第2話

 目を覚ますと、見慣れぬ天井が視界に映った。


 ベージュ色の、なんてことはない平凡な天井。しかし、俺はその天井を知らない。


「…………?」


 疑問を抱きながらも上体を起こす。

 視界が天井から部屋の中に切り替わる。壁や床、自分以外のモノが見えた。


「子供?」


 俺が今いる部屋の中には、無数の布団が敷かれている。まるで学生の頃、修学旅行で割り振られた大部屋みたいだ。

 布団の上には、当然ながら小さな子供が寝転んでる。


「どこだ、ここ」


 真っ先に思ったことはそれに尽きる。

 確か俺は、旅行先で車に轢かれて……。


 ハッと自分の体を見下ろす。一瞬すぎて痛みは無かったが、あれだけの衝撃を受けたのだ、体が無事であるはずがない。

 そう思ったが、腹部を触ろうと、袖を捲ろうと怪我した痕跡は見当たらない。夢でも見ていたかのように肌は綺麗だった。


 それでも自分の体が気になる。主に手足が。


「俺の体……こんなに細くて小さかったか?」


 明らかに手足が縮んでる。肌も若い。汚れはあるが、車に撥ねられる前の自分のものとは思えない。


 車に撥ねられて骨でも削られたのか?

 いや、骨を少し削ったくらいじゃ、こんなに体のサイズは変わらない。


 自分の身に起きたことが急に不安になる。きょろきょろ周りを見回して、窓ガラスを発見した。近付き、鏡の代わりにする。


 時刻は早朝。

 日差しが邪魔でやや見にくいが、ギリギリ自分の顔は窺えた。反射した相貌を見つめて、俺はあんぐりと口を開く。


「お……いおい、誰だよ……お前」


 窓ガラスに映っていたのは、俺の知らない顔だった。

 しかし、手を動かしてみると、鏡に反射した自分? も動く。ペタペタ顔に触ると、体温も感じるし、やはり反射した自分? も同じ行動を取っている。


 要するに、反射した顔はどう考えても──俺だ。


 年齢は10代前半くらい。

 平凡な社会人だった俺とは似ても似つかないイケメンというか、美少年というか。一言で表すと、若返ったわけではなく、完全な別人になっていた。

 腹も出てないし、肌も荒れてない。気になり出した薄毛を心配する必要も……ごほんごほん。


 どういうことだ? なんで別人の体の中に俺の意識があるんだ?

 ちょっとややこしいが、思い出せる限りの記憶は別人のそれ。別人の体の中に、別人の記憶がある。


 頭が混乱した。意味がまったく理解できない。


 あわあわとパニックに陥っていると、ふいに、人の気配が近付いてくる。自然と視線が横を向いた。

 同時に、女の子に声を掛けられる。


「窓の外なんか見て何してるの? レイヴン」 

「……えっと……」


 君は誰だ? と言い掛けて、咄嗟に口をつむぐ。


 俺の真横に立つのは、ラベンダー色の髪の少女。

 歳は自分? と同じ10代前半。


 向こうは俺のことを知ってるっぽい。「レイヴン」というのが、俺の名前かな?

 だとしたら、俺が別人のように振る舞うのは危険かもしれない。怪しい奴だと思われるのは、何も分かっていないこの状況では致命的。何が致命的かと言われれば、単なる直感にすぎず、説明できないのだけれど……なんとなく、迂闊な発言は避けるべきだと本能が警鐘を鳴らす。


 とはいえ妙案は一つも浮かばない。


 口を閉ざしている俺の顔を見て、謎の少女は怪訝な視線を送ってくる。

 ヤバい。マズい。

 そう思っていたら、突然、頭に痛みが走った。


「ッ⁉」


 脳裏に不思議な光景がいくつもフラッシュバックし、俺は驚きのあまり体勢を崩して横に倒れた。


「レイヴン⁉」


 すぐに謎の少女……否、が、俺に駆け寄ってくる。


「大丈夫? 頭打ったりしてない?」

「あ……ああ、うん。平気だよ、カナリア」


 全て思い出した。状況も全て把握した。



 ──どうやら俺は、異世界転生したらしい。

 焦がれていた剣と魔法の世界に。



「もう、レイヴンったらおっちょこちょいね。朝から寝ぼけてるの?」

「朝なんだから寝ぼけてるのは当たり前だろ? でも、心配を掛けたね」

「別に。レイヴンが怪我したら私が負い目を感じるでしょ? それに、これからすぐ掃除よ。レイヴンが抜けたら手間が増えるわ」

「あはは。そうだね。顔を洗ってさっさと掃除を終わらせようか」


 思い出した記憶通りのレイヴンを装う。

 というか、レイヴンは俺そのものだ。口調も性格も、思い出した限り前世の俺と相違無い。どちらかというと、思い出したのは前世の記憶のほうか?


 順序がたぶん逆だ。

 前世の記憶を思い出した影響で、しばらく「レイヴン」としての記憶を思い出せなかった。


 混ざり合った今となっては、どっちも自分のものだと認識できる。


 カナリアの手を借りて立ち上がった。彼女と共に部屋を出る。顔を洗って、使い古した箒で廊下を掃いていく。

 これが、今の俺の日常だ。


 まず、転生した世界の名前は≪アストレア≫。

 俺がずっと憧れていた剣と魔法のファンタジーな異世界。


 ここには剣も魔法もある。厳密には魔法は、≪スキル≫と呼ばれているが、まあ中身は同じだからどっちでもいい。


 俺の名前はレイヴン。年齢は14歳。

 6年前、魔物の群れに、住んでいた村が滅ぼされた。

 俺だけは運よく駆け付けた冒険者によって救われ、近くの街ヴェンデルにやってきた。


 今は孤児院に預けられ、そこで生活している。


 家族や友人のことを思うと胸が張り裂けそうなほど哀しいが、貴族ではなく平民……具体的には孤児である分には問題無い。

 今後のことを考えると、むしろ動きやすいくらいだ。


 状況を把握した俺が真っ先に考えたのは、これからどうするか。

 言ってしまえば、目標とか夢とかそんなやつ。


 実に都合のいい世界に転生したんだ、前世の記憶もあるし、やるべきことは一つ。

 前世で叶えられなかった未知を求めて大冒険がしたい。外へ出掛けたい。旅がしたい。


 前世のような旅行ではない。

 この世界には、≪魔物≫と呼ばれる非常に凶暴で凶悪な生き物が、街の外をうろついている。おまけに、人間たちの領域は大陸の中のごく一部だとか。


 人間が開拓した領域から一歩でも外に出ると、劣悪な環境が広がっている。

 それを、世間一般的に≪禁足地≫と呼ぶ。


 禁足地は、人間が足を踏み入れてはならない場所。

 入ったからといって罰せられるわけではないが、ほとんどの人間は口を揃えてこう言う。


 ──生きては帰れない。


 だから禁足地は開拓されていない。

 生息している魔物も、人界に生息する魔物とは比べ物にならないらしい。


 だが、俺には関係無い。逆に好奇心がこれでもかと刺激される。


 開拓されていないってことは、まだ誰も知らない何かがそこに眠ってるってことだ。


 そんなの……探しに行きたいに決まってるだろ⁉


「問題は、旅をするのに必要な力が俺には無いってことだよなぁ」


 ぽつりとささやいた。


 力というのは、魔法や異能力のこと。

 スキルだな。それがないと、まともに街の外で生き残れない。ましてや、禁足地を渡り歩くなど不可能だ。


 しかし、スキルは先天的に持って生まれるか、特定の条件を満たすことで女神より与えられる恩恵。

 前者はすでに望みが無く、後者に至っては誰も条件など知らない。


「詰みじゃん。せっかく記憶を思い出せても、何もできないんじゃ意味が無いぞ」


 ぱっぱっぱっと素早く掃除を終わらせてひとりごちる。


 落胆が酷い。これなら前世の記憶など思い出さないほうがよかったまである。


「どれだけ技術を磨いて強くなっても、結局は人界の中でのこと。禁足地に行けないんじゃ、俺の夢は永遠に叶わない……」


 どうしたものかと首を傾げる。


 その時。まるで俺の心を見透かすように、不思議な現象が目の前で起きた。



【掃除を達成。経験値3を獲得しました】



 という、メッセージが表示される。

 ゲームなどで何度も見たことのある画面だ。


 けれど、即座に意味を理解することはできなかった。素っ頓狂な声が漏れる。




「…………え?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る