プロローグ(3)
夜の九時。
自室の机の椅子に座ってリョウに電話をかける。祈り者について情報を共有するためだ。すでに先輩には帰り道で伝えてある。
プルルっと無機質な呼び出し音が長く続き、やっと八コール目で通話が繋がった。
『もしもし』
「もしもし。リョウ、怪現象のことで少し話したいんだけど今大丈夫か?」
『…………』
「リョウ?」
『……あ、そっか。そういやお前、今は女の子だったな。
「……今日何度も会話しただろ」
『いやぁ顔が見えてればアレだけど、さすがに声だけじゃ脳がバグるな』
「ったく。それで今、話しても大丈夫か?」
『おう。お風呂中だからちょっと声が反響して聞き取りづらいかもだけど』
だからすぐに電話に出れなかったのか。かすかにちゃぷちゃぷと水音が聞こえるから湯船に浸かっているようだ。
「あー、べつに緊急じゃないから上がってからでもいいぞ」
『オレ長風呂だからこのままでいいぞー。それともオレの裸を想像して集中できないかぁ?』
「そうだな。じゃ、切るわ。話はまたこんど……」
『じょーだん、じょーだんだってば! ちゃんとオレにも教えてくれ!』
「はぁ。じゃあこのまま通話を続けるぞ。結論から言えば祈り者を発見できた」
今日の放課後にあった出来事を大まかに話した。
『──なるほど。入学式の事件が関係してるから
「友達か?」
『いや
「……消極的ねぇ」
真面目というのはなんとなく分かるが、上級生の
『それで、
「ああ。どうも
『んー。なんか話を聞いたかぎりだとそこまで解決は難しくないと思うけどな』
「どこかだよ。十分難しいだろ」
『だって
「簡単に言ってくれるな……お前は
『そうなのか? いやオレも前にお前を貶めた相手がどんなやつなのか気になって
「だから俺が悪者扱いされてるんだよ。あいつの表面に関しては全部偽りだから信じるな」
『にわかには信じがたいけど
そこで会話が途切れる。帰り道で先輩と話し合ったときもこうだった。
先輩もリョウも今回の件に関して第三者だ。加えて
リョウは労うように声のトーンを落とす。
『一度は巻き込んだオレが言うのもアレだけど、大変だな』
「まったくだ。しかも厄介なことに明日は終業式だろ。夏休みに入れば三人が揃う機会がない」
俺が一ヶ月間女であることを我慢すればいい話だが、時間が経ってどうなるか…………実はタイムリミットがあって一生このままということもあり得なくはない。
『しょうがない。ここはもう開き直って女の子であることを楽しもうぜ。
「慰めるふりしてお前の願望を押し付けんな」
『だってお前にだったらちょっと強引なことをしても大丈夫そうだし…………あ、そうだっ』
「おい、また良からぬことを企んで……」
『違うって。今思い出したんだけど、お盆に兄ちゃんたちが帰ってきてみんなで別荘に泊まることになってるんだ。二泊三日でな』
「別荘って、たしか四年前ぐらいに俺と姉貴がお邪魔したログハウスの?」
『そうそう。今回も
「俺と姉貴は親しいからいいけど、さすがに見ず知らずの人が参加するのは迷惑じゃないか?」
『あ、みんなって兄弟のことだぞ。父ちゃんと母ちゃんが二人きりで海外旅行に行きたいって急に言い出したから
「相変わらず奔放な両親だな……」
まぁあのフレンドリーな兄弟たちだけなら気を遣う必要はないか。
「そうか。じゃあ悪いけどその手筈で頼む」
そもそも
リョウの『おう。
俺も姉貴に伝えておこうとスマホを机に置いてダイニングに行く。
姉貴はテーブル席に座って酒とツマミを片手にテレビ番組をぼーっと見ている。
「姉貴。ついさっきまでリョウと電話してて、
「それって誰の案?」
「
「じゃあパス」
テレビに視線を向けながら素っ気なく返事する。
言わずとも何を思っているのかは分かった。
「もう諦めて気持ちを受け取ってやれば? イケメンで金持ちで器量も良くて性格も紳士、あんな優良物件ほかにいないぞ」
「他のスペックが良くても愛が過剰な時点でムリ。毎日束縛されたんじゃ堪らないわ。っていうかそう思うならあんたが付き合えばいいじゃない。姉妹なんだから大して変わらないでしょ」
「…………いや俺はもう間に合ってるんで」
そういや今女だから周りの見方も変わっているのか。もし俺のほうにも愛を向けられたら面倒だし、
なんにせよ、車を運転できる姉貴に行ってもらわないと困る。
「
「
「いや実は、さっきリョウには許可を取ったんだけど学校の人を連れて行きたいと思ってて」
「学校の人? ……あんたが一緒に行きたいほど仲が良いってことは
「ああ。それと同じ学年の
言葉を言い終えないうちだった。
「────
姉貴はテレビから俺のほうに視線を変えると、信じられないとでも言いたげな顔で憤る。
態度が様変わりして思わず驚いてしまう。
「こ、怖い目って……?」
「まさか入学式の日のことを忘れたわけじゃないわよね。言い寄られてる
俺が乱暴されただと? 取り押さえたときに抵抗された記憶はあるが暴力は受けていない。
入学式の日の事件が改変している。
たしか
なら
そんな相手を誘おうとしているのだから姉貴が怒るのも無理ないか。
どう説得するかしばし考えた結果、虚実を混ぜて話すことにした。
放課後に見たイジメを看過できず
姉貴は腕を組みながら真剣な態度で聞く。
「とんだお人好しね。それは
「でもあの様子を見たかぎり第三者が入って解決できることじゃない。だから被害者の俺たちが仲直りすれば問題が収まると思ったんだ」
「まずその仲直りが難しいって言ってるの。大体まだ別荘の話を持ちかけてないんでしょ。普通に考えて参加してくれないと思うわよ」
「それは……なんとか頑張って誘う」
「頑張るってあんたねぇ…………これは教師じゃなくて姉としての言葉だけど、
「それでも、このままにしておくのは耐えられないんだ」
一生この体で過ごすなんて耐えられんっ!
そんな俺の心を見透かそうとするように、姉貴はしばらく俺を無言で見据えた。
やがて嘆息をつき、脱力したように腕を解いて「ほんとに頑固なんだから」と愚痴をこぼす。
「──分かったわよ。あたしも同行してみんなを連れて行けばいいんでしょ」
「協力してくれるのか!」
「断って変に行動されても困るしね。ただし今回で仲直りできなければ諦めなさい。いい?」
「ああ、分かった」
もし失敗に終わっても諦める気は毛頭ないけど。
「誘うときは気をつけなさいよ。もし何かあったら姉ちゃんに言うのよ」
「お、おう」
俺の身を案じてくる姉貴が気持ち悪かった。
***
翌日。
俺は朝早くに家を出て学校に向かう。やっぱり女子制服は慣れない。
朝のホームルームが始まるまえに
昨日姉貴を説得できたあと、自室に戻るとスマホにリョウからメッセージが来ていて
学校に着き、教室に行くとすでに登校している優等生たちが気さくに挨拶をかけてくる。
俺には似合わない笑顔を浮かべて返しながらも、会話に移行してしまうまえに自分の席にスクールバックを置いて教室を出た。そのままA組へ。
廊下から
「
下駄箱のほうから
「もしかしてわたしに用事ですか……?」
「ああ。ちょっと話したいことがあるんだけど……ここじゃ目立つから別のところで話そう」
「わ、わかりました」
一旦机にバックを置きに行った
「移動してもらって悪い。人がいると一方的に声をかけられて話どころじゃなくなるからな」
「ごめんなさい……」
「ああいや、ただ単純にそうだって話だ。人から好かれるのは悪いことじゃないしな。それに俺に謝るよりも
「……それは難しいです」
相変わらず意志は固いか。やっぱり今日中に解決できる問題じゃないな。
そうと分かれば尚のこと
別荘宿泊の件を掻い摘んで伝えた。
「──今のところお盆に予定はないですけど、他人のわたしが参加していいんですか?」
「それはしっかりと本人にも了承を貰ってるから大丈夫だ」
「本人に?
「まぁそうだな」
「でもどうしてわたしを誘って…………まさか、わたしまた何か仕出かして……!」
「違う違う。純粋にお互いのことをよく知らないから良い機会だと思っただけだ。それにほら、昨日俺が前にも常識じゃ考えられない出来事に巻き込まれたって言っただろ。リョウ……
「え、そうなんですか!」
「ああ。それで
本来の目的は伏せておこう。
「話は分かりました。せっかくのご厚意ですから参加します」
「おう! 具体的な日時や集合時間とかはまだ未定だから追って連絡するな。それと多分あとで
俺は一旦教室に入り、
訳を話して素直に
まだ生徒のいない廊下をささっと渡って二年A組の教室に行くと、ラッキーなことに
孤独に席に座り、一生懸命にハンカチで机を拭いている。見るからに落書きを消しているっぽい。
何人かいる周囲のクラスメイトは
数ヶ月前までの俺と同じ状況を体験させられてざまぁみろだが、思ったよりも心がスッキリしない。むしろ同情心が湧いてくる。
なんかこちらまで嫌な記憶がよみがえって疲れてきた。早いところ会話に持ち込もう。
しかし、
仕方なしに様子を窺っていると、しばらくしてインクで黒ずんだハンカチを見て席を立った。
そのときに目が合う。チャンスとばかりに『ついてこい』とあごでしゃくる。
一言も言葉を交わさずに先導して廊下の突き当たりにある非常階段に行く。
立ち止まって振り返り、睨み据えてくる
「俺が元の姿を取り戻すために協力しろ」
俺が女に変貌し
「そんなこと知るか」
あろうことかそう言い放って教室に戻ろうとする。
急いで肩を掴まえた。
「一蹴してんじゃねぇよ。これはお前の為でもあるんだ」
「僕の為? 見え透いた嘘をつくなよ。今のお伽噺のような話が本当だとすれば、不良くんが困ってるだけでしょ」
「は? お前だって周りから避けられた今の状況は
「べつに。馬鹿どもに蔑まれても何とも思わないね」
「強がりやがって……」
やっぱりこいつの捻くれ性格は面倒くせぇ。
「大体お前が入学式の日にナンパなんて馬鹿な真似するからこうなってんだよ。責任を取れ」
「ナンパって何のことだが。それに責任って君が首を突っ込んで自滅しただけだろ。僕の邪魔をしなければこうはなってない」
「屁理屈でごまかそうとすんな」
「実際そうでしょ」
「……はぁ。とにかく
「見ず知らずの人の催しに行くわけないでしょ。君と違って僕は忙しいんだ。そんなことに時間を費やしてる暇はないね」
「あ、おい────」
追いかけようと廊下に入ったとき、ちょうど一階から生徒の集団が現れて引き止めるタイミングを失う。その間にも
「…………」
手のひらに爪が食い込むほど自然と手が拳を握る。
──めちゃくちゃムカつくっ! こっちが譲歩して全部水に流してやるって言ってんのに、普通あそこまで取り付く島のない態度を取るか!?
もういい。あいつが粗野な対応をするならこちらにも考えがある。正直この手は卑怯だから使いたくなかったが構うものか。
ぜぇったいに別荘宿泊に連れて行かせる!
***
体育館で校長の眠たくなる長話や生徒指導の夏休みの過ごし方に関する注意を聞いたあと、ホームルームで課題がどっさり出されて半日で学校が終わる。
そしてすぐに俺の元には学年学級男女関わらず続々とお誘いがかかる。
「
「
「
校門に行くまで何度も足を止められ、そのたびに予定が合えばと言葉を濁した。
なんとか学校を出て近くの市民公園で先輩と合流し、現状を伝えた。無事に
しかしそれについてはまだ方法があり今から試してみると伝え、結果が分かり次第報告することを約束して先輩と別れた。
俺は公園を出たその足で
県道沿いから横に逸れて進んでいくと閑静な住宅街に入る。
そしてその中に建つ一際大きな二階家。俺の背丈を超すアルミ鋳物の門扉に、その向こうにある小庭には人工芝が広がっており白を基調とした家の外観とマッチして清潔で高級な印象を醸し出している。
俺の住むボロアパートとは格差があり過ぎてそこでもまた苛立ちが募るが、『ここは我慢だ我慢』と心の中で自分に言い聞かせて気持ちを静める。
怒りが表に出ないよう表情を整えてから門扉に備え付けられたインターホンを押すと、すぐに『はい。どちら様でしょうか?』と若い女性の声が聞こえた。
俺は純粋無垢な女子高生を演じる。
「あの私、
『
「大丈夫です。むしろ
『……ご用件承りました。奥様にお伝えしますので少々お待ちください』
そこで通話が切れる。
言葉や口調的にお手伝いさんか。そういえば前に訪ねたときに一人見かけたな。よく思い出せば声質に覚えがあるしあの時と同じ人だが、だとすれば俺のことを知らないはずがないからやっぱり過去が書き換わっているようだ。
一分も経たずに家の玄関が開き、ゆったりとした服装の見るからに上品な女性が現れた。
顔に見覚えがある。
そんな母親は優雅さのない駆け足で寄ってくると警戒もせずに門扉を開けた。
「
明らかな不安を顔に浮かべる。
その記憶と合致しない低姿勢な態度で、自分の考えが間違っていないことを確信した。
今は怪現象によって
作戦通りだ。
変に不安を煽らないよう少しだけにこやかな表情を作る。
「いえ。
「そうなのね…………じゃあどういったご用件で……?」
「
まずは
母親の顔は不安を通り越して深刻になった。
「
「たぶん
「それはとてもありがたい申し出だけど……その、
「私は大丈夫です。それよりも当人の間ではもう終わった話なのに第三者があれこれ言うことのほうが我慢なりません」
「……そう。ありがとう。
話が計画どおりに進む一方で嘘を吐いていることに良心の呵責を感じた。……まぁ怪現象を解決することは
…………。
自分がしようとしていることに何か疑問のようなものを感じたとき、
「──あれ、母さん? 母さんが外に出て立ち話なんて珍しい…………っ!」
通りの向こうからちょうど
頭の良い
「こんにちは、
「
「そ、それは変に心配をかけたくなかったから……ごめんなさい」
「……まぁいいわ。それでね、
「そうだったんだね。あれだけ迷惑をかけたのに本当にありがとう、とても嬉しいよ。……でも僕には塾があるからスケジュール的に厳しいかな。せっかくお誘いいただいたのに心苦しいけど断る────」
母親がつかつかと
構える素振りが見えなかったほど間髪入れずの力強いビンタだった。説得してくれると踏んでいたものの手を出すほど怒りを表すとは思ってもいなかったため俺は少し動揺してしまう。
「──あなた自分の立場が分かっているのっ!?
「で、でも母さんいつも勉強を第一に考えろって……」
「言い訳しないで! あなたの軽率な行動のせいでお母さんもお父さんも周りからの信用が減ってどれだけ苦労してるか分かる!? これ以上私達に恥をかけないでちょうだい!」
辺りに響き渡る怒声。近隣の家の人が何があったんだと窓から顔を覗かせる。
そんな周りの状況に気がついていないのか母親の怒りの激情は止まらない。
「ほら、今あなたが答えるべき言葉は何!? 改めてちゃんと言いなさい!」
俺のまえに
「……ごめんなさい…………ご厚意を受けさせていただきます……」
口から出たのはそんな情けない言葉だった。
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