第7話 あちらのお客様からです
ここはとある人気のバーです。バーって大人がゆっくりとお酒を飲むためのお店ですね。
照明は暗くてムードはバッチリ。お酒の味をとことん堪能できる空間が提供されていると思います。
ただ、照明が暗いせいでどんなお客さんが来ているのかはまったく分かりません。一人で静かにお酒を飲んでいる人がいたり、しんみりとした口調でお連れの人と何かを喋っている人がいる。分かるのはそれくらいです。
私はカウンター席の良い椅子に座って、一人でグラスを傾けています。
「ふう……、虚無……ですわ……」
無事に慰謝料裁判は終わりました。
王の親族である公爵家が裁判長を務めた裁判です。ニトロはこの国でこれからも生きていこうと思うのなら、裁判結果をしっかりと受け止めて、私に高額すぎる慰謝料を払わざるをえません。
ビッグバン家は中堅の伯爵家ですから、ある程度お金はあると思います。しかし、現当主でありニトロのお父様は、息子にしっかりと責任をとらせると私におっしゃっていました。
あのお父様は、息子が無断で婚約破棄をしたと知った途端、すぐに私のところへと謝罪に来てくれたちゃんとした人です。そんなお父様ですので、きっとニトロを甘やかしたりはしないのではと思っています。
つまり、ビッグバン家ではなく、ニトロ個人が高額な慰謝料を払わざるをえないわけですね。
「私、1ゴールドたりともまけることはしませんわ……」
きっちり払ってもらう覚悟です。私の人生を振り回したツケは必ずとってもらわないといけません。たとえ何年、何十年かかったとしてもです。
「ニトロの本命の彼女は、これからどうするのでしょうね……」
ニトロの浮気は新聞や女性向け雑誌で大きく取り上げられました。おかげでニトロはすっかり時の人となり、気軽に街を歩けなくなっていることでしょう。
そんな状況で本命の彼女と上手くやっていけるのでしょうか。よほどのメンタルがない限りは難しいでしょうね。あるいは遠くの街に逃げ出して二人でやり直すか……。
「どの道、苦労する人生が待っていそうですね。って、そんなこと、私が気にすることではありませんね……」
カラン、とグラスの中の氷が音をたてました。私は思考を止めてグラスに視線を移動します。
スクリュードライバーを一口飲みました。甘い柑橘系の味と強めのアルコールが私の舌と喉を楽しませてくれます。
「美味しいです……」
あっ、スクリュードライバーって言っても、ネジを締めるためにくるくるする工具のことではありませんからね。工具は飲めないです。バーで言うスクリュードライバーというのは、カクテルというお酒の名称のことですね。甘いオレンジとアルコールの強いお酒をステアして作るお酒です。
くるくる縦ロールが大好きな私にとって、ぴったりな名称のお酒だと思いせんか? 私、名称からして気に入ってしまい、飲んでいるうちにどんどん好きになってしまったんですよ。
スクリュードライバーをまた一口飲みます。やっぱり美味しいです。
もう10杯は飲んだでしょうか。それなのに、ああ……、美味しいのにぜんぜん酔えません。私、酔うためにバーに来たんですけどね……。辛い失恋をお酒で忘れるために……。
「はあ~あ……、私のこの2年間の恋愛ってなんだったんでしょうね……」
誰にともなく一人で呟いてしまいます。
ベテランのバーテンダーさんが優しい笑みをくれました。そして、かっこよくお酒をシェイクする姿を見せてくれます。彼の腕ならば、きっと美味しいカクテルができあがることでしょう。
バーテンダーさんに絡むのはよくないですよね。私はスクリュードライバーを飲み干しました。もう一杯、注文しましょうか。あのバーテンダーさんの手が空いたら注文しましょう。
私は前髪をかきあげます。
「あ~あ……。同い年の人たちよりも早めに結婚できると思ったんですけどね……」
今、私は21歳です。これからまた結婚相手を探すところからですか……。人生が振り出しに戻ったって感じですね。
誰かとまた巡り会って、恋に落ちて交際を始めて、それから結婚の話になってお互いの家の許しをもらって――。そんな気の遠くなるようなステップをまた0から歩んでいかないといけないだなんて……。
「気が重いですわ……」
私の両親が素敵なお見合い話を持ってきてくれたらいいですけど……、でもお見合いなんて上手くいかなくて当たり前ですからねー……。数うって当たればなんぼって感じです。そんなに良い話はぽんぽんやって来ないですよ。
それに私は結婚目前で捨てられた女っていうのもありますからね……。貴族社会は体面重視。私の人気はどん底になっているでしょうね……。
「人生しんどー……」
超どうでもいいことですけど、前世の私は30歳でも未婚でした。今世の私もそのコースに入ってしまったかもしれません。
「あー……、明るい話ないかなぁ……」
「お客様」
ベテランのバーテンダーさんが渋くてかっこいい声をかけてくれました。私は何か注文したっけかなと思いながら、バーテンダーさんの目を見ました。
「こちらをどうぞ」
「は?」
スッとかっこよく私の前にグラスが置かれました。グラスのフチには何やら果物がささっています。これは桃でしょうか。
「私、注文しましたかしら?」
「あちらのお客様からです」
「えっ、それ、本当にやる人いるんですのね……。物語の中だけだと思っていましたわ」
バーテンダーさんが柔らかな手の動きで、私の三つ隣に座っている男性を紹介してくれました。その男性と私との間には誰も座っていませんので、相手の男性の姿をわりとはっきりと確認することができます。
あら、イケメン。
銀髪をオールバックにしている人です。お顔が女性のように綺麗ですね。背はたぶん180センチくらいでしょうか。
椅子の背もたれに貴族の騎士が着るようなジャケットをかけています。ということは、間違いなく王城で働く騎士さんですね。
今は白いシャツに黒のスラックスというシンプルな出で立ちですが、スタイルが良いせいかとてもかっこよく見えますね。
年齢は30手前あたりでしょうか。彼の宝石のように美しい瞳が私を向きました。
どうしましょう。私、この人のことをまったく知りませんよ。
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