第2話 米粉スイーツ職人
私の人生には小麦アレルギーという避けられない宿命がつきまとっていた。
「ねえ、ママ。どうしてパンをたべちゃだめなの?」
「まりんちゃんがパンを食べると息が苦しくなっちゃうからよ」
「でも、お兄ちゃんはパン、食べてるよ。お兄ちゃんだけずるいよぉ」
幼児の頃に発覚した小麦アレルギーのため、母は小麦除去食に大変苦労したと聞いている。小麦を除去するだけでなく、しょうゆやみそといった調味料にも注意が必要だったからだ。食事のたびに原材料を確認し、手間をかけて私専用のメニューを準備してくれた母。
そんなある日、幼稚園の行事として小学校の給食試食会に参加した。幼稚園では除去食のお弁当を食べていた私が、小学校の小麦が使われている給食を食べたらどうなるか。それは自明ともいえる結末を迎えることになった。給食を口にした私は、突然喉が腫れ上がり、息が苦しくなって倒れた。幼い体には強すぎた症状に、救急搬送される事態となった。
この事件がきっかけで、私はエピペンという救急用注射を常に携帯し、小麦と距離を置く生活を送ることになった。
***
「まりんちゃんはいつもお弁当だよね」
「好きなおかずばかり入っていてうらやましいなー」
「おれ、給食のヒジキが嫌いなのに食べてるんだぜ。まりんだけずるいぞ」
「そうだそうだ、ずるいずるい!」
……でもね、パンもお菓子も食べられないんだよ。
小学校、中学校では給食を食べたことがない。みんなが楽しそうに食べるパンやカレーを横目に、私はお弁当を広げた。そのお弁当には母の愛情が詰まっていたけれど、それでもどこか寂しかった。特にカステラやドーナツといった甘いおやつを楽しむ友達を見ていると、自分が一人だけ取り残されているような気がしたものだ。
でも、私は負けなかった。中学生になったある日、偶然見たテレビ番組で「米粉」を使ったパン作りが紹介されていたのだ。
……小麦を使わなくてもパンが作れるの?
その瞬間、私の心は弾んだ。さっそく母に頼んで、米粉を買ってもらい、母と二人でパン作りに挑戦した。
「ママも米粉でパンが焼けるなんて知らなかったわ。まりんちゃんもこれでパンが食べられるわね」
初めて焼いた米粉のパンは少しぼそぼそしていたけれど、私には世界で一番美味しい食べ物に感じられたことを今でも覚えている。
高校生になると、米粉で作れるものの幅が広がった。クッキーやカステラ、シュークリーム、ドーナツ、ワッフル。どれも小麦を使わずに、米粉で代替できることを知り、何度も試作を重ねた。自分の手で作り上げた米粉スイーツは、私にとって誇りであり、生きる喜びでもあった。
そして、この喜びが生涯の目的へと変わるまでさほど時間は掛からなかった。
「小麦アレルギーがある人に、おいしいパンとスイーツを届けたい」
その情熱を胸に、私は料理専門学校に進学した。学校では、米粉を使ったスイーツ作りに没頭し、優秀な成績を収めた。そしてさらなる技術を学ぶため、パンと洋菓子の本場であるフランスへの留学を決意する。
フランスは夢のような場所だった。街角には美しいパン屋やパティスリーが並び、どの店も個性豊かで芸術品のようなお菓子が並んでいた。強いて問題点を挙げるとすれば、並んでいるパンやお菓子を食べられないことだっただろうか。
「だって、仕方ないじゃない。小麦アレルギーを持っているんだもの」
それでも私はその環境の中で、日々技術を磨き続けた。
しかし、そんな私を妬む同僚がいた。彼女は、私がどんなに努力してきたかを知らなかったのだろう。
「ただ米粉を使ってるだけじゃない。それだだけで有名になるなんて、ズルい」と言われたとき、私は何も言い返せなかった。
努力を理解してもらえない悔しさを胸にしまいながらも、それでも私はひたすらに努力を重ねていった。
ある日、私はエピペンの在庫が切れていることに気づいた。忙しさに追われ、病院に行って処方してもらう時間がなかったのだ。
「明日には病院に行こう」
そう思っていたその夜、同僚が米粉の中に小麦粉を混入させるというイタズラをした。その粉を使って作ったスイーツを試食した瞬間、私の体はアナフィラキシーショックを起こし、命を落とした。
意識が薄れていく中、同僚の冷たい声が耳に残った。
「私を嫉妬させたあなたが悪いのよ。自分の才能を恨んで死になさい」
理不尽すぎる言葉だった。私がどれだけ努力を積み重ねてきたか、彼女は知りもしなかったのだ。才能を妬むだけでなく、他人を蹴落とそうとする人間の醜さが胸をえぐった。
「なぜ努力で上に登ろうとしないの……」そんな思いが、最後の言葉となって私の意識は闇に消えた。
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