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 昼下がり、私は第二体育館の外階段でご飯を食べていました。

 昼時になると、私は教室をそそくさと後にしていつもここに来ます。第二体育館は部活動でしか使われない体育館なので、授業が終わるまで生徒がやってくることは滅多にありません。


 学校の中で唯一、ひとりになれるテリトリーです。

 卵焼きに口をつけてみますが、思うほど気が乗らず、そのまま箸を下ろしました。

 ため息をついてみますが、気が晴れることは一向にありません。

 目下、私の悩みのタネが解決しない限り、おそらくこの胸のつかえがとれることはないのでしょう。

 

 彼、坂本くんの奇行から1週間が経とうとしています。もしかして、月曜日の今日、彼の奇行がリセットされて私の平穏な日常が戻ってくるのではないかと薄い期待を抱いた私が馬鹿でした。いや、馬だったのは坂本くんでしたが。

 

 先週の月曜日の全力変顔、火曜日のゴーグル、水曜日の『よくわかるゲートボール』、そして、金曜日……。

 私は、制服のポケットを探ります。指先に触れた感覚によって、金曜日の記憶が蘇ります。


 『倉橋さん、倉橋さん』

 『……なんですか』

 『手ぇ出して』

 『……(絶対出したくない)』


 押し黙った私の警戒心を察したのでしょう。坂本くんは、別にやばいもんとちゃうよ、と笑います。

 あなたの存在自体がやばい奴なのですが、と返したくなりましたが、それでも彼は諦めないでしょう。彼と押し問答をするくらいなら、と私は手を差し出しました。すると、手のひらに何かをのせました。

 感触は、柔らかく、私の手のひらに収まる程小さなもののようです。よくあるドッキリだと、おもちゃのゴキブリとかそんなところでしょう。

 そうして開いた私の手のひらには茶色の──『栗まんじゅう』が乗っていました。

 

 『あげる』

 『……どうも』

  

 戸惑いつつ軽く頭を下げると、坂本くんは満足そうにええよ、と頷くのでした。


 金曜日に貰った栗まんじゅうをポケットに忍ばせて、そのままだったのです。

 一応確認しますが未開封のようです。何の意図があって私に栗まんじゅうを渡したのか全く見当もつきませんが、さすがの坂本くんも隣人の毒殺を試みたりはしないでしょうから、怪しいものは含まれていないはずです。何せ、隣で同じパッケージの栗まんじゅうを口いっぱいに頬張っていましたし。単なるお裾分け、ということでしょうか。


 隣人のご厚意でもらったのですから、無碍にもできません。

 包装紙をといて、一口齧ります。

 ん……、意外とおいしい。

 程よい甘さのあんこが、私の頭に残るもやもやを落ち着つかせてくれます。そもそもの悩みのタネはこれをくれた張本人なのですが。栗まんじゅうに罪はありません。ありがたくいただくこととします。


 「倉橋さーん」


 唐突に肩を叩かれて、反射的に後ろを振り返ります──が、むにっと何かが頬を突く感触で止まります。

 それはどうやら、私の肩に置かれた人差し指のようです。こんな気安いいたずらを仕掛けてくるような友人は、私にはいないはずなのですが。


 「あ、ごめん。お食事中?」


 彼女は、口元に薄い笑みを浮かべて覗き込んできます。


 「……早川さん」

 「やほー」

 

 私を突いていた手をあげ、気の抜けた挨拶をしてくる彼女は、早川さんでした。私の斜め前の席、つまりは坂本くんの前の席の方です。

 あまり会話をしたことがないので彼女について知っていることは名前くらいです。

 ただ、坂本くんとは別の意味で腹の読めないタイプの印象があります。特にたれ目がちな瞳は、吸い込まれそうなほど黒く、こちらの感情の波を機敏に盗み見見ているように感じます。

 この感じ、どこかで感じたことがあるような気がします。ああ、ぴったりとハマる言葉が見つかりません。


 「どこにもいないから超探した」

 「……すいません」

 「5限の清水先生、体調不良で、2組と合同で体育に変更だってさ」

 「ああ……、分かりました」

 

 伝言を伝え終わったいうのに、早川さんはそのまま私の隣に座り直しました。片膝に頬杖を突いて、じいっと私の方を覗き込んできます。 


 「倉橋さんって、当たり前だけどご飯とか食べるんだね」


 ……一体私は何だと思われているのでしょうか?

 

 「あ、栗まんじゅう。坂本の?」

 

 早川さんの視線が手にしていた食べかけの栗まんじゅうに移ります。


 「……はい」


 私は渋々頷きます。


 「はは、倉橋さんも大変だね」

 「……じゃあ、早川さんから止めるように言ってもらえませんか。もしくは席を変わってください」

 「んー……」


 早川さんは少しだけ考えるような素振りをして、へらりと笑いました。


 「無理かも」

 

 予想通りの回答です。分かっていましたとも、ええ、もちろん。がっかりなどしていません。

 

 「ふっ。面白いよね、坂本。突拍子なくて」

 「……(面白くはない)」

 「今日は馬だったからー……、次は……ま、ま……まくら、かな。楽しみ~」

 「……(楽しくはない)」


 言いたいことを言い終わったのでしょうか、早川さんは立ち上がってこちらを振り返ります。


 「じゃ、健闘を祈る」

 「……」

 

 健闘を祈るな、と口からでかかった言葉をぐっと飲み込み、軽い足取りで遠ざかる早川さんを見送りました。


 ☺︎

 そして、翌日です。


 「……坂本」

 「はい」

 「それはなんだ」

 「まくらです」

 「……そうか」

 「はい」

 「一ついいか」

 「何ですか」

 「何で持ってきた」

 「昼寝のためです」

 「……そうか。坂本はー……あれか、夜更かしでもしたのか」

 「今朝は9時間寝ました」

 「……そうか。うん。その調子でスクスク育てよ」

 

 先生はそれ以上の詮索を諦め、点呼をとり始めました。次々生徒の名前が呼ばれる中、私は視線を感じて斜め前を見やります。

 早川さんが組んだ腕の隙間からピースをして、したり顔でこちらを見ているではありませんか。


 私は息をついて、窓の外を見上げます。

 

 やはり、この教室で正気なのは私だけなのか……、と現実逃避に身をやつすのでした。

 

 ☺︎

 彼、坂本侑の理解し難い奇行の数々にある程度の法則性がありました。

 その法則性に気付いたのは、奇しくも早川さんとの会話の中からです。彼女は、彼が次の日どんな奇行をするのか、予測し、そしてそれを見事に当てて見せました。

 

 今日が馬だから、次はまくら。

 馬の前は、栗まんじゅう。


 それは、分かってしまえば単純なことだったのです。


 ただ、一点解せません。栗まんじゅうの前、つまりは『よく分かるゲートボール』の冊子です。りんご→ゴーグルときたら、る、から始まり、く、で終わる言葉でなくてはなりません。一文字も掠っていないのです。あるいは、この考察が検討はずれである可能性も拭いきれません。


 それに、根本的なところは何も解決していません。

 彼が奇行に至る理由です。分からないことだらけです。

 

 思考の向こう側から、下校の時間を告げる鐘が鳴り響きました。


 私はハッと我に帰って立ち止まります。

 いけません、いけません。

 彼とはなるべく関わらないと決めたにも関わらず、油断すると彼のことばかり考えてしまいます。今日は課題が何個か出ていますし、早く家に帰って勉強しなければいけません。


 鞄を開き、今日の課題に必要な教材を確認していると、ノートが無いことに気づきました。どうやら自分の席に置き忘れてしまったようです。普段の自分なら無いような不注意です。仕方なしにきた道を引き返します。

 

 「る……く……、るー、るー、……」

 

 教室までの道すがら、頭によぎるのは『よく分かるゲートボール』です。表紙から察するにあれは解説本のようでした。解説……ルール、あ。


 「ルールブック……」


 「──今日も無反応だったな〜、倉橋さん」


 私が正解を導き出したのと同じタイミングで、男子生徒の声が割り込んできました。それはどうやら、教室の中からです。複数人の生徒の談笑が開けた窓の風と共に微かに漂います。

 まさかクラスメイトの口から私の名前が出てくるとは思わず、ドアの手前で足を止めます。完全に入るタイミングを逃してしまいました。


 「侑、いい加減諦めたら?」

 「……うーん。そうやねんけど……」

 

 坂本くんの声がしました。どうやら、教室で会話している人の中に坂本くんもいるようです。

 

 「そんな似てんの? キヨコに」

 「ほんっまに、キヨコとそっくりやねん! 初めて倉橋さん見た時、キヨコの生き写しかとおもたもん」

 「まあ確かに……似てる……か?」

 「はあ? その目ぇ節穴か? よう見てみ! どう見ても倉橋さんやん!」

 「あー……まあ、目元とか似てるかも……」

 

 盗み聞いたわずかな情報から、点と点が線で結ばれていきます。詰まるところ、私は体のいい“代わり“だったのでしょう。キヨコさんが坂本くんにとってどんな関係性の人なのか探るのは下衆の勘繰りと言うものでしょう。


 全てがわかると、案外呆気ないものです。

 だというのに、湧き出てきた感情の正体に動揺が隠せませんでした。

 答えがわかれば、この心のもやもやは晴れると思っていたのです。ところがそのもやもやはさらにその雲を厚くし、より黒ずんでいくのです。

 この、感情に名前をつけるなら、それは。


 「……から、そろそろ帰るぞ」

 

 数人の足音がこちらに向かってくるのが聞こえた時には、時すでに遅く。 

 私が立ち上がる前に、ドアが開きました。


 「……倉橋さん!?」


 諦めて見上げると、大きく目を見開いて立ちすくむ坂本くんの姿がありました。徐々に事態を把握するほど、坂本くんの顔から血の気が引いていくのが側から見てもよくわかりました。


 ああ、なぜでしょう。

 なぜ、私は。


 スカートの皺を払いながら立ち上がり、鞄をかけ直します。

 静かに淡々と、湧き上がる感情を抑え込むように、言い放ちました。


 「楽しかったですか、私をからかうのは」

 

 なぜこんなにも、苛立つのでしょう。



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