第8話

 外套競争グァイリスの練習場は一見すると競馬場の様である。

 広大な敷地を背の高いフェンスが楕円に囲い、土の道がぐるりと1周、背の高い着順掲示板も設置されている。競馬場と異なる点は、円の内側にコース生成に必要な装置や魔法陣がいくつも折り重なり、白亜の城のような儀式場が聳え立っているところである。


 本番のレースの多くは森や林、岩場などの自然を利用したコースと、街中を巡るコースの2種類に大別される。1つとして同じコースは存在しない為、画一に設計された競馬場のような練習場ではレースへの対応力、柔軟性は身に付きづらい。


 では、競技者に必要な練習場とは、どのようなものか。


 メドハギは地面に落ちていた赤褐色の土塊をつかみ取った。

 土塊はたちまち崩れ、サラサラと指の隙間からこぼれ出る。

 

 答えは至極簡単。形が変化するコースだ。


 場内中央の城が淡く輝きを放ち始める。同時に土の道がひとりでに動き、大きく波打った。

 まるで天変地異。

 濁流が押し寄せるような大音響に包まれ、移動する土はやがてあらゆる場所に山となって集まった。

 いくつもの小山が形成されると、次の瞬間には盛り上がって形を変えていく。

 巨大で透明な手によって粘土がこねられていくような異様な光景にメドハギは笑みをこぼす。


「初めて見た時は感動したもんよ。勝手に地形が変わっていくなんて、どんだけ規模のでかい儀式魔術なんだ、ってな。ユオは?」

「……私は物心ついた時から、レース観戦していましたから、特には……、ここは魔術が盛んな国ですし……」

「そうかぁ……」

「ユオ君、ハギは田舎者だったのでな。こういった建築魔術は物珍しいのだ。分かってやってくれ」

「馬鹿にしてんのか。今となっちゃこれくらい何とも思わねぇわ!」

「……」


 数分経過した頃には、平坦だった場内は一変し、赤褐色の街の一画が形成された。

 様々な高さのビルやアパート、レストランにバー、病院、警察署、消防署等。行政区と繁華街と住宅街を圧縮したような、都市計画がメチャクチャな光景が広がる。


「ゴーレム魔術が元になっていて、魔力に反応して性質が変わる粘土を使って形を変えているんだぜ」

「……はい、学校で習いました」

「そう……」

「やめておけ。この子は貴様と違って成績優秀なのだ。よい大人が知識マウントなぞ恥をかくだけだぞ」

「そういうお前は優秀だったのかよ。マント以外の実技は毎回補習だっただろうが」

「それはあくまでスポーツ実技の話だ! 座学では普通科よりも成績は上だった!」

「スポーツ科のガリ勉」

「何ぃ⁉ スポーツ科のグラサン馬鹿!」

「……ブラックさんもスポーツ科だったん———」

 ユオが何かを言おうとした時、話を立ち聞きしていた練習生たちがやって来た。


「コール先生って飛行以外できないタイプの人なんすか⁉」

「ま、意外でもないけどね~。先生不器用そうだし~」

 周囲にいた生徒達が一斉に笑う。

 クリスは坊主頭を撫でながら適当にあしらうと、全体に練習開始を伝えた。


×××


 男子生徒2人の影が赤土の街を翔ける。

 ツンツンとした赤髪の男子は直線的な軌道、対するメガネの男子は建物の隙間を緩やかに縫うように飛行しており、2人のスタイルは対照的。

 設定されたゴール地点は教会。

 最終コーナーである路地の角を先に通過したのはメガネ男子の方だった。赤髪の少年もスパートをかけ、急加速するも、僅かに届かない。

 先にゴールラインを割ったのはメガネの少年だ。


「僕の勝ちだね」

「だああ! クッソ、いつの間に前に出たんだよ、全然気づかんかったー!」

「もっと周りを見なよ。コーナーを出る時、普通に下から抜いただけだよ」

 減速しつつ、二人が教会の前に降り立つ。


 着陸を確認したメドハギも降下を始めた。コースを飛行する際は即応員が選手とコースを俯瞰できる位置で監視しなければならないのである。プールや海におけるライフガードと役割は同じだ。ちなみに、協会が定めるれっきとした有資格者だけが就ける仕事でもある。

 ゴール地点で待ち構えるクリスも同様の資格を持ってはいるが、魔術路の故障により長時間の魔力使用は負担が大きすぎる、とのことでこの役はメドハギが担うこととなった。


 クリスは『併せ』を終えた二人に飲み物を手渡した。


「お疲れ様。かなり安定して飛べるようになってきたな。ラルフ君は壁走りが上手になったし、ニコラス君は仕掛けのタイミングとペース配分が上手くなった。本番に向けての調整としては十分だろう」

「でも、本当に大丈夫でしょうか。僕たちが本格的に練習し始めたのはここ1か月だけです、他の選手はもっと競技歴が長いですよね……」

「何ビビッてんだよ、俺たちが教わってんのはあのクリストファー・コールだぜ。1級選手がトレーナーなんて、これ以上の環境で練習してる奴はいねぇだろ」

「そ、それはそうだけど、実際に飛ぶのは僕たちなわけで……」

「そうだな。俺が元1級だとかはあまり関係が無い。優秀なプレイヤーが必ずしも良い指導者になれるとは限らない———、」

「そ、それはそうかもしれないっすけどー……」

「それでもこの一か月、俺は君たちにできることの全てを教えた。初めは二周することすら難しかっただろう? それが今や、『どうしたらもっと速くなれるのだろう』と悩む余裕すらある……。君たちは確実に成長している。自信を持って良い」

「「先生……」」

「それに、可変コースの設備を持つクラブ、学校はそう多くない。ほとんどの学生選手が公営、民営の練習場を順番待ちで使用しているのが現状だ。毎日ここへ来て練習している君たちの経験値が他の選手より劣るとは思えん」


 クリスが微笑み、男子2人が元気の良い返事をした。

 なんとも心温まる師弟の絆。他の生徒達も感動しているらしく、「流石だよねー」と女子生徒らが色めき立つ。

 だが、そこへ水を差す声がかかる。言わずもがなメドハギだ。


「甘っちょろいこと言ってんな~ハゲ」

「誰がハゲだ。このスチールウールの如き剛毛が目に入らんのか」


 ツッコミを無視したメドハギ。サングラスのブリッジを指で押し上げながら言う。


「レースに『絶対』はねぇ。勝ちの可能性を外に求める気持ち自体は否定しないがな、相手選手が優勝杯を持ってきてくれるわけじゃあるまいし、勝利をつかみ取るのはいつだって自分自身だ。勝てなきゃ自分の実力不足、言い訳の余地は存在しねぇだろ」

「おいグラサンのオッサン、偉そうに上から物言ってんなよ」


 赤髪の少年、ラルフの赤い虹彩の明度が上がる。


「ラルフ君、止めなさい……。ハギ、彼らの中にはいずれプロを目指す者もいるだろうが、ほとんどは外套競争グァイリスが好きだからここへ通っているのだ。貴様の勝利至上主義はプロの姿勢としては正しくとも、今の彼らにとって適切かどうかは分からんだろう」

「教育的意義かよ、けっ、すっかり先生だなお前も。……ま、言い分は分かる。プロを目指さなくたってレースサークルで楽しんでる奴らは多いからな、ストレス解消、人格形成、交流の場……。そういう面を大切にするお遊びってんなら、その通りだぜ。でもよ、そんなやり方で勝てるのかねぇ~」

「お遊びだと……っ」


 ラルフが一歩詰め寄った。後ろのメガネの男子、ニコラスも青い瞳でメドハギを睨みつける。


「おう、遊びだろ? ガキが集まって『勝てるかなー』『緊張するねー』ってキャッキャする感じの」

「てめぇ……っ!」


「違う! 僕たちは真剣だっ!」


 意外にも、声を荒げたのはニコラスの方だった。

 怒りを露わにするのは慣れていなさそうで、唇が震えている。


「僕たちのことを何も知らないのに、決めつけないでください! 僕が本番のレースに緊張しているからといって、皆が遊びでやってるってことにはならないはずです。それに……、コール先生の指導が間違っているみたいな言い方は気分が良くないです!」


 他の練習生も同様の気持ちのようだ。強張った視線が集まる。


「ハッ、そぉかよ、んじゃ本番のレースで勝ってみろ。クリスのやり方は間違っていないと証明してぇなら、本気だと示したいなら……勝って俺を黙らせてみろ」


 メドハギは薄ら笑いを浮かべて生徒達にそう告げた。

 まるでわざと敵愾心を煽るように。


 みるみる内に生徒達の目が鋭くなっていく。ラルフに至っては犬歯をむき出しにして今にも噛みつきそうだ。


「まったく……何もそんなやり方でなくとも……」


 頭に手をやったクリスが呟いた。メドハギは相変わらずの表情で生徒を見下ろしている。


「……」


 一歩離れたところで黒いマントを着込んだユオは、その様子をただジッと見ていた。

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