白ノ瀬家の別荘 宿泊一日目(2)

 あんなにも風光明媚な海岸が近くにあって部屋に籠もっているなんてできるはずもなく、早速みんなで海水浴をすることになった。


 各自水着に着替えるということで一緒の空間にいるわけにはいかず、姉貴に変に思われながらも俺は女子部屋を出て洗面室に行く。男たちとの鉢合わせを警戒して鍵をかけた。


 すぐ隣の部屋で恋人含める女子たちが更衣する男心としては気にしてしまう状況も、ビニールバッグの中から取り出した水着にすべて思考を持っていかれる。


 ネイビーのレースアップビキニ。ついにこれを人前で着る日が来てしまったか。


 さすがにスクール水着を着るのは学校外じゃなんかダサいこととかなり抵抗を感じたので、私服を見て回ったときに一緒に選んだのだ。本当はもっと肌の露出が控えめな物にしようと思っていたのだが、悩んでいたら店員さんに強くお勧めされて購入してしまった。


 すでに女性用下着をつけている身で今さら躊躇するのも変だがどうしても葛藤してしまう。


 モヤモヤ感に囚われて行動不能になるまえに素早く着替え洗面台の鏡でおかしくないかチェックしたあと、全身に日焼け止めを塗って洗面室を出る。


「やっぱりかわいい~」「あかね先輩、綺麗です!」などキャッキャした声が聞こえる女子部屋のドアを軽く叩いて先に行っていることを伝え、そのまま外に出た。


 砂浜に行くと、すでに男たちの姿がありビーチパラソルとチェアを用意している。近くにはベッド型やシャチ型の様々な形をした浮き輪に、サーフボード、シュノーケリングが置かれており、奥のほうにはビーチバレー用のネットまで張られてある。相変わらずの怜兄れいにぃの準備の良さに感心した。


 手伝いに行こうとしたところで。


「──ほらほらあかね先輩、そんなに恥ずかしがらなくて大丈夫だって」

「きっと藤城ふじしろくんもイチコロですよ、自信を持ってください」

「ちょっと待って二人とも! まだ心の準備が……」


 そんな声が聞こえて振り返ると、着替えが終わったらしくリョウと花咲はなさきに手を引かれながらこちらに向かってくる先輩の姿があった。


 一瞬にして目を奪われる。

 レースガウンを羽織ったホルターネックのビキニ。なんといっても目を惹くのはその色で、大人の色気が漂う黒だ。普段の清楚さとギャップがあってドキドキする。


遠也とおやくん……そんなにじーっと見られるとさすがに恥ずかしい……」

「あっ、すみません! その……すごくセクシーな水着ですね」

「や、やっぱり大胆だよね……私は無難な白とかにしようと思ったんだけど、こっちのほうが遠也とおやくんを悩殺できるって二人が言ったから……」


 胸を両腕で隠して顔を赤らめる。そのいじらしい姿がさらに俺の動悸を加速させて上手く言葉が出ない。


「大丈夫だぜ、あかね先輩。遠香とおかちゃんは今すぐにでも先輩を襲いたいほどぞっこんみたいだから」

「おい、言い方!」

「気持ちの度合いで言えば間違ってないだろ。それよりもオレたちのほうは感想ないのか?」

「え。ああまぁかわいいな」


 リョウはシンプルな白の三角ビキニで、花咲はなさきは青を基調としたボタニカル柄のフレアビキニだ。二人とも印象通りの似合った格好で目を惹くが、正直今は先輩のほうがインパクトありすぎて眼中にない。


「ほんとにあかね先輩一筋だな……。ていうか私服を見たときにも思ったけど、お前も結構女の子を楽しんでるよな。ナイスエロさだ」

「これは店員が流行りだって勧めてきたから買ったんだ。俺が好きで着てるわけじゃない」

「服屋に行ったことは認めるんだな~」

「し、しかたないだろ。家にはスク水しかなかったんだから」

「オレの誘いを断ったのも一人で試着を堪能するためか」

「勘違いすんな。服選びなんて面倒だから一人で早く終わらせたかったんだよ」


 迷いに迷った挙句だんだんとこだわりが強くなって二時間も居座ったなんて言えない。


 花咲はなさきは俺を見ながら自分の胸に手を当てる。


「なにか女として負けた感がします……」

「勝手に劣等感を抱かれても困るんだが」

「大丈夫だ、みゆちゃん。胸は大きさじゃない」

「スタイルが良いみおちゃんに言われても嫌味にしか聞こえませんよ!」

「そんなことないって。みゆちゃんにはみゆちゃんにしかない魅力がいっぱいあって……」


 上機嫌な変態評論家に辟易していると、先輩が俺の背中をツンツン突っついてくる。


「私の格好おかしくない……?」

「もちろんです! めちゃくちゃ似合ってすごく好きです俺」

「そ、そっか。勇気出してよかったぁ」


 照れつつ安堵した表情を見せる。──ああもう反応が可愛いすぎる……! これは水着を選んでくれたリョウと花咲はなさきに感謝だな。


 ひととき会話をしていたらパラソルとチェアの設置が済んだ怜兄れいにぃたちと、姉貴とのぞみも準備が整ったみたいで一緒にログハウスから出てきて集合する。


 姉貴の水着姿を見た怜兄れいにぃが気が狂ったように褒めはやしてひと悶着あったあと。


「──コホン。取り乱してすまなかったね。それじゃあここからは自由に遊ぼう! ……と、その前に注意事項を話すね。海や森の深いところには行かないこと。特に森の向こう側は崖になっているところもあるから気をつけて。あと海に入るまえや体を激しく動かすまえは入念なストレッチを忘れずに。昼食に関しては別荘の冷蔵庫にお弁当と飲み物が入ってるから各自好きな時に食べてね」


「以上かな?」と姉貴に顔を向けて姉貴が頷いたのを確認してから自由行動へ。


 花咲はなさきたちが何する何すると子供のようにはしゃぐ最中、ビーチパラソルのほうへ向かおうとしている彼塚かなづかの姿が見えた。


 すぐに魂胆が見え透いたので近寄っていき腕を掴まえると、彼塚かなづかは顔だけをこちらに向ける。


「おい。一人で何しようとしてんだ……?」

「今は自由時間だから僕の勝手だろ」

花咲はなさきと仲を深める貴重な時間をふいにする気か」


 これほどまでに交流する手段が揃っているのにこいつときたら。


「僕は集団で何かをやるのが嫌いなんだ。それに僕がいたら彼女も楽しめないだろうし」

「気遣ったふりしてを通そうとするな。今は花咲はなさきもテンションが高くなってるみたいだからお前が居ても不機嫌にならねぇって」

「そんなこと分からないでしょ。宿泊はまだ始まったばかりなんだ。君の楽観的思考に付き合って今よりも関係が険悪になったら生活がしづらくなる」

「すでにそうだから引き止めてんだよ。それに俺はお前のためを思って言ってやってるんだぞ」

「だから僕は自分の状況をなんとも思ってな……」

「アクティブモンスターが来るぞ」

「は? あくてぃぶもんすたー?」


 俺は海のほうを振り向いてれんにぃのことを顔で示す。小麦肌が眩しいマッチョは豪快に笑いながら両腕にのぞみのぞむをぶら下げてアトラクションマシーンと化している。


「この状況で一人でいたら確実に蓮兄れんにぃがやって来る。そして有無を言うまえに遊びに付き合わされる。ちなみに前回の時は俺がその被害者で、岩場からダイブして距離を競うっていうただただ危なくて怖いものだった」

「まさか今日が初対面の人にそんな真似は……」

「しないと思うだろ? お前はれんにぃのことを何も分かっちゃいない。アレは常識を失った怪物だ。加えて今俺は女子。怜兄れいにぃは断れるのが目に見えているから誘う気がないし、のぞむはまだ小さいからこれもない。お前は恰好の的ってわけだ」

「…………」

れんにぃに〝できない〟や〝無理〟とかのマイナスな言葉は通じないから覚悟するんだな」

「くっ……」


 彼塚かなづかは悔しそうに顔を歪めながらも体をこちら側に向ける。どうやら上手く参加させることに成功したようだ。まぁれんにぃの話はマジだけども。


 リョウが「おーい二人とも、早く海に入ろうぜ!」と手を振ってくる。


「今行く!」と言葉を返してふたたび彼塚かなづかに向き直った。


「常に笑顔でいろってわけじゃないが露骨に面倒そうな態度は出すなよ。あと気持ちは分からんでもないけどチラチラ胸に視線を向けるのもやめろ」

「ぼ、僕がそんなことするわけないだろ!」

「言い訳はいいから。俺もこの姿になってから知ったけど見られる側は結構そういうの分かるから気をつけろよ。特に花咲はなさき相手には絶対するな」

「誰がするか! 君と一緒にしないでくれ!」


 俺は一抹の不安を抱えつつ、渋々といった様子の彼塚かなづかとともに海のほうへ歩き出した。




     ***




 俺は深く息を吸ってから呼吸を止め、おじぎをするように上半身を曲げて素潜りする。両足のフィンをバタつかせて水面から遠ざかっていき、中程まで来たところで停滞する。


 ゴーグルを通して、透き通った青色に染まる海中世界が目の前に広がり、多種多様の小さな魚たちがサンゴ礁の周りを優雅に泳いでいる。


 とても綺麗な絶景に目を奪われていると、俺と同じように潜ってきた先輩が隣に来て、俺の肩をちょんちょんと突っついて海底を指差す。


 そこにはオレンジ色のイソギンチャクの中に潜む二匹のカクレクマノミがいた。寄り添いながら休んでいるようでかわいい。


 俺と似たような感想を抱いたらしく、先輩がこちらを見て目をにこりとさせる。


 思わずドキッとして照れ隠しに再び海底に視線を戻す。まるでお伽噺に出てくる人魚姫のように美しく、景色よりも見惚れてしまいそうになる。


 俺たちは息継ぎのため海面に浮上し、お互いマウスピースを取る。


「はぁ〜。やっぱり海の中は綺麗だし、かわいい生き物もいっぱいで楽しいね!」

「何度潜っても飽きませんよね。夢中になりすぎて休憩を忘れないようにしないと」

「そだね。でも私はハコフグを発見するまでは頑張るよ! 見れればいいなぁ」


 はしゃぐ先輩に笑みを溢しつつ、他の人たちの様子を窺うと、少し離れた場所では花咲はなさきとリョウがペアで、ライフジャケットを着たのぞみのぞむれいにぃと姉貴に見守られながらシュノーケリングを楽しんでいる。


 なんと平穏で心躍る時間────なのに、心の底から楽しめない俺がいる。


 原因は遠くから聞こえてくる喧しい声だ。


「──腕はこう! 足はこう! そんで体勢はこうで、あとは気合だ! じゃあ行くぞ!」

「ちょっと待ってください! そんな急には無理です、溺れますよ!」

「安心しろ、真尋まひろ! レスキューダイバーライセンス所持者のこの俺が付いてるんだから溺れやしねぇ。ガンガン挑戦しようぜ!」


 浅瀬に近いところで蓮兄れんにぃによる泳法レクチャーを受ける彼塚かなづか。先程からずっと続く激励と悲鳴がこの長閑な雰囲気をぶち壊している。


 彼塚かなづかはカナヅチだった。


 準備体操をしてみんなが海に入っていく中、一人だけ躊躇っていたからまさかと思って聞けば、学校の授業でも持病があると嘘をついてまで陸上に逃げるほど水の中が苦手らしい。


 泳げないことを非難するつもりはないが、これでは花咲はなさきと仲を深められない。せっかく負の感情を忘れさせてくれるほど青々とした海原があるのに勿体なさすぎる。


 ということで、泳げない人でも楽しめるシュノーケリングをする流れにどうにか持っていったわけだが、怜兄にライフジャケットの有無を聞かれた時に不運にも蓮兄れんにぃが側にいて、彼塚かなづかが泳げないことを知ってすぐに指導を申し出てきたのだ。


 無論、彼塚かなづかは善人面でやんわりと拒否したのだが、陽気の怪物に気持ちが通じるはずもなく『少しだけやってみようぜぇ』の言葉とともに強制連行されてしまった。


 それから彼塚かなづかは囚われたままだ。

 一度蓮兄れんにぃに捕まってしまえばどうしようもない。しかも当の本人は泳ぐ楽しさを知ってもらいたい一心だけで邪念が皆無なので、心情的に中断させに行きづらい。


 けれど、無常にも時間は過ぎていく。


 海の中のレクリエーションを続ければ二人は別行動のままだ。彼塚かなづかが泳げるようになるまで蓮兄れんにぃの気が済むことはないから、頃合いを見て陸上のものにみんなを誘導するしか束縛を破る方法はない。


 そうなれば、まずは先輩の念願を叶えるためにハコフグを捜そう。


 俺はマウスピースを付け、大きく息を吸ったあとに海中に向かった。



     ***



 燦々と照りつける日差しの下、サンドソックスを履いても砂浜の熱が伝わってくる。


 俺の目の前には、公式戦かと思うほど新品で丈夫なネットと太い紐を真っ直ぐに張って作られたフィールドがある。


 隣で歩きづらそうに何度もソックスの履き心地を調整している彼塚かなづかに向けて言う。


「できるだけボールを繋げよ。いいな?」

「…………」


 彼塚かなづかは返事を寄越さないどころか、こちらを見ようともしない。


 まったく不安しかない。


 銘々がシュノーケリングを満喫し終えた(ハコフグも発見できた)あと、少しの休憩を経て、次はビーチバレーをしようとなった。


 まずはくじ引きでタッグを作り、順々に二十一点先取の一セット勝負をする。俺は彼塚かなづかと組むことになり、試合順は初っ端だ。


 これがただの遊びであれば交代を希望するが、今は好都合だ。俺がフォローに徹して彼塚かなづかに花を持たせれば、花咲はなさきに対しての良いアピールになるはずだ。


 しかし、肝心の本人からはやる気が微塵も感じられない。


「おい、聞いてんのか? 返事ぐらいしろよ」

「……うるさいなぁ。さっき散々僕がいびられてたのを見てたでしょ。こっちは疲れてるんだ。しかもビーチバレーなんてやったことないし」

「俺だってハコフグを見つけるのに海中を泳ぎまくって疲れてるし、ビーチバレーのプレイをしたのは一、二回だ。何も華麗なプレーをしろって言ってるわけじゃなくて、せめて真面目に取り組めって言ってんだよ」

「勝とうが負けようが何も変わらないこんなお遊びに真剣になれるわけがないだろ」

「……分かった。十点の点差をつけて勝ったら今日一日お前に対しての小言を止める」

「報酬で釣ろうとするならもっと叶えられそうなお題にしたほうがいいよ。ほぼ素人の君と未経験者の僕にそんなことができるわけがない」

「やってみなきゃ分からないだ……ろ……」


 俺は相手のコートを見て言葉を失った。


 そこにはボールの硬さを手で確かめている姉貴と、腕をクロスさせてストレッチしている蓮兄れんにぃの姿が。


 姉貴は俺を見て眉をひそめる。


「何をボーっとしてんの。早くコートの中に入りなさい」

「いやいや、ちょっと待て! なんで姉貴と蓮兄れんにぃが一緒なんだよ!?」

「はぁ? そりゃくじ引きの結果に決まってんでしょ。なんか文句でもあるの?」

「パワーバランスが偏りすぎだろ!」


 片や体力お化けの体育教師とマッチョ男。片や根性なし男とひ弱な俺。


 これではプレイする前から勝負が決しているようなものだ。彼塚かなづかのやる気あるなしに関わらず、一点すら取れるか怪しい。……人数的に二人のどちらかが相手になる可能性は予想していたが、まさか同時だなんてふざけている。


「たしかに大人げない気もするが、決まっちまったもんはしょうがねぇよ。腹くくれ」

「手加減してあげるからいいでしょ。ぐだぐだ言ってないで、さっさと始めるわよ」


 抽選のやり直しは通らないか。

 仕方ない。せめて点差を離されないよう頑張ろう。


 コートのすぐそばで観戦する先輩たちも「一点でも多く取ろう!」「怪我しないようになー」とすでに俺たちの負けを察していた。


 審判は怜兄れいにぃが務めるようで、ネットの真横に移動する。


「それじゃあ両方とも準備はいいかな。まずはサーブ権を決めよう」


 ジャンケンの結果、俺たちからサーブすることになった。


 姉貴からボールを受け取り、サービスエリアに下がる時に彼塚かなづかに向けて言う。


「お前のほうが背が高いからブロッカーをやれ。そのあと俺がレシーブするからアタックしろ」

「なんで僕のほうが役割が多いんだよ」

「相手を考えろ。そんなに腕を痛めてぇのか」

「……チッ」


 どうやら意味が伝わったようで、不服の態度ながらも前に出る。


 なんとか前衛に持っていけたか。カッコいい姿を見せるならアタッカーのほうが良いからな。


 何にせよ、サーブを入れないことには始まらない。当然なことに漫画のようなダイナミックなものはできないので、コート内に落とすことだけに集中する。


 ボールを空中に放ち、下から軽く打つ。

 ボールは緩やかに弧を描きながら相手コート側のネットすれすれに落ちていく。


 意外と良いサーブになった! ────と思ったのも束の間、後方でスタンバっていた蓮兄れんにぃが「うおぉぉお!」と喧しい声を上げながらズササァーっと砂浜を豪快に滑り、地面につく寸前でボールに触れた。


舞花まいかぁ!」という叫び声に呼応して、姉貴は高く上がったボールとともにジャンプする。


 バンッと破裂するような音がした────と思ったら、一陣の風が俺の横を通り過ぎていく。


 背後を見ると、ボールが転がっており、足元の砂浜にはくっきりとボールの跡が残っていた。


舞花まいかれんペア、一点!」


 怜兄れいにぃの声を聞きながらも、腹の底から怒りが湧き上がる。


「手加減はどうしたぁっ!?」


 二人に向けて指を差しながら抗議すると、姉貴は面倒そうな顔をする。


「してるじゃない」

「どこがだよ!」

「本気だったらあんたに目掛けて打って退場させてる」

「怖ッ! もはやスポーツじゃねぇだろ! ──蓮兄れんにぃもなんか言ってやってくれよ!」

「元々俺は手加減する気はねぇからなぁ。それで点を取っても嬉しくねぇだろ」


 あんたらは自分の力が普通の人と違うことを早く自覚してほしい。


 反発心が収まらない俺とは裏腹に、彼塚かなづかは一言も喋らずにしれっとしている。


「お前は第三者気取りするな。抗議しないなら、頑張ってブロックに飛ぶぐらいはしろ」

「責任転嫁は良くないね。君だって一歩も動けなかったじゃないか」

「それはお前がボールをスルーしたからだ。指先でも掠らせてくれれば受けられる」

「説得力がまるでないね。反応すらできなかったのにその程度で対応できるわけない」

「やってみなきゃ分からないだろ」

「そう思ってるのは君だけだよ。大体こんな負け確定の勝負に熱くなる思考が理解不能だね」


 ダメだ。敵も味方もロクなやつがいねぇ……。


 それから始まる一方的な試合。

 蓮兄れんにぃの放つジャンプサーブは威力があり過ぎて受けただけで体がよろめき、運良く返せてもまた姉貴の豪快アタックが返ってきて為すすべない。


 外野の声援も途中で無くなり、みんなの顔には明らかな心配が浮かんでいる。


 そこに俺が想像していた笑い合いながらスポーツを楽しむ雰囲気はなく、現実は情け無用に蹂躙してくる大人たちに、気概の欠けたパートナー、ボールを受けすぎで赤みを帯びていく自身の両腕だけ。もはや心は折れている。


 しかし、この試合が異常なだけだ。同じ練度のリョウたちや優しい先輩と怜兄れいにぃあたりだったらまともな勝負ができるはず。


 この試合は捨てて別の試合でトライしよう。


 気持ちを次の試合に向けつつも蓮兄れんにぃの強打サーブをワンタッチで返し、それを蓮兄れんにぃが難なく拾って姉貴に繋げた時だった。


 姉貴が高く飛んでアタックの構えを取った瞬間と、彼塚かなづかがネット間際で両手を上げてジャンプ(途中から蓮兄れんにぃにアドバイスされて渋々飛び始めた)した瞬間は同じで。


「──ぐぁッ!?」

「あ、やべ」


 温度差のある声が聞こえた直後、彼塚かなづかが飛んだ体勢のまま受け身も取らずに砂浜を転がった。


 顔を手で押さえながら小さく苦悶の声を上げる。どうやら顔面で受け止めてしまったらしい。


「……うそだろ」


 痛がった様子でいつまでも起き上がらない彼塚かなづかに、嫌な予感がした。



     ***



 煌めく砂浜の上に巨大なスイカが二つ、間を離して置かれている。


のぞむくん、私の声が聞こえるかな! 右に一歩ズレて真っ直ぐで大丈夫だよ!」

のぞみちゃん、わたしです! その場から左斜めに進んでください!」

のぞみぃ、本当は左だぞ〜!」

のぞむ、いいぞいいぞ! スイカはもう目の前だ!」


 みんなの声で満たされる場の中、タオルで目隠しをしたのぞみのぞむが木の棒を持ちながらよたよたとした足取りでスイカの元を目指す。


 夏の定番のスイカ割り。


 ただ普通にやったら簡単すぎるので、特別ルールとしてまず二チームに分かれての対抗戦とし、各チーム一人ずつ同時にスタートしてどちらが早く木の棒をスイカに当てるかを競う。その他は指示役となり、背後から声を投げかけてサポートする形だ。


 木の棒を振れるのは三回までで、体の一部がスイカに当たったら強制終了。加えて、指示役が敵味方ともに同じ場所に固まっている且つ相手の妨害ありなので、誰の声かをしっかりと聞き分ける必要がある。


 みんながゲームに熱中している最中、俺はチラリと彼塚かなづかの様子を窺う。

 相変わらずのつまらなそうな態度だが、一時間前よりかはだいぶ顔色が回復している。


 姉貴のスパイクで顔面を強打した彼塚かなづかは、鼻血が出ていたことが決定打でその後のビーチバレーの試合をすべて棄権となり、休息を余儀なくされた。


 遊びに参加できないのではアピール以前の問題だ。このままでは時間を無為にするばかり。


 危ぶんだ俺が運動神経に頼らなくていい遊びを探した結果、事前にスイカがあることをリョウから聞いていたことを思い出し、スイカ割りを提案したのだ。


 ゲームの内容が内容なので彼塚かなづかのカッコいい姿を見せることはできないと思うが、せめてみんなの輪の中で楽しむ姿だけでも見せれれば花咲はなさきの見方も少しは変わるかもしれない。


 そんなことを考えていると、不意にみんなの歓声が上がった。


 見ると、のぞみのぞむは同時に木の棒をスイカに当てたようで、二人とも喜びを表すように両腕を上げる。さすがは双子。動きもシンクロしているのか。


 リョウがぐーっと腕を伸ばす。


「よーし、次はオレと遠香とおかちゃんの番だな。といってもオレが勝つのは目に見えてるけど」

「言ってろ。俺の平衡感覚を舐めるなよ」


 どうせやるからには勝ちたい。


 スタート位置に立つ。目に分厚いタオルを巻き、視界を真っ暗にさせる。


「スイカの設置が終わったよ。二人はその場で五回と三分の二回転してからスタートしてね」


 怜兄れいにぃの声が聞こえたあと、早速木の棒を軸として右に回る。

 早く回れば先んじてスタートできるが、その分だけ体のふらつきは大きくなるだろう。ここは焦らずに一定のリズムで回ったほうがいい。


 ぐるぐるしている途中で背後から指示役の声が聞こえてくる。リョウが動き出したようだ。


 俺も回転を終え、揺れる体を制御しながら後ろの声に耳を傾ける。


遠也とおやくん! スイカは左斜めにあって、二歩左に寄って真っ直ぐ進んだ六歩先! 結構近い場所にあるから、足をぶつけないよう気をつけて!」


 聞き慣れているからか、中でも先輩の声がはっきりと耳に届く。──が、今回先輩は敵側。味方を導くよりもおれを惑わせる方向性できたか。


 しかし、俺にとってはありがたい。


 味方の彼塚かなづかは案の定やる気が無くて観戦しているだけで、のぞみは声が小さくて他に掻き消される。花咲はなさきはかろうじて聞き取れるぐらいの声量だが、どうも距離感を目測するのが苦手らしく左右の情報しか言わない。却って先輩の言葉は情報源となるのだ。


 先輩は左斜め六歩先の近場にあると言い、花咲はなさきは「藤城ふじしろくん、右です、右斜め!」と言っているから、先輩が嘘をついているのは明白で、それを裏返せば右斜め六歩以上先の遠方にあると推測できる。


 つまり右に二歩ほどずれてから真っ直ぐ六歩以上歩き、そこから一定間隔で棒を振っていけば高い確率で当たるはずだ。


 相手チームの蓮兄れんにぃが「みおぉ、もう少しだ!」と叫んでいるから間違いなくリョウはスイカに迫っている。俺も急がなくては。


 六歩までは安全圏だ。臆せずにガンガン進もう。


「────て…………え?」


 不意に、爪先から感じる硬い感触。──え、なんでこんなに近いんだ……?


遠香とおかちゃん、スイカに足が触れたからアウト!」


 怜兄れいにぃの声と、


「よしっ、ここだぁ! ──やったぁ、手応えあり!」


 リョウの嬉しがる声を聞いて、自身の負けを悟った。 


 タオルを外すと、足元にはしっかりとスイカがある。……読み間違ったか。


 指示役の列に戻ると、先輩が得意げに笑って出迎えてくる。


「ふふ、遠也とおやくん見事に私の言葉に騙されてたね」

「完敗です。もしかして最初から俺のアウトを狙ってたんですか?」

「そだよ。味方がスイカに棒を当てるよりも敵をアウトにするほうが早いからね。まぁ私の声を無視しない遠也とおやくんだったから成り立った作戦だけど」

「まさか虚実を交えてくるとは思っていませんでしたよ」

「さすがに嘘は通じないと思ったからね。のぞみちゃんたちの勝負を見てて、スイカが左右のどちらにあるのかはみゆりちゃんが教えてた様子だったから、騙すなら奥行き。だから近場にあるって強調して、あたかも遠くにあるように錯覚させたんだ」


 たった一勝負でなんという分析力。俺は先輩の掌の上だったわけだ。


 まんまと騙されて負けたのは悔しいが、俺にとって次が本番みたいなものだ。


 彼塚かなづか蓮兄れんにぃの対決。


 このスイカ割りで重要なのは、平衡感覚と複数の情報こえを素早く処理する賢さだ。脳筋の蓮兄れんにぃに勝てる見込みは十分にある。……本人にやる気があればの話だが。


 スタートラインに向かう彼塚かなづかに声をかける。


「おい、相手が蓮兄れんにぃだからって諦めるなよ。勝機はあるからな」

「よく偉そうに言えるね。自分の失敗を棚上げするなよ」

「敗因の一端はお前が指示しなかったせいでもあるだろ」

「僕が声を出したところで信じなかったでしょ。恋人の言葉を鵜呑みにするぐらいだしね」

「……お前もこれ以上情けない姿は見せたくないだろ。俺が的確に位置を言うからちゃんと聞け」

「…………」


 彼塚かなづかは肯定も否定もせず、話は終わりだとばかりにタオルを巻き始めた。


 怜兄れいにぃがスイカを再設置したところで、勝負はスタート。


 俺は彼塚かなづかが回転しはじめたのを尻目に、スイカの位置を確認する。

 左寄りの結構奥側にある。対して蓮兄れんにぃのほうはその中間ぐらいの位置だ。


 彼塚かなづかの性格や今のやる気の無さを考えれば急ぐ動作はしないだろう。ぐずぐずしていれば蓮兄れんにぃが先にスイカの傍に辿り着いてしまう。


 だが急げと言っても素直に聞くわけがない。ここは(先輩の策を真似させてもらって)まず蓮兄れんにぃをアウトにしてから、ゆっくりと彼塚かなづかを導くほうがよさそうだ。


 よし、それでいこう。


蓮兄れんにぃ! スイカは遥か向こうだ! 走らないと先を越され────って、は?」


 遅れて回転を終えた彼塚かなづかを見て、俺は目を疑った。


 彼塚かなづかが一歩も前に進まずにその場でふらふらと体を揺らしたあと、地面に倒れたのだ。


 気分が悪そうな青白い顔で口を押さえながら蹲る。目が回っているのは明らかだ。


 怜兄れいにぃがすぐさま駆け寄って介抱する。


「……なんだそりゃ」


 想像を絶する不甲斐なさに、俺の口からはそんな言葉が漏れた。




     ***




 時間は経っていき、午後三時になる。


 俺はビーチパラソルの下に広げられたレジャーシートに座って涼みながら、オレンジ味の棒アイスを口に含む。いつの間にか用意されていたクーラーボックスに入っていたものだ。


 みんながワイワイと海水浴を満喫する姿を遠目に眺めつつ、チラリと隣を見やる。

 両目をタオルで覆ってビーチチェアに横たわる彼塚かなづか。日光に当たりすぎたのが原因で気分が悪くなったらしくこのざまだ。介抱として俺が付き合ってやっている。


 ほんと溜息しか出ない。


 午後からも様々な遊びをやってきたが、彼塚かなづかはどれもてんで駄目だった。海に入ればカナヅチで溺れそうになるし、陸では砂に足を取られて転ぶほど運動神経も悪い。


 頼りがいでも優しさでも何でも構わないから良いところを見せて花咲はなさき彼塚かなづかに対する認識を変えてもらおうと目論んでいたが、ここまで酷いとは思ってもみなかった。これでは仲を深める以前の問題だ。


 なんか俺までも疲労感にやられてしまいそうになっていると、彼塚かなづかがゆっくりと上体を起こした。照り返す砂浜に目を細めている。


「少しは気分が落ち着いたか?」

「まだちょっとクラクラする……」

「ったく。ほら、ちゃんと水分を取れ」


 スポーツドリンクが入ったペットボトルを渡すと、彼塚かなづかは素直に受け取って飲む。


「にしてもお前ほんと体力ねぇのな」

「……うるさい…………普段から遊び歩いてる君たちと違って僕は勉強漬けの日々を送ってるんだ。海なんて小学生の頃以来行ってないし」

「頭の良さだけじゃなくて少しは外に出て体力づくりに励んだほうがいいと思うぞ」

「僕が好き好んで勉学に精を出してると思ってるの? なら君はとんだ節穴だね」


 あの立派な邸宅を持てるほどの職業に就いている父親に、世間体を強く気にする母親。勉強を強要されていると考えてもおかしくないか。


 彼塚かなづかはふたたびビーチチェアに背中を預けて目を腕で覆う。


「父さんは地元じゃ名の知れた開業医なんだ。僕は一人っ子だからクリニックを継がせようと躍起になってるわけ」

「それでお前は引き継ぐことに賛成なのか?」

「だったらもっと偏差値の高い高校に行ってるよ。元々久峰ひさみね高校は滑り止めで受けてたところで本命はわざと落ちた」

「わざと落ちた?」

「親が期待していたからね、呆れられて後継者問題を諦めてほしかったんだ。でも反対に闘争心を煽っちゃったみたいで常に学年トップを取り続けないと塾を増やすやら家庭教師をつけるやらどんどん面倒くさい方向に進んでいった。自分の親ながら見る目が無さすぎて参るよ」

「ふーん、お前も意外と苦労してるのな」

「同情するぐらいだったら僕を一人にさせてよ」

境遇それ怪現象これとは話がべつだ」


 家庭内で過度なストレスが溜まっていようと他人を厄介事に巻き込んでいいわけがない。


「君も頑固だね。これ以上僕にどうしろって言うのさ。もっと情けない姿を披露すればいいの?」

「開き直るな。今それを考えてるからお前は早く体調を治せ」


 しかし、具体的な解決策はまったく出てこない。


 こいつの唯一の取り柄である頭の良さを活かそうにも、今は勉強とは無縁の場所にいる上、そもそも真面目タイプの花咲はなさきは頭良さそうだから意味がない。アクティブ派の人間が多い中で怜兄れいにぃがクイズ大会的な頭脳を使うイベントを用意しているなんて余計にないだろうし打つ手なしだ。


 しかも当の本人はやる気がない。


「僕に関わる暇があるなら、女性として生きていくことを考えたほうがよっぽど有意義な時間の使い方だと思うけどね」

「人が真剣に悩んでやってるのにふざけんな。少しはお前もアイデアを出せ」

「そろそろ君はありがた迷惑って言葉を覚えたほうがいいよ。……本当に君が首を突っ込むとロクなことにならない」

「てめぇは……」


 そのとき海辺からこちらにやってくる花咲はなさきの姿が見えて怒りを堪えた。論争の場面を見せたら花咲はなさきは絶対に俺の味方をしてくれるから下手すれば図書館の時の二の舞になってしまう。


「おう、花咲はなさき。どうしたんだ?」

「喉が渇いたので何か飲み物を貰おうと思って来ました」

「ああ、そこのクーラーボックスのやつを好きに飲んでいいみたいだぞ。アイスとかもある」


 花咲はなさきは頷くと、クーラーボックスの中からフルーツジュースを手に取り、ほっぺたに当てて「ひんやり~」と冷たさを堪能したあと蓋を開けて喉を潤す。


「ちゃんと楽しんでるか?」

「はい、とっても! 藤城ふじしろくんも一緒に遊びましょう!」

「あー……俺はもう少し休憩してからにするよ」


 彼塚かなづかのほうを見て暗に伝えると、花咲はなさきは今の今まで上機嫌だった様を一瞬で消して、


「かっこわる」


 苦虫を噛み潰したような顔でボソリと毒を吐く。明らかな失望が見て取れる。


 これは本格的にどうにかしないとヤバイな…………はぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る