第一話 天使と獣その2/夢の終わりに…


 人気は出た。


 ファンの女の子たちに、喜んでもらえたし。男たちも楽しんでいたと思う。プロレスって、選手のひとりよがりじゃない。相手との演技だし、脚本もある。ガチ勝負じゃない? 当たり前だ。そんな『甘い遊び』とはわけが違う。自分本位に好き勝手な競争しているだけのスポーツなんて、それこそ遊び以外にほかならない。


 これはちがう。


 遊びじゃなくて、儀式だよ。


 信頼していないと、こんな危ない技をかけ合えない。


 首や腕が折れるかもしれないのに、相手と呼吸を合わせて技を成すんだ。


 三メートルある場所から、飛び降りもする。こんなの受け止めてもらえなかったら、それだけで死ぬかもしれないのに。敵を信じながら、危険な行いをするんだぞ? 


 お客さんたちを楽しませるために。これが、ただの自己満足的な殴り合いなんかに劣るとでも?


 ちがうね。


 イエス・キリストみたいに、自己犠牲にあふれている。みんなを楽しませるために、体を捧げ尽くしている。


 これこそが、最高のショーだ!


 自分を守らず、相手を信じ。脚本の出来やアドリブに祈りを捧げ、全身全霊、すべてを注ぎ込む。痛そうな技だって、ぜんぶ受け止めるんだ。すべては、面白くするために。防御や回避なんて、ロマンが足りないんだよ!


 魂がね。


 燃えているのがわかる。


 血が、歌っているみたいだ。


 20年間鍛えてきた自分の心と体で、表現しつくすんだよ。私は、炎。私は、恐怖。世界でいちばん強い獣だ!


 ああ。最高の快楽だった。私は、この場所で生きて……この場所で死ぬんだって、信じられる。心からの願いと出会えた。これはかけがえのない幸せ。このショーの中心に君臨する、世界でいちばんの獣になるんだ。いつまでも、永遠に。


 最高だ。


 現実から最も遠い場所は、やっぱりここにあったんだよ。逃げたかった現実。遠ざかりたかった現実。お嬢さまだ。水原家は良家だから、期待に応えるために生きてきた。いいや、違う。今までは、ただ、生かされていた。


 押し込められていた檻から、私はようやく自由になった。両親から望まれるすがたではない。本当の自分だ。私はカラダをつかった表現者だ。これこそが本当の自分。


 きっと隆希もおなじだ。


 医学部に進めたのは努力だとかモチベがあったからじゃない。ただ勉強だけは人の何倍以上もできるだけ。一度見たら何でも覚えて、それを保存可能なアタマの図書館をもっている。つまり、あいつは医学部に受かるぐらい余裕な程度にはアタマがいいだけ。医者になる気なんて、ひとつもない。本当になりたいものは、両親の期待とあまりに違っていたから。


 私が肉体の表現者なら、あいつは心の表現者……みたいなところだろう。


 私たちは自分を抑制することが、できないんだ。でも、ずる賢い。こっそりと、不意打ちみたいに行動する。邪魔されないように。確実に成し遂げるために。かしこい獣だ。子供が医者の両親に勝つにはこれがいちばん。


 私はなれた。


 隆希を置き去りにして、またひとつ。なりたい自分を見つけ出し、なりたい自分になった。妄想や夢の泥沼から這いあがり、現実にしてみせたんだ。ここが、私の居場所。これが、私だ。玲於奈になった。


 ……もちろん。


 現実は、ファンタジーほど完璧じゃなかった。


 もうひとつの出会いがある。


 これも、きっと運命だった。


 誰かを本気で好きになると、『その人のことしか考えられなくなる』。あんなものはクズ弟みたいな嘘つきの作家が書いた、ニセモノだ。恋愛小説だとか、恋愛マンガだとか。ぜんぶ作り物の嘘。感情が理性を圧倒するなんて、ありえない。そう思っていたんだよ。


 ちがった。


 あれ。脚本なしのガチ。


「玲於奈は、最高だ」


 あのひとにほめてもらうだけで、心が満たされる。そばにいてくれるだけで、安心してしまう。何でもしてあげたくなる。笑顔がほしいし、いつでもそばにいたいし、何でもさせてあげたくなった。


 こんな感情が、本物の恋だ。


 だから。


 余裕で、道を間違えられる。周りの人たちの心からのアドバイスにだって、笑顔で逆らえたんだよ。


 愛する人は、彫り師だった。


「タトゥーを肌に描く、アーティストなんだ。強い玲於奈の肌に、描いてみたいな」


 もちろん。


 恋には逆らえない。私は、好き放題にされる。体の全身を捧げて……ザクザクと突き刺さる痛みに耐えながら、墨を肌に受け入れていく。心から喜びながらね。


「痛いだろ。でも、これも愛だから。いいや。これこそ、本当の愛だ。提供してくれている。私を手伝ってくれているんだよ、玲於奈は。ああ、本当に。ありがとう、ありがとう。玲於奈の肌と、私の作品が融け合って、かがやいている」


 自分がね、好きな人に書き換えられていくようなカンジは、快感でもあった。


 一生、消えない。


 その絵と共に、私は所有されていく……愛してもらえてるって、実感もあった。多分、愛してもらえてはいた。そうじゃないと、きつすぎる。


 私に刻まれたタトゥーは、うつくしくて、怖くもあった。だからこそ、大好きだ。これこそが玲於奈っぽいから。埋められていくカンジ。なりたい自分に、より完成していくような充実があるんだ。肌に刻まれた物語を、指でやさしく愛撫されながら教えてもらう。


「これは地獄。これも地獄。ここは天国。残酷な悪魔とクールな天使と、すべてを焼き尽くす、神々しい竜だ。すごいよ……玲於奈は、最高にカッコいい!」


 私はキャンバスにされる。芸術のために、身を捧げた。


「私の名前も、彫っておこう。これで、玲於奈が誰のものかがみんなに伝わるね」


 愛はもちろん狂っている。


 取り返しがつかなくなっても、否定できないから。


 ああ。そうだ。


 私はあれほど愛していたプロレスを、愛のせいでやれなくなった。全身に入った、悪魔的で天使的で怪物的で、うつくしくて神々しいけれど、恐ろしくもあるタトゥーたち。大手のプロレス団体だから、ヤクザとか『反社』そのものとの付き合いを極端に嫌う。


 タトゥーだらけになった私は、まるで反社の化身だ。


 正直に言っておこう。私の最愛の彫り師の顧客には本職のヤクザの連中もいる。脱法してもいない、法律完璧にアウトな何かが、同棲している部屋のあちこちにあった。鉢植えのサボテンの下にもね。


 エージェントは言ったよ、「タトゥーだけでもアウト。あのクソ彫り師と付き合っているだけでもアウト。そのうえ、この薬のにおいもアウト。スリーアウトね。バイバイ。ああ、うちが運営してあげていた、あんたのYouTubeのチャンネルは、責任もってあんたが買い取りね。二百万だから。月末までに振り込むように」。


 社会ってのは、裏切ると怖いんだ。ファンからも叩かれるようになり始めていた私に、居場所なんてあるはずもない。団体をクビになり、関係者からは二度と連絡するなと真顔で言われた。「あんたには期待していたのにな」。


 最悪なことに。


 そんなタイミングで、両親にもばれた。私が東京でしてきたほとんどのことが。売ったのは弟じゃない。地元の友人が教えてくれた。あいつは知らん顔をしつづけたそうだ。


 両親がどうして知ったのかは謎のまま。でも。たぶん、彫り師が動いていたと思う。確かめるなんてことはしない。疑うとか、質問すると怒るから。「愛してるんだよね?」。


 東京にやってきた両親は、おぞましい怪物を見るような目で私を見つめていた。それなのに、私は自分だけが正しいと信じていた。どれだけ失ったかわからないのに。愛って、やっぱり狂ってる。両親は、私と「親子の縁を切る」とまで言った。「別にかまわない」と私も告げた。


 こうして。


 私に残された道は、ひとつだ。彫り師といっしょに生きるだけ。


 愛しい『彼女』の、奴隷にされる。


「愛と化学物質で、とろとろに融け合おうねえ、私だけの玲於奈」


「うん。私は、繭だけのもの」


 そうだ。


 プロレスラーになりたくて東京にやってきた私の夢物語のゴールはここ。


 私は、レズになった。



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