第2話
その遺体がわずかに動いた瞬間、私は心臓が跳ねるのを感じた。冷たい汗が背中を伝い、何もかもが急に現実感を失ったような感覚に襲われる。あの焼けただれた体が、ほんの少し動いただけで、何か異常なものが潜んでいることを確信した。
「それ、確かに動いた…」私は呟きながら、目を凝らして遺体を見つめた。動きは微小で、まるで死んだ体が何かに引き寄せられているかのように見えた。その視線が一瞬、私の方を向いたような気がした。目の奥に何か冷徹なものが光っていたような気がしたが、すぐにそれが錯覚だと思い直した。
女性は震える声で言った。「これが、ただの死者の姿じゃないということを意味している…あれは、死者が生き返るわけではなく、別の何かが…」
その時、突然、冷気が室内に満ちてきた。部屋の温度が急激に下がり、息が白くなっていく。私たちの周りには、冷たい霧のようなものが漂い始め、足元からは凍りつくような感覚が広がっていった。私は息を呑み、周囲を見回した。どこからともなく、低い唸り声のようなものが聞こえてきた。
「まずい、何かが来る!」私は声を張り上げ、女性に駆け寄る。
その時、突如として室内の空気が震え、冷たい風が激しく吹き抜けた。冷蔵庫の扉が自動的に閉まり、そのすぐ隣の壁がひび割れるような音を立てて崩れ始めた。と同時に、白い霧が充満し、冷たい氷の破片が空中に舞い上がった。私の目の前に、青白い光を放つ巨大な影が現れた。
その影は、まるで氷の塊が人型を成したような、異様な存在だった。体全体が透明な氷で覆われ、そこから冷気と共に青白い光が漏れ出している。背中には無数の氷の羽根が生えており、まるで巨大な氷の怪物のようだった。顔はぼんやりとした氷の面に覆われていて、その下から不気味に輝く赤い目がこちらを見据えている。
「こ、これが…」女性は言葉を失い、後ろに一歩退いた。
その氷のモンスターは、まるでこの世界に存在するものとは思えないほどの冷徹な気配を放っていた。冷気が強くなるにつれて、周囲のものが凍りついていく。壁の表面、床、そして私たちの足元すらも、氷のように固まっていくのがわかる。
「退け!」私は声を絞り出し、足元を確保しながら身構えた。しかし、どんなに意志を固めても、あのモンスターが近づいてくる恐怖にはどうしても勝てなかった。
氷のモンスターは、静かに一歩を踏み出し、その足音は凍結した床を割るような音を立てた。彼の存在が一歩進むたびに、部屋の温度はさらに下がり、息が白くなり、霧が濃くなる。
「一体…あれは何だ?」私は自分の声にも驚きながら、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「…彼は、『氷の使徒』です」女性がようやく口を開いた。恐怖に震えながらも、彼女はそのモンスターを見据えた。「死者の遺体が動き出すのは、ある力を持った者が関わっているからです。そして、このモンスターは、その力を持つ者の守護者、あるいは使徒として、この町に現れるのです」
「使徒…?」私はその言葉に困惑しながらも、目の前の恐ろしい存在を見つめ続けた。
「はい」女性は必死に言葉を続けた。「私の夫が関わっていた実験には、死者を再生させる力があった。そしてその力が解き放たれると、こうした氷の使徒が現れるんです。あの遺体は、氷の使徒を召喚するための…鍵だった」
私はその言葉を信じるしかなかった。目の前に立っている氷のモンスターが、どう考えても人間のものではなく、むしろ超自然的な存在であることは明らかだった。
モンスターが一歩進むと、冷たい風が私たちの身体を包み込む。その冷気は、ただ寒いというだけでなく、体の奥深くまで凍らせようとする圧倒的な力を持っていた。私は足元をしっかりと固め、冷徹なモンスターに対抗しようとした。
「逃げろ!」私は女性に叫んだ。「ここはまずい!」
だが、女性は動こうとしなかった。彼女は目の前に立つ氷の使徒を見つめながら、涙をこらえて言った。
「逃げられません。彼は…あの実験の結果として、私たちの命を奪いに来たんです。私は、あの力を封じなければならない」
その瞬間、氷の使徒が腕を振り上げる。冷気が激しく渦巻き、まるで部屋中の空気が凍りつくような感覚が広がった。私は自分の身を守ろうと本能的に反応したが、氷の使徒はすでにその力を解き放っていた。
「彼の命を奪うことができれば、この町は救われるのです」女性は泣きながら、何かを決意したように呟いた。
その時、私はようやく悟った。氷の使徒を倒すことが、この町を救う唯一の方法だということを。そして、それがどれほど危険な試みであるかを、私は完全に理解していた。
私たちは、この恐ろしい力に立ち向かわなければならないのだ。
数日後、私はN駅東口からすぐ近くにある公園の公衆トイレで男性の焼死体を見つけた。死体はボクサーみたいな格好をしていた。
数日後、私はN駅東口の公園の公衆トイレで見つけた焼死体の身元を確認するため、警察と連携を取った。あの焼け焦げた遺体を目の前にした時から、何か不穏な予感が頭を離れなかった。ボクサーのような格好をしていたその死体には、どこか既視感があったのだ。
「名前は佐藤亮太、31歳。現役のボクサーだそうだ」警察からの報告を受けた私は、無意識に眉をひそめた。
佐藤亮太という名前は、少し前に耳にしたことがあった。確か、地元のボクシングジムで今後有望な選手だと聞いていた。そんな彼が、どうしてこんな形で命を落としたのか。しかも、焼死体として。
「彼が死んだ理由について、何か心当たりはありますか?」と、私は警察の担当者に聞いた。
「まだ詳しいことは分かっていません。遺体からは何も盗まれていないようですし、身の回りに変わった物もありません。ですが、ボクサーという職業柄、闇の世界に関わっていた可能性も否定できません」と、警察は眉をひそめながら続けた。
佐藤亮太の死が事故でないことは、すぐに明らかだった。焼死体であったため、現場に残された証拠を集めるのは難しかったが、焼け焦げた服の中に彼が身につけていたトレーニング用の時計があった。その時計の裏には、暗い印象を与える「D.D.C」というロゴが刻まれていた。それが何を意味するのか、すぐには分からなかったが、少なくとも佐藤がそのロゴに関係していたことは確かだった。
私はそのロゴを調べ始めた。その結果、驚くべき事実が浮かび上がった。
「D.D.C」は、ダーク・デストラクション・クラブという、極秘の格闘技団体の略称だった。聞いたことがある人もいるかもしれないが、その団体は合法的なボクシングの枠を超えて、違法な格闘試合を開いていた。勝者には莫大な賞金が与えられる一方で、負ければ命を落とすような命懸けの戦いが繰り広げられているという噂だった。
私の頭の中で、すぐにいくつかのパズルのピースがはまった。佐藤亮太が関わっていたのは、まさにその「D.D.C」だった。そして、彼がボクサーとして成功を収めていた一方で、裏の世界では命を懸けた戦いに巻き込まれていたのだ。
そして、それが彼の死に直接つながっていることを、私は確信し始めた。
私はその後、D.D.Cの関連人物を調べ、関係を持つ可能性のあるジムやスポンサーに手を伸ばした。すると、驚くべき事実が浮かび上がる。佐藤亮太の所属していたジムが、実はD.D.Cとの繋がりを持っていたことが判明したのだ。ジムのオーナーはその関与を隠しており、地元で一見合法的な営業を行っていたが、裏では暗黒の格闘シーンに深く関わっていた。
私はそのジムに足を運び、オーナーに直接話を聞くことに決めた。
「佐藤亮太の件について、何か知っていることはありませんか?」私はオーナーに尋ねた。彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに冷静さを取り戻し、私を見つめ返した。
「君が探偵だね。あの子が…あんなことになるなんて、正直言って信じられない。でも、彼がD.D.Cに関わっていたことは確かだ。彼は、ある試合で負けてから様子がおかしくなったんだ。あの時、何かおかしな人物と関わりを持ったようだが、誰かは分からない」
その言葉が、私にとって新たな手がかりとなった。佐藤亮太は、負けた試合を境に異変を感じ始め、何か不穏な人物と接触していた。それが彼の死に繋がっているのかもしれない。私はその人物を追いかける決意を固めた。
その後、私の調査は思いもよらぬ方向に進展を見せることになる。D.D.Cの背後にいる本当の黒幕が、そしてその力を持つ者たちが、私をさらに深い闇へと引き込んでいくのだった。
佐藤亮太の死は、単なる事故でも、偶然でもなかった。そして、私が追い求めている「氷の使徒」との繋がりが、ますます色濃くなっていくことに、私はまだ気づいていなかった。
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