第一話 天使と獣 その8/誰も知らない仮面の下で


 ……夜になり、ショック状態から元に戻る。まだ全身が熱っぽいが、さっきよりはマシだ。


 どこかの床に座ったまま、毛布をかけられていた。桃みたいな香りがする。繭は安っぽいと嫌うだろう。私は、下っぱらしい女の警官から、いくつか事情を聞かされた。


「彼女は、地方で見つかったの。水原さん、あなたの故郷の穂村川市で」


「……なんで? 私の地元で、自殺したっていうの?」


「ううん。自殺じゃない」


 そう言われても、すぐに意味がわからなかった。数十秒かけて、理性が動きはじめてくれる。自殺じゃないなら、答えはひとつだから。


「……誰かに、殺されたって……こと?」


「ええ。もう報道されているころだから、教えてあげられる」


「なによ、それ……」


 クズ弟との電話を思い出す。「容疑者あつかいされているぞ」。


「……私って、まさか、疑われてるの? 繭を、殺したって?」


「いいえ。アリバイもあるし、あなたの態度を見ていればわかる。犯人なんかじゃない」


「当たり前だ」


「あなたは、遺族だわ」


「……うん。繭は、きっと、私以外の家族なんて、いないから」


「調書を取らせてくれるかしら。彼女を殺害した犯人を、捕まえる必要がある」


 素直にしたがった。知ってることは、ぜんぶ教えた。ほとんど、目新しいことを教えられなかったけど。スマホも見せた。「SNSの既読が途絶えたころに殺されたのか」と訊いけど、答えてはもらえなかった。


「捜査中の事件だから、何でも教えられるというわけじゃないのよ。それに、ずいぶんと離れているから」


「あなたも知らないんだ」


「誰も、まだ知らないの。これから捜査をしていくことになる」


「……繭のとこに、行く」


「……あなたには、捜査に協力して欲しい」


「する。これ……マンションのカギ。預けておく。家宅捜索でも、何でもしていい」


「ありがとう。でも、大丈夫よ」


「ああ、そっか。警察だもんね。そんなのなくても、開けられる」


「あっちに向かうとしても、準備もいるでしょ」


「……そっか。そうだ。何日か、いることになるのかな。繭は、すぐに、東京に戻れたりしないの?」


「わからない。ごめんなさいね。何も断言はしてあげられないわ」


「ううん。それは、そうだ。殺人事件、だもんね……ま、繭は。あそこかな。れ、霊安室っていうのかな。あそこに、いて……れ、冷蔵されてるの?」


「おそらく、そうだと思う」


「も、毛布…………あ、ああ。そうだ。かけても、意味ないか……」


 寒がりなのに。


「それで、あなたのスマホを……」


「これは、預けない。繭との、プライベートな画像も入ってる。他人に見せられないヤツだ。繭も、これだけは絶対に許可しない」


「でも、そこに犯人とのつながりがある画像があったら?」


 だからこそだ。


「水原さん?」


「繭と撮った画像なんて、ほとんどはSNSにあげてる。エロくてプライベートなのは別だけど。そういうの見せられないし、そんなの見ても犯罪の調査にならないでしょ」


「でも」


「わかった。怪しそうなのは、あとで送る。あんたの連絡先、教えておいて」


「ええ」


 警官と連絡先の交換。繭が怒るだろうけど。でも、しょうがない。こいつからだって情報を得られるかもしれない。狩りは、チームワークだ。


「私は、山本よ……何かあったら、すぐに連絡を」


「私は、もう行くよ。容疑者じゃないんでしょ? 繭のところに行く。その、繭のこと警察は知らないよね。私だけが、本当に繭なのか確認できる。間違ってるかもしれないし」


「画像で、それは……」


「生きていると思う」


「……水原さん」


「ほら。だから。ここに電話だって、かかってくるかも…………いや、今。私は……ちょっとおかしい。とにかく、繭のところに行かせて。そうじゃないと、ダメになっちゃう」


 山本香住はうなずいた。スマホを取りあげられなかったのは、良かった。クズ弟とも連絡できるからだ。外に出ると、すぐに、あいつの声を聞けた。事情を話した。あっちも知っていた。繭が死んだことを。ニュースでやってるらしい。


『あれから警察がまたオレのところにきた。お前、疑われてるぞ』


「容疑は晴れた」


『どうだかな。泳がされてるカンジだろ。レズ彫り師の犬のお前なら知ってるだろうけれど、スマホは居所監視装置にもなるんだ。変なアプリ入れられているかも。あるいは携帯会社が情報提供してる。警察にはお前がどこに行くか知られているんだよ』


「……疑われてもかまわない。犯人じゃないから」


『だけど、犯人にさせられるかもしれん。冤罪事件って言葉ぐらい聞いたことあるだろ?』


「くだらない。映画じゃあるまいし」


『同棲中の恋人が、お前の地元で殺されてるんだぞ。とっくの昔に、ドラマや映画のレベルでおかしなことに首突っ込んでるんだよ!』


「……教えて欲しいんだ。これって、私の、せいか?」


『お前に恨みがあるヤツがいたとしても、わざわざ、こんな面倒なことしない。恨みってのは、もっと直線的っていうか……とにかく。お前のせいなわけ、ないだろうが』


「でも。偶然じゃない。そっちで死んだんだ」


『だから。視点が違ってる。お前のせいじゃないなら、ヤツ自身がこっちと関わりがあるんだよ』


「どんな?」


『たとえば、同郷だったとかな』


「繭が?」


『あくまで自称東京生まれ。同棲相手に偽名つかっているようなヤツが、素直で正直な生き物のはずもねえ。それに……』


「それに?」


『もし、地元が同じだとすれば、お前とヤツが東京で出会った理由にもなるだろ』




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