第二話 双子探偵 その9/みんなで禁忌の箱の中
警官たちから、ビニール製の防護服みたいなものを渡される。犯罪現場に外部から、物的証拠が混入しないようにするためだとか……。
ああ。足もとがふわふわしている。
現実味がない。なんだ、これ。これから。繭に会うのに。なんだ、この感覚は。うれしくもない。悲しい。怖い。怒ってもいる。事実なんて、嫌いだ。現実なんて、嫌い。サングラスを外した。涙をぬぐうすがたを、弟に見られるとはサイアクだ。
どうでもいい。
冷たい空気のなか、倉庫の奥へと進むだけ。弟が先に行こうとするから、腕を引っぱりやめさせた。守ってもらうつもりはない。繭に会うのは、私だ。こいつは、オマケに過ぎない。
警官が何かを言っていた。よく覚えていない。どうでもいい。大切なのは、繭に……。
白くて、繭と私たちを分け隔てていたビニール製のカーテンみたいなものが左右に開かれた。冷たい箱の奥の奥。そこで私は、二週間ぶりに繭と再会する。
……『赤い天使』になってしまった繭は、私をうつろな瞳で見下ろしていた。
姉は、気丈だったと言える。
パニックにもなっていたけれど。そりゃ、そうだ。あんなものを見せつけられたら、仕方がない。「繭、繭、繭、繭」。狂ったように、名前を呼んでやっていた。ヤツは、幸せ者だろう。クズのくせに、これだけ愛してもらえていたら。「なんで、つるしたままなんだよ、かわいそうだろ!」。本当に、正しい。でも、この異常性は保存しておきたくなる。
死体を『改造』して、天使を作る。なんてことだろう。皮をはいで、肉と皮で翼を作った。もしかしたら、肋骨あたりを切り取られて、骨組みとして使われているのかもしれん。痛々しい赤い胴体、ちいさな胸。凍てつきながらも腐り始めている顔。死体の悪臭は、あまりしなかった。血抜き、されているのかもしれない。
うつくしすぎるから。
死体を解剖したことがある者からすれば……ああ、医学部の実習でね。その立場からすると、この死体は、あまりにもうつくしすぎる。芸術性とかの評価じゃないよ。たしかにこれはキレイだ。生きているときより好きかもしん……失言だったな。
芸術じゃなくて、医学部中退青年による高度な法医学ゴッコを始めるとしよう。まず、顔以外の色彩が、いい。良すぎる。これは血じゃないのかも。血を抜いて、血に変わる何かを入れたのかもしれない。死んだ血は、鮮やかさに欠ける。何か、別の赤い液体だよ。
だとすれば。
本職だ。
解剖学的知識と、狂気と、おぞましい技術をあわせ持った者。
医学を学んだはずの者だ。大切な倫理学は受講しなかったらしいけれど。
体を、これだけいじくりまわしているのに。主要な血管を、傷つけていないんだぜ。神業だよ。保存のために、血よりも鮮やかな赤をもつ液体に、防腐剤でも混ぜて流し込んだのか。それでも、完璧じゃない。ヤツが殺されてから、何日経っているのかは、わからねえ。ゆっくりと、痛みつつある。あくまで冷蔵、冷凍庫じゃないからだし、そもそも薬液が完全保存を目指した殺菌能力を持っちゃいねえからだ。
つまり。
少しは保存したかったけど、凍らせて、膨張させて歪ませるつもりもなかった。
凍らせてしまうと細胞が破損するからね。細胞は多くの水分を含んでいる。水は凍ると膨張するんだ。細胞内で氷が作られると、ふくらんだ氷が細胞を内側から引き裂いてしまう。ここまで『改造』しておいて、なぜかその点には配慮したとでもいうのか。
……冷凍庫は、望ましくなかったらしい。強い防腐剤を使わなかったことも。それらは技術的ミスじゃなく、意志のこめられた選択だろう。腐らせないことよりも、『まるで生きているような鮮やかさ』が重要視されているわけだ。
保存はしたいけれど、それ以上に『うつくしい現状』を維持したい。しかも、ずっとじゃなくていい。
死んで朽ち果てていくすがたを、どこか肯定している。こいつは期間限定のうつくしさ。死を象徴しつつも、凍らせて固定しないことで命も表現している。これには有限の時間がある。命であり、死。そう、まんなか。天使だ。人間と、神さまのあいだ。人工物と自然のあいだ。不完全な、聖なる存在……。
ふむ。
生と死のあいだ、輪廻と転生……この『作品』のテーマは、そのあたりだろう。
この状態が、犯人にとっては最適の形か。いや、『犯人たち』だね。当たり前だけど、こんなこと、単独犯がやるには大掛かり過ぎる。小柄とはいえ成人の女だ。四十キロ以上の死体を、宙づりにするだけでも大変だ。しかも、これは前衛芸術みたいに独特な形状をしてやがるわけで。
そうだな。
これは『作品』だ。
あるいは、もっと、おぞましいことに…………。
とにかく。これだけ加工されちまうと、ちょっと死亡推定時刻を計算するのも、むずかしいかもしれない。雑な防腐剤も混じっているのなら、さらに……染料と防腐剤のオリジナル・ブレンドが、死体にどんな化学的反応をもたらすのかなんて、誰も確かめたことがないからだ。
はあ。二週間前は生きて歩いていたのに、クソめ。ああ。キツイ。キツイ。キツイ。姉は、右往左往しながらわめいて叫んでいる。「繭を、あたたかい場所に!」。本当に正しい。警官どもめ。どうして、こんな寒い場所に……。
わかるさ。
とんでもない事件だから、保存して調べようとしているだけ。こういうケースは、稀だろう。希少価値がある。研究のために、じっくりと時間をかけたい。それは科学に貢献する。今後、これと似た事件が起きたとき、対処法をすばやく提供できるようになるから。
それは。
わかるよ。
科学はだいじ。
……だが。それでも、やはり。
さっさと撤去すべきだ。ヤツのために。姉のために。それと、それに……ああ、言わんこっちゃない。誰か倒れた!
若い男の警官だ。鑑識かな。しょうがない。これは、普通の死体じゃない。これは、人の心を蝕む邪悪なものだ。姉の叫びが、それを思い出させちまって、警官の訓練と覚悟で成し遂げた理論武装を引っぺがし、現実から逃げ出させちまっただけ。
ああ。
なんだあれ。壁にも、天井にも、床にも……姉の肌に刻まれたタトゥーに似た、バケモノどもの絵が描いているのかよ。死体のインパクトがあり過ぎて、気づくのに時間がかかっちまったが……どうやって、描きやがったんだ。
天井は、6メートルはありそうな高さだ。しかも、こんな、威圧的で恐ろしい絵を。やべえ。寒気が、しやがった。冷蔵庫だからじゃない。汗までかいちまっているのに、寒いのに。怖がっちまっている。無数のバケモノに囲まれた、赤い天使。そんなのがいる場所に、閉じ込められている気がして……。
こいつは。
まずい。
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