第4話

 表の大騒ぎを尻目にメドハギは路地裏をジグザグに曲がって現場から逃走。

 人命救助に尽力しただけなので逃げる必要などないのだが、警察の到着を待っていたらとんでもない誤解をされる気がしたのである。


(まぁ窓ガラス全部割っちまったし……。それに目を見られたら警官って態度変えるしな……任意同行って実質強制なんだもん)


 切り替えの早い男、メドハギはビールでも飲もうと、商品券が使える商会ギルド加盟店を探し始めた。

 が、これが中々見つからない。普通の飲食店ならばいくらでもあるのに、どういうわけか酒類を扱う店が見当たらないのだ。

 酒は嗜む程度で依存しているわけでもないのだが、飲みたい時に飲めないというのはどうにも悔しいものがある。

 こうなったら街中歩き回ってでも商品券を使って、アルコールを手に入れてやる、と無駄に意気込んでみた。


 その時、


「2年前に条例が変わったのだ。昼間の露店営業中は酒類の提供に罰金が科されることになったのだよ。どうしても飲みたければバーかレストランに入れ」


 こちらの心中を見透かしたような男の声に、メドハギはドキリとして振り返った。


「クリス……」

「相変わらずだな、ハギ」


 褐色肌と同じ色の目をした坊主頭。痩せ型の長身の男はメドハギがよく知る人物だった。

 クリストファー・コール。

 学生時代からの友人である。


「お前もな、相も変わらず辛気臭ぇ顔ぶら下げやがって……つか、どうして酒が欲しいって分かった」

「先ほどから当てもなく彷徨っていたからだ」

「つけてんじゃねぇよ」


 抑揚の無い声でクリスは更に言う。


「感謝祭レースで尋常ならざる勝ち方をした飛び入り参加者がいたと聞いてな。詳しく聞けばその者はサングラスをしていて『グラサンX』などという珍妙な名を名乗っていたと……すぐにピンときた、ハギに違いない、と」

「そぉかよ。それで俺を探し回っていた、と。拗らせた10代の片思いじゃあるまいし尾行なんかすんなよな……それで何の用だ。同窓会なら行かねぇぞ?」

「ふ、同窓会なら先月終わったさ。お前を呼んでいないことなど誰も疑問に思っていなかったようだが」

「さりげなく傷つくこと言ってんじゃねぇ」

「ついて来い、話がある」


 クリスは道路を挟んだ向かいの店を指差した。


「は? 俺はこれから———」

「酒でも何でも飲ませてやるから」

「それを先に言えよな! 俺、席あるか確認してくるわ!」

「待て、歩行者用信号が点滅している……はぁ、まったく……本当に『悪童』は相変わらずだな……」


×××


「単刀直入に言う。ハギ、学生レースのトレーナーになる気はないか?」

「おネェちゃん、ウィスカの10年ロックで。お前はどうする?」

「貴様ぁ! 奢りだからってそんな高い酒をっ、少しは遠慮したらどうだ! 私にも同じものをっ!」


 祭りとあってこのバーは昼間から営業を開始していた。

 スポーツ中継が見られるカジュアルなバーということもあって、店内はかなりの賑わいである。

 飴色に磨かれた木目のカウンターテーブル。スツールに座る客たちは競馬中継に夢中であり、ビール片手に馬の名を叫んでいた。


 2人は窓際のボックス席に座った。


「久しぶりに会ったんだから、フツー近況報告とかから始めるだろ。相変わらず会話下手か」

「近況報告か……それも関係してるのだ」

「ふーん……、ま、とりあえず乾杯してからにしようや」


 数十秒後、Tシャツのウエイトレスが注文の酒を持ってきた。


「「乾杯」」


 グラスを軽く上げ、琥珀色の酒を口に含む。

 メドハギは酒の味など大して分からない。人の金で飲めると聞いたから高い酒を注文したに過ぎない。それでも何となく『美味しい気がする』のだから高級酒は高級酒たる理由が確かに存在するのかもしれない。

 ひりつく舌で唇を舐めてから、メドハギが切り出す。


「さて……5年分の話を全部聞くのも悪くねぇが、そうするとお前の財布が大打撃だ。皿洗いしたくなきゃ適度にかいつまんで話せよ」

「どれだけ偉そうなのだ貴様は……」


 ため息を吐いたクリスは酒を舐めてから、


「俺が引退したことは知っているか?」

「あぁ……2年前だろ。その時は外国にいたけど外套競争グァイリスが盛んな国だったから、スポーツ紙で知った」

「そうか。では、その後しばらくの間コメンテーターやキャスターとしてテレビに出ていたことは?」

「そいつは知らなかったな……驚いたぜ、堅物のお前が華やかな世界にいたなんて」


 メドハギは大げさに両手を広げた。


「賞金は貯金していたし、資産運用も堅実だった……。だが、この年齢での引退は1級レーサーとしては早過ぎた……。このまま一生暮らしていける貯蓄と資産があるか、と言われれば正直厳しかったのだ。」

「だから小銭稼ぎにテレビタレントか……。ケッ、世知辛いねぇ。1級に何年もいた実力派の選手がそんなことをしなきゃいけないなんて」

「確かに俺は1級選手だったが、その実、優勝数は片手に収まる程度。入着賞金でランク下位を維持するしょぼい選手だったよ」


 メドハギのグラスを傾ける手がピタリと止まる。


「そこまで卑下する必要はねぇだろ。2級上位と1級下位は最も入れ替わりの激しい厳しい世界だ。長くランクを維持するのだってそれだけで———」

「ふっ……大人になったなハギ。お前に慰められるとは」

「ちっ、魔術路の故障か」


 クリスのブラウンの瞳が大きくなる。


「分かるに決まってんだろ。引退から時が経っても体形に変化が無いのは今でも運動を続けている証。歩行も正常。肘や肩を庇う様子もないとくりゃ……引退の原因は身体の内側だ」


 この国の人々の95パーセントが魔術師。

 魔術師には血管と神経系の他に、体を巡るもう一つの回路が存在する。

 魔術路。

 目に見えない神経のようなもので、ここに魔力を循環させることで魔術師は奇跡の力を引き起こす。

 基本的に魔術路なしに魔術は行使できず、彼らにとって魔術路は最も重要な器官の一つである。


「治らねぇのか」

「あぁ、手術が成功しても以前のような強度での使用には耐えられなくなる、と言われた」

「そうか」


 沈黙が流れた。

 酒を口に含むが、先ほどまであった、ほのかな柑橘系の風味が感じられない。

 サングラスを着用するメドハギの視線はクリスには分からないというのに、視線を外さずにはいられなかった。

 ふとカウンターの方からこんな会話が聞こえてくる。


「おい、チャンネル変えろ。次はボクシングだ」

「す、すみません。他のお客様がまだご覧になっていますので……」

「申し訳ない。最終レースの発走があと5分なんです……もう少しだけお待ちください……」

「あぁん⁉ ちっ…………、俺がトイレから戻ってくるまでに変えとけ黒目じじい!」


 青い目をした若い男は黒い目の老人の肩にわざとぶつかってトイレの方へ歩いて行った。泥酔している上に、レースを外したのか機嫌が悪そうである。


「店を変えようか」

「いやいい。高い酒がまだ半分もある。残すのはもったいねぇよ」


 横目で老人の様子を気にしつつメドハギは薄くなった酒をあおって言う。


「それで、レースのトレーナーだっけか」

「……そう。そのままテレビの仕事を続けても良かったのだがどうしても外套競争グァイリスに関わっていたくてな。協会の職員やコース整備の仕事を探していたのだ。そんな時、古い知り合いに声をかけてもらった」

「クラブだな」


 クリス曰く、それは資産家の個人が株式会社として分社化したスポーツクラブで、プロ選手や練習生を直接所属として抱えているらしい。クリスはそのクラブのトレーナーになったようだ。


「とはいえ、たった半年前のことだ。まだプロ選手の指導はしていない。今は学生リーグの子供たちを見ているのだ」


 大企業がバックについているとはいえ、企業としての社会的責任は無視できない。むしろ地場の会社ではないからこそ、地域、行政との連携を強化していくことが長期的な運営では重要になってくる。学生の指導はそういった土着的な要素をクリアする事業なのだという。

 眠たくなるようなクリス先生の講義を受け終わる頃には、グラスはすっかり空になっていた。


「要は『外から来たクラブですけど、学生の指導もする教育的で素晴らしい企業ですから仲良くしましょー』ってことだろ? それで何で俺にまでトレーナー職の話が回って来た。自分で言うのもなんだけど、俺はスポーツを通した人格形成とか教育的な意義とは無縁の男だぜ」

人員トレーナー不足」

「なるほどね~…………じゃ、ねぇだろ」


 クリスの眉根が寄る。


「給料は月に5000ライカ。ボーナスは年に3回。有給休暇は初年度には無いが、夏季と冬季に3日ずつの休暇が認められる。どうだ、破格ではないか」

「破格……、破格過ぎるな。裏があんだろ、何でそんなに好待遇だ」

会長オーナーがいくつかの条件を出した……。トレーナーは元1級プロしか認めない、と……」


 メドハギが鼻を鳴らした。


「馬鹿だねぇ。ブランディングをしたいのかもしれないけど、1級って基本的に働く必要ないくれぇのスターだぜ。コマーシャルとテレビ出演だけでも大金が手に入るってのに、わざわざ雇われ人になって汗水垂らす必要がない……そもそも元1級でそんな暇人そうそういるわけが……」


 クリスが無言で指差した、目の前にいる職業不詳のサングラスを。


「誰が暇人だこら」

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