積ん読

神楽堂

積ん読

「ちょっと本屋に寄りたいんだけど?」


「またぁ?」


 彼女はいつものようにふてくされる。

 しかし、俺は本屋が好きなのだ!

 これも読みたい! あれも読みたい!

 体中がむずむずしてしまい、トイレに行きたくなってしまう。


 俺は数冊の本を購入し、意気揚々と店を出る。

 呆れ顔でついてくる彼女。


「買ったってどうせ、読まないんでしょ? ますます部屋が狭くなるじゃない!」


 毎日のように怒られているが、俺は幸せ者だ。

 かわいい彼女と同棲し、部屋にはたくさんの未読の本が積んである。

 本も好きだし、彼女のことも大好きだ。

 その両方を手に入れている俺は、きっと勝ち組なのだろう。


 しかし、彼女の方はそうは思っていなかった。

 毎日のように、本を片付けろと、目くじらを立てて怒っている。


「こんなにたくさん本を買って、いったいいつ読むのよ!」


「だってさ、平日は仕事で疲れて帰ってくるからさ、なかなか読む時間がとれないんだよ」


「休日だって、ごろごろしていて、全然本なんて読んでないじゃない!」


 痛いところを突かれた。

 実際、それは彼女の指摘どおりであった。

 忙しい時は、いつか暇になったら読もう読もうと思っているのだが、いざ時間ができると、いつでも読めると思ってしまうのか、結局はダラダラと時間を浪費してしまう。


「いつまでもこの本の山、片付かないじゃない! 掃除もできないし!」


 業を煮やした彼女に、勝手に本を片付けられそうになったことがある。


「勝手に動かさないでくれ。どこにどの本があるのか、わからなくなる」


「はぁ? じゃあ、今、どの本がどこにあるのか、全部把握しているっていうの? ふざけないで!」


「……いや……全部は把握してないけどさ……本は俺の宝物なんだ。このままにしておいてくれ」


「読まない本をこんなに積み上げて、何が宝物よ!」


 確かに、どこにどの本があるのか、俺にも正直よく分からない。

 本屋でブックカバーをかけてもらい、そのまま積み上げた本に至っては、いったいそれが何の本だったか、もう分からない。

 ブックカバーを外せば表紙や背表紙が見えるのだが、そのためには、上に積み上がった本をどけなければならない。


「いやさぁ、どこに何の本があるのか分からないってのもいいものだよ。ほら、この本にはブックカバーがかけられていて、何の本だか分からない。で、ブックカバーを外す。すると、あぁ! こんな本、買っていたんだ! って、お宝発見みたいな気分を味わえるんだよ!」


「それ、正気で言っているの?」


「俺は本がたくさんあると安心できるんだよ!」


「私はかえって不安になるわよ!」


と、部屋の本を巡って喧嘩する毎日であった。


* * * * *


 集めた本を読まないで積み上げていくことを、「どく」というらしい。

 世の中には、俺みたいな「積ん読」状態の人がたくさんいるようだ。

 SNSで、積ん読の自慢写真? のようなものを見つける度に親近感を覚え、思わず「いいね」ボタンを押してしまう。


 世の中は、ひそかに積ん読ブームとなり、積ん読愛好家たちのネットワークも盛り上がってきた。

 そして、開催されたのが、「日本積ん読コンテスト」である。

 これは、自慢の積ん読写真をSNSに投稿し、お互いに評価し合うというイベントだ。

 さっそく、俺も参戦した。


 部屋にうず高く積み上げた本の山の写真。

 もはや天井に届きそうである。

 本は我が家の大黒柱となっていた。


 ある程度の「いいね」はついたものの、受賞にはほど遠い感じであった。

 本がたくさんある光景なんて、積ん読者たちの間では当たり前の光景であり、インパクトが弱いようだった。


 積ん読コンテスト、なんとしても受賞したい!

 積み上げ方を工夫しよう!

 俺は試行錯誤した。

 キャンプファイヤーで薪を組むように井形にしてみたり、あるいは、ピラミッドのように積んでみたり……

 いや、不安定な方がかえって印象的かも。

 逆ピラミッドのように積み、倒れそうで倒れないような積み方もやってみた。


 しかし、彼女が部屋に入ってきて、その時の振動で崩壊し、俺は本の中に埋もれてしまった。


 呆れた彼女に、カシャッ! と写真を撮られる。


 結局のところ、「日本積ん読コンテスト」では、俺は受賞することはできなかった。

 代わりに、彼女が撮った写真が、「大変で賞」を受賞した。

 受賞の理由は、「こんな彼氏がいて大変ですね」という同情のコメントが一番多く寄せられた写真だから、ということらしい……


「……お、おめでとう……」


「……全然嬉しくないんですけど……」


「お、俺のおかげで賞を取れたんだから、たくさん本を集めた甲斐があるってもんだ」


「はぁ? 自分を正当化するのはいい加減にして!」


「集めた本は、いつかは読むよ。俺は未来に投資しているんだ。本を買うことはいいことだろ」


「その未来ってのは、いつくるの? そもそも、いつかは読むの『いつか』っていつよ? 本を読むのはいいことだと思う。でも、あなたは本を『集める』だけじゃない!」


「なんだよ! おまえだって、食べ終わったガラス製のプリンカップ、捨てないでコップ代わりにしていつまでも取っているじゃないか。めちゃくちゃ貯まってるぞ」


「話をそらさないでよ! いいじゃない、まだ使えるんだから!」


「じゃあ、昔に買った服、タンスの肥やしになっているじゃないか。俺の集めた本よりも、もっと使い道ないだろ!」


「なにそれ! 私が太ったから着れなくなってっていいたいの? 失礼ね! あの服はね、ダイエットの目標になるの! じゃあ、言わせてもらうけど、あなたが集めた資格の勉強の本こそ、使い道ないじゃない! いつ資格を取るのよ!」


「い……いつか勉強するよ」


「その『いつか』が信用できないのよ! ……私、もう実家に帰る! さようなら!!」


 くだらない喧嘩の結果、彼女は出ていってしまった……


 まずいな……ついつい感情的になってしまった……


 一人になった俺は、「積ん読の」に戻り、集めた本を見上げてみた。

 本の山は、いつもより高く見えた。


「……少しは片付けるかな……」


 集めた本の量は膨大で、片付けはいつまで経っても終わらなかった。

 ちょっと休憩しようかな。

 そう思い、床に横たわって天井を見上げた。



* * * * *



 どこからか、声が聞こえてくる。


「……お前は登らなくてはならない……」


 は? 何を登るって?


 気がつくと、巨大な本がうず高く積み上げられているのが見えた。

 なんという巨大な本であろう。

 ページを捲ることすら叶わない大きさだ。


 怪物が読む本なのか?


 あたりを見渡しているうちに、状況がだんだんと掴めてきた。


 本が大きくなったのではない。

 俺の方が小さくなっていたのだ。


 彼女は?

 彼女も小さくなってしまったのだろうか?

 それとも、元の大きさのままなのだろうか?


 大声を出して呼んでみる。

 しかし、返事はない。


……そっか……出ていったんだった……


 俺は、自分が小さくなってしまったことより、彼女を失ってしまったことの方にショックを受けた。


 天井を見上げてみる。

 天井はあまりにも高く、はっきりとは見えない。

 そして、その天井に届かんばかりに積み上がった、未読の本たち。


 彼女を失い、そして、集めた本すらまともに読んでいない俺は、確かにちっぽけな存在であった。


 その時、再び天の声が聞こえた。


「……登るのだ……」


 何を登れというのか?

 まさか、この本の山を?


「……『ノベルの塔』の頂上を目指すのだ……」


 ノベルの塔?

 そうか、このブックタワーの名前は、ノベルの塔というのか。


 しばらく考え、そして、俺はある決意を固めた。

 いつまでも本を積ん読のままにしているちっぽけな俺から卒業したい!

 ノベルの塔を登れは、なんだか大きくなれるような気がした。


「よっしゃ! なんだかよく分からないけど、いっちょ登ってやるか!」


 ちっぽけな俺は、本の背表紙に手をかけて、まるでボルダリングのようにノベルの塔を登り始めた。


 そういえばこんな本、買ったな、などと思い出に浸りながら登っていく。

 この本を買った頃は、こんなことに興味があったんだ……

 俺は集めた本を通じて、人生を振り返っていた。


 この本を買った時は、こんな悩みがあって、それを解決したくてこの本を買ったんだっけ。


 この本は……勉強してステップアップしよう! って意気込んで買ったんだよな……

 結局、参考書や問題集を買っただけで安心して、その後は何もしなかったんだっけ……


 お、この小説は、上下巻で買っている。

 けど、上巻すら読んでいない……

 買う時は、まとめて下巻まで買っておけば手間が省けるなんて思ったけど、読んでないなら意味ないよな……


 俺は本を登り続けた。

 登る度に蘇る思い出。

 登る度に自覚する自分の欠点。


 これは、俺が見ている走馬灯なのだろうか?

 集めた本を振り返ることは、すなわち、人生を振り返ることと同義であった。


 登る……登る……本の山を……


 登る……登る……本の山を……


 彼女の言葉を思い出していた。


「『いつか』って、その『いつか』はいつ来るのよ!」


 時間は無限にあると思っていた。

 集めた本は、『いつか』読めばいいと思っていた。

 今という時間が無限に続くと思っていた。


 本に囲まれた部屋と、かわいい彼女。

 俺は幸せ者だったはず。


 いつからこんなことになってしまったのだろう……


「私ね……将来が不安なの……」


 今がいつまでも続くと思っていた俺とは対称的に、彼女はいつだって未来を心配していた。


「私、いつまでも若くないのよ」


 彼女が出ていってから、俺はやっと、彼女の本当の気持ちに気付いたのかもしれない。


 夢ばかり見て現実を見ない俺。

 部屋も片付けない。

 何でも先延ばしにして、行動力がない。

 勉強に意欲があるようで、実際は勉強なんてしていない。

 彼女の不満は、俺の気が付かないところでたくさん貯まっていたんだ。


 この本たちのように……


 いよいよ本気で、自分の生き方を見直さないといけないような気がした。

 俺は変わらなければならない。


 変わりたい!


 そう決心した頃、ようやくノベルの塔の頂上が見えてきた。


 一番上に積んだ本は、何だったっけ?

 それももうすぐ分かる。


 俺はひたすら登り続けた。


 ついに頂上にたどり着いた。

 そこに置かれていた本は……


 手にした俺は、すべてを思い出した。


 そうか、そうだった……


 彼女はずっと俺のことを、待っていてくれていたのだ。

 俺は、彼女の好意に甘えていた。

 そのことに、今更ながら気付かされた。



 揺れている……


 え?

 これって?


 足元の本が揺れている。

 ノベルの塔が崩壊する!


 そんな、せっかく頂上までたどり着いたのに……



 わあああああああぁぁぁぁぁ…………



 真っ逆さまに落ちていく俺。

 本を集めることばかりに夢中になり、大切なことをおろそかにしていた俺に天罰が下った。



 俺は大量の本の下敷きとなった。


「…………その『未来』ってのは、いつ来るの? 『いつか』は、いつ来るの?」


 ……あれ? 彼女の声だ。

 戻ってきてくれたのか?


 体に降り積もった本をかき分け立ち上がる。

 体の大きさは元に戻っていた。

 そして、出ていったはずの彼女が、そこに立っていた。


 そうか、俺は夢を見ていたのか……


「どうするのよ、この本の山。ちゃんと片付けてよね!」


 俺は言い返そうかと思ったが、やめた。

 代わりにこう返事した。


「はい」


 黙々と部屋を片付ける。


 片付けながら気がついたことなのだが、どうやら、時間が少し巻き戻っているようだった。

 本に押しつぶされる写真を撮られた日に。


 ノベルの塔を制覇したので、神様が時を戻してくれたのかもしれない。


* * * * *


 片付けが終わってから、俺は改まって彼女の前に座った。


「話があるんだ」


 いつもと違う俺の様子に驚いた彼女が、俺の前に座る。


「話ってなに?」


「その……俺たち、正式に籍を入れないか? つまりは……その……俺と結婚してほしいんだ」


 信じられないといった表情を浮かべた後、彼女はボロボロと涙をこぼし始めた。

 俺は慌てて取り繕う。


「あ、あ、本はちゃんと片付ける。勉強もしっかりする。なんでも先伸ばしにしない。『後で』も『いつか』もない。俺は決心したんだ。今を生きるって」


「…………なんで急に、今になって……」


「変な夢を見ていたんだ。積んだ本を登っていく夢。それで、その頂上にあった本、それを見て思い出したんだ」


「何を?」


 俺は一冊の本を部屋から持ってきて、彼女に見せた。

 それは、結婚式の準備に関する本だった。


「キミと結婚したくて、この本を買ったんだ。どうしても結婚したくて。なのに、ついつい先延ばししちゃって……本当にごめんなさい……」


「…………待たせすぎなんだから」


「夢の中で、これまでに集めた本がたくさん出てきたんだ。読んでないけど、買ったときの思い出はしっかり覚えていたんだ。キミの前でカッコつけたくて、教養あるふりをしたくて買った本もある。こんな自分になったらキミに好かれるだろうな、と思って買った本もある。そうやって振り返っていて気がついたんだ。やっぱり俺は、キミのことが大好きだったんだって」


「……今日、やっとその『いつか』が来たのね……プロポーズしてくれてありがとう」


「こんな俺だけど、未来に向けて、将来に向けて変わっていくよ。約束する」


「いつ変わるの?」


「いつか、って言いたいけど、俺は変わったんだ。今、変わる! よし、今から区役所に行くぞ!」


彼女は見たことのないような幸せな表情を浮かべ、頷いてくれた。


* * * * *


 こうして、俺たちは結婚した。

 本はどうなったのかって?

 ほとんど処分してしまった。

 部屋がすっきりしたことで、仕事や家事に集中できるようになったような気がする。



「捨ててもまた本を買うと思っていたのに、今回は随分と長く我慢できるのね。もう、本を集めることからは卒業したの?」


「ははは……俺はやればできる男なんだよ!」


 結婚してからも、俺は部屋をすっきりきれいなまま保ち続けた。


 本を集める趣味は……実は変わってはいなかった。




 妻は知らない。

 俺の電子書籍ライブラリーには、未読の本がたくさんあることを……




< 了 >


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