第2話 ファルサ
どうして彼女を殺そうとしたのかと言われたら、答えは単純だ。彼女の全てを自分だけのものにしてしまいたかった。
「ふざけるな!」
林檎の花びらが綺麗に舞う中庭で、ファルサはミーティアの手を払いのけた。カサリと乾いた音を立てて、彼女が渡そうとしたが手紙が落ちる。
中庭に接する廊下をたまたま通りかかっていたユースティが大きく目を見開くのが目に入ったが、もう我慢が出来なかった。
「疑えよ!怒れよ!オレを!お前にはその権利がある!」
信頼を裏切った。口汚く罵った。殺そうとした。そのどれもが本当で、嘘はどこにもなかった。
皇女ミーティア。ファルサが先祖代々仕える皇室の第一皇女。光に煌めく銀糸とアイスブルーの瞳が美しい、可憐なお姫様。
一目見て恋に落ち、手に入らない現実を思い知るたび狂乱した。皇帝の御子が他にいれば一家臣に降嫁することもありえたが、唯一絶対の帝位継承者となればそんなものは儚く散る夢だ。
彼女はファルサを好きだと言ってくれたけれど。
その想いに応えて恋人になったら、花のような笑みをいっそう輝かしく咲かせてくれたけれど。
どうしたって、手に入らない高嶺の花だった。
想いを交わし、愛を囁くほど、虚しさだけが広がった。好意よりも虚無が上回り、いっそ憎らしく思った。
好きが嫌いになって、嫌いが殺意に変わった。
だから、殺そうとした。恨まれようとした。その綺麗な心をズタズタに切り裂いて、癒えない傷になりたかった。
彼女の中で、永遠になろうとした。
しかし、目論見は失敗した。横槍が入って、突き立てようとした刃は空を切った。
それでも、失敗に終わったとしても、何かが変わると思っていた。いくらお花畑なミーティアでも何かが変わると期待した。だが、彼女は許しただけだった。対等になりましょうと提案して、そうしてファルサを許して、恋人をやめた。
距離が遠くなった。あまり頼られなくなった。切なさと怒りで胸が張り裂けそうだったが、そんなものは些細な痛みだ。
向けられる笑顔はそのままに、相も変わらず無防備に命を預けてくるのが許せなかった。
決して自分のものにならない、掌中の珠。美しくも残酷な、可憐な姫君。
ミーティアらしいと言えばそうなのかもしれない。ファルサの知る限り、ミーティアが癇癪を起こしたのは遠い昔で、最近では笑うばかり。怒られたいと思うことすら、烏滸がましかったのかもしれない。
それでもファルサには耐えがたかった。恋人という立場を失うばかりか、その他大勢と同じ枠に括られるなどごめんだった。
恋人はやめて友達になりたいと、ミーティアは言う。大嫌いを向けられてもなお、言い募ってくる。
それは、ファルサにとっては呪いだ。でも、ミーティアにとっては祈りなのだ。全てが嘘だったと嘲笑って命を狙ったファルサに対する、全て本当だったのだと言う答えなのだ。
だからこそ、余計に爪を立てたくなる。傷をつけたくなる。思い知らせたくなるし、その度に手放したものの影響の大きさに目眩がする。
謝ってほしくないのか。心がほしくはないのか。
なぜ寄る辺がなくなってなお、愛おしげな目をして笑うのだ。
謝ってほしいだろう。心がほしいだろう。友達になりたいのなら、まずそれを求めるべきだろう。
それさえも求めてくれないのなら、いっそ、ファルサと同じものを求めてくれたなら良かったのに。
同じところまで、堕ちてくれたならよかったのに。
ひどくゆっくり目を瞬かせ、ミーティアが口元を綻ばせた。
「わたしがファルサを?どうして?」
あっけらかんと放たれた言葉に血の気が引く。
昔からそうだ。昔から、そう。
命を狙ってきたやつを、殺意を向けたやつを、ミーティアは恨まない。あるはずもない自らの落ち度を探して肩を落とすだけだ。その真っ白な心を確かに慈しんだ時間もあったはずなのに、今ではひたすらにおぞましい。
ミーティアが落ちた手紙を拾って、丁寧に土を払う。指先が汚れるのも構わずに、優美ささえ滲む手つきで綺麗にする。拒まれた気持ちを、自ら掬い上げる。
日頃は人懐っこい子犬みたいだから印象に残りにくいが、ミーティアの所作は洗練されていて美しい。求められればいとも容易く頭の先から爪の先まで完璧に磨かれた芸術品のような気品さえ纏ってみせる。
叩き込まれた教養の高さは、国交の場では大いに役に立った。商談の場で、社交の場で、愛らしい笑みと朗らかな人柄は誰からも好かれた。指先ひとつ動かせば降る雨に、誰もが歓喜した。
それが、その姿が、ファルサは反吐が出るほど嫌いだった。お綺麗な顔をして甘ったれたことをほざくミーティアが、心の底から大嫌いだった。善良さも無邪気さも疎ましくて、信頼さえ溝に投げ捨てたくて仕方がなかった。
博愛主義の彼女に、自分一人を選んで欲しかった。
「……もういい」
嫌いだ。ミーティアが、嫌いだった。
それでも、どうしてだろう。
吐き捨てた言葉は、血の味がした。
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