第一話 天使と獣 その13/聖なる呪い


 赤かった。


 それは、赤い翼の天使のように見える。動画のなかにいる繭には、『翼』が生えていたから。赤い翼。それは、きっと血の色なんだと思う。よくわからない。『これ』が何なのか。でも、怖いけど。うつくしいんだ。天使みたい。だって、『浮いている』から。


 うつろにうなだれた繭の顔。警察で見せてもらった、あの顔だ。


 血の気のない死の白さ。顔は白い。その肌はなめらかなままで、首から下は……。


 赤い。

 たぶん。皮膚が、はがされている。切り開かれた皮膚は、めくりあげられていた。

繭の胴体の皮膚は、前の方からたぶん背中の近くまで。切られて、はがされている。そのはがされた皮膚が、背後に引っ張られるように伸びていて、『赤い翼』になっていた。


 浮いているのは、天井からつるされているから。


 鎖だった。肌がある部分だとか、肌がなくなって赤黒い色の肉と白い骨がむき出しの部分だとかに、ぐるぐる巻きにされている。それが、繭を……繭の遺体を、『改造』して、美術品みたいに加工されたモノを……空中につるしているんだ。


 私の繭は殺されて、赤い天使に変えられたらしい。


 なんだ。これ。


 なんで、こんなことになっている。


 理解できない。


 でも、現実だ。


 繭は赤い天使にされて、空中に浮かぶ。そんな動画が、公開中だ。最後のほうに音声もあった。悲鳴だ。「痛い、痛い、やめて、たすけて、玲於奈!」。


 アタマが壊れる。


 魂が壊れる。


 離脱症状が、暴れはじめた。


 情緒が不安定になる。


 マンションの部屋のなかを、壊す。壊す。壊した。手あたり次第に。クッションを引きちぎってやる。プロレスラーだった女をなめるな。部屋のなかで、良かった。街中だったら、誰から構わずに殴りかかっていたかもしれない。百人だって、殴り倒してやるよ。


 私は、本当は、そういうヤツじゃないんだ。


 でも、そうするしかない。


 壁を殴る。殴る。殴った。血が出る。血が出る。どうして、助けてやれなかった。助けてと呼ばれていたのに。なんで、ここにいた。探しに行かずに。まっててどうする。ヒーローなら、助けに行っていたはずだ。そういうのに、なりたかったから東京に出たはず。


 ああ。ちくしょう。本当に、どうして。どうして。どうして、私はこんなに役立たずなのか!


 ジャンキーらしく。


 叫びながら暴れた。


 薬に頼るな?


 ああ、もう。無理だね。無理だ。使いたいに決まっている。『太宰治』から電話がかかってきやがった。無視する。こいつめ、何を偉そうに。「自殺するな」だと。『太宰治』は死ぬほど文才があっても自殺しただろうが!


「マンションのくそったれ。高い家賃を取るのに、どうして、ベランダもない!」


 ああ。そうだ。繭に会うための最速便はボーイング787じゃない。窓から飛び降りたら、すぐだったのに。虫を嫌う繭は、高い階に住みたがる。ここからダイブすれば、いいだけだ。私は天使になれないが、みじめな自殺者には数秒でなれたのに。


 自分に、噛みついた。


 比喩じゃない。本気でガブリと噛みついた。血があふれた役立たずの拳に。血の味だ。血の味だ。白い薬の方がいいのに。くそ。くそ。くそ。涙にあふれた瞳で、スマホを見た。繭を見る。『改造』されて、宙に吊るされる繭。たすけて、たすけて、たすけて。


 もう手遅れだ。


 もう手遅れだけど。


 やってあげられるとすれば、ひとつだけ。


 そのためならば。化学物質のなぐさめなんていらない。妄想が湧き上がる。ほら。すぐそこに繭がいる。部屋に繭がね。ああ、まっていた。離脱症状さんが魔法の時間をくれている。宙に浮かぶ赤い繭が、天使みたいに、私を笑顔で。うん。これは妄想から生まれた、幻覚だってことは知っているよ。


 でもね。


 でも。


 まっていたんだ。


 命令して欲しいから。


「どうして、ほしい?」


 ニコリと笑う赤い天使は、私に道を示してくれた。


「うん。わかったよ。殺したヤツを、見つけて。殺す。もっと酷いやり方で」


 地獄に堕とそう。


 赤い天使の番犬らしく。


 悪人を追いかけて、追い詰めて。


 残酷な痛みで絶望を与えてやりながら、殺すんだ。


 牙をむく。


 服を破りながら脱ぎ捨てて、鏡に映す。天使と悪魔と竜を見た。私は力を刻まれている。地獄と地獄と天国だ。繭もいてくれる。繭の刻んだ天使の翼も、ちゃんと赤いから。ほら。世界でいちばん怖い獣がいるよ、鏡のなかに。獣の名前は、玲於奈だ。


 牙をむいた私を、拳で叩き壊してやった。


 自己破壊はこれで終わり。鏡を壊しすぎると、繭の大好きな鏡の国のアリスが悲しむかもしれない。十分だ。得るべきものは、得たから。


 この痛みで、正気を保とう。二世紀前の古き良き日本の伝統を、私が受け継いでやるんだよ。仇討ちの旅に出かけ、繭のためにこの体を使い尽くす。死ぬのは、そのあとでいい。


 薬物には頼らない。


 己を刃物みたいに研ぎ澄ませ、地獄の猟犬になるんだ。


 追いかけて。


 捕まえてやる。


 全身全霊を捧げ尽くし、この痛みと愛を示すんだ。敵を叩きつぶして、残酷に痛めつけて処刑する。そのあとだぞ、ボーイングみたいに墜落するのは。「どこまでも。まっくらなあなのそこに、おちていこう」。そのとおりだ、私の『赤い天使』よ。

 

 


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