4 エルニアの伝説

 日が暮れ始めると、フィーズたちは生徒を連れて王立学校へ戻った。夜の帳がゆっくりと降りる中、学校の西棟にある寮では、ハルたちは新しい環境で初めての夜を迎えることになった。


 寮生活のルールは比較的緩やかで、就寝時間までは校舎内や図書館を自由に行き来することが許されていた。広々とした大広間で夕食を済ませ、それぞれの部屋に備え付けられた浴室で入浴を済ませると、あとは自由時間となる。


 ハルは食事と入浴を終えた後、自室のベッドでゴロゴロと過ごしていた。目新しい環境で少し疲れを感じていたが、彼の心の中にはじっとしていられないほどの好奇心が湧き上がっていた。この年頃の子どもにとって、退屈という感情はすぐに冒険心に取って代わられるものだ。


 やがてハルは一人で図書館へ向かうことに決めた。


 夜の図書館は昼間とは異なる趣を見せていた。巨大なシャンデリアの灯りは控えめにトーンダウンされ、柔らかい光が館内をぼんやりと照らしている。


 まるで誰かが図書館全体に静寂と安らぎのベールをかけたかのようだった。しかし、その中でも市民たちの談笑や小さな笑い声が響き、温かみのある雰囲気が漂っていた。一部の人々はカフェエリアでお茶を楽しみながら親しい友人と語り合い、また別の人々は静かに本を読んで過ごしている。昼間の賑やかさとは違うが、図書館は依然として活気を失わず、夜の時間に相応しい穏やかな空気を纏っていた。


 図書館には膨大な数の書籍が所蔵されており、入口近くには文庫本や一般的な参考書が整然と並べられている。だが奥へ進むにつれて、内容はより専門的で難解なものへと変わっていく。


 魔術、錬金術、古代史、自然哲学――これらの分野の書籍が並ぶ棚は、見る者に知識の深さとその未知なる魅力を伝えてくる。初めて訪れたこの空間に、ハルは圧倒されると同時に、探究心を刺激されていた。


(一番奥まで行ってみよう)


 そう決心すると、ハルは目の前の通路を進み始めた。通路の両側に聳える書棚の高さは天井に届くほどで、圧倒的な存在感を放っている。近くの書棚には分厚い魔導書や、手書きの古文書を模したような装丁の本が並んでおり、どれも一冊手に取るだけで何時間も読み耽ってしまいそうだった。


 照明が控えめなため、奥へ進むほど光は弱くなり、薄暗がりの中で書棚が静かに佇む様子が見えてくる。図書館の奥は昼間以上に神秘的で、どこか別世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。


 目指す最奥の本棚が見えてきた頃、ハルは足を止めて辺りを見回した。そこには、手前の書棚にはない独特な雰囲気が漂っていた。


 最奥の書棚は、ほとんど装飾が施されておらず、無骨で重厚感のある佇まいだった。しかし、そこに並べられている本の背表紙には金や銀の文字が刻まれており、独特の輝きを放っていた。


 並んでいる書物の多くは、学問としては高度でありながら、どこか伝説や神秘の香りを漂わせている。それらを見つめるうちに、ハルは胸が高鳴るのを感じた。彼はひとまず背表紙に書かれた文字を頼りに、興味を引かれる本を探し始めた。


 就寝時間までは約一時間。


 この短い間に、どれだけこの未知の世界に触れられるのだろうか。そんな期待を胸に、ハルは最初の一冊に手を伸ばした。


 指先が重厚な革装丁に触れた瞬間、ひんやりとした感触とともに、未知なる知識の扉が開くような感覚が彼を包み込んだ。


 (ゆっくり、見ていこう)


 ハルは気長に、一冊一冊書棚から本を取り出しては、軽くパラパラとページをめくっていった。どれも重厚な内容で、時に魔術の専門知識が詰まった本や、異国の言語で記された文献など、読み解くには高度な知識を要するものも多かった。


 しかし、彼は難解さにひるむことなく、未知の世界に触れる喜びを感じながら次々と本を手に取った。八冊目を読み終える頃、視線は自然と次の本棚へと移っていった。


 九冊目に選んだ本は、これまでよりもひときわ大きく、そして重厚感のある一冊だった。片手では持ち上げられず、両手で慎重に取り出す。それでもかなりの重量があり、ハルは少し苦労しながらそれを棚から引き抜いた。ようやく取り出したその本の表紙には、滲んだような古びた文字で「エルニア史」と記されていた。


「エルニアの歴史だ・・・・・・」と、ハルは思わず声を漏らした。


 表紙の感触はざらついており、時間の経過を感じさせる古びた装丁が、かえってその本の価値を物語っていた。ハルは興味を惹かれるままに本を開き、目次のページをじっくりと眺め始めた。そこには、「建国前の神話」から始まり、「エルニア建国」「大戦記録」「魔術の発展」など、百章にわたる壮大な歴史が記されていた。

 それぞれの章には詳細なサブタイトルが付けられ、千年以上にわたるエルニアの歴史がこの一冊に収められていることが伺えた。


 目次を追う中で、特にハルの目を引いたのは、「建国の伝説」という項目だった。その言葉には、ただの歴史を超えた何か――物語性や神秘的な魅力を感じさせる響きがあった。


 ハルは期待に胸を膨らませながら該当ページをめくり始めた。古い紙の香りが微かに鼻をくすぐる中、彼はその章に書かれた言葉のひとつひとつを目で追い、エルニアの起源に迫る記録へと没入していった。


 その瞬間、彼の中で時間の感覚が薄れていく。就寝時間まで残りわずかという制約も忘れ、ハルはまるでその歴史の中に吸い込まれるようにページを読み進めていった。この本の中には、彼がまだ知ることのなかったエルニアの壮大な物語が詰まっている――その予感が、ハルの好奇心をますます掻き立てた。

 そして、ある部分が目に留まった。

 そこには、こう書かれていた。


『子孫は、トラバートルの話を信じるようになった。これが国をすっかりだめにしてしまったのだ。民衆はみな、それは我々よりも伝説を知っていたと思い込んでしまった。彼らに言わせると、我らの伝説は間違っているそうだ。この伝説で、あらゆる苦難に耐え、戦国の時代を生き、どんな騒ぎも起こりはしなかったというのに。だからこそ、我々はエルニアを守ることができたのだ。彼らは何を考えていたのだろうか。家族、兄弟、絆そして伝説、全てがバラバラになってしまった。その挙句、彼らは「伝説を救う」と言う。国政を回復するのだと言って、みなトラスニアに出て行った。王は全ての教会を開いてくれた。他に何がいるのか。何のためにエルリア王国を作ったのか。彼らは村を、家族や兄弟の生活もだめにした。彼らのほとんどはトラバートルやトラスニアに消えた。伝説はどこだ。この世にはもうないのだろうか』


 どういうことだろう?

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