第2章・ナイフ耳を包み隠す

第7話

「おい、あのグラサンのおっさん誰だ?」

「知らないよ。コール先生が連れてきたんだ。新しいトレーナーだって言って」

「たしかメド……なんだっけ……あ、ブラックだった気がする~」

「こらガキ共。キビキビ走れー」


 運動着を来た子供たちの一団の最後尾から注意の声が飛ぶ。


「しかも、結構偉そうだね……」

「でも、一緒に来た体験入会の女子は結構可愛いぜ! うちのクラブに入んのかな」

「アンタ意外とああいう清楚系がタイプなの〜? へぇ〜そ〜なんだぁ」

「全然違う! 銀色の目が珍しいから気になっただけだ!」


×××


 外套競争グァイリス

 自然の地形や街をコースとして、飛行用マントを装着した選手により競われる競争競技である。

 2000年前の南方国家が発祥であり、当時は空飛ぶ絨毯によって行われ、大陸最西部に位置するここクラドア王国に伝わった際、絨毯はマントに姿を変えた。

 100年ほど前にプロリーグが発足されて以来、世界中で愛され、熱狂させる一大スポーツにまで成長した。

 クラドアにおけるプレー人口は約100万人。プロは男女合わせて8000人。

 国民的、世界的スポーツとなった外套競争(グァイリス)のプロを夢見る若者は年々増加の一途を辿り、プロを擁するクラブだけでも300を超える数がある。

 メドハギがやって来たこの場所もそんな数あるクラブの中の1つだ。


 フレイザーズ・グァイリスクラブ。


 都市部にほど近い、耕作放棄地を整備して作られた真新しい巨大な練習場。近くの山の稜線がはっきり見え、朝露に濡れる草と土の匂いが鼻孔をくすぐる。

 メドハギが幼少時代を過ごした山である。

 金持ちの為の別荘地として開発されるという計画は彼の耳にも入っていた。だが、それ故か、無闇な開発で山がほじくり回されるということもなく、当時と変わらない自然の風景がここに残っていた。

 結局は育った場所に帰ってくる。過去の縁によって、この場所で世話になるというのだからメドハギは因果を感じずにはいられなかった。


(出戻り……それも悪くはねぇか)


 働けるだけで感謝すべき立場である。

 もっとも、未だ正式採用には至っていないが。


「ランニング終了―。各自5分間のストレッチ。練習メニューはクリスに貰ってるから、その通り進めていくぞー」


 子供たちのバラバラな返事に頬を掻く。

 生徒たちがメドハギへ向ける『なんだコイツ?』的視線は、クリスへの信頼の裏返し。クリスの堅物な性格は学生には不評だろうと思っていたが、存外好かれているようである。


「すみません。コール先生は……」

「え、あぁ……事務所の方に行ったぞ。大丈夫だ、すぐに戻ってくるから」


 生徒と同じようにメドハギも彼らとの距離感が分からずにいた。


(いっそ反抗的な態度をとってくれた方がやり易いんだが……)


 サングラスの不審者は若者に囲まれ、完全に浮いていた。


 練習生が各自でストレッチを始めると手持ち無沙汰になってしまったので、外れの方で待機するユオに聞いてみた。耳のあるあたりの髪の毛に触れ、神経質そうに周りを見渡している。


「俺って、そんなに怪しく見える?」

「え……まぁ、はい……何の仕事か分からないオジサン、です……」

「そう……邪魔したな。柔軟、続けて……」


 オジサン、という言葉が胸に突き刺さった。彼らから見れば27歳でも立派なオジサンなのだ。

 お前らも10年経てば俺と同じオッサン、おばさんになるんだよ~、と言いたくなったが止めておく。オジサンはオジサンでも若者にウザがられるオジサンにはなりたくない。


「ハギ!」


 若いオジサン(笑)を呼ぶ声が響く。呼んだ方もオジサンだ。


「貴様、前科は⁉」


 凄まじい勢いでやって来たクリスの発言に生徒達が凍り付いた。柔軟運動の動きを止め、驚愕の表情で2人の大人を見つめる。


「何だよ急に」

「昨日の夜、急な出張が決まって会長オーナーは来られないそうだ。それで電話で貴様のことを伝えたら、意外にも大層気に入った様子でな。重大な犯罪歴さえなければ、とりあえず雇っても良いと仰った! で、どうなのだ⁉ この数年、悪さはしていないだろうな!」


 捲し立てられ、メドハギが一歩下がった。


「えぇっと……あ~……どうだったかな……」

「どうだったかな、だと⁉ ハッキリせんか! ここが貴様の転機となるやもしれんのだぞ!」

「分かった分かった……。えぇっと……確か過料と罰金合わせて4回……かな……」

「拘留は⁉」

「2回……だけ」

「良かった……禁錮刑以上はくらっていないんだな……。ヒヤヒヤさせおって。もし嘘をついていたら経歴詐称だぞ」

「う、嘘じゃねぇよ……」


 もっとも、とある国では懲役判決を受けたこともあるのだが、余計なことは言わない方が良いだろう。


(クーデターが起きて、そこら辺うやむやになったし、そもそも外国の話だしな。ここでは関係ないだろ)


「薬物は?」

「一度もねぇよ。それは誓って本当だ」


 『それは』という言葉に引っかかりを覚えたようだが、クリスは事務所の方へ走り去っていった。

 練習生たちの第一印象は地に落ちたようだが、とりあえず内定がもらえそうなので一安心する。これでようやく真剣に仕事と向き合えるというものだ。


「さ、気を取り直して練習再開だ! 全員マントを装着しろ!」


 今度は返事が無かった。

 あからさまな警戒の視線が向けられながら、メドハギの勤務初日が始まった。


「そんな目で俺を見るなガキ共! 大人には色々あるの! 綺麗ごとだけで生きていけるほど世の中甘くねぇんだ!」

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