第6話

 クリスは教え子のレース本番が近いらしく、協会事務局へ出場の手続きに向かった。午後7時に再集合することを約束し、いったん2人は解散した。

 既に日が傾き始めている。


「お嬢さん。最高にぶっ飛べる楽しい遊びに興味があるんじゃない?」

「ひぃっ⁉ ああああありません、そんなこと!」


 これで50連敗。

 街行く少年少女に片っ端から声をかけ続けるが、皆、怯えるか怪訝な顔をするかで話を聞こうともしない。

 やはりこのサングラスが怪しさを助長しているのだろうか。それとも、スーツのジャケットとネクタイが無いから職業不詳感が出て警戒されているのだろうか。

 自分を客観視できていない不審者・メドハギはそろそろ警察に通報されそうな勢いである。


「クリスの野郎……クラブの名前も教えねぇで消えやがった……これでどう勧誘すりゃ良いってんだ、クソ!」


 信号待ちをしている間、恨み言を吐き捨てると、近くに立っていた女学生がスーッと距離を取った。


 この街を離れて10年。業界から干され、プロを引退してから5年が経つ。

 その歳月は『神に愛されし悪童』を忘れるのに十分すぎたようで、こうして道端に立っていても声をかけられることは一度も無かった。

 酒場の酔っ払いはスポーツファンだったから覚えていただけだったのだ。


「はぁ......」


 こうして道ゆく若者を見ていると自分が活躍する時代ではないことを嫌でも実感させられる。


 自分は10代の半ばには現在とほぼ同じ身長になっていたし、周囲の同世代と比べても、性格はどうあれ、大人びている自信があった。

 だが、歩道を歩く制服の少年少女は子供そのものだ。

 顔立ち、体型、仕草。どれか一つは大人と同じでも全体で見ると彼らはやはり子供だと分かる。


(俺もガキだったんだな)


 信号が青に変わった。人の群れが動き始めるのに合わせ、メドハギも流れに沿うべく踏み出しかけた。

 その時、


「……見つけた……」


 突然、声が聞こえた。とても小さく耳元で囁くような声。

 道路を挟んだ向かいの歩道。

 雑踏と車の排気音がごちゃ混ぜになった喧騒の中で、向こう側の歩道からの囁きなど聞こえるはずがない。

 魔術。何らかの魔術を行使されている。

 察知したメドハギは慌てて目を凝らした。

 そして、声の主であろう少女がこちらを見つめていることに気が付いた。


 東方の伝統人形かと見紛うほど、長く真っすぐ伸びた黒髪。それと同じ色のマントを脇に抱えた白い肌の少女が視線だけで殺す勢いでこちらを見ている。


 何より特徴的なのは彼女の瞳の色。


 灰色アッシュではない。日陰にいても分かるほどに輝く銀色である。


「カラスマントのガキ……⁉」


 メドハギは横断歩道に踏み出しかけた足を止めて回れ右。踵を返すと同時に全力で駆け出す。


「……逃がさない」


 小さな声がまたも聞こえる。耳の穴に舌がねじ込まれるような感覚が走る。

 背筋に冷たいものが伝うのも無視してメドハギは街を駆け抜ける。


「クッソ! 常にマントを身に着けておけって師匠せんせいの教えを守っておくんだったあああ!」


 ジグザグに走って路地裏から適当な店舗内に逃げ込み、少女の姿が見えなくなった頃に来た道を引き返す。

 さらに1キロほど逆方向に走り、街の中心部から離れると、大きな川に出た。


 夕日に照らされた水面がキラキラと反射し、河川敷の芝生の上で家族や恋人たちが笑顔ではしゃいでいる。祭りの熱気から離れたこの場所には穏やかな時間が流れていた。

 背が低く長い石橋の中ほどまでやってきて、メドハギは膝に手を付いた。


「はぁっ、はぁっ……ああ、全力で走るなんて何年ぶりだろ」


 石橋に人影は無く、カラス少女の気配もない。

 脇に抱えていたマントを使われていたら、とても逃げ切れなかっただろう。


 一般販売されている競技用マントは子供でも時速50キロくらいは平気で出せる。

 その為、国内の都市部では飛行法により使用が禁止されているのだ。許可されるのは基準を合格した練習場と人家や人工物の少ない農村部だけである。

 メドハギが立つこの場所も都市部。許可なしで飛行すれば未成年といえど厳重注意では済まされない。


 まんまと逃げきったメドハギは呼吸を落ち着かせる。


「ったく何だったんだ……。自由に動けてるなら怪我したわけでもねぇだろうし、逮捕されたわけでもないはずだろ。あんな怖い顔して追っかけてこなくたって……。最近の子は執念深いねぇ、喧嘩ひとつもサッパリとできないものか———」

「どこまで逃げているんですか、あなたは……」

「うおおおおおっっっ⁉」


 背後からかけられた声に飛び上がった。

 今度は魔術ではない。至近距離からの囁き声だ。


「おおおおお前、どうやって」


 黒髪の少女が、いた。

 背中まで伸びた黒髪は少し乱れ、息が上がっている様子。

 何故か、しきりに耳の辺りの髪を撫でつけ、重点的に直そうとしている。

 

 だが、そんなことよりも気になることがある。


 ———この少女、どうやって見つけたのだ?


 何度も路地裏と店の中を経由し、彼女の視界から完全に外れていたはずだ。

 追いかけっこ開始の地点からも随分離れたこの場所で、どうしてメドハギを見つけることができたのか。

 メドハギはそっと目を閉じる。

 そして、意識を自身に集中する。


「……っ……これか!」


 シャツの胸元を摘んで引っ張り出す。極細の黒い糸のようなものだった。


「髪の毛?」


 それもかなり長い。明らかに彼のものではない。


「まさか追跡魔術か……。自身の肉体の一部である髪の毛を発信源に俺を追跡したってのか……ははっ、空中でぶつかった時に付着したんだな。反応が小さすぎて気づかなかったぜ」


 少女の表情が一瞬強張った。


「昔のエルフが使った古い魔術だな。簡単で強力、そして超便利。久しぶりに見たぜ……20年ぶりくれぇかな......お嬢ちゃんエルフでもないのにこんな術よく知ってたな。もしかして魔術オタク?」

「なんで……なんで知っているんですか……それは……私がお母さんに教わった術で……他の人は誰も……魔術省だってその存在は知らないはず」

「は? お母さん?」

「あ……」

「……」


 メドハギは無言で少女に近づいていく。

 半歩下がった少女は呪文を唱えようと咄嗟に右手で杖を構えた。

 銀色の虹彩が鋭く光る。


「お前の母ちゃん。婆さんみたいな口調で話す若い見た目の……、エルフか?」


「……答える必要が、ありますか……」

「じゃあ、これだけ教えろ。髪の色は?」


 目の前に突きつけられた杖に臆することもなく、低い声で聞いた。


「き……金髪です……」


 少女が震える声で返した瞬間、メドハギはパッと明るく笑って見せた。


「悪ぃ悪ぃ、人違いだわ! いやな、昔世話になった人が黒髪のエルフでよぉ、またどっかで会えるんじゃないかと思って聞いてみただけなんだ!」


 やはりサングラスが悪いのかもしれない。目元が隠された男の表情から真意は伝わり辛いのか、少女は1ミリも杖を下げようとしないし、左手は耳の辺りを押さえている。警戒心がむき出しになっている。


「エルフを狙った人攫いとかじゃないから安心しろって! エルフの肉や骨を食べたら奇跡が起こるなんてのはただの昔話だろ? それとも俺がエルフフェチの変態にでも見えるか」


 それでも少女は警戒を解かない。

 困ったメドハギは両手を上げて降参のポーズを示す。


「分かった、分かった! 安心してもしなくてもどっちでも良いよもう! 俺は今すぐ立ち去ったって構わないんだ。お前が追っかけてきたんだろ? 用があるのはそっちの方じゃねぇか」


 少女は無言でスカートのポケットから封筒を取り出した。

 封筒の中身は紙幣だった。しかも紙幣最高額の100ライカが10枚も入っている。商品券ではない、本物の紙幣だ。夕日に透かして見てもしっかりと『すかし』が確認できた。


「……俺、君に何かした?」


 したか、してないかで言えば、無論した。

 落下する女性の救出劇の最中、故意ではないが彼女の鼻に頭突きを食らわせた。

 だが、こんな大金を貰うような理由は分からない。請求されるなら分かるが、これはいったいどういうことだ。


 口を開けた不審者に少女はゆっくりとした調子で説明し始める。


「……警察の事情聴取が終わって帰ろうとした時……、あのビルの所有者の男性が、私のところにやって来たんです……。『身を挺して女性を助けるとは、なんて偉いんだ。おかげでウチのビルで人死にが出なくて済んだよ。窓ガラスのことは気にしなくて良い。君に大きな怪我が無くて良かった。これは感謝のしるしだよ』そう言って、私にこのお金を渡してきたんです……助けたのは私じゃない、と言っても……謙遜としか思ってくれなくて……」

「良かったじゃん」

「も、貰えません……! 私は何もしていません、から……」

「もしかして、これを渡すためだけにずっと俺を探していたのか?」

「……はい……あと、衝突した後、反射的に攻撃してしまって……すみませんでした……」


 頭を抱えた。

 頭突きの復讐をしに来たと思い込んでいた自分の汚さがつくづく嫌になる。


「俺の方こそ、そいつは受け取れねぇよ」

「ダメ、です……!」

「頭突きの詫びと警察の事情聴取を受けさせた迷惑料だとでも思えよ」

「ど、道理が、通りません……!」

「あ、よく見りゃお前! そのマント裂けてるじゃねぇか! あの時破れちまったか……。ちょうど良いだろ、それ直すのに使いな。俺から弁償ってことで」

「……これは、別件で破れたものです……ビルでの一件とは関係ありません」

(この子、気弱な雰囲気なのに意外と頑固! めんどくせぇ!)


 どうしたものかと頭を悩ませたメドハギはふと気になって、膝を曲げて少女のマントをジッと見た。職業病だ。正確には元・職業だが。他人のマントはつい注視してしまう性質たちなのだ。


「……なんですか……」


 不思議なのはマントの状態。使いこまれてはいるもののきちん手入れされているようで、裏地の刺繍にもダメージはない。しかし、泥汚れはあちこちにあるし、少し匂いもする。汗や皮脂ではない。泥、古い池、魚のような生臭さがあった。

 破れ方も気になった。引っ掛けたというよりも切り裂かれたような感じだ。


(繊維の切り口がキレイすぎる……わざと切り裂かねぇとこうはならない……)


 視線を横に移すと彼女の衣服が目についた。

 クリーム色のシャツに黒いネクタイ、チェックのスカートに見覚えがあった。3年間も見続けた制服だ。


「お前、シドールの生徒か」

「!」

「ビビるなよ。俺もそこの生徒だったから分かったんだよ。本当だぜ? 決闘場の肖像画の一つにサングラスをかけてるみたいに変な日焼けをしたものがあるだろ。あれ、俺の代の時についたものでよ。あの時は俺のせいにされかけて大変だったぜ」

「……そ、そうだったんですね……」


 少女の瞳の銀色が少し落ち着き、杖を下ろした。魔力を練るのを止めたと分かる。

 母校が同じであると伝えただけで、他人をある程度信用させることができるのだから出身校の威光は健在らしい。


「……」


 そして彼女の顔の横にある違和感に気が付いた時、メドハギはハッとした。


(こいつの耳……なるほど、そういうことか)


 川の向こうに夕日が沈んでいく。

 なんとか今日中にスカウトしなければ職にありつけなくなる。


(今日は色んなことがある日だ、師匠せんせい。昔のダチに仕事を紹介され、あんたによく似た女の子を見つけた)


 立ち上がったメドハギはおもむろにサングラスを外す。


「頼みがあるんだ。その金、どうしても受け取れねぇって言うんなら………………俺の為に使っちゃくれねぇか?」

「う……嘘……っ」


 瞬間、少女の銀色の目が限界まで見開かれた。


「お前、名前は?」

「………………ユオ……アップルトン……」

「良い名前だな。俺はメドハギ・ブラック。気軽にハギって呼んでくれ」


 かつて天才だった悪童と、銀色の瞳を持つユオは出会った。


「よろしくな。のお嬢ちゃん」

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