思い出と上書きとひと夏の後悔と

星路樹

第一話

 ケンジ(M)「何か分からない時に人に聞く、ではなくて、『スマホで検索する』と、いうのは当たり前になったし、寧ろその方が早いというのもある。信用できる情報は検索の上位に来る…でも、『検索の上位に来るものがいつの間にか変わっている』こともある。しかしそれには気づかない。知らず知らずのうちに…信用できる情報は上書きされる。人の記憶も同じだと…」


 夜の神社。   

祭り囃子の音が遠くから聞こえる。

林の中に少女と少年時代のケンジが向かい合って立っている。

少女が泣きそうな顔をケンジに向けている。

ケンジ(M)「夏が来ると、後悔ばかり思い出す」

少女「駆け落ちしよう。私、ケンジ君と離れたくない」

ケンジ(M)「思い出すのは彼女の言葉。でも、約束の場所に彼女は来なかった」


 ケンジ(M)「広島県福山市。父の訃報から数ヵ月。俺は東京を離れ、家業を継ぐために故郷のこの地に帰っていた」

 

 空の酒瓶などがケースに入れられ、乱雑に放置されている居酒屋の店内。

その店内で、ライカが尻尾を振っている。

ライカ「わん!」

ライカをなでるケンジ。

ケンジ「わかってる。散歩だろ! ほら行くぞ!」 

ライカ、ケンジに飛びつく。

ライカ「わん!」

ケンジ「ほら、わかったから。おとなしくしろ」

ライカ、おとなしくお座り。

ケンジ、苦笑して首輪にリードをつける。

ライカ「きゅーん…」   

ケンジ、ライカに微笑む。

ケンジ「いい子だ。行くぞ!」


 ケンジ、引き戸を開けて居酒屋から出てくる。

眩しい日差しに目を細めるケンジ。

ライカ「きゃん!」

ケンジ、ライカを見つめる。

ケンジ「ごめん。今日は、辻堂まで行ってみるか」

ライカ、嬉しそうに尻尾を振る。

ライカ「わん!」


 海辺の道を、ライカを連れて歩くケンジ。

海鳴りがして、遠方に見える辻堂にケンジは視線を向ける。

ケンジの顔が曇る。


 ケンジの回想。

辻堂の前に少女と少年時代のケンジがいる。

子犬のライカを抱いた少女が、ケンジに微笑む。

少女「この子の名前。ライカにしようよ」

ケンジ「ライカ?」

少女「世界で初めて宇宙に旅立った犬の名前。独りぼっちで、宇宙で死んじゃった」ケンジ「そいつが独りぼっちだから、ライカなのか?」

少女「それもあるけど、私と同じだったから」

少女が、悲しげな顔をする。

ライカ、少女を不安げに見上げる。

ライカ「きゅーん……」

少女、悲しげにライカを見つめて、

少女「私も独りぼっちだったから、この子はライカ。独りぼっちのライカなの」

 

 海を背景に立つ辻堂をじっと見つめるケンジ。 

ライカが、そんなケンジを不思議そうに見つめている。

ケンジ「そういえば、あいつともよくここで遊んでたっけ……」

ケンジ(M)「アミがいた劇団の名前。辻堂だったな」


 ケンジの回想。

体育館で演技をする少女。

少女を体育館の観客席から夢中になって見つめるケンジ。

ケンジ(M)「アミは、全国を巡回する劇団の子役だった。彼女の演技に俺は夢中になったものだ」


 ケンジ(M)「それから10年。彼女には会っていなかったが……」 

編集部の一角。アミと向かい合って座るケンジ。

アミが、ケンジに微笑む。

アミ「ひさしぶり。ケンジ君。待ちくたびれて会いに来ちゃった」

アミを見たまま、驚いたような表情を浮かべるケンジ。

ケンジ「会ったのは、初めてだと思うのですが……」

アミ「忘れちゃった? 竹田アミ。あなたと駆け落ちの約束をした女の子だよ」

ケンジ「竹、えっと……。たしかに、そんなような苗字だった気がするけど……」   アミ、悲しげに微笑んで、

アミ「本当に久しぶり。ずっと、会いたかったんだから……」  


 辻堂に座って、ライカをなでるケンジ。

ケンジ、苦笑する。

ケンジ「まさか、演劇続けて女優になってるとはな。約束の場所には来てくれなかったのに、会いに来たって……」

ケンジ、空を見上げて、

ケンジ「俺はずっと、待ってたのに……」


 ケンジの回想。

祭囃子の音が遠くで鳴っている。

林の中で、ケンジは浴衣姿の少女と向き合っている。

少女、泣きながら、

少女「嫌だ!ケンジ君と別れたくない!ずっと一緒にいたいの!」

ケンジ、少女の手をとる。

ケンジ、真剣な眼差しを少女に向け、

ケンジ「じゃあ、東京に行こう!」

少女、驚いた様子でケンジを見つめる。

少女「え?」

ケンジ「東京には何でもある。俺達でも生きられるかも」

ケンジ(M)「今思えば、すごく子供じみた考えだけど、東京に行けばなんとでもなると俺は思っていた」


 真夜中の須佐能表神社で少女を待つケンジ。

ケンジ(M)「俺はずっと、彼女を待ってた。でも、約束の場所にアミは来なかったんだ」  

 ぼーっと、海を眺めるケンジ。

ライカ「わん!」

ケンジ「あ、ごめん。帰ろうか……」

ケンジ、ライカに微笑む。

辻堂から、立ち上がるケンジ。

ケンジ、ライカを連れて辻堂を離れる。


 真夜中。ケンジの自室。   

布団に横になり、天井を見つめているケンジ。 

ケンジの隣には、ライカが寝そべっている。

ライカをなでるケンジ。

ケンジ(M)「俺はアミに会いたくて上京したのかもしれない。そして、彼女はずっと俺を待っていてくれた」

 

 ケンジの回想。

ホテルの寝室。

アミとベッドを共にするケンジ。

ケンジ、アミの髪を梳かしながら、

ケンジ「会いに来たって、どういうこと?」

アミ「取材の依頼を受けたとき、担当があなたでびっくりした。すぐに、駆け落ちの男の子だってわかったよ」

ケンジ「ごめん。俺はわからなかった」

アミ、苦笑しながら、

アミ「仕方ないよね。ケンジ君、私の名前も覚えてなかったんだもん。竹のつく名字の子だったなんて言われて、嫌だったんだから」

アミ、すこし嫌な表情。

ケンジ「ごめん。でも、もう1人の子の名字ははっきり覚えてるんだ」   

アミ、不思議そうな顔をして、

アミ「もう1人の子?」

ケンジ「アミと同じ劇団にいた龍光寺って名字の子。学校もあんまり来なかったけど。珍しい苗字だったから」   

アミ、気まずそうな顔をして、

アミ「ああ……。あの子」

ケンジ「龍光寺さん。元気?」

アミ、苦笑しながら、

アミ「知らない。居たことも忘れちゃった」  


 回想を終えじっと、天井を見つめるケンジ。

ケンジ(M)「だが父親の死をきっかけに、アミと別れてしまった……」   

ケンジ、天井を見上げたまま苦笑。

ケンジ「こんな田舎の酒屋に、女優さんは連れてこれないよな」

ライカが、心配そうにケンジに鼻を擦りつける。

ライカ「きゅーん……」 

起き上がるケンジ。

ケンジ、ライカをなでる。

ケンジ「ああ、寂しくなんかない。今は、お前がいるから大丈夫だよ」 

ケンジ、ライカに微笑む。

ライカ、ケンジに鼻を摺り寄せて、

ライカ「きゅーん……」

ケンジ「はは、大丈夫だよ。ライカ」

ライカ「きゅーん……」

ケンジ、布団に横になる。

ケンジ「ちょっと、昔のことを思い出しただけだ」

ライカ「わん!」

ケンジ「ああ、もう寝よう」

ライカ「わん……」 

ライカ、ケンジに体を摺り寄せて目を瞑る。

ケンジ、ライカに微笑む。

ケンジ「お休み。ライカ」

 

 早朝の海辺の道。 

辻堂の前を、ライカを連れて歩くケンジ。

ケンジはやがて坂を上り、廃校へと赴く。

 廃校舎の前   

じっと、廃校舎を見つめるケンジ。 

ライカが、そんなケンジを不安げに見つめている。

ケンジ「ここも、変わってないな……」  

ケンジ、廃校舎の横にある体育館を目指す。


 ケンジ、ライカを体育館前の傘立てに繋ぐ。

ケンジ「ここで待っててな。ライカ」

ライカ「わん!」

ケンジ「いい子だ。すぐ戻るからな」


 ケンジ、体育館の中を歩き回る。

ケンジ「あのころのまんまだ……」 

ケンジ、壁を見上げ校歌が飾ってある額を見つめる。

ケンジ「校歌……。アミも、よく歌ってたっけ」

 

 ケンジの回想   

少女が、じっと額に飾られた校歌の歌詞を見つめている。 

 彼女の横にいるケンジが、不思議そうに彼女を見つめる。

ケンジ「どうしたの?」

少女「校歌。覚えたことない」

ケンジ「え?」

少女「いつも覚える前に転校しちゃうから」

ケンジ「じゃあ、覚えなくていいんじゃない?」 

少女、悲しげな顔をケンジに向ける。

少女「なんで、そんなこというの?」

ケンジ、困惑した様子で、

ケンジ「すぐに転校するなら、覚える必要ないじゃん」 

少女、歌詞に視線を戻して、

少女「でも、私は歌いたいの。覚えたいの……」 

少女、泣きそうな顔でうつむいて、

少女「そうでなきゃ、ケンジくんのこともすぐ忘れちゃう。そんなの嫌だよ。」

 

 ケンジ、壁にかかった額を見つめながら、

ケンジ「アミに付き合って、校歌の練習したっけ。アミ、覚えてるかな?」

ライカ「きゃん!きゃん!」

アミ「わ、なにこのワンちゃん!」

ライカ、アミに尻尾を振る。 

ケンジ、驚いて声のした入口へと顔を向ける。

アミが、こちらへと歩いてくる。

ケンジ、驚いた様子でアケミを見つめる。

アミ、ケンジの前で立ち立ち止まる。

アミ、ぎこちない笑顔を浮かべ、

アミ「ひさしぶり……」

 

 ケンジとアミ、並んで壇上に座っている。  

ケンジ、前を見つめながら、

ケンジ「仕事はどうした?」  

アミ、苦笑しながら、

アミ「今はお休み中。だから、ケンジ君に会いに来た」  

ケンジ、苦笑してアミを見つめる。

ケンジ「休みなのに、別れた彼氏に会いに来るか?」   

アミ、寂しげな表情で、

アミ「だって、ケンジ君のこと忘れられなかったから」

ケンジ「忘れられないって、この学校の校歌みたいだな」

アミ「え?校歌」

ケンジ「ほら、お前が覚えたいって一緒に練習したじゃん」

アミ、怪訝そうな顔をして、

アミ「そんなことあったっけ?」

ケンジ「え?」 

アミ、苦笑しながら、

アミ「この学校の校歌なんて忘れちゃったよ。ひと夏しかいなかったもん」

ケンジ「そうだっけ?」

アミ「ケンジ君、誰かとの思い出を、私とのものだって勘違いししてる」

ケンジ「そうかな?」 

アミ、笑顔を浮かべる。

アミ「そうだよ。絶対にそう」

怪訝そうな表情をするケンジ。

ケンジ「アミ……?」

ケンジ(M)「この時。突然霧が晴れたように、俺は違和感を覚えた。彼女が、別人に思えたんだ」


 ケンジ(M)「さっと霧が晴れた瞬間…。僕は何かを思い出したような錯覚に陥った。目の前にいる初恋の女性が別人だと思い出す錯覚。錯覚…これは本当に錯覚だったのか?」


 ケンジの回想。

ケンジ、ディスクで仕事をする。

ケンジ(M)「アミと再会したきっかけは、勤めていた出版社の取材だった」

編集長がケンジに声をかける。

編集長「おーい!今井。取材に行ってくれないか?」 

ケンジ、驚いた様子で、編集長をみつめる。

ケンジ「え、俺がですか?」

編集長「お願いするよ。人手が足りないんだ。その代わり、すっごく美人な新人女優の取材だから」  

編集長、アミの写真を見せる。

編集長、笑いながら、

編集長「な、行ってくれよ!」

ケンジ「はぁ…。美人ですか…」   

編集長、ケンジの肩を叩く。

編集「ほら!新卒だからこそ、チャンスは掴むもんだぞ!」

ケンジ「わかりました…。いきます」

 

 アミに寂しげな微笑みを向けられ、驚いた表情をするケンジ。

ケンジ(M)「初めての取材。それも新進気鋭の女優と会える。心躍る仕事内容なのに、俺はなぜか乗り気になれなかった…。でも…」

アミ「ひさしぶり。ケンジ君。待ちくたびれて会いに来ちゃった」

ケンジ(M)「俺はそこで、初恋の女の子と再会した」

 

 イルミネーションが輝く歩道を歩く二人。

背後には東京タワーがある。

アミ、前を見ながら、

アミ「東京で再会できるなんて夢みたい。本当、こっちに来て正解だった」

ケンジ「劇団の方はどうなったの?」

アミ、ケンジを見て苦笑する。

アミ「とっくに解散してなくなってるよ。私が中学の頃に…。また、ケンジ君の町に行けるって、希望も打ち砕かれちゃった…」

ケンジ「ずっと、俺のことを想っててくれたの?」

アミ、立ち止まる。 

驚いた様子で、ケンジも足を止める。

アミの顔を覗き込むケンジ。

ケンジ「アミ?」  

アミ、ケンジに抱き着く。 

ケンジ、驚く。

ケンジ「ちょっと、どうしたんだよ。アミ」

アミ、泣きそうな顔をケンジに向ける。

アミ「忘れられるわけないじゃん。だって、初恋の人だよ。駆け落ちの約束までしたんだから」   

ケンジ、アミを抱きしめ返す。

ケンジ「アミ…」

ケンジ(M)「でも、どうして、待ち合わせの場所に来てくれなかったのかは聞けなかった。彼女が、とても悲しそうな顔をしていたから…」

 

 ケンジ、ライカを連れて海辺の道を歩く。

その前方にはアミが歩いている。

ケンジ(M)「俺たちは別れて、アミは自分の夢を選んだはずだ。なのに…」  

ケンジ、立ち止まる。

ライカ「きゅーん」 

ライカが心配そうにケンジを見上げる。 

ケンジ、辛そうな顔をする。

ケンジ「どうして、来たんだよ…。俺が、お前のこと引きずってないとでも思ったのか…」  

アミ、ケンジに振り返って苦笑。

アミ「ごめん。ケンジ君の気持ち考えてなかったかも…」 

ケンジ、立ち止まる。

ケンジ「嫌なことでも、あったのかよ」

アミ「うん。凄くたくさん。ケンジ君を選べばよかったなって、後悔してる」

ケンジ「アミ…」 

アミ、悲しげに顔を伏せて、

アミ「駄目だよ。ケンジ君。もうダメ…。私、無理だ」

ケンジ「なにがあったんだよ。そんな、思いつめて…」

アミ、泣きそうな顔をケンジに向ける。

アミ「やっぱり、バチが当たった。あなたから、初恋を奪ったせいで」

ケンジ「え?それって…」

アミ「ごめんね、ケンジ君。私、あなたの初恋の女の子じゃないの」

ケンジ「アミ。なに言ってるんだよ」

アミ「私ね、両親が離婚して苗字が変わってるの。私の前の苗字は龍光寺。龍光寺アミが私の昔の名前」

 

 ケンジ(M)「心にずっとかかっていた霧が晴れていく――」 

ケンジの回想。

少年時代のケンジが須佐能表神社で少女と話している。

ケンジは子犬のライカを抱いている。

ケンジ「ねえ、君の名前なんて言うの?」

少女「私、私の名前は――」

ライカ「きゃん!」

アミ「――ちゃん。どこ。ワンちゃんと一緒にいなくならないでよ」

少女が、声のした方へと顔を向ける。

少女「あ、アミちゃんが呼んでる」 

少女、ケンジに笑顔を向ける。

少女「じゃあね!もういかないと!」  

ケンジ、ライカを抱き寄せ不安げに尋ねる。

ケンジ「また、会える?」

少女「うん。今度は君のいる町で公演があるから。そのときに会おう」

ケンジ、少女から目を逸らして恥ずかしそうに、

ケンジ「名前、まだ聞いてない…」

少女「竹原さつき。竹原さつきだよ。ちゃんと覚えててね」

ケンジ(M)「そう。彼女の名前は、竹原さつき。どうして今まで、忘れていたんだろう」


 周囲は夕暮れに包まれつつある。

ケンジ、アミを自分の体からそっと引き離す。

ケンジ「アミ。お前…」

アミ「そう。私は、初恋の女の子のなりすまし。あなたの本当の想い人は、別にいるの」

ケンジ「なんで、そんなこと…」 

アミ、今にも泣きそうな顔で、

アミ「羨ましかったから、さつきちゃんとケンジ君が。さつきちゃん、いつもケンジ君の話ばっかりしてた。私は、人見知りで学校なんて怖くて行けなかったのに、あの子ばっかり、ケンジ君と楽しそうにしてて…。いつか奪ってやろうって、ずっと思ってた」

ケンジ「アミ…」 

アミ、下を向いて泣きそうな顔で笑いながら、

アミ「あなたと一緒に福山へ戻れなかったのは辻堂へ行けなかったから。そこへ一緒に行くとすべてを思い出しそうだったから。でも、あなたを裏切ってまで、選んだ女優の仕事もダメそうだし…報いを受けてる…」

ケンジ「お前、本当に何があったんだよ」

アミ「終わらせに来たんだ。なにもかも…。でないと、ケンジ君を裏切った自分が許せない…」

ケンジ「終わらせるって…」

アミ、真剣な眼差しでケンジを見つめる。

アミ「さつきちゃん。ケンジ君を待ってる。だから言ってあげて、約束の場所に…」ケンジ「須佐能表神社のことか…。そこに、彼女が…」

アミ「そう。さつきちゃんは、ずっとそこでケンジ君を待ってた」

ケンジ、ライカを見つめる。

ケンジ「その、ライカのこと頼んでもいいか」

アミ「うん。お留守番できるよね。ライカ」

ライカ、嬉しそうに尻尾を振って、

ライカ「わん!」 

ケンジ、アミにライカのリードを渡す。 

アミ、リードを受け取る。

ケンジ「ごめんな、ライカ。散歩は中止だ。ちょっと、行ってくるから」

ライカ、ケンジを見つめて、

ライカ「わん!」

アミ「いってらっしゃい」

ケンジ「ああ、行ってくる。それとアミ、今までありがとう」

アミ「私は、あなたを騙してたんだよ。なのに、お礼なんて…」

微笑むケンジ。

ケンジ「君が好きだったことは本当だから」

アミ「ケンジ君」

ケンジ「だから、伝えてくれてありがとう」

ケンジ、走り出す。

その後姿を見つめるアミとライカ。

 

 ケンジ、須佐能表神社に続く階段を駆けていく。

ケンジ(M)「10年前の今日。僕たちは待ち合わせをした。不思議と、迷いはなかった。アミを置いて、俺は初恋の子に会うために約束の場所にやってきていた」   ケンジ、境内でさつきを探す。

ケンジ「さつきちゃん。どこ…さつきちゃん」 

さつきが見つからず、顔を曇らせるケンジ。

ケンジ「どこにいるんだ…」

ケンジ(M)「10年前の今日、俺たちはたしかに須佐能表神社で待ち合わせの約束をした。でも、彼女はいない。どうして…」 

チャイムの夕焼け小焼けが聞こえてくる。

ケンジ「え、もうそんな時間…」 

ケンジ、尻ポケットにしまっていたスマホを取り出す。

スマホの面を見て、はっと目を見開くケンジ。

スマホのホーム画面には見慣れたものが。

ケンジ「そうか…。」

 

ケンジ(M)「霧が晴れるように、長年の疑問が解けていく。俺と彼女は、ボタンを掛け違えるように、お互いにすれ違っていた。それに気が付くまで、こんなに時間がかかってしまっていたなんて…」

ケンジ「ここに彼女はいない。いるとすれば――」 

ケンジ、境内から走り去っていく。

ケンジ神社の階段を駆け下りて、道を走る。

ケンジ(M)「彼女の待つ場所に走っていく。長年のすれ違いを解消するために。そうでなければ、俺は前に進めない…。心の底から、そう思った」 


 ケンジ(M)「人の記憶は上書きされる。検索の上位に表示される情報も同じだ。上書きされた情報に気づかなかったとしたら?検索の上位に来る情報が自分の本当に探している情報だとは限らない」


  ケンジの回想。

ケンジ(M)「さつきと出会ったのは、母方の実家のそばにある須佐能表神社だった」

   昼間。蝉のなる境内。

   少年時代のケンジ、神社で汗をぬぐう。

ケンジ「あちぃ……。なんで、こんなに暑いんだよ…」

   そこに、子犬のライカが尻尾を振ってやってくる。

ライカ「きゃん! きゃん!」

   ライカ、ケンジにまとわりつく。

   驚いた様子で、ケンジ、ライカを見つめる

ケンジ「うわ! 犬……。どっから来たの」

   さつきがケンジとライカの元へと駆け寄ってくる。

さつき「こら、ライカ! こっち来て」

   ケンジ、さつきを見つめる。

ケンジ「君は…」

   さつき、ライカを抱いて、

さつき「あ、ライカが迷惑かけて、ごめんなさい……」

   ケンジ、さつきに近づく。

   ライカ、ケンジに向かって、

ライカ「きゃん!」

さつき「こら、鳴かないの!」

ケンジ「君の犬?」

   さつき、頭を軽く左右に振って、

さつき「ううん。一緒に暮らしてる劇団の子が拾って来たの」

ケンジ「劇団?」

さつき「知らない? 辻堂っていう劇団……」

   ケンジ、首を傾げる。

ケンジ「ううん……。聞いたことない」

   さつき、がっかりした様子で、

さつき「そっか。君も知らないんだ……」

   さつき、困ったようにライカを見て、

さつき「それにしても、この子どうしよう」

ケンジ「なに、困ったことでもあったの?」

   さつきの顔が曇る。

さつき「飼える人、探してるの。劇団は全国を周ってるし、犬を飼うのは無理だって言われて……」

   ライカ、さつきを、心配そうに見上げる。

ライカ「きゅーん……」

ケンジ「そっか……。それは、大変だな」

   さつき、悲しげに顔を伏せる。

さつき「もし見つかなったらこの子、保健所に連れていかれちゃうんだ」

ケンジ「保健所?」

さつき「そこで犬は檻に入れられて、殺されちゃうんだって……。お墓もつくってもらえないって、お父さんがいってた……」

   ケンジ、深刻な顔になって、

ケンジ「なんだよ。それ……」

さつき「アミちゃんと飼い主を探してるけど、なかなか見つからなくて。もし見つからなかったら……」

   ケンジ、自身の胸を叩いて、

ケンジ「俺が飼う! ウチ、昔は犬飼ってたし、父さんも母さんも理由言えば許してくれるよ!」

   さつき、驚いた様子でケンジを見つめる。

さつき「いいの……?」

   ケンジ、笑う。

ケンジ「だから、その犬。俺に預けてよ」

   さつき、明るい顔をして、

さつき「ありがとう! あの、あなたの名前は?」

ケンジ「ケンジ。今井ケンジ。君の名前は?」


 ケンジ(M)「それが、さつきちゃんと俺の出会い。ライカは、彼女から譲り受けた犬だった。それから彼女は、俺の通う学校に転校してきた。俺たちは、すぐに仲良くなったんだ」

   体育館の壇上に座る2人。

   さつき、笑顔をケンジに向ける。

さつき「ケンジ君のおかげで、だいぶ校歌も歌えるようになった。この歌さえ忘れなければ、ケンジくんのことも忘れない」

   ケンジ、顔を曇らせる。

ケンジ「やっぱり、引っ越しちゃうの?」

   さつき、悲しげに微笑む。

さつき「しかたないよ。ずっとそうだったから、だから私はずっと一人ぼっちなんだ。アミちゃんは学校に来てくれないし、ケンジくんがいなかったら、私……」

ケンジ「さつきちゃん……」

   さつき、顔を俯かせる。

さつき「校歌以外にも、忘れられないものが欲しいな。ずっと、忘れられないもの……」

ケンジ「さつきちゃん……。その、お祭り。一緒に行かない?」

   さつき、ケンジを驚いた様子で見つめる。

さつき「え?」

   ケンジ、さつきに笑いかける。

ケンジ「地元のお祭り、一緒に行こう。そこで、忘れられない思い出。いっぱい作ればいいよ」

   さつき、笑顔で頷く。

さつき「うん。行く! 絶対に行く!」

   さつきは全国を周る劇団員の花形子役だった。

   どこか、大人びた都会っぽさのある少女。

   俺はそんなさつきのことを綺麗だと思った。

   気づいたら、俺はさつきに一目ぼれしていたのだ。


   夜。神社の林の中。

祭りばやしが遠くで聞こえている。

ケンジは、浴衣姿のさつきと向きあっている。

ケンジ(M)「でも、子供の俺たちにとって、運命は残酷だった」

   ケンジ、驚いた表情をさつきにむける。

ケンジ「え、来週にもういなくなっちゃうの?」

   さつき、鳴きそうな顔をケンジに向け、

さつき「私、ケンジ君と離れたくない。もう、ひとりになるのは嫌!」


  ケンジ(M)「だから、俺は彼女に行ったんだ」

ケンジ、笑顔をさつきに向ける。

ケンジ「一緒に東京に行こう。明日の夜、スサノオ神社で待ってる」

   目を見開き、輝かせるさつき。

   大人びた雰囲気のさつきはきっと東京を経験しているに違いない。

   『東京に行けば僕だって大人になれるのかな』 

さつき「ケンジくん……」

ケンジ「だから、絶対に来て、さつきちゃん。俺は、さつきちゃんを見捨てたりしないよ!」

   さつき、笑顔になる。

さつき「うん。絶対に行く! 絶対にケンジ君と一緒に東京に行く。だからこれは、約束の証ね――」

   さつき、ケンジの頬を両手で包み込む。

   そのまま目を瞑り。ケンジにキスをするさつき。

   ケンジ、目を見開く。

   そっと、目をつぶるケンジ。

   2人の背後で花火があがる。

ケンジ(M)「初めてのキスはとても甘酸っぱかった……。遠くで、ずっと花火の音が鳴っていたのを覚えている」

     

  ケンジ、夕暮れの町を走る。

ケンジ(M)「約束の場所に彼女は来なかった」

ケンジ(M)「でも、俺の考えていることが本当だとしたら……」

  

   ケンジ、『福山』『スサノオ』『神社』で検索サイトで検索する。

   検索の上位には素戔嗚(スサノオ)神社がヒットしている。

   そして、次のページに出てくるのが、須佐能表(スサノオ)神社。

   それを見て、目を見開くケンジ。

 


 ケンジ(M)「『スサノオ』『神社』で検索すると、『素戔嗚神社』が検索の上位に来る。さつきちゃんはきっと、俺たちが出会った神社の『須佐能表』の名前を知らなかったんだ。そのせいで、検索上位に来る『素戔嗚』神社を待ち合わせ場所の『スサノオ』神社だと勘違いしてしまった」

   ケンジ、走りながら表情を曇らせる。

ケンジ(M)「ずっと彼女は、俺のことを待ってたくれたんだ。なのに俺は……」

   ケンジ、走りながら前を向いて真剣な表情で、

ケンジ「待っててくれ。さつきちゃん。絶対に、今度こそ会いに行くから!」

ケンジ(M)「10年遅刻した。失われた時を取り戻すために、俺は走る。彼女の待っている素戔嗚神社へと。今度こそ果たすんだ。10年間、守れなかった約束を」



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