序章 洗礼その4/老賢者はかく語りき
……そうそう。
恐怖と神秘というものは、ずいぶんと仲がいいもんだ。
切っても切れない、くされ縁。おぞましい定め。生まれる前からいっしょの双子みたいにセットときた。こいつらは同じ場所から始まりやがる。善なるものであれ、邪悪なものであれ、どちらでもいい。なにかしらの大きな力に遭遇しちまったとき、この双子はワシらの心に生まれちまう。
恐怖と神秘。
善と悪。
そうだ。どちらも大差がないものさ。
ワシが知っているいちばんの『それら』は同一のものだよ。この老いぼれたジジイにも、子供のころがあった。忘れられない。脳みそにこびりついちまっている。あれは9才のとき。いちばんの恐怖と、いちばんの神秘は……ひとつの『もの』からあたえられた。
まっくらやみ。
それはある新月の夜のこと。行きたくもないのにワシは車に乗せられちまってね。母親がおかしな宗教にかぶれていたからだ。『儀式』の現場に連れて行かれることになったんだよ。
「『浄化の炎』に焼かれて、生まれ変わる獣を見るのよ」
……アタマがおかしいよな。
だが、どこの新興宗教もクレイジーな連中が仕切っている。
あわれな母親がハマっていたそれも例外じゃない。まったく。邪教につき合わされる宗教二世のかわいそうなこと。小学生のワシは母親の運転する車で、まっくらな山奥にまでやってきてしまったとさ。
駐車場がわりの空き地には、他県ナンバーの車がうじゃうじゃと集まっている。日本各地からクレイジーな邪教の犠牲者どもが大集合だ。うんざりする。そいつらとおそろいの白装束を、ワシも母親に着せられちまったときは死にたくなった。わざわざ子供サイズまであるなんて!
「ボクもこいつらの仲間なの?」
泣きたくなる。
明日から友達と遊ぶとき、母親が邪教の信奉者であることだけでなく、ワシまでその一員みたいな服を着ちまったことまで隠さないとならねえ。いやだ、いやだ。どう考えても、この白装束の連中は仮面ライダーに駆逐されるべき悪の組織そのものに見えたからな。
わからなかったよ。
いい年こいた大人どもが、なんでよりにもよって『ショッカー』みたいなマネをしているんだ。それがどんなに愚かなことなのかを、こいつらは理解しちゃいないらしい。どいつもこいつも、嬉しそうな顔ばかり。口々に叫びやがる!
「聖なる儀式の夜だ!」
「獣を倒し、生まれ変わろう!」
「罪深い闇が支配する二十世紀に……光が戻るのだよ!」
ああ、ほんと最悪だ。こいつらが正義の連中のはずがない。助けてくれ、1号。2号ライダーでもいい。このバカどもを始末して、とっとと親父が生きていたころまでサイクロン号で送り届けてくれないか。
願いは届かず。あわれなワシはショッカーどもに囲まれて、さらなる山奥へと歩かされた。
「お子様も儀式に参加されるのですね!」
「徳の高いおこないです。あなたこそ母親のかがみですよ!」
邪悪な善意がこめられた言葉だったな。無自覚な狂気もたっぷりと。うちの母親は連中の言葉にやたらと喜んでいたよ。ショッカーの一員になると、視野狭窄が起きちまうんだ。こんなことよりもワシがプレゼントした肩たたき券のほうを、もっと喜ぶべきなのに。宗教どもめ。
「この子と儀式に参加できるなんて、最高の栄誉です!」
……さて、そいつはどんな儀式だったのか。
ワシは獣と出会うことになる。まあ、安全だったよ。最初はな。檻のなかに閉じ込められている、黒いもこもことした闇のカタマリ。200キロはかるく超えた巨大なヒグマさ。そいつはうなっていやがった。何十人か、いや、百人以上の信者たちに取り囲まれていても、ひるみやしない。人間どもに敵意むき出しだ。
ショッカーどもの言葉を鵜呑みにすれば、この熊は『罪深い人類』の化身らしい。
どこで仕入れてきたのかはわからないが、とんでもない行動力だということは認めよう。丸々と肥え太ったデカブツを檻に入れて、こんな人里離れた山奥に運ぶだけでも相当なもんだ。ここは本州の西の端だぞ? こいつは、すくなくとも北海道生まれだろうによ。ショッカーどもめ。今夜も世界征服のために働き者かよ!
「しっかりと、見ておきなさい」
母親に手を引かれて、熊の前までいったよ。檻から1メートルの距離までね。ヤツのうなり声は、とてつもなく生臭かった。怒り狂っていたヤツは、檻に噛みついてきやがる。本当はワシの顔に噛みつきたかったんだろうがね。おどろいて、一瞬だけ腰が引けたが。それと同時に、「負けたくない」と思った。
勇敢な男でいたかったし、まわりの大人どもより自分のことが賢いとも信じていたからだ。昭和生まれの男だからね。ガキでも心得ている。臆病者は、みじめで情けない。
いいか?
檻のなかの獣は、どんなに狂暴でも安全なんだよ。動物園と同じく無力であわれな見世物だってこと。そんなのは常識だな。子供でも知っている。だから、逃げ出すこともなく観察を始められる。
夜の暗がりのなかでも、ヤツの牙だけは白くかがやいていた。自分を閉じ込める憎い檻のことを破壊したがってやがる。うなりながら牙を、鉄格子にこすりつけていた。ギリギリギジギジ。とてつもない力のせいで、鋼が音を立てやがるんだ。
ああ。男の子の本能が騒ぎ出した。その狂暴な白さに魅入られちまう。これは、ワシらの白装束なんかよりもずっと生命力を感じさせる聖なる色だ。「敬意を持つべきかも」。子供にそう思わせるほどに、こいつは力強かったんだよ。
そんな強い動物に。
新興宗教の間抜けな信者が近づいていく。呪文らしき言葉をブツブツとつぶやきながら、こともあろうに熊目掛けてガソリンをかけ始めやがった。その全身に、ドバドバと。もちろん気高いヒグマは怒り、檻のなかで大暴れさ。ヤツの叫びと、壊れちまいそうな音を立てて揺れる檻ときたら……。
あのとき。
常識ってものが、壊れ始めていたぜ。
檻が動いたからな。ワシらのほうに、ずれるように動いたんだ。嫌な予感がした。この獣は強すぎるのかもしれん。人の力で閉じ込めておくのは不可能なんじゃないか。檻を自ら壊して、自由と報復の機会を勝ち取ってしまうかもしれない。そうなれば、ここにいる全員、こいつに食い殺されるかも。
大人たちも怯えていたのは確かだな。静かになったから。
熊はにらみつけていた。まっくらやみのなかでもわかったよ。明確な殺意を研ぎ澄ませて、ひとりだけを選ぶ。自分にガソリンをかけた男をね。この檻が壊れたなら、最初に死ぬ者が決まった。あの男の顔にヤツは牙を突き立てたにちがいない。ワシと母親は、わずかばかり檻から離れたよ。
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