしで生の感触を知れたから良かっただろ」
「よくない! 君のせいで僕の心証はガタ落ちなんだよ、少しは悪気がないのか!?」
「あるからそれ含めて印象挽回しようって奮闘してるんだ」
本当に肝試しの件は最悪だった。
結局のところ幽霊騒動は
ちなみに
そんなこんなで
問題は
幽霊が偽物だと分かって
「あの時にお前が申し訳なさそうな態度をしてれば
「それをしたら非を認めることになるじゃないか。僕は何一つ悪くない」
「そうだとしても空気を読めよ…………はぁ……」
「……そんなに彼女は不機嫌なのか?」
「先輩やリョウに愚痴るぐらいにはな」
二人がまぁまぁと宥めていたものの、長らく不満の言葉が尽きることはなかった。
「悪い状況だって分かってるならさっさと謝れ。お前だってギスギスした雰囲気は嫌だろ」
「…………」
「たかが自分の過ちを認めるだけだろ。何がお前をそんなに意固地にさせるんだよ」
そして俺を一瞥することなく階段に歩みだす。どうやらもう俺と会話をしたくないらしい。
引き止める間はあっても、言葉が出てこない。自身の性が懸かっているとは言え、今日一日袖にされ続けると説得する気も失せてくる。
結局そのまま
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