小麦de転生→米粉スイーツで秀吉様を支えます!

宇佐美ナナ

第1話 カステラ

 

寧々ねねよ、久しぶりだがね。元気にしとったかね?」


 正午を少し過ぎたころ、お日様が西へと傾き始めた光の中、ふいに障子が開きました。顔をのぞかせたのは、なんと亭主の秀吉様。そのひょっこりとした姿に、私は思わず目を見張ります。


 おぉ、寧々や! 相変わらずおみゃあは美しいのぉ。ほれ、その綺麗な顔をもっとよぉ見せておくれ!」と、弾む声。まるで外の光そのものが部屋に飛び込んできたように、明るく朗らかな笑みを浮かべる秀吉様。陽気な声が耳に届くたび、部屋の空気が一気に華やいだ気がします。


「あんた、ほんに無事だったんやね!」と、口元に手を当てながら言葉を漏らす私。播磨の上月城で敗れたと聞き、どれだけ心配したことでしょう。それでも、そんな不安を笑い飛ばすかのように、秀吉様はいつもの破天荒な明るさでこう言いました。


「そりゃ心配かけたなぁ! でもまぁ、負けたら負けたで次があるわ。こうして戻ってきたんじゃ、それでええだろ!」


 その何事も恐れぬ様子に、胸の中のつかえが溶けていきます。負けてもなお、前を向く人。この人だからこそ、私はついていけるのだと改めて思いました。


「よかった。ほんによう戻ってきてくれましたなぁ……」


 私は小さく呟きながら、その姿をまじまじと見つめました。目の前にいるのは、戦の泥臭さも疲れも感じさせない、不屈の男。あぁ、秀吉様が無事でいてくださる。それだけで、もう何もいらないと思えたのです。


「おぉ、寧々や! 相変わらずおみゃあは美しいのぉ。ほれ、その綺麗な顔をもっとよぉ見せておくれ!」

 弾む声とともに、秀吉様が勢いよく部屋に入ってきます。その飾らない笑顔に、私は安堵の息をつきつつ問いかけました。


「して、急に戻ってきたのは、いったいどういうわけです?」


 秀吉様は得意げに腰をおろしながら言います。

「安土城で信長様に、敗戦の報告をしてきたんじゃ。そりゃもう、畳に頭を擦り付けて幾度もお詫びしたとも! ほいで許してくださったわけだが、それだけじゃなかった」


「それだけじゃなかった?」

 私が首をかしげると、秀吉様はにやりと笑いました。


「褒美ではないがのぉ、信長様がこう仰せになったんじゃ。『戦に敗れたことで、寧々にも心配をかけたであろう。長浜に戻るついでに、これを持っていけ』とな」


「これって……何を?」


「カステラじゃ」


「カステラ?」その言葉に耳慣れない響きを覚え、思わず秀吉様を見つめ返しました。


「南蛮由来の、あまーいお菓子だそうな。信長様は大層お好みのようで、わしも頂いたことがあるが、まぁうまいもんじゃ! そいでな、『秀吉、おまえにではなく寧々に食べさせてやれ』とおっしゃったんじゃ」


「まぁ、信長様がそんなことを……」


「そういうこっちゃ。ほいで安土から船に乗って、こうして長浜に戻ってきたというわけじゃ!」

 そう言って、袖の中から包みを取り出し、私に差し出す秀吉様。

 包みをほどくと、中から黄金色に輝くカステラが姿を現しました。


 その瞬間、私は秀吉様の帰還と、この贈り物に込められた信長様の心遣いを感じ、胸がじんわりと温かくなりました。


 包みから現れた黄金色の菓子に、私は目を奪われました。こんな見たこともない綺麗な品を信長様がわざわざ私のために……その気遣いに、胸がいっぱいです。


「信長様には、本当にありがたいことです。お礼をお伝えしたいですが、どうにもそれが叶いませぬなぁ……」と思わず口をついた言葉に、秀吉様は笑いながら頷きました。


「ほんにそうよのぉ。信長様には足を向けて寝れんのぉ。そんじゃが、わしらはせめて、このカステラをしっかり味わうことで感謝を示さんとな!」


「そうですな、ではさっそくいただきます」

 私はそっとカステラを手に取り、秀吉様が見守る中、一口頬張りました。


「まぁ、なんという甘さ!なんと柔らかいことでしょう!」

 目を見開き、思わず感嘆の声が漏れました。秀吉様は腕を組み、得意げにうなずきます。


「うまいじゃろう? それが南蛮の力っちゅうやつじゃ。さきほども言うたが信長様もお好きで、毎日でも食べたいとおっしゃっとったでな」


「本当にうまい! うまい!」

 私は夢中になって次々とカステラを口に運びます。その甘さが口の中で広がるたびに、心までじんわりと癒されていく気がします。


「ほれほれ、もっとゆっくり食べんと喉につかえるぞ」

 秀吉様が笑いながら茶を注ぎ、私の手元へと差し出してくれました。


 二人で味わうそのひとときは、戦や心配事を忘れさせるほどに穏やかで、幸せな時間だったのです。


 夢中になってカステラを頬張っていたそのとき、ふいに息苦しさが襲ってきました。喉の奥が狭まっていくような感覚に、私は思わず胸元を強く押さえます。しかし息を吸おうとするたび、喉が詰まったように空気が入ってこないのです。


「うっ……! ぐっ……!」


 思わず立ち上がろうとしましたが、足元がふらつき、その場に膝をつきました。秀吉様が慌てて駆け寄り、私の肩を支えます。


「おい、寧々!どうした!何が起きとるんじゃ!」


 私は何とか言葉を発しようとしたが、声になりません。喉を抑え、必死に息を吸おうとするも、呼吸はどんどん浅くなっていくのです。体の力が抜け、視界が霞み始めました。


「誰か!医者を呼べ!早く!」秀吉様の叫び声が部屋中に響きます。動揺した彼の手が私の背をさすり続けるのがかすかに分かりましたが、それも次第に遠のいていき……。


「寧々!寧々!しっかりせぇ!」

 秀吉様の必死な声も、もはや遠くでささやくようにしか聞こえません。全身の力が抜けた私はその場で意識を手放したのです。


 ***


 意識を取り戻したとき、私はすぐに理解したんだよね。寧々ちゃんが倒れた理由が、小麦アレルギーだということに。

 不思議なことに、寧々ちゃんの記憶が、21世紀の私自身の記憶と一緒になり、重なりあっていく。


 寧々ちゃんの人生をたどってみても、小麦を大量に食べたことはない。せいぜい、饅頭の薄い皮程度。それなのに、今回のカステラには大量の小麦が含まれていた。

 その甘いお菓子を、何も知らずにパクパク食べてしまったせいで、寧々ちゃんの体はアナフィラキシーショックを起こしたのだろう。


 どうしてそんなことがわかるのかって?

 だって、前世の私は、小麦アレルギーで命を落としたから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る