第5話 慰謝料を請求せねば

 時はきました。あの悲しみの日から1週間――。今日は私を捨てたにっくきニトロに対して、慰謝料を請求する裁判が行われる日です。

 場所は王城近くの裁判所。白い石でできたその建物は、やたら天井が高くて立派な造りになっています。


 私もニトロも貴族ということで、一番奥にある最も豪華な部屋で裁判が実施されます。

 絨毯はふかふか、机や椅子も高級品。裁判所の象徴である立派な天秤は金色でピカピカです。


 私の向かいにいるのはニトロとその弁護士さんでしょうか。もう一人は分からないですね。とにかく三人態勢で裁判にあたるようです。

 私から見て左手側には裁判官が5人います。公爵家の方から庶民の方まで皆さん法律の専門家と聞いています。


 ちなみに裁判官の一人は私の友人であるアリーナのお父様です。今日の裁判官の人選はアリーナのお父様がしてくださったとのこと。つまり、私が勝つための根回しはじゅうぶん過ぎるほどにできている、と言えるでしょうね。


 裁判長を務める公爵家の女性が気合を入れたのが伝わってきました。

 あのお方は王家の親族――、つまりは公爵家の女性ですね。だいぶ高齢ですが、裁判長を務める姿がとても凜々しくてかっこいいです。


「時間になりました。それではこれより、ニトロ・ビッグバンによる不誠実な婚約破棄に対する慰謝料裁判を始めます」


 始まりました。今日まで私は、弁護士を買って出てくれたアリーナと共に作戦をしっかりと練り込んできました。

 ひとまず訴えの内容を裁判官と被告人に伝えます。その内容をざっくりまとめると、結婚寸前だったのに一方的な婚約破棄をするなんて酷い、慰謝料をもらうに値することだと思います、って感じですね。


 あ、ちなみに傍聴席には私の友人や親族を始め、たくさんの新聞社や雑誌社の方たちが来ています。貴族によるドロドロの愛憎劇ということで、負けた側は新聞や雑誌で酷いことを書かれるのは間違いないでしょうね。

 この戦い、何がなんでも負けるわけにはいきません。


「――ということで、私、クルリーナ・ロールドーナツは被告人ニトロ・ビッグバンに対して慰謝料10億ゴールドを請求したいと思います」


 ざわざわ。ざわざわざわざわ――。傍聴席が賑やかになりました。

 裁判長が木槌をコンコーンと叩き、静粛にと大きな声で伝えます。

 慰謝料10億ゴールド――。普通ならありえない額です。日本円で考えれば10億円くらいの価値でしょうね。


 なにせ私は結婚寸前で捨てられた身、この国の貴族社会ではバツイチみたいな扱いになるでしょうから、今後の縁談に影響が出ることは間違いないです。大金をもらうくらいしないとやってられません。

 この請求に対して、ニトロの弁護士さんは意義があるようです。ちなみに眼鏡をかけた嫌味ったらしい感じの中年男性ですね。


「えー、そもそもですね。この裁判の前提がおかしいんですよね。よく考えてみてくださいよ。この件に慰謝料が発生するはずがありません。なにせビッグバン様とロールドーナツ様はまだ結婚してはいなかったんですからね」


 ニトロが私を見てにやあって笑みました。にくったらしい笑みです。ニトロが立ち上がりました。


「裁判長、もし僕が自己都合でクルリーナと離婚をしたら慰謝料が発生しますよね。ですが、今回のケースでは交際相手と別れただけでですから、慰謝料なんて1ゴールドも発生するはずがないと思うんですよ」


 裁判長が反応を見せます。


「たしかに。この国では恋人関係の二人がどのような破局を迎えたとしても、それを裁くための法律は存在しません。法律があるのは、婚姻関係の二人が離婚をした場合のみですね」


 アリーナが裁判長に発言の許可を求め、認められました。


「今回の件は両家で結婚はもう決まっていました。そうですよね、クルリーナ」

「はい、ですので私は、今日までニトロに尽くして尽くして尽くし続けてきました……」


 ニトロがムッとしました。


「尽くすって? 僕は記憶にないんだけど? 何のことを言っているんだい、クルリーナ」

「たとえば冬にはマフラーを編んでプレゼントしたり、あなたのために何日も何日もお弁当を作ってあげたり……。それにあなたのためを思って、あなたのお仕事を手伝ってあげたり――」


「いやあ、一つも記憶にないですね。尽くすっていうのはですね、今、僕が交際している彼女が僕にしてくれているようなことを言うんですよ。たとえば、彼女は毎日僕の傍にいて献身的に日々の雑務を手伝ってくれていますよ」


「私はあなたの仕事の助けになると思い、ビッグバン家が管理しているたくさんの工房へと通い、何度も何度も魔法道具を作るお手伝いをしてきましたわ。この2年間、それこそ毎日のようにせっせと働きました――。それはあなたとの幸福な結婚生活のため、そしてビッグバン家のためにと思っての行動でした。私がどれだけビッグバン家のために働いていたかは、工房で働く皆さんにお聞きすれば分かることかと――」

「工房で働く? そんなことはビッグバン家の誰も望んでないんだよ!」


 ニトロがちょっと怒り気味になりました。私が情に訴えかけていると思ったのでしょうか。彼がイライラしてくれればこちらのペースですね。

 ニトロの弁護士さんが発言の許可を求めます。


「裁判長、この国の法律では両家がお見合いをし、結婚の口約束をしただけでは婚姻状態にはなりませんよね」

「なりません。この国の法律では婚姻届けを役所に提出し、国が受理をすることではじめて婚姻状態になります」


 ニトロの弁護士さんが嫌味ったらしく笑みました。


「ありがとうございます。ではやはり、ビッグバン様とクルリーナ様は婚姻状態ではありませんね。ちなみに私、その件については予め役所に行って確認をとってきております。念のため役所の責任者の方にも来てもらいました。お手数ですが、証言して頂けますか?」


 ニトロの傍にいたもう一人の男性が立ち上がりました。高齢の男性です。自分は役所の最高責任者だと自己紹介をして、一言だけ喋ります。


「間違いなく、二人は婚姻関係ではありません」

 ニトロの弁護士さんが勝利を確信した表情になりました。


「以上です。お二人が婚姻関係ではないと、お分かり頂けたでしょうか。裁判長、これ以上は時間の無駄だと思います。これにて閉廷で構わないでしょうか」


 部屋の空気がニトロの勝利を確信したものに変わっていきました。私は劣勢でしょう。今のところは、ですけどね――。

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