第3話

 始めに証言台に上がったのは、陸軍近衛師団帝都警邏隊中尉、マリー・ビスクラレットだった。言わずと知れた本件の捜査責任者である。〝レッドコート〟の名の通り、緋色に染め抜かれた軍服が眩しい。

「中尉、本件の概要と捜査報告を再度、かい摘んで説明して頂きたい」

〝剣の騎士スパーダ〟が、マリー中尉に向かってそう質問することで、法廷の口火は切って落とされた。

 マリー中尉は堂々とした姿勢で、淀みなく事件の概要を語り始める。事あるごとに怒声を響かせる鬼の中尉も、流石の法廷では若干、抑えた口調だった。そんな彼女の証言する事件の経緯は、過去行われた法廷で交わされた内容と寸分違いない、極めて事務的な内容だった。

 事件当日、殺害現場となったランベリス卿邸宅の書斎の状況。銃殺された死体の状態と目撃証言。被害者ランベリス卿の経歴と貴族社交界での評判。被告人キャス・パ・リューグの素性──マリー中尉の淀みない説明は、彼が辣腕を振るった厳正な捜査の過程を端的に物語っていた。

「……以上、本件の捜査は三日前を以てすべて完了。挙げられた証拠や現場記録はすべて〝剣の騎士スパーダ〟を通じて法務庁と本法廷に提出済みであります」

 最後にそう締めて、マリー中尉は深々と軍令をした。

「ありがとうございました。捜査ご苦労様です、中尉」

〝剣の騎士スパーダ〟がパン、パンと乾いた拍手をしてマリー中尉を労った。役者のような大仰な口調と仕草。それに対しマリー中尉は「職務ですから」と仏頂面で返す。しかし検察騎士はその態度を受け流し「それでは〝剣の騎士スパーダ〟側から中尉に向けて最後の質問となります」と言葉を継いだ。

「捜査を担当した責任者として、中尉の個人的な意見を聞かせて頂きたい。果たして、ランベリス卿を殺害した犯人は誰か? それは過たず今、被疑者席に座るフェルパ族の少女に相違ありませんな?」

「ち、ちょっと待ってください!」

〝盾の騎士スクード〟──ウィルが上擦った声で異議を叫ぶ。

「〝剣の騎士スパーダ〟は証人に特定の答えを要求しています! こ、これは……極めて恣意的な誘導尋問です……!」

「異議を却下する」

 ウィルが決死の度胸で挑んだ申し立ては、しかし眼前にて睥睨する漆黒の裁定者に無慈悲に断ち切られた。

「証人は捜査責任者としての客観的な意見を述べよ」

「……はい」

 出鼻をくじかれ、苦しい表情のウィルをチラリと見遣り、マリー中尉は〝大審官ジャッジ〟に向かって頭を下げる。

「……殺害現場に際立った不審な点はありませんでした。書斎にてデスクに就いていたランベリス卿に対し、対峙した犯人が手に持った拳銃を発砲。銃弾は胸に一発のみ。その傷が原因でランベリス卿は死亡……その状況は複数の目撃証言のいずれにも矛盾しません。確かに犯人を特定する決定的な物的証拠は発見できませんでしたが、やはり小官の見解も過去の法廷における総評に同意せざるを得ないと考えます」

「つまり……どういうことですかな?」

 ねちっこい〝剣の騎士スパーダ〟の追求にマリー中尉は一瞬、言葉を詰まらせる。しかし意を決して言い放った。

「捜査責任者の見解として、本件の犯人は被告人であると断定します」

 その言葉は、さざ波のように法廷に静かな唸りとなって伝播していく。

 マリー中尉は被告席にいるキャス・パ・リューグを見遣った。そのガルウ族の女中尉の峻厳な瞳に刹那、逡巡と苦悶の光が宿っていることをウィルは見逃さなかった。

「マリーさん……」

 中尉の気持ちを慮り、ウィルは思わず彼女の名を呟いていた。

 マリーもまた、長い捜査期間中、何度も被告人であるキャスと面会を行っていた。この可憐なフェルパ族の少女が到底、人を殺めるような凶悪事件の張本人とは思えない──ウィルと同様、彼女もまた直感で、そのことを常々強く感じていたのだろう。

 しかし感情と判断は別である。しかもマリー中尉は捜査責任者という厳正かつ客観的な判断を求められる公人だ。非情ともいえる断言は、職務に忠実である彼女の下した極めて公正な結論であった。

 一方、それを言われた被告人席のキャスもまた、小さく肩を震わせる。深く項垂れたまま、その表情は見えない。

「尋問を終わります」

〝剣の騎士スパーダ〟は、まるで悪鬼オーガの首を獲ったかのごとく意気揚々と宣言する。

 もはやウィルに反論の余地は残っていなかった。

 こうして陸軍近衛師団帝都警邏隊中尉、マリー・ビスクラレットの審議は終了し、早くも〝盾の騎士スクード〟ウィルの勝利は風前の灯火となった。


   ★   ★   ★


「証人の名前と出自、事件における関係性を述べよ」

大審官ジャッジ〟の質問により、二人目の証人喚問が開始された。

 証言台に立ったのは、長身の男だった。

「ベルナール・デクリエールと申します。フレアス州、ブイイ出身のランバルド人です。屋敷の執事長をしております。執事の傍らグロスター大の通う学生をしており、ランベリス卿には公私共に大変お世話になっております」

 若者は舌を巻いたやや南部訛りの発音で、しかし丁寧な敬語でそう自己紹介して頭を下げた。執事でありながら、ランベリス卿に援助を受けている奨学生という立場らしい。年齢は二十代の中程か。物腰は柔和で品位があり、大貴族の侍従として申し分ない技能に習熟していることがわかる。痩せていて眼窩が窪み頬がコケているが目鼻立ちは整っていて、まずは端正と言っていい容貌だ。

「〝盾の騎士スクード〟、尋問を開始せよ」

「は、はいっ!」

大審官ジャッジ〟に促され、ウィルが緊張気味に証言台の前に歩み寄る。二人目の証人喚問に執事ベルナールを指名したのはウィル本人だった。

「えーっと……デクリエール氏、ランベリス卿の殺害に居合わせた五人の目撃者の一人であり、卿の遺体の第一発見者だったのは、貴方ですね?」

「前回の法廷でもそう言いましたが──」

「か、確認です! 念のための!」

 ウィルの質問に当惑気味に答える執事。彼は既に初回と第三回の二回、法廷に証人として立っている。だからもはやこの最終法廷に彼を出頭させる必要はない──というのが〝剣の騎士スパーダの主張だっが、ウィルは我を通して、あえて彼の召喚を踏み切ったのだ。

 しかし、理由は特にない──というと身も蓋もないが、それはひとつのウィルの賭けでもあった。その根拠は──。

「事件当日、私は二階の廊下を歩いていました。犯行時間は夕方──夕食の配膳が終わった後です」

 執事ベルナール・デクリエールが事件当時を語りだす。

「ご存知の通り、書斎の窓は中庭を挟んで回廊上の廊下から一望できます」

「そして……犯行現場を偶然、見たと?」

「はい。他の目撃者の話と同様、書斎にいた人物がランベリス卿に向けて銃を構えて引き金を引いた直後、まさにその瞬間をしっかりと目撃しました」

「えぇと……どうして書斎の窓を見ていたのですか? 偶然、犯行を目撃するのは都合が良過ぎると思うのですが……」

 ウィルが尋問する。それに対してベルナールは微かに眉間に皺を寄せた。

「そもそも私は、ランベリス卿に夕食のお声がけをするため、書斎へ向かう途中の出来事でした。目的地である書斎の窓を見遣るのは普通ではないですか?」

「そ、それは……」

 ウィルが言葉を詰まらせる。

「それに、銃声が聞こえましたから。あんな大きな音が聞こえたら、人だけじゃなく猫や犬だって書斎の窓を見ますよ」

 ベルナールは畳みかけるようにウィルを論破する。

「………………」

 ウィルは黙り込んだ。ベルナールの目撃証言に矛盾はない。質問は完全に失策だった。

「えーと……遺体の第一発見者となった状況を聞かせてください!」

 気を取り直してウィルは質問を変える。それに対しベルナールは少し鼻白んで答える。

「……犯行の様子を目撃して、急いで書斎に駆けつけました。元々書斎に向かっていたこともあり、目撃者の中では私が一番書斎に近い位置にいましたし、なにより執事長としての責任意識もありましたから」

 ベルナールは中空を指でなぞる。その指先は中庭を囲んだ回廊を走り、書斎に急いだ自分の行動の軌跡を現していた。

「書斎のドアを開け、中に入ると──」

「ちょっと待ってください!」

 突然、ベルナールの証言を制し声が上がった。それは検察側にいる〝剣の騎士スパーダ〟だった。

「書斎の状況を語る前に、証言しなくてはいけない重要な情報があるのではないですか!?」

〝剣の騎士スパーダ〟の追求は、切れ味の鋭い鉈のようだった。ウィルは反射的に〝しまった〟と唇を噛む。できればここは流して欲しかった。何故ならそれは被告人が不利となる決定的な情報だったのだ。

 ベルナールは「はい」と、素直に〝剣の騎士スパーダ〟に応える。

「書斎に向かう廊下で一人の人物とすれ違いました。その人物は、あたかも書斎から逃げ出すように、私の脇を無言で駆け抜け、通り過ぎていきました」

 ざわっ、と法廷内が揺れる。書斎から逃げるように出てきた人物。つまり、つい先ほどまで書斎にいた人物。疑いようもない、その人物こそ──

「その人物は、貴方もご存知の方ですか?」

「はい」

「それは貴方が目撃した、ランベリス卿に凶弾を放ったその人物と同一人物ですね?」

「はい」

「では教えてください。その人物の名を──」

〝剣の騎士スパーダ〟のもったいぶった演説に、ベルナールは応えるように頷く。そして大きな声でしっかりとその名を呼んだ。被告人席にいるフェルパ族の少女の名を。

「キャス・パ・リューグ女史です」

「嘘だッ!」

 思わずウィルは叫んでいた。

「そんなの嘘っぱちだ!」

 ウィルは口角に泡を飛ばし、証言台のベルナールに食ってかかった。

「貴方の目撃情報には……証拠がない! そんな証言、いくらでも捏造できる!」

「私が嘘をついているとでも?」

「見間違いという可能性もあります!」

「猫の耳をつけた少女を? 他の誰と?」

「……ぐっ!」

 ウィルが言葉に詰まる。

「それに目撃情報は彼のみではない。他の四人も、被告人の姿を確かに見たと言っています。彼らが口裏を合わせ、集団で事実を捻じ曲げる理由が何かあるとでも?」

〝剣の騎士スパーダ〟が話に割って入る。旗色の悪くなったウィルにとどめを刺す為に。

「……とにかく、証人の目撃情報は信憑性を欠いています!」

「異議を却下する」

大審官ジャッジ〟の重い声がウィルの脳天に叩き落される。

「〝盾の騎士スクード〟、感情的な発言は法廷の侮辱に値する。以後慎むように」

「……す、すみません」

 ウィルは拳を握りしめて震わせる。

「〝盾の騎士スクード〟、尋問を続行せよ」

大審官ジャッジ〟に促され、ウィルは握った拳をそのままに、被告人席のキャスと証言台のベルナールを交互に見遣った。キャスはもはや討論を聞く気力もない様子で、弱々しく頭を垂れている。

「ベルナールさん……その後の話……書斎に入った後の話を聞かせてください」

「書斎に入ると、まず部屋に立ち込めた硝煙の臭いを感じました」

 ベルナールは淀みない口調で再び語り始める。

「そしてすぐに、デスクに座っているランベリス卿を発見しました。すでに事切れているようでした」

「遺体を確認したのですか?」

「いえ、遺体には触っていません。しかし胸の傷はすぐに確認できました。撃たれた場所はまさに心臓の位置でしたし、デスクの上と周辺の床に夥しい血が流れていたので、直観的に致命傷だと察しました」

「その後は……?」

「部屋を出て、使用人と共に隣のブロックにあるレッドコート分隊詰所に駆け込みました」

「分隊詰所にベルナール氏からの報告が入ったのは夜の十時──その後は前証人であるビスクラレット中尉の報告書の通りです」

〝剣の騎士スパーダ〟がベルナールの証言を補足する。特に矛盾はない。適切な対応だ……と渋々ウィルも納得した。

「私の証言できる内容は以上です」

 ベルナールはそう言って頭を下げた。

 ウィルは尚も食い下がり彼の尋問を続けようとしたが、残念ながらそれは叶わなかった。時間切れだった。

「……最後に」と、ベルナールが言葉を紡いだ。

「御館様──ランベリス卿には、返しても返しきれない恩があります。属州出身の貧乏郷士出身だった私を取り立ててもらい、尚且つ大学に通う便宜を図って頂きました。敬愛する御館様に理不尽な死をもたらした憎き悪漢に、断固たる法による制裁をお願いします!」

 ベルナールはそう言ってもう一度、頭上に君臨する〝大審官ジャッジ〟たちに向かい、深々と頭を下げる。そして顔を上げるベルナールの頬は涙で濡れていた。

 ほう、と法廷内にため息が漏れた。ベルナールの言葉が真実か演技か、どちらにしろ彼の態度は、広聴席にいる〝客〟の心を打つに充分だった。

 退廷するベルナールの背中に注がれる皆の温情の空気を感じ、ウィルは一人目に続き二人目の証人喚問も、自らの完敗を悟った。

 旗色は、もはや逆転不可能なまでに最悪であった。


   ★   ★   ★


「証人は登壇せよ」

 しばしの小休止の後、〝大審官ジャッジ〟の声が法廷の再会を告げた。

 その声に少女は、おぼつかない足取りで、証言台の短い階段に足をかけた。

 それはまるで絞首台に登る死刑囚のようだった。もしくは墓場をうろつく食屍鬼グールか。どちらにしろ少女はまるで魂が抜け落ちているようだ。

 第三の証人喚問は、いよいよ被告人のキャス・パ・リューグだった。

 元来はしなやかな野生生物を思わせるフェルパ族の四肢だが、事件から五日間の過酷な環境は、彼女から生来の精悍さと生気を奪っていた。

 垂れた耳、やつれた頬、痛々しいほどに華奢な肩──証言台に立つ少女の姿を見て、ウィルは改めて忸怩の思いを抱く。

 なんとしても、この少女の顔に、もう一度笑顔を取り戻させたい──。

 少女を見詰め、決意を奮い立たせるウィル。

「……キャス・パ・リューグ……。出身はバルバリアのアマズール……です」

 キャスが蚊の鳴くような声で自己紹介をした後、ウィルの尋問が始まった。

「被害者との関係を教えてください」

「……お館様の屋敷に勤める使用人をしていました。主な業務は、屋敷の清掃や食事の配膳……お館様の身の回りのお世話……」

「ランベリス卿の屋敷に勤めることになった経緯を教えてください」

「……元々、私は南部戦役で故郷を失った戦災孤児でした……。生活に困って帝都に流れ着いて……お館様と出会ったのは……その……」

 キャスが言葉を濁す。

「……フェアルードです」

 キャスの呟いた言葉に広聴席がザワめく。フェアルードは帝都でも屈指の貧民街と名高い地区だ。娼館と木賃宿、阿片アヘン窟がひしめき、ゴミ溜めのような路地に流民や貧民、犯罪者が徘徊する劣悪な環境。およそやんごとない貴族が足を踏み入れる場所ではない。

 そんな劣悪な環境で出会った中年貴族と異民族の戦災孤児──その状況から発想できる二人の関係性は、あまりに淫猥な妄想を喚起するに容易だった。

「事件当日、あなたは何をしていたか教えてください」

 ウィルは慌てて質問を変えた。この少女を一刻でも広聴席の〝客〟たちの好奇と卑猥の目に晒させたくなかった。

「……自宅にいました。当日はお館様から特別にお暇を頂いていたので、屋敷には出仕していませんでした」

 小さい声ながらも、しっかりとキャスは断言する。

「それを証明する者は?」

 すかさず〝剣の騎士スパーダ〟が切り込む。

「…………いません」

 キャスの顔は青ざめ、その顔には絶望の色が浮かんでいた。

「まるで話にならないな」

〝剣の騎士スパーダ〟は大袈裟にヤレヤレで肩をすぼめる。

 弁護人席のウィルも小さく溜息をついた。キャスが事件当日、犯行現場の屋敷にいなかったことを証明する証拠──すなわちアリバイは、ここ数日ウィルも帝都中を足が棒にして探し回っていた。しかし彼女の天涯孤独の身の上と殺伐とした居住環境もあって、ついに有力な証拠は見つからなかったのだ。

「我々は、被害者であるランベリス卿と被告人キャス・パ・リューグ氏の関係について、ひとつの推論を発表したいと思います」

「推論……?」

〝剣の騎士スパーダ〟は自信たっぷりにうなづく。

「ランベリス卿が何故、フェアルードなどという貧民街に足を向けたのか? そして被告人と知り合いとなり、彼女を雇い入れたのか? そして──彼女がランベリス卿に手をかけるに至ったか?」

 自信たっぷりで言い放ったその台詞に、ウィルは激しい嫌悪感を抱いた。〝剣の騎士スパーダ〟〟の顔には、目を背けたくなるような醜悪な微笑が張り付いていたのだ。

「そこに皆さんは、卿と被告人の他人には言えない特別な関係が推測できませんか?」

「そ、それはどういう意味──」

 と言いかけてウィルは言葉に詰まった。刹那、視線の先にいた〝剣の騎士スパーダ〟団員の一人と目が合った。

 その男は歪んだ顔に、あらん限りの不快な色を纏わりつかせて呟いた。

(さぞ、猫は良い声で鳴くンだろうなァ……?)

「……なッ!!」

 ウィルは今までにない激しい震えに襲われた。それは総毛立つほどの怒りだった。

「──つまり被害者と被告人は、極めて個人的な関係にあったと思われます」

 その言葉に、ようやく話の内容を理解した広聴席の人々から、さざ波のような下卑た笑いが起きた。

「身寄りのない少女を拾って囲い込み、自分の性癖を仕込んで思いのままの奴隷として飼う──貴族の間では良くある醜聞です」

〝剣の騎士スパーダ〟はフフンは鼻を鳴らす。観客の反応は上々──そんな満足感だ。

「しかし、相手が亜人種というのは……異常というか……常人からしたら少々刺激が強い趣味ですなァ……。もっとも卿は元・魔法使いと聞く。今どき魔法使いなんて時代遅れな肩書を標榜する者など、倒錯的な趣味を持った変態と相場が決まっていますがね」

 好奇と好色に染まった広聴席の視線は、下卑た妄想を伴って証言台にいる可憐なフェルパ族の少女に注がれる。

「被告人がランベリス卿を殺害した動機は、極めて非人道的な凌辱行為によって慰み者にされた恨み……つまり復讐ではないですか?」

「有り得ないッ!!」

 思わずウィルは叫んだ。堪忍袋の緒が切れた。

「〝剣の騎士スパーダ〟は、ほ、法廷を、ぐ、愚弄しているッ!!」

 もはや怒りで呂律さえ回らなくなっていた。

「そ、その発言は、推測の域を出ない!! 被告人に対する重大な侮辱行為だッ!! 速やかに撤回を──!!」

「ならば〝盾の騎士スクード〟には、我々の推論の信憑性を上回る証拠を見せて頂きたいですな」

 ウィルの剣幕を軽く受け流し、〝剣の騎士スパーダ〟が余裕綽々で答える。

「貴卿らは、ランベリス卿が殺された動機すらも掴めていないのだろう?」

「──くっ!!」

 ウィルは言葉に詰まる。しかし詰ったのは言葉だけではない。激しい怒りと憤りが胸に充満する。そしてそれはウィルにとって、とても耐えうる感情ではなかった。

「ふざけるなッ!!」

 無意識にウィルは叫んでいた。普段は温厚で気弱な彼にそぐわない、精いっぱいの侮蔑の言葉だった。度重なる〝剣の騎士スパーダ〟の著しく被告人を貶める発言に、もはや我慢の限界を超えていた。

「静粛に!」

 法廷内に儀礼剣を叩く音が響いた。過熱し火を噴く場内を沈静化すべく〝大審官ジャッジ〟が強権を発動したのだ。

「〝盾の騎士スクード〟! その発言は聞き捨てならならん! 貴君に法廷での侮辱罪を適応する!」

「そ、そんな……!」

大審官ジャッジ〟の裁定に反論を試みようとするウィル。しかし法廷における絶対者の決断は非情だった。

「神聖なる法廷での暴言の数々、これ以上看過できぬ。帝国廷法第十五条により〝盾の騎士スクード〟に厳重警告を告知する」

大審官ジャッジ〟の一言が、ウィルの脳天を叩き割った。〝厳重警告〟は法廷で騎士としての権利の一部制限を意味する。具体的には限定的な異議申し立ての禁止と〝剣の騎士スパーダ〟の追求からの拒否権、黙秘権の剥奪。それは弁護人としての力のほぼ半分を失うに等しい厳しい処罰だ。そして何よりウィルの態度により〝大審官ジャッジ〟の被告人に対する心象は限りなく悪化した。それは致命的だった。

 自らの大失策を悟ったウィルは、悔しさのあまり茫然と立ち尽くして沈黙する。

「被告人への尋問は以上となります」

 ウィルを無視し〝剣の騎士スパーダ〟は早々に、キャスの証人尋問を打ち切った。

「以上を持ちまして、本件における予定していたすべての証人喚問を終了させていただきます」

〝剣の騎士スパーダ〟が高らかに宣言する。流れに乗って、悪鬼オーガの首を獲ったかのように意気揚々とした駄目推しの宣言だった。

「ウム」と、〝大審官ジャッジ〟の一人が黒仮面に被われた顎をしゃくって呼応する。

「以上で本日の尋問はすべて終了。本件の〝大審官ジャッジ〟による最終判決は、一時休廷の後、半刻後に公表する。それまで被告人及び〝剣の騎士スパーダ〟〝盾の騎士スクード〟の両騎士は、別室にて待機せよ」

「そ、そんな……これで終わりですか!?」

 ウィルの抵抗は、もはやだれの耳にも届かなかった。〝大審官ジャッジ〟の宣言により、法廷の休憩が告げられる。それにより場内の緊張が一気に弛緩した。

 戦いは終わった。

大審官ジャッジ〟が退廷し、広聴席の人々も談笑しながら次々と席を立つ。その中で、ウィルはただ一人、石ように固まったまま弁護席に立ち尽くしていた。

「ご苦労だったな、新米」

 そんなウィルに気安く話しかける声があった。他ならぬ〝剣の騎士スパーダ〟の一人だ。

「まァ、そんな気を落とすな。始めはみんなそんなモンさ」

「おッと、次はもうないだろ? 酷なこと言うなよ」

「まぁ、おつかれさん」

「もう二度と、ここには来るなよ」

〝剣の騎士スパーダ〟は軽口を叩き合ってドッと笑う。その顔は一仕事を終えた後の達成感に満ちていた。もはや最終判決は火を見るより明らかだと言うかのように。

 ウィルは恨めしい目で、彼らの嫌味を聞き流した。いや、聞き流すというより、まるっきり聞こえていなかった。しかしかろうじて一言──主任騎士が最後に残した捨て台詞だけが彼の耳に届いた。

(これで終わりだ──負け犬)

 その言葉は新米騎士の心を、猛毒の針のように刺し貫いた──。


   ★   ★   ★


 無力だった──。

 ウィルは人生において、ここまで自分の無力を痛感したことはなかった。

 偉大な騎士であった父に憧れ、その背中を見て育った幼少時──自分も将来は騎士になることを信じて疑わなかったあの頃。

 苦学の末、帝国法学校に進んだ後も、決して順風満帆とはいかなかった。学校の成績はともかく、温厚で争い事を好まない自分の性格は、敵意を剥き出しにして舌戦を交わす〝法廷〟という戦場には不向きであることも自覚していた。それでもなお、自分が今まで決して諦めず、何度転んでも起き上がり、ただひたすら騎士の道を志してきた理由は何だったか?

 ウィルは自分自身に問いかける。

 それは〝決意〟だ――。

 誇り高き法の番人、帝国騎士――彼らの根本には確固たる〝決意〟があった。

 かつてウィルは父に問いたことがある。「騎士に一番大切なことは何か?」と。

 父は峻厳な顔に微笑を浮かべ、幼いウィルに答えた。

 それは〝決意〟──〝正義への決意〟だと。

 正義とは虚ろなものだ。万人がいれば万人の正義がある。そしてそれは必ずしも同じものではない。自らの都合や立場、主義や思想によって様々な正義が存在する。それは全てが正しく、同時に間違ってもいる。

 しかし反面、正義は確固たるものでもある。連合帝国においてその尺度となるものは〝法〟である。だからこそ、その〝法〟の守護者である騎士は正義を決める裁定者としての絶大な権限を持ち得る。

 しかし騎士が正義たりえる最も根源的な要素は何か?

 それは〝決意〟だ――と、ウィルの父、サー・ヴァリアン・ブライトリングは断言した。

 心に確固たる正義の〝決意〟がある者こそ、真の騎士たりえる――決して揺らぐことなく、どんな困難や衝撃にも砕けない、完全無欠の超硬度の存在、まるで金剛石ダイアモンドのような硬く光り輝く強い〝決意〟──。

「ウィル、お前は俺を超える騎士になれ──〝ダイアモンドの騎士〟に」

 偉大なる父は、そう言って息子の頭を撫で、そして笑った。

〝ダイアモンドの騎士〟──その父の言葉は、今ならよく分かる。

 しかし――ウィルは改めて自問自答する。

 今の自分は、ダイヤモンドなどには到底届かない。些細な力でいとも簡単に砕け散る安物の玻璃ガラスだ。

〝盾の騎士スクード〟の控室に戻り一人きりになって、改めてウィルは号泣した。

 力なく膝から崩れ落ち、四つん這いになる。その体制のまま、恥も外聞もなく泣き喚いた。涙が溢れて石畳の床にポツポツと雫の跡を作る。

 僕は無力だ──。

 自らの〝決意〟ひとつ貫き通すことができない。

 法廷の勝負に負けたことが悔しかっただけではない。己に負けたことが悔しかった。〝大審官ジャッジ〟の宣言により最終尋問が終了したとき、弁護人席にいたウィルは気づいていた。自分の背中に注がれていた視線を。それは他ならぬ被告人――キャス・パ・リューグからの視線だった。

 その視線の理由は明らかだった。絶望の淵にいて、自分の世界で唯一の味方であるウィルに対する一縷の希望。漆黒の闇に微かに光る小さな星の輝き。その星に最後の願いを掛ける少女の視線だった。

 しかしその視線を、ウィルは受け止めることができなかった。

 彼は無視したのだ。振り向いて、彼女の瞳を見つめ返すことすらできなかった。

 僕は……騎士失格だ。

 ウィルは洟を啜り、立ち上がった。そしてそそくさと法廷用の軍装を脱ぎ、荷物袋にしまう。最終判決を待たずして、彼はこの大法廷を退出するつもりだった。

 勝負は終わったのだ。今さらここに居て何の意味があろう。

「ごめん……父さん……」

 ウィルは小さな躊躇いの後、テーブルに騎士の証であるバッジを置いた。そしてギイと重い控室の扉を開けた。


「あ、いたいた。こんなところにいたのか、ウィル!」

 扉を開けた瞬間、その先に立っていた影が急にウィルの視界に入ってきた。危うくぶつかりそうになる。

「いや~、法廷に顔を出したんだけどね。目を離した隙に誰もいなくなっちゃったから、裁判終わっちゃったかと思って、ちょっと焦ったよ!」

 影は一方的にウィルに話しかける。悲壮に沈むウィルの心などお構いなしな、あっけらかんとした明るい声だった。

 その声の主は薄汚れた黒いケープと時代遅れの鍔広の旅人帽トラベラーズ・ハっトを被った美青年──。

「……レイファスさん」

 目の前に立っていたのは、間違いない、魔法使いを名乗る謎の男──レイファスだった。

「やあやあ、遅くなったね。ごめんごめん」

 レイファスがそう言って笑う。屈託のない太陽のような笑顔だ。そのあまりに無邪気な表情に、ウィルが逡巡して苦笑する。

「……何しに来たんですか?」

「あ、それ、イヤミのつもりかい?」

 レイファスが大袈裟に不機嫌そうな顔をする。

 決して嫌味のつもりではなかった。むしろ本心からこの魔法使いが、ここに何をしにきたか理解できなかったのだ。何故ならもう法廷は終了したのだから。

「今まで何をしていたのですか?」

 ウィルはレイファスに聞き返す。しかしこれも嫌味のつもりではなかった。

 最後に会ったのは五日前。それ以来ずっと彼とは音信不通だったのだ。

「いや~、ちょっとした野暮用があってね。でも収穫はあったよ」

「収穫?」

 レイファスの意気揚々とした口調に、ウィルが反応する。

「そんなことより、さっきの法廷は何だい? やられっぱなしだったじゃないか」

 ウィルの質問をあっさりかわし、レイファスがそういって眉を潜める。

「……見てたんですか?」

「最後の方だけ、広聴席に紛れ込ませてもらったよ。それにしても、まったく……あの検事席の騎士たちは何様のつもりなんだい? 品性の欠片もない」

 レイファスがそう言って怒り出す。ウィルは思わず苦笑いした。

「それが彼らのやり方なんです。どんなに汚い手を使っても、勝てばいい──法廷は戦場ですから……」

〝剣の騎士スクード〟の狡猾かつ老獪な戦術は、ウィルにも痛いほど分かっていた。

「まったく……まさしく下衆野郎だ。名誉ある帝国大法廷の品格も堕ちたものだ。特に被告人を糾弾する、あの言いがかりに近い中傷は何だい? 温厚な僕もさすがに頭に来たよ」

 レイファスは、嘆かわしい、と言いたげに頭を振る。

「魔法使いが倒錯的な趣味を持った変態だって? まったく……無知蒙昧、不学無術の極みだね。もはや蛮族バーバリアン……を通り越して穴居族トログロダイトの発想だ」

「……そっちですか?」

 ウィルは呆れた。レイファスの怒りの矛先は少女への名誉棄損ではなく、魔法使いへの侮辱の方らしい。

「僕も俄然、闘争心が湧いてきたよ! さて、ウィル、我々の反撃はまだかい?」

 レイファスがこともなげに言った。

 それを聞いたウィルは全身の力が抜けていく感覚に襲われた。レイファスの顔には一点の皮肉や悪意もない。その屈託ない台詞に、もはや怒りも湧かない。

「反撃も何も……もう終わりですよ」

「なんだって?」

「証人喚問はすべて終わりました。これで本件の審議はすべて終了です。これから、〝大審官ジャッジ〟の合議による最終判決が下されます」

 ウィルは吐き捨てるように言った。陽気なレイファスを前にしても、もはや元気を奮い立たせることはできなかった。もはや感情表現の全てが尽きた。唯一できることは自嘲を込めた乾いた笑いのみ。まさしく満身創痍だった。

「そんなに落ちこむなよ。君らしくもない」

 だがそんなウィルを前にしても、レイファスの軽薄な声は変わらない。

「それに……そんなに悲観しなくてもいいと思うよ」

「え?」

「僕の見立てでは、この勝負、そんなに旗色は悪くはないよ」

 ウィルは目の前にいる美青年を見返す。彼の瞳に嘘の色はなかった。

 この男――想像以上に楽観主義者か、もしくは誇大妄想狂か……現実逃避の極みだ。

「やめてください……」

 ウィルは絞りだすように呟いた。

「もう終わったんです。僕たちは負けたんです。法廷はすべて終了したんです!」

 自然と、ウィルの語気は強くなる。

「そもそも、もう証人がいませんよ。事件の関係者はほぼ全員、証人として召喚済なんです。しかも叩いて埃も出ないほど証言させた……これ以上、この事件の何を法廷に持ち込めばいいんですか!?」

「それは――」

「いい加減にしてください!!」

 ウィルは叫んでいた。

 状況を何一つ理解していない分からず屋を前にして、ウィルの感情が爆発する。

 温厚なウィルの怒声に、レイファスがキョトンと呆けた顔になる。しかしウィルの感情の爆発は収まらなかった。

「僕は騎士を辞めます! もう、こりごりだ! 法廷なんかに未練なんてないです! どいてください、帰りますから!」

 そう言ってウィルは扉の前のレイファスに突進し、無理矢理出口をこじ開ける。その頬は涙でグシャグシャになっていた。みっともない顔を見られないよう、顔を伏せて強引に外へと躍り出る。弾みでレイファスとしたたか肩がぶつかった。

「……諦めるのかい?」

 去り行くウィルの背中に、レイファスの声がぶつかった。ウィルの足が止まる。

「ウィル、君は負け犬なのかい? あの〝剣の騎士スパーダ〟の下衆野郎の言うように──」

 レイファスの声には、非難の色も同情の色もなかった。しかしその限りなく澄んだ声が、ウィルの心に重く沈んで滓となる。

「ウィル、はっきり言おう。君は結構、最低レベルの男だ」

 レイファスが言葉をつなぐ。ウィルは佇み、背中でその言葉を受け止める。

「君と出会ってまだ数日だが、痛いほど分かったよ。君は愚鈍で間抜けで、本当にどーしようもない未熟な男だ。騎士としても……まぁ、失格だろうね。分析力も洞察力も推理力もない。相手を打ち負かす弁舌の力も皆無だ」

「…………」

 ここまできて、レイファスの口調は辛辣だった。慰めどころか罵詈雑言──心底、相手の気持ちを慮ることをしない男だ。しかしウィルに反論する気力は既になかった。ただ黙って聞いていた。

「だが――」

 レイファスが次の言葉を継いだ。

「……それでも君は最高だ」

「えっ?」

 聞き返すウィルに、レイファスがニコリと笑う。

「君には他の者にはない、唯一無二の能力ギフトを持ち合わせている。それは──〝決意〟だ。被告人の無罪を信じて疑わない、そして最後までその信念を疑わず決して諦めない、硬く光輝く〝意思〟さ──」

〝意思〟──?

「それこそが騎士が騎士たりえる、最も大切な素質だと、私は思っている。そうだろう?」

 ウィルは振り返った。そこに立つ変人魔法使いの端正な顔に、もはや笑いはなかった。ウィルを見詰めるその灰瑪瑙グレイアゲート色の瞳に、真摯の光が宿っていた。

「レイファスさん……」

「さぁ、法廷に戻ろうか、まだ方法はある」

「でも――」

 ウィルが反論しようとした、その瞬間──。

「私も、そこの男に同意見だ」

 突然、声がした。見遣ると法廷の廊下の先に人影があった。

「マリー中尉……!」

 そこにいたのは、本事件の捜査主任であるレッドコートの女警部補ルーテナント、マリー・ビスクラレット中尉だった。マリーは深紅のコートを靡かせ、ウィルとレイファスの元に歩み寄る。

「話は聞かせてもらった」

 そう言ってガルウ族の女中尉がウィルの肩をポンと叩く。

「そこの魔法使いの言うことは正しい。まだ法廷は終わっていない。〝大審官ジャッジ〟が最終判決の主文を読み上げるまで、勝負は決してはいない」

 マリーはお馴染みの鋭い眼光と顰めっ面でウィルを睨む。

「ウィル、諦めるには、まだ早い」

「しかし、マリー中尉……」

 マリー中尉の後押しを受けてなお、ウィルは逡巡する。

「……もう証人がいません。最終判決を遅らせるには、それ相当の証人による喚問が必要です。事件に関わりのある重要参考人が、そう易々と現れるとは思えません……」

 万が一、参考人がいたとしても、それは単なる法廷を長引かせるだけに過ぎない。この期に及んで決定的な証拠を持った証人が現れることなど、それこそランプを擦ると現れる魔人と同じぐらいに非現実的な絵空事だ。

「……そこだよ」

 レイファスがフム、と顎を撫でる。

「ウィル君、君は一人、大切な重要参考人の存在を忘れているようだ」

「なんだって?」

 ウィルが硬直した。そしてレイファスの端正な顔にある灰瑪瑙グレイアゲート色の双眸を覗き込む。その瞳は好奇心に輝いていた。とても嘘をついているようには思えない。

「……誰、ですか……?」

 ウィルはゴクリと唾を呑む。すると飄々とした美青年魔法使いは、まるで悪戯の計画を披露するように、稚気いっぱいの微笑で答えた。

「もちろん……僕だよ」

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