第2話 愛らしい同居人

「お帰り、リア」


ドアノブに手をかける前に、扉が開き、可愛らしい顔立ちの少年が顔を覗かせた。


「ただいま、アンジェ」


 一歩中に入ると、赤茶色のでっぷり太ったトラ猫としなやかな体つきの真っ白な猫がニャオーンと鳴いてすり寄ってくる。


「ただいま、ジンジャー、スノー」


「予定より遅かったね。ちょっと心配した」


「悪かったわ。急な仕事が入って」


 今は当たり前になった帰宅を暖かく出迎えてくれる少年と猫たち。

 魔灯の灯った部屋からは美味しそうな匂いが漂っている。


 15歳で家を出て王都で独り暮らしを始めてから、2年ほど前までは考えたこともなかった暮らし。


 誰かが家にいるって、いいもんだわ、とレイリアはつくづく思う。


 それが、こんなに可愛らしい子たちならなおさら。

 ここでは、女だてらの筆頭騎士として気を張る必要はない。


 まとわりついてくる猫を交互に撫でてやりながら、自然に笑顔になってしまう。


「いい匂い。夕飯は何?」


「今日はホーンラビットのシチュー。珍しくホーンラビットの肉が手に入ったから。レビおばさんに作り方を教わったんだ」


「レビおばさん?大家さん、今日も来たの?」


「午前中にね。銀葡萄と桃梨、おすそ分けだって。今年の秋は、裏庭の果樹が豊作なんだって・・・制服をそんなところに置かないで!皴になったら困るのは、リアだよ」


 無造作に脱ぎ散らかされた上着をかけ直している少年の姿に、レイリアは目を細めた。


 肩のあたりで揃えた、ちょっと癖のある淡い金髪ペールブロンド。ゆるくウエーブのかかった長めの前髪に半ば隠れた形の良い額。長いまつ毛に縁どられた切れ長の瞳は、光の具合によって金色にも見える琥珀色。ほんのりとしたピンクの唇が指で触れたくなるほど可愛い。


 少年だと知っている自分でさえ、時折、女の子なんじゃないかと思ってしまうほど、愛らしい顔立ちだ。

 敬愛するアレク殿下の繊細な美貌とはまた異なる趣の。


 出逢った頃より肉付きはかなり良くなった。背も伸びたようだが、アレク殿下より数センチ低い。

 王宮医によると実年齢は殿下くらいか、やや下である可能性が高い。

 生年月日どころか、身元が一切わからないので、推測しかできないが。


ずっとこのままで愛でさせてくれればいいのに。

愛らしいままで、大人の男なんかにならずに。


そんなことをふと考えてしまうほど、アンジェと名付けた少年は、この2年で「可愛いもの」に目がないレイリアの好みのど真ん中になっていた。


(やっぱり、猫柄のエプロン、とっても似合ってる。ピンクの半ズボンもキュートね。買って来たかいがあった)


 せいいっぱい背伸びをしてオーブンを覗き、よしっとばかりに、満足そうに微笑む姿なんか、レイリアには、ある意味、神がかって見える。


「デザートに桃梨ピーペのパイを作ったから」


 同居人のエプロン姿を内心キャーキャーしながら鑑賞していたレイリアの目が輝いた。


 ごく身近な者しか知らないが、レイリアは実は超甘党。デザートには目がない。

 騎士としての自分のイメージを極度に気にするレイリアは、ふだん、外では控えているのだが、家でなら気にすることはない。おまけに、日々の訓練の成果か、彼女はどんなに食べても太らない、という世の女性からすればとても羨ましい体質だ。


 甘くとろりとした新鮮な桃梨ピーペを使ったアンジェの手作りパイ。なんて素敵な響きだろう。


 拾った当初は、料理どころか言葉もあやしく、自分の名前すら覚えていなかった少年アンジェ

 もともと頭がよく手先も器用だったのだろう。今では、会話に不自由はないし、というか、むしろレイリアより口達者だし、デザートづくりの腕前ときたら、控えめに言っても、セミプロだ。

 自分に関する記憶は相変わらず戻らないが、すっかりここの暮らしになじんでしまった。

 騎士としては優秀だが、家事が全くダメなレイリアにとって、なくてはならない存在になっている。


「パイは二皿作ったから、一皿はレビおばさんに持っていって」


 レビおばさんとは、隣に住む人の好い老婦人で、この借家の家主。レイリアの隠れた趣味を知っている数少ない友人の一人でもある。


 元々面倒見がいい人ではあった。が、このように頻繁に訪ねてくるようになったのは、同居することになった弟(として紹介した)アンジェの存在が大きいと睨んでいる。


 彼女もレイリアに負けず劣らず可愛らしいものが大好きだから。

 

 レイリアは同僚をこの家に招き入れたことはない。

 部屋のあちこちに飾られたいかにも『少女趣味』の小物やぬいぐるみの類を見られたくないので。


 移り住んでからこっそりと集めた『可愛いものコレクション』。

 質実剛健をモットーとする彼女の実家では、決して認めてもらえなかった、というか言い出せなかった趣味だ。


「お風呂なら湧いてるけど?」


 訊かれて、今日いきなり入った予定外のお役目のことを思い出す。

 図らずも、むくつけき、汗臭い大男に触れてしまった。お風呂できちんと身体を洗って消毒した方がいい。


 埃をかぶったし、汗も多少はかいたし…。いや、あの男の汗が衣服に飛んだ可能性がある。極力、直には触れないようにしてたけど。


「食事の前に入るわ」


「ストップ!ここで脱がないで!」


 さっさと衣服を脱ぎだしたレイリアを、アンジェが慌てて止めた。


「だって、さらしの中、汗ばんじゃって。気持ち悪くて。窮屈だし」


 レイリアは、気にする様子もなく、その間も手早くさらしをほどく。

押しつぶされていた大きな胸が露になる。


「できれば巻きたくないんだけど。無駄に大きいから、剣を使うのに邪魔になって仕方がないのよね」


「少しは慎みってものを持ってよ、リア」


 少年の声がいつもより上ずっていた。

 明後日を向いた頬がほんのりと染まっている。

 逸らされた目線が宙を泳いでいた。


 案外、ませてるんだと、クスクス笑いながらレイリアは風呂場へ向かった。

 外では決して見せないくつろいだ様子で。



*  *  *  *  *



 風呂場の扉が閉まるのを確認して、アンジェは大きく息を吐いた。


 なぜだろう?なぜ、胸がドキドキするんだ?


 人間の生身の肉体なんてどれも大して変わらない。目が二つ、鼻と口が一つ、縦長の胴、一対の手足。魔物たちに比べたら、多様性に欠ける。

 メスなら胸があって当たり前。驚くほどのことでもない。

 たとえ、いつも隠されているレイリアの胸が、本当は、けっこう大きくて、張りがあって、柔らかそうで・・・。


御主人マスター、顔が真っ赤ですよ。体温と脈拍数が急激に上昇しています。具合でも悪いんですか?」


 足下から真っ白な猫が怪訝そうに


「バカだな、フリジッド。御主人マスターは、ただ今、発情中なのだよ」


 傍らでだらしなく寝そべっていた赤茶の猫がふさふさしたしっぽを振って


「有性生殖する生き物は異性を見ると発情するんだ。特に人間は体温・脈拍の急激な上昇のほかに、顔面や首筋の皮膚の紅潮なんていうわかりやすい症状が出る」


「御主人は、人間なんて下等なものじゃありませんよ、パファビッド」


「いや、今は、一応、人間だと考えてもいいんじゃないか。偉大なる魔王様はこの肉体に完全に封じられているんだから。ほぼ同化している人間の感覚や本能にどうしたって影響を受ける。憑依してるだけの俺たちだって、腹がすいたり、メスの匂いにヤリたくなったりんだから。お前だって覚えがあるだろ?」


「節操のないあなたほどじゃありませんが。そういう気分になることがあるってことは認めましょう。まあ、興味深くはありますね。エネルギー体である我々が依り代の肉体に引きずられるとは。でも、我が主の纏った肉体はまだ成体には程遠い。発情するには早すぎるのでは?」


「確かに、あれじゃあ、実際に肉欲を発散させるのは、まだまだ無理だろうな。お気の毒に」


 常人には聞こえない心話で会話していた二匹は納得顔で頷きあった。


「おい、いい加減にしろ、氷の魔人フリジッド炎の魔人パファビッド。私は発情などしておらん」


 アンジェは、少年の身体に封じられた古の魔王は、使い魔が宿った二匹の猫を蹴り飛ばした。



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