第10話 最後の問い

 昼休み。

「村岡、松下ってどうしてるか知ってるか?」

 田嶋は村岡の部所にやって来た。

「ラインをしても、電話をしても、全く連絡が取れなくてさ。」

 田嶋はそう言って携帯を握りしめた。

「松下とは、別れた後にも連絡を取ってたのかよ。」

「とってないよ。」

「じゃあ、出ないだろうな。松下は今は俺と一緒にいるから。」

 田嶋は驚いて村岡の顔を見た。

「おまえ、女なんか興味ないかと思ってたよ。」

 信じられない様な目で村岡を見ている田嶋の横に、新人の女の子がやってきた。

「田嶋さん、この前いなくなったでしょう?」

 女の子はそう言って田嶋のワイシャツの袖を引っ張った。

「そうだったっけ?」

 田嶋はとぼけた様子でその子に答えた。

「今度はちゃんと最後までいてよ。二次会も絶対にきてね。」

 女の子は田嶋に送別会の案内を渡した。

「誰か辞めるのか?」

 村岡は田嶋に聞いた。

「畑、今月末で退職するらしい。」

 田嶋は村岡に言った。

「そうなんだ。ずいぶん急に辞めるんだな。」

「県庁の試験に受かったんだろう。ここは最初から長くいるつもりはなかったみたいだよ。」

「そうなのか。」


「奈江、来週の金曜日はどう?」

 唯が言った。

「金曜日、何かあるの?」

 奈江は薬を数えている手を止めた。

「上川先生がご飯奢ってくれるって話し。」

「そっか、そうだったね。」

「行ける?」

「うん。」

「明日の先生の送別会は行くの?」

「ううん。私、準夜だし。」

「残念だなぁ。奈江がいないなら、私も行かないかな。」

「行っておいでよ。松川さん達もいるんでしょう?」

「助手さん達はみんな欠席。師長がそうしたみたいだね。」

「え~、なにそれ。そういうところが、すごく感じ悪いんだよ。あの人、本当に損してるね。」

 奈江は薬をまた数え始めた。

「誰の薬?」

「今日入院した人が持ってきた薬。」

「バラバラだね。好き勝手に飲んでたの?」

「そうだね。バラバラだけど、眠り薬だけキレイにないの。」

 奈江はそう言って笑った。

「主任、面倒な人の担当はみんな奈江に押し付けるんだね。」 

「いくら数を合わせても、また好きな様に飲むんだよ。昔はよく注意したけど、最近は本人にお任せする事にしてるの。一生ずっと病院にいるわけじゃないんだし、理由も理解しないで飲ませるつもりなら、全部粉にしてわからなくするしかないよ。」

「そんなこと言ったら、主任に怒られない?」

「こんなの屁理屈だって相手になんかされないよ。だから、薬は毎回手渡しするようにしてるんでしょう。その方が手っ取り早いけど、退院したら、またぐちゃぐちゃになる。」

「奈江はどうしたらいいと思うの?」

「ぐちゃぐちゃになる理由を考えなきゃ。眠剤と痛み止めだけなくなる人は、一晩中痛くてたまらないんだよ。朝方ウトウトしてすっきり起きられないんだから、そんな時に意味のわからない薬なんか飲みたくないんだし。」


 金曜日。

 奈江は唯と上川の3人で、居酒屋に来ていた。

「私は焼肉がいいって言ったのに。」

 唯は上川にそう言うと、上川はただ笑っていた。

「2人は同期なの?」

 上川が唯に聞いた。

「奈江がひとつ上。学校が同じなんです。優秀な先輩だったから、大学病院に残るか、行政に行くのかと思ってたのに、普通に民間で看護師やってて、びっくりしたんだよね。」

「松下さんはどうして、その道に進まなかったの?」

「私はそこの病院の奨学金を貰っていたから、それで。」

「昔はお金を出して引き止めるのは、お礼奉公だって言われてて、そういう事を廃止させる動きがあったのに、今はそうしないと、病院は人が集まらないんだよね。」

 上川はそう言った。

「先生の病院は看護師はたくさんいるの?」

「さぁ、どうかなぁ。今までいた看護師達はなんとか残ってくれてたみたいだけど。勝手が変わるといろいろ反発も出るだろうし。」

 奈江はビールを飲んでいた。

「松下さん、帯状疱疹はもういいの?」

 上川は奈江に聞いた。

「すごく良くなりました。」

 奈江がそう言うと、

「先生、奈江の裸見たの?」

 唯が上川をからかった。

「そりゃ、診察の時は患部を見せてもらわないと。だけど、それは医者としてね。」

 上川は冷静に唯に返した。

「私は嫌だな。だから、うちの病院にはかからない。」

「意外だなぁ。三浦さんはそういうの気にしない人だと思った。」

「ひどい先生。私はこう見えてすごく繊細なの。自分が勤務の時に人が亡くなったら、ずっと引きずるんだから。奈江はね、冷酷だよ。戦争映画大好きだし。」

「そうなの、松下さん?」

「大好きっていうか、なんていうか。」

「奈江、電話なってるよ。」

 唯が言った。

「あっ、ちょっとごめん。」

 奈江は村岡からかと思い、電話を持って外に出た。

 村岡には今日はここにくる事を言っていたのに。

「もしもし、松下か?」

 電話の相手は田嶋だった。

「ちょっと出てこいよ。今日は村岡とは一緒じゃないんだろう?」

「行かないよ。」

 奈江はそう言って電話を切った。部屋で待っている村岡の顔が浮かんだ。なんでだろう。急に村岡の家に帰りたくなった。

「誰から?」

 席に戻ると唯が聞いた。

「友達。」

 奈江がそう言うと、

「田嶋さん?村岡さん?」

 唯が言った。

「違うよ。」

 奈江はビールを飲み干した。

「先生、奈江はモテるんだよ。なのになぜか1人なの。」

 唯は上川に言った。

「なんで1人なんだろうね?」

 上川は笑っていた。

「松下さん、ピザ食べたの?この前リクエストしてたのに。」 

 上川が奈江にむかってそう言うと、

「2人で相談してきたの?だから焼肉じゃなくなったんだ。」

 唯は少し膨れた。

「仕方ないなぁ。三浦さんがそんなに言うなら、今度連れて行ってあげるよ。」

「本当に?」

 唯は喜んで奈江を見た。

「良かったね、唯。」

「奈江は?」

「私は苦手なの。お医者さんが生肉を掴むのって。」

 上川はゲラゲラ笑った。

「松下さん、別に人の肉を食べるわけじゃないんだし。」

「そうですけど。」

「ピザ、頼みなよ。」

 上川はそう言ってメニューを奈江に渡した。


 唯と上川はもう一軒行くと言って、2人で歩いて消えていった。

 奈江はタクシーを拾おうしたが、なかなか捕まらなくて、家までの道を歩いていた。 

 村岡はまだ起きてるだろうか。

 腕時計を見ると22時半を回っている。

 奈江は携帯をカバンから取り出すと、村岡に電話をした。

「松下、どこにいるんだ?」

 村岡は1コールで電話に出た。

「駅前を出たところ。」

「家にこいよ。」

「まだ起きてるの?」

「待ってんだ。今、迎えに行くから。」

 村岡はそう言って電話を切った。

 寂しいという気持ちは、そのうち自由になりたいという気持ちに変わる。

 奈江はまた同じ事を繰り返そうとしている自分が、情けなくなった。


「松下?」

 田嶋が携帯を見ていた奈江を覗いた。

「誰?」

 田嶋の横には若い女の子が腕を引っ張っている。

「ワカちゃん、先に行ってて。俺は後で行くから。」

 田嶋はそう言って、奈江の隣りに立った。

「絶対きてよ。この前みたいに抜けたら承知しないからね!」

「そっちに行ったら?」

 奈江はそう言って田嶋から離れた。

「村岡と付き合ってるって本当かよ。」

 田嶋は奈江の肩を掴んだ。

「龍二には関係ないでしょう。」

「本当に村岡なんかでいいのかよ。おまえ、結婚してもうまくいかなかったんだろう。結局、俺と別れて寂しいから、フラフラしてたんじゃないのか?」 

 田嶋の言葉は間違っていなかった。

「また、同じ事を繰り返すなら、初めからやり直さないか。」

 田嶋はそう言って奈江を見つめた。

「村岡くんが迎えにきたから行くね。」

 奈江はそう言って村岡の車まで走って行った。

 追いかけてきた田嶋は、  

「答えになってないだろう?」

 そう言って奈江を見た。

「どんな答えなら正解なの?」

 奈江は田嶋に言った。田嶋は少し考えると、

「おまえといると、本当に疲れるわ。」

 そう言って村岡が乗っている運転席の窓を叩いた。

「この女は大変だぞ。」

 田嶋は村岡にそう言って笑うと、

「知ってるよ。」

 村岡は笑った。


 ベッドの上で、鏡に彫られた桜を見ていた奈江の隣りに、村岡が座った。

「松下。なんで松下が1人でいたのか、わかった気がする。」

 村岡は奈江にそう言った。

「何が?」

 奈江は村岡を見つめた。

「前に寂しいって気持ちなんかいらないって言っただろう?」

「そうだね。」

 村岡は奈江の髪を撫でた。

「嬉しいとか、楽しいとかそんな幸せな感情なんか、すぐに消えていくんだよ。」

「知ってる。」

「悲しいとか辛いとかそんな不幸な感情は時間はかかるけど、いつか忘れていく。」

「それも知ってる。」

「寂しいって気持ちは、いつまでも消えないんだよな。」

「そう。」

 村岡は奈江の肩を抱き寄せた。

「もう、痛くないのか。」

「うん。ぜんぜん平気。」

「寂しいって気持ちは2人でいたって、大勢でいたってなくなる事はないんだ。その気持ちを少しだけ忘れるとしたら、それはどうでもいいやつと、どうでもいい話しをした時だけ。」

 村岡は奈江を見つめ、

「松下は俺といてもどうでもいいと思ってる。」

 そう言って微笑んだ。

「そんな事ないよ。会いたいって思うし、村岡くんと話したいって、いつも思ってる。」

 村岡は奈江の頬をつまむと、

「嘘つけ。」

 そう言って奈江を胸に抱いた。

「松下の寂しい気持ちを忘れさせるのは、俺しかいないんだ。」

「言ってる意味がぜんぜんわかんない。」

 奈江はそう言うと、村岡の胸で鼓動を確かめた。

「最後の音は、私が聞くからね。」

 奈江は目を閉じた。

「松下の下の名前って、なんて言うんだっけ?」

 村岡から離れた奈江は、

「もしかして、知らなかったの?」

 驚いて村岡の顔を見た。

「知らないよ。松下は松下だから。」

「呆れた。」

 背中をむけた奈江を見ていた村岡は、奈江の枕の下から鏡を取ろうとしていた。

「ダメだよ。」

 奈江は村岡の手を捕まえた。

「松下の夢の中まで、助けに行ってやるから。」

 村岡はそう言った。

「ありがとう、村岡くん。」 


 病院の白い壁は、目を焦がす様だ。

 土埃と、鉄の匂いが立ち込める夢を見た後は、一瞬目眩を感じる。

 奈江は左肩を触った。

 湿疹も痛みもすっかり良くなったけれど、いろんな思い出が、肩の上に残っている。

 時々感じるその肩の重さは、なぜかとても、心地がよかった。 


 終

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