第一話 天使と獣 その3/夢の日々
23才になった。
私の仕事は、繭が見つけてきてくれる。自分が選ぶことは、しない。繭を嫉妬させたくないからだ。アーティストの繭は、とんでもなく純粋だから。ちょっとしたことで、傷ついてしまうし、怒りっぽくもある。
命令通りに働いたよ。MMA/総合格闘技の試合にもでた。6戦6勝。当然だ。たいして強い相手はいない。というか、私はガチのエリート・アスリート崩れだからだ。私の高校時代のライバルは柔道で金メダリストになっている。
MMAの主催者たちは元がつくけど女子プロレスラーという肩書が欲しかったのかも。「そろそろ負けてくれたら、なおいいんだけど」。私はあらゆるやらせと八百長を認めている。
だって、金になるストーリーの方がいいし、何よりお客さんたちが喜んでくれるからね。自分が応援する格闘技が最強であって欲しいのは、選手という演者たちよりも、お客さんの方だと思うから。でも。繭にガチ以外するなと言われたから、手を切ることになった。無理だよ。本気でやれば、誰も私に勝てない。柔道よりも、殴る方が何倍も得意だったと気づいていた。
そのあとも、いろいろとやる。
今は、繭の『知り合い』が経営するバーの『用心棒』なんてものになった。親のおかげで語学に堪能かつ、格闘技の専門家。まあ、クズが集まる都会のバーにはいてもいい存在かもしれないってこと。
女の方が酔っ払いの相手もしやすいし、ぶっ潰してあげても、訴えられにくいからね。若い女性に殴りかかって、手も足も出ず、逆にボコボコにされるなんて、恥ずかしいコトらしいよ。男性諸兄にはね。私は、すっかりアウトローだ。
最近の男って、弱っちいから。私みたいな女の方が強い。見た目もいかついからね。繭のタトゥーを見せれば、下手くそで弱々しいタトゥーしか入れていない雑魚どもは、震えあがる。地獄生まれの地獄育ち、『本物の極悪人』に見えるらしい。プロレスしてたとき、演劇の講座も受けていたから演技もうまいんだよ。
それでも、脅せなかったら?
思い切り、顔面か股間に一撃を入れてやるんだ。男は悲しい生き物だ。いつもは偉そうにしているけれど、むき出しの急所をぶら下げている。
「きゃはははは!」
繭は、喜んだ。
男を踏みつぶしながらいじめるときの私が、大好きらしい。
「カッコいい玲於奈は、最高に好き。だから。誰にも、渡さないからね」
友人関係も制限されている。地元からきた女友達と会うと、恐ろしく機嫌が悪くなった。浮気を疑われたときもある。「なんで、私以外の女と会うの?」。その女友達が、繭にタトゥーを入れてほしいと言い出したことで、ようやく機嫌を直してくれたけど。
とんでもない気分屋だ。
だからこそ、猫みたいでカワイイと思う。私は、おそらく犬っぽいから。友人はあきれた顔で私に告げた。
「恋は盲目」
しょうがない。運命の恋だ。初恋だし。長身の私とちがい、繭はちっこくてカワイイ。女の子らしくて、しかも天才的なアーティストだ。個展も開いた。タトゥーだけじゃなく、普通の油絵も描くし、古風な墨絵も書けるからね。タトゥーの方が、「生きているから好き」だと繭は言ったが、私はどの絵も好きだ。
……中国人の客が、繭の絵を驚くほど高く買ってくれることもある。
日本人よりも金払いがいいんだ。チャイナマネーって、スゲー。マンションの家賃一年分が、一日で稼げる。そんなときは、豪遊した。『諸事情』でパスポートを取れない繭は、国内旅行ばかり。深くは聞かないことに決めている。
知れば。
損することも多いから。
古い映画にあったよ。『十戒の箱』を開けて、死んじゃうハナシ。開けるべきでない恐ろしいものは、開けないでいい。聖書を読めばわかる。世の中には、悪がうろついていて、それを抑えるために犠牲が必要だ。だから、わざわざ悪しきことを探そうとするのは愚かな自殺行為なのだと。
しないしない。
戒律には逆らわないのがいちばん。
考えないようにしよう。どこでだっていい。繭と一緒にいれば、そこは天国だ。愛し合って、よくない化学物資で楽しんだ。地獄でも天国に思える。「あーむっ!」。噛みつかれるし、引っかかれる。本当に、繭は最高の女の子だ。
幸せな日々。ゴミみたいな弟に言わせれば、「終わってる」らしい。終わっているのは、あいつの文学的才能だ。「文才のない太宰治」、その罵り方を、繭があたえてくれた。大学を中退したクズ弟も、両親から親子の縁を切られている。双子らしく、おそろいだ。
大学が教えてくれたのは誰かを酔わせる文章術じゃなくて、過度の飲酒の悪癖だけ。医者の卵は飲んだくればかりなのか?
学生じゃなくなり、晴れて無職になったクズ弟は、若いのにすっかりとアル中気味だ。「酒飲まねえと手が震えんだよ」。あいかわらず、文学的才能の欠片も見せることがないまま、「オレは小説家になるんだ」などと言い続けているのは痛々しい。
そもそも。あいつの書いた新しい小説を読ませてもらったのは、いつになるのか。
わからない。
医大から地元に戻ったあいつは、無職生活を続けている。ゆいいつ他人様に誇れる医大生という肩書まで捨ててしまった残りかすは、みじめな日々を過ごした。親に頼れないから、友人たちに頼りながらね。昔から、そういう才能がある。「オレを助けてくれ」。その言葉を、あいつほど巧みに使える者を知らない。こっちは、大都会で山ほどのクズを見ているというのに……ホストでさえ、女をだます演技しながら働いているのに。
助けてもらうことを、すこしも恥じていないなんて、もはや才能だ。自立しようなどという概念を、母さんのおなかのなかから持ち出せたのは、私だけだったのか。
とにかく。
非凡なる『寄生』の才能を発揮し、私のクズ弟は、友人たちや女の家々をまわり、他者に頼って生き抜くという生活を続けていた。それが正しいと、信じていやがるらしい。
つまり。
「あいつには、ヒモの才能がある」
友人の金で生きていく、恥の多い人生を過ごす、栄えることもないまま斜陽している甲斐性なしで、とどめと言わんばかりに文才もない。
太宰治よりも、はるかに人間失格だった。
太宰とは異なり、小説を書く能力すら持っていないのだから。
「借金漬けになる前に、東京に出させて、ホストにするのもいいかも。顔は悪くないし、寄生虫の才能だけなら文豪レベルだもん!」
繭の提案に、うなずけなかったのは。私が二度と、水原家と関わりたくないからだったからか。あるいは、あのクズ弟が私と繭の愛の巣に乗り込んできて、そのまま居候するという結末を、本能的に察していたのかも……実弟に恋人を寝取られるとか最低だし。
どうあれ。
私は、無職でアル中の小説家志望というゴミみたいな男を、田舎に封印し続けていたのだ。遠ざけるべき相手というのが、家族であることは珍しくない。バーの用心棒なんかをしていると、よく聞かされる。親族の悪口って、いくらでも言えた。
「やっちゃえ、やっちゃえ!」
殴る。
働く。
愛し合う。
タトゥーが増えて、化学物質にますます依存する。
「お前らの方が、絶対にダメ人間だろうが。恥を知れよ、レズどもめ!」
クズ弟の声なんて、聞こえやしない。そもそも、私の幸せは完全無欠なのだから。
そうだ。
繭がいなくなるまで、私は誰よりも幸福な夢のなかにいた。
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