第3話 ツヤツヤさらさらな長いストレート髪
私とニトロの間で視線がぶつかり合います。まるでバチバチと火花をあげているかのようです。私は婚姻届けをニトロの眼前に持っていきました。
「いったいいつから愛が冷めていたんですかっ。正直に答えてください。婚姻届けにサインをしたときはどうでした?」
「サインをするときも何も、僕には始めから、きみに対する愛なんてものは存在しなかったんだ」
「なっ……」
「クルリーナ、僕らがやっていたのは、ただの恋愛ごっこだったんだよ」
「れ、恋愛ごっこ!」
「そう、本物の恋愛とは違うんだ。本物の恋愛は、もっとキラキラしていて輝かしくて、もうどうしようもないほどに胸が熱くなるものだったんだ」
ニトロは私を見ているのに別の誰かを思い描いているかのようでした。
そんなニトロを見て、私の脳裏にイヤな予感がよぎってしまいました。
「ま、まさか、ニトロあなた……。私という人がありながら……」
そのときです。コンコンコンと客室の立派な扉がノックされました。ニトロが「なに?」と聞くと、静かにドアが開けられて白髪頭の上品な執事さんが恐る恐る顔を出しました。
「あの……。大変お取り込み中のところだとは思うのですが……」
「構わないよ。用件を言ってくれ」
「彼女様がお越しになられまして……」
ピキッ、青筋が立つような思いです。思いっきりイラついてしまいました。
「はぁ? 彼女?」
嫌味たっぷりの大きな声で言いました。
「ニトロ、あなたまさか、私という婚約者がいるのに、別の彼女がいたというのですか?」
「もうきみは僕の婚約者じゃないじゃないか」
「それはついさっき聞いたばかりの話です。そもそも私はまだ婚約破棄を受諾していません。その彼女と交際を始めたのは、いったいいつ頃からなんですか?」
「1年くらい前かな」
「い、1年も私は騙されていたのですか……」
「騙していたつもりはないよ。クルリーナともちゃんと交際をしていたからね。ただ、僕は本物の恋愛を見つけたっていうだけのことさ」
つまり、私との恋愛は偽物だったというのですかっ!
執事さんがとても困っているうようでした。申し訳なさそうに声を絞り出します。
「あ、あの……、彼女様には別室でお待ち頂くようにお伝えしますね……」
「いや、構わないよ。ちょうどいいし、クルリーナに彼女を紹介しようと思う」
「クルリーナ様は大変お怒りのようですし……。火に油かと……」
「会ってもらった方が理解してもらえるさ。僕がどれほど彼女を愛しているかということがね」
いやいやいや、そんなのを見せつけられて、私にどうしろというのですか。
「で、では、お通ししますね」
執事さんがドアを大きく開けました。すると18、9歳くらいのとても可愛らしい女性が部屋に入ってきました。
その少女はニトロの顔を見ると完全にデレデレな表情になり、ニトロのとなりへと近づいていきました。そして、改めて私の方を見てきます。
くっ……、くっ……。
認めたくないです……。認めたくないですけど……。超可愛い女性でした……。
パッチリとしたお目々に人なつっこそうな表情をした女性です。服だって男性に好かれそうな白いブラウスに動きがつきやすそうな可憐なミニスカート。
しかも……、バストサイズが……。バストサイズが……、私とは絶望的に違います。この女性のは控えめにいってもスイカみたいな大きさです。一方、私のは誇大広告をしても絶壁の域を出られません。あまりにも差がありすぎます……。
こ、これが本物の恋愛ですか……。ニトロはこういう女性が好みだったのですね。てっきり私は、私こそがニトロの好みのど真ん中だと思って交際をしていました……。
しかも……、しかも……。
「ツヤツヤさらさらな長いストレート髪です……」
桃色の長い髪はとても綺麗でした。
執事さんは私をちらりと見ると、冷や汗をだらだらかいていそうな表情を見せながら、そっと部屋の外へと行き、ドアを閉めてしまいました。
「クルリーナ、紹介しよう。彼女が僕に本当の恋愛を教えてくれた人だよ」
ニ、ニトロが思い切り鼻の下を伸ばしていますーっ。デレデレもデレデレですっ! そんな表情、私の前でしたことは一回もありませんっ!
「は、初めまして、クルリーナ様、わ、私、ニトロ様の彼女ですっ。仲良くしてくれたら嬉しいですっ」
「そ……そ……そ……そ……」
「そ?」
きょとんとされました。あまりにも無防備な表情で可愛いなと思いつつも、私はついつい反射行動のように激しいツッコミを入れてしまいました。
「そんなことできるかーい!」
パチーンと女性の可愛らしいほっぺをはたいてしまいました。
「ふぎゃーっ!」
さらに追撃をかけます。
「このっ、泥棒猫がーっ!」
「うにゃーっ!」
往復ビンタみたいにしてしまいました。ネコさんみたいな悲鳴をあげていましたね。
「クルリーナ、僕の大事な彼女になんてことをするんだっ」
「知らないですわっ」
私は大股で客室のドアへと向かいました。そして二人を振り返ります。
「大っ嫌いですわっ! そんな恋愛をやって、幸せになれるだなんて思わないでくださいねっ。べろべろばーっ!」
私は精一杯の抵抗をしてからドアを開け、怒りマックスの表情で歩いて行きます。執事さんが何度も何度も謝罪をしてきました。でも、この怒りはどうやっても収まりそうにありません。
私は執事さんを振り切るように立派なお屋敷から外に出ました。
雨の香りと明るい陽射しを感じます。
空を見上げると、すっかりゲリラ豪雨は去っていて明るい太陽が顔を出していました。そして――。
「なんて立派な虹がかかっているのでしょうか……」
なんとも嫌味ったらしいです。私は絶望のどん底にいるっていうのに、虹なんて見ても幸福な気持ちにはなりません。
こうして私、クルリーナ・ロールドーナツ、21歳の乙女は、結婚寸前で婚約破棄をされてしまい、ひとり身になってしまいました……。
雨があがったばかりの湿った道を一人で歩いて行きます……。
「って、おわあーっ!」
ぬかるんだ地面で滑ってしまい、私はびたーんと地面に仰向けに倒れてしまいました。
「ううう……、踏んだり蹴ったりですわ……。子供みたいな転び方をするだなんて……」
自慢のくるくる縦ロールの髪がべちゃべちゃです。しかも、おでこを強く打ってしまいました。血が出ているかもしれません。これは早く家に帰った方がよさそうです。
って、あれ……。頭がぐわんぐわんすると思ったら、何やら懐かしいと思える記憶が大量によみがえってきました。
「あら……? あらあら……? あらららら……?」
こ、これは、前世の記憶でしょうか。あっ、私、そういえば前世があったんでしたっけ。おでこを打った強い衝撃で思い出したみたいです。
前世は日本人……の冴えない社会人でした。いやー、思い出すほどのことでもなかったですね。忘れたままでよかったです。
立ち上がり、ゆっくりと家路を進みます。身体も心もおでこも痛いですけど泣きません。泣いてたまっかい。どん底から必ず幸せをつかみとってみせるわ、と心に決めながら私は歩いていきました。
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