白ノ瀬家の別荘 宿泊一日目
時が過ぎるのは早いことで、あっという間に迎えた
集合場所は分かりやすい図書館の駐車場を指定しており、現在、俺は姉貴と一緒にみんなが来るのを車の中で待っている状態だ。
待ち合わせ時間は午前八時で、今は七時四十五分。そろそろ誰かがやってくるだろう。
そう思うとドキドキとした不安感が胸のうちに募ってくる。
このまま黙って待っていたら感情が助長されそうなので、隣の運転席に座ってスマホを見ている姉貴に声をかける。
「なぁ、俺の格好おかしくないよな?」
自身の姿を見下ろす。
小さなロゴ入りTシャツにストレートのデニム、フラットサンダルを合わせたカジュアルな服装。ネットで流行りコーデを調べつつ、服屋のレディースコーナーを見て回り試着を繰り返した結果だ。
女性客がたくさんいる中で女性物を選ぶ行為に羞恥で頭がおかしくなりそうだったが(下着や制服同様にお出かけ用の私服も女性用に変わっていたものの元々あった数が反映されているみたいで)家には手で数えるほどしか種類がなかったのだからしかたない。
姉貴は興味なさげにちらっと俺のほうを見て、すぐにスマホの画面に戻る。
「べつに普通じゃない。っていうかあんた服装を気にするタイプだっけ?」
「いや元々は違うけど、今は気になるんだよ」
「なにそれ、意味わかんな。服なんて誰も見てないから気にすんな」
乙女心皆無の姉貴に訊いたのが間違いだった。不安は一向に晴れない。
性別が変わってから早二十日が過ぎて最初の時よりかはこの体で生活することに慣れてきたが、やっぱり人目は気になる。宿泊に参加する約半数は事情を知っているとは言え、へんてこな装いで恥を掻きたくない。
普段ならここまで気にしないのに……まさか心まで変わってるってことはないよな……。
またべつの心配に悩まされていると、不意に姉貴の手にあるスマホから着信音が鳴った。
姉貴の面倒そうな顔で
リョウの家は
姉貴が電話に出てシッシッと手を振ってきたので、しかたなくドアを開けて外に出る。
「あつい……」
まだ朝の時間帯だというのに蒸し暑い。特に冷房のかかった車内にいたから温度差に軽く眩暈がしてくる。
すぐに近場の木陰に避難した。
静寂をぶち壊す蝉の合唱をしばらく聴いていると、駐車場に入ってくる二人組の姿が見えた。
案の定それは先輩と
「おはよう、
日傘の下でにこやかな顔を見せる先輩。
白のノースリーブトップスに、リボンがあしらわれたライトグリーンのタックスカートの大人っぽさと涼しさを感じさせる装い。左手にはベージュ色の小型キャリーバックを引いている。
「おはようございます、
麦わら帽子の下でどこかぎこちない笑みを浮かべる
ブルーのリブニットに同色のキャミワンピースを重ねた瑞々しさが感じられる爽やかコーデ。肩にストライプ柄のボストンバックを提げている。
「………………」
「
「……あっ! いや。お、おはようございます先輩。
思わず二人の服装に見入っていた。
先輩は毎回会うたびに見惚れるほど素敵だし、
だが一々気にして軟弱野郎だと思われるのも嫌だ。二人とも俺の格好に疑問を抱いた様子はとくに見られないし、これ以上は考えないことにしよう。
「今姉貴が車の中で電話中なので、暑くてすみませんが少し待ってもらえると助かります。二人はどこか待ち合わせて来たんですか?」
「ううん。みゆりちゃんとは途中で会ったんだよねー」
「はい。
お互い顔を合わせて笑う。いつの間にやら仲良くなっている。
そういえば数日前にリョウから四人で買い物に行こうって誘われたか。内容が水着を選ぶことらしかったので辞退したが、きっとその時に仲を深めたのだろう。
「
「ん? ああ、体のことか。やっぱり違和感は完全に拭えないけどだいぶ慣れてきたぞ」
「……大事がないようでよかったです。元凶のわたしが心配するのは
「そう自分を責めるなって。そもそも
「そうだよ、みゆりちゃん。前にも言ったけど一人で深く思い詰めないでね。経験者の私と
「それに今謝らないといけないとすれば俺のほうだし」
「
「ああ。じつは今回の宿泊で伝えてなかったことがあって……」
噂をすればなんとやら、ちょうど駐車場の出入り口から
無地のピンクベージュTシャツにグレーの七分丈パンツ、黒のリュックサックを背負ったラフな格好。とても楽しい旅行の出発前とは思えないほどの仏頂面だ。
待ち合わせ時間五分前。素直にやって来たか。姉貴の元に
そんな俺とは裏腹に、
「な…………なんでこの人がいるんですかっ!?」
あからさまに狼狽えながら俺のほうに詰め寄る。
「驚くのも無理はないけど一旦落ち着け。俺が呼んだんだよ」
「よ、呼んだ……? どうして
「せっかく
「だったら事前に言ってくれてもよかったじゃないですか! もしかして
「ごめんねっ、みゆりちゃん」
「先輩は俺に口止めされてたから悪くない。黙ってたことは本当に申し訳ないと思ってる。でも正直に話してたら参加してくれなかっただろ?」
「…………それは分からないじゃないですか……」
信用されなかったことがショックだったようで不貞腐れたように顔を逸らす。
しかしすでに集まってしまったこの状況から意見を覆すのは無理だと悟ったようで「分かりましたっ!」と投げやりに言ったあと、
「
「べつに僕は来たくて来たわけじゃない。そこの
「どんな方法で誘われたか知りませんけど、
「何が蟠りを解消しようだ、自分が助かりたいだけだろ。それよりそっちこそ僕を意味不明な現象に巻き込んだことを謝るべきだと思うけどね」
「それはわたしが招いたことで
「いいやあるね。
「もうっ、ああ言えばこう言って話を逸らしてぇ……この卑怯者っ!」
先程三人でいたときの和気藹々とした空気が幻のように剣呑に取って代わる。
以前学校の放課後で二人が対峙した様子からこうなることは予想していたが、思っていたよりも
一度は襲われた身で、しかも相手は上級生の男子。普通なら相対するだけで足が竦みそうなものだが今の
解決が遠退いた気がして頭が痛くなっていると、車のドアが開閉する音が聞こえて姉貴がやってきた。
「何を大声出してるの? 近所迷惑でしょ」
どうやら
「
「…………」
姉貴は二人の言動から状況を察したらしく面倒そうに溜息をこぼすと、腕を組んで二人を睥睨する。教師の顔だ。
「入学式の日の事件で二人の間にしこりが残ってるのは知ってる。けど今から一緒に出かけようって時にそのことを掘り返して何の意味があるの? お互い嫌な気持ちになるだけよね? もう終わった話なんだからいつまでもグチグチ言ってないで仲良くしなさい」
「待て姉貴。あの日の出来事は単なる喧嘩ってわけじゃないんだ。そう簡単に割り切れることじゃ……」
「あんたもよ
「そ、それは分かってるよ」
姉貴の忠告を無視して
「──で。このまま旅先でも啀み合うぐらいだったら
二人とも苦悩を表情に滲ませて少しの葛藤を見せたあと。
「……ごめんなさい……子供っぽい言動でした……」
「……すみません……以後気をつけます……」
さすがの
二人の神妙な姿に姉貴は溜飲を下げて宿泊中止は見送った。
それからはそれぞれの荷物をトランクに積んで車に乗り込む。先輩は助手席に座ってもらって俺含める三人は後部座席に座った。もちろん俺を真ん中にして。
車が発進する中、
まったく、前途多難だ。
***
図書館を出発して約二時間後。
車一台の幅しかない山道を登って下って突き進んでいくと、周囲が木々で囲まれた光景から一気に視界が開けて白い砂浜と青い海原が現れ、それらを背景にして建つ立派なログハウス──
目的地に到着だ。案外に早く感じたな。
出発時は居心地の悪いドライブになるかと心配したが、同じく危ぶんだらしい姉貴が陽気な曲をかけたりパーキングエリアに寄ってアイスを奢ってくれたり、先輩がみんなに話を振ったりして徐々に重たい空気は霧散していった。さすがに
ログハウスの前には一台のワンボックスカーが停まっていて、その横に停車させる。みんなは姉貴に運転のお礼を言ってから車を降りた。
「──わぁ! 綺麗なところですねっ」
俺も初めてここに来たときはあまりの贅沢な環境に同じ気持ちを抱いたものだ。
背後には草木が生い茂った木漏れ日の射す美しい森林に、目の前にはサラサラの白い砂浜とその向こう側に広がっている太陽の光を浴びてキラキラと輝く海原。海から聞こえるさざなみの音と森から聞こえる鳥のさえずりがマッチして心地良い。中には蝉の鳴き声も混じっているがなぜかここではそれすらも良く聞こえてしまうのだから不思議だ。
他の人を見ると、先輩は澄んだ空気を堪能するように深呼吸しており、
それぞれ自然に癒されていると、ログハウスの玄関が開いてリョウが現れた。
「みんな待ってたぜ! ようこそ
いつもよりテンションが一段と高い。
ゆったりとしたボーダー柄のTシャツに膝を見せたショートパンツ、スニーカーと普段遊ぶときのボーイッシュな格好だ。オシャレではなく身軽さを優先させた姿になんか仲間意識が芽生えて安心する。
リョウは先輩と
「今回は
「うんっ。みんなでいっぱい遊ぼうね」
「わたしも想像以上に素敵な場所でワクワクしてます!」
続けて、みんなの少し後ろで静かにしている
「
「あ、うん。初めまして。
「ああ大丈夫、
「…………そう……よろしく……」
リョウに続いてログハウスから続々と兄弟たちが姿を見せる。
最初に長男の
「こんにちは。
リョウと同じ金色の髪に、人気のモデルと言われても疑わないほど端正な目鼻立ち、長身のやや筋肉質という理想スタイル、とまるでフィクション世界から飛び出してきたと言わんばかりの美男子。俺が今まで出会った人の中で
「他所の敷地だって気遣わなくても大丈夫だからね。気兼ねなく自由にしてくれて構わな……」
標準の爽やかなスマイルで言うも、何やら不自然に言葉を止めた。
「あ、
「ままままま
嬉々と叫びながら飼い主に懐く忠犬のように姉貴の前まで駆け寄る。
「こうして顔を合わせられて幸せだ!」
「去年も会ったでしょ、鬱陶しい」
「
「あーはいはい、考えとくー」
毎年のお約束は人前でもお構いなしか。ほんとこれがなければ完璧なのに。
「
ベリーショートにした金髪に、
「三人とも初めまして、俺は次男の
一番近くにいた先輩のさらに至近距離に近づいて両肩に手を置きやがったので俺は急いで間に割って入る。
「おい
「おお、
「じゃあ不用意に接触するな。
「挨拶程度ならべつに構わんけど?」
この度を越したフレンドリーさだけはなんとかならないのか。
「え、
「知らないから! いつそんな話を俺がしたんだ!?」
兄弟たちはリョウの女好きを知っているから今や同性の俺も恋愛対象として見られるのか。
「やっぱり
「やっぱりってなんですか! 違いますから真に受けないでください!」
「今のお前ならオレは歓迎するぞ!」
「やめろっ、人の恋路を崩壊させんなこのフランク兄妹!」
なんで会って早々こんなにテンションが高いんだ。やはりこの兄妹たちのノリは厄介だ。
すでに疲れていると、次女の
「
「ほぼ同上。弟の
呼応したように二人同時にお辞儀をする。
どちらも小学三年生の双子だ。リョウと同じくウェーブロングにしたほうが
「おう、去年ぶりだな。二人とも元気にしてたか?」
「うん。ぼくも
「元気すぎてずっと
「そうかそうか。じゃあこの三日間は全力で一緒に遊ぼうな」
二人から滲み出す可憐オーラが半端なくて自然と頭をなでなでしてしまう。先輩と
リョウは背後から二人を抱き寄せる。
「
「
「
「やばい、私ファンになっちゃうかも」
「わたしもです!」
「いやアイドルは例えだから……」
気持ちは分かるけども。
それからは先輩たち三人の自己紹介も終わり、荷物の移動に入ることになった。
みんながトランクから私物を取り出してログハウスに運んでいく中、俺は
「なんだよ?」
「お前はなんとしてもこの宿泊期間中に
「またそれか。出発前のあの状況を見ておいて君は目と耳が腐ってるんじゃない?」
「あれはお前が
「嫌だね」
「協力しないってんならお前の母親に全てのことを報告させてもらう」
「……僕を脅迫する気か……クズ野郎だね」
「なんとでも言え」
「……ちっ。僕の意思がどうであれ、彼女の僕に対する態度を変えるなんて無理だろ」
「まずは好感度を上げろ。
「脳内お花畑かよ。顔を合わせただけで睨まれるんだ、交流以前の問題でしょ」
「だから焦ってんだよ。そもそもお前が撒いた種……」
「────あんたたち喋ってないで早く荷物を取れ」
トランクの前にいる姉貴が急かしてくる。これ以上会話するのは無理か。
「とにかく当たって砕けろ。いいな?」
承知か拒否か、
不安だけが心中を渦巻く中、荷物を取ってログハウスに向かう。
大きな三角屋根をした二階建て。補修が行き届いているようで腐食した部分が見当たらないほど新築同然だ。四年前に来たときにはなかったテーブルが置けるほどの広いテラスが玄関横に増設されている。
金の使い方が壮大だなと思いつつ中に入る。
木の匂いが満ちた落ち着くリビングは吹き抜けになっていて同時に開放感があり、シックな色合いのテーブルやソファなどの家具がモダンな雰囲気を演出している。
先行するみんなを見るかぎり、一階の奥を女子部屋、階段を上がった先を男子部屋と分けているようだ。
「
「あ……」
自然と男子部屋に足を向けていたことに気づく。素で間違えた。いや間違いじゃないけども。
方向転換して女子部屋に行く。
室内は天井が高く広々とした造りで、嵌め殺しの窓のおかげで照明をつけなくても明るい。冷房設備もしっかりしているし快適に過ごせそうだ。
ハンガーラックや収納棚が複数あり、先輩たちが荷物を整理している。
「…………」
ドアの境目を越えられない。これは絶対に男の俺が立ち入ってはいけない空間だ。
リョウが振り返って疑問の顔を向けてくる。
「
「いや、俺がこの部屋にいるのはまずくないか」
「なんだ、遠慮してんのか。今の姿で男子部屋にいるほうがまずいだろ」
「それはそうだけど……お前だって俺がいたら落ち着かないだろ」
「んー、べつに。元の
グッと親指を立てる。こいつのほうが男子部屋に行ったほうがいいんじゃないか。
「私も平気だよ」
「わたしも全っ然だいじょうぶです!」
リョウとの会話が聞こえていたらしく、先輩と
「着替えたりする時は隣の洗面室を使ってもらうとかすれば問題ないと思うし」
「でも就寝の時とかも一緒なわけですよ。気になりません?」
「もちろんちょっぴり照れるけどそれは男の人というより恋人としてかな。それに
「もちろんしませんよ!」
「だったら大丈夫だね」
「…………
「はい。原因の発端であるわたしに気を遣う必要はないですよ」
「これだけ広い家だから余りの部屋もあると思うし、責任を感じて無理しなくてもいいんだぞ」
「正直なことを言うと、今の
そういえば
心境は居た堪れないが、みんながそう言ってくれるならお言葉に甘えよう。
いろいろと大変な宿泊の幕開けだ。
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