第1章・空に舞う雑草
第1話
『最終第3ラップに突入! 依然として先頭はステーキハウス『ダンベル・ブル』店主の息子さんレイエス選手! 追走するは飛び入り参加の……え~、グラサンX……選手です! 何この名前、ラジオネームかって……え? これで良いの? 分かったわよ』
クラドア王国・レダ県レダ市・キッセン地区。
レンガ造りと石造りの古めかしい街並みを見下ろす男。メドハギ・ブラックは博物館の巨大な石柱を蹴り、空中で方向転換した。
「この街も変わらねぇなぁ。古いだけで何の取柄もない……そのくせ妙に活気づいててて……懐かしいねぇ、まったく……」
口の端を歪め、中指でサングラスのブリッジに触れる。
時速60キロで空を飛びつつ、その笑みには余裕が表れている。
まるで朝刊に愉快なコラムが掲載されているのを見つけたかのように気軽な調子だ。
学校を卒業以来、この街にやって来たのはおよそ10年ぶりだ。
見覚えのあるカフェやレコードショップ、映画館などを見るたびに当時の記憶が呼び起こされる。
「あそこのドーナツ屋無くなってんじゃん……マジかよ~、結構楽しみにしてたのによ~! もっと早く来るんだったぜ……」
言いながらメドハギは貸し出されたマントを翻し、空中で減速。アパート4階のバルコニーの手すりを蹴って再加速する。その際、室内からこちらを見ていた女児に手を振り返すことも忘れない。
この国では平均的な身長。筋肉だけは平均以上についていようかという体型。それも健康管理などという高尚な目的でついた筋肉ではない。あくせく肉体労働をしてきた結果だ。
ネクタイのない白いシャツにスラックスという結婚式の二次会帰りな恰好。今はその上からマントを着こんでいる。
黒い前髪をかき上げてメドハギはペースを上げた。
今日は年に一度のお祭り。
たくさんの見物客が道に押し寄せ、選手たちを見上げている。
コース外には露店がひしめき、街灯にはバルーンや電飾が施されていた。どこからか肉の焼ける匂いやスパイスの香りが漂い、空を駆ける彼の食欲を、立ち上る煙が直接刺激する。
「この報酬でなに食べよっかな~!」
重ねて言っておくが、この男、高速で空を飛んでいる真っ最中である。
器用に加速と減速を繰り返し、建物の壁面を蹴って方向転換をしているが、一歩間違えば怪我ではすまない。
時速60キロで物体が固い物に衝突すれば被害は甚大。まして血と肉と骨だけでできた人間の身体などひとたまりもない。
最大の緊張感と集中力を要求されてしかるべき状況にもかかわらず、メドハギは賞金と夕食のことで頭がいっぱいだ。
「町内会とか商工ギルドの打ち上げに混ざるのも悪くないかな! あ、いや、商工ギルドはまずいか……借金の話を持ち出されるのがオチだ……。うん、やっぱり町内会だな! 酒を1ケース土産にすりゃいくらでも飲み食いできるぞう!」
先頭とは20メートルほど離れていたはずだが、いつの間にか差が縮まっていた。メドハギはまだスパートをかけていない為、理由は先頭の選手にある。
「魔力切れか。ま、素人にしちゃよく持った方だ。ちゃんと訓練すりゃあそこそこの選手になれるかも……な!」
建物の壁面を蹴り、メドハギは直角に曲がった。
これより先は300メートルの直線。
カーブ時の減速によるロスを軽減する技術『壁走り』はもう使えない。
大通りは道幅が広く、ゴールである商工ギルドまで障害物はない。
小技や技術が通用しない力勝負の最終直線に向いた瞬間、メドハギのマントの裏地が輝いた。
昼間でも分かるほど強く。マントの裏地に走る刺繍が白い光を発し、辺りを照らす。
『さぁ、キッセン感謝祭レースもいよいよ大詰め! レイエス選手が逃げ切るか! グラサンXが差し切るか! 運命の最終直線で……おぉっと! ここで早くも、グラサンXがスパートをかける! 先頭との差がみるみる縮まっていきます!』
趣味やエクササイズ、サークルレベルではレイエスとかいう選手は優秀なのだろう。
だが、相手が悪い。悪すぎた。
今、猛追を仕掛けている相手はグラサンXなどというお調子者の飛び入り参加者ではない。
メドハギは既に100メートルほど加速しっぱなし。それでもまだ彼の最高速度には到達しない。際限なくゴールまで加速し続ける。
一瞥くれることもなく自らをあっという間に抜き去ったと分かった瞬間、レイエスの気力は完全に切れたようだ。
「近くに後続選手無し。心拍安定、魔力出力安定。これより減速の後、着陸……いやー素人相手にやり過ぎだなこれ。来年は飛び入り参加できなさそー」
『ゆ、優勝は……グラサンX! レイエス選手は2着! なんと元2級プロを抑え! 正体不明の飛び入り参加者が勝利ィいい! 一体彼は何者なのでしょうかっ⁉』
(ヤッバ、元プロかよ!)
メドハギはこそこそと顔を隠しながら本部テントに行き、戦果である分厚い封筒を手にした。
そして同時に驚愕する。
「マジかよ……」
封筒の中身は現金ではなく、この街の商店街、しかも商工ギルド加盟の店舗でのみ使える商品券だった。
インタビューや記念撮影を拒否したメドハギは、貸出マントを返却し、背中を丸めて、路地裏に消えていった。
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