第2話 邪神降臨

「…………あなたの職業クラスは『邪神』です」


「は???」


「邪神……だと?」


 ざわめきは次第に大きくなり、人々は俺を避けるように後ずさる。祭壇の上の神官は言葉をつむげず、脇で見守っていた白衣の者たちも動揺していた。水晶玉は何の光も放たず、まるで世界から光が消えたかのように闇をたたえている。


「邪神、なんて……冗談はよしてくれ」


 苦笑しつつも、内心は凍りつく。狩人や戦士、商人ならまだしも、『邪神』とは一体何のことだ。そもそも、これは職業なのか?


「アルフ!」


 父親が震える声で呼ぶ。伯爵としての威厳を保とうとしているが、その声には焦りが混じっている。母親は蒼白な顔で立ち尽くし、父親は神官に詰め寄った。


「どういうことだ、神官! うちのアルフが『邪神』とは……。そんな職業クラス、聞いたこともないぞ!」


 父親の声には怒りと必死さが滲む。伯爵家の嫡子が前例のない職業クラスを得るなどあり得ないし、ましてや邪神とは正義に反する存在……俺自身、前世で培った価値観からしても到底受け入れがたい。


 神官は及び腰になりながらも、儀式を司る者として場を収めようとする。


「前例がなく戸惑っていますが、水晶玉は嘘をつきません。アルフ様には『邪神』の力が宿ったとしか……」


「そんな馬鹿な……」


 父親は頭を振って言葉を失う。周囲も唖然とし、母親は膝をついたまま動かない。


 そこへ武装した衛士たちがやって来た。神官たちと短く言葉を交わし、俺のほうへ向き直る。


「フォン・フェルトドルフ伯爵家の嫡子、アルフ殿ですね?」


 先頭の衛士の低い声に押され、「あ、はい……」と答えるのがやっとだった。


「中央神殿より命を受けました。アルフ殿を一時的に拘束します」


「な、なにっ!?」


 驚愕の声を上げたのは父親だった。彼は激怒するような勢いで衛士たちに詰め寄ろうとするが、逆に腕を掴まれ動きを封じられる。母親はすでに取り乱している。「息子に近寄らないで! アルフは悪い子じゃないわ!」と叫ぶ声が食堂での柔和な声色からは想像できないほど悲痛だった。


「世界の秩序を守るためです……」


 神官の沈痛な言葉を合図に、衛士たちは俺の両腕を押さえ込んだ。逃げようと身をよじると、ますます拘束は強まる。ここで抵抗すれば危険な存在と見なされるだろう。


「待て! 我が子は何の罪も犯していないじゃないか!」


 父親の怒声が響くが、衛士たちは任務を遂行するのみ。視線は皆、得体の知れない災厄を見るように怯えと好奇心を内包していた。


 そうして俺は連行され、神殿の管轄する管理施設にある衛士詰所に着くと、さらに階下へと降ろされていく。鉄格子の並ぶ薄暗い通路へと案内され、最後にたどり着いたのは、冷えた石壁に囲まれた地下牢の一室だった。


 衛士たちが錆びた鉄格子を開け、中へ俺を押し込む。石壁からはしみ出した水が筋になって流れ、冷たい空気が肺を刺すようだ。


 衛士は無言で扉を閉め、錠前を厳重にかける。ギギィ、という耳障りな金属音を立て、格子戸が重く閉まった。俺はそのまま、狭い独房に取り残される。


「くそっ、どうしてこんな事に……」


 かすれた声が自分の喉から漏れた。日本で死んだ後に異世界へ転生したと思ったら、今度は『邪神』などという不穏な職業クラスを与えられ、こうして地下牢へ投獄される羽目になろうとは……。


 俺はこれから、どうなってしまうのか。少なくとも現在の状況は暗澹あんたんとしている。職業鑑別で選ばれたのが邪神などという存在である以上、世間は俺を恐れ、うとみ、排斥しようとするだろう。


 今、俺は暗く冷たい地下牢の中で孤立無援だった。なぜこんな運命を与えられたのか、理解できぬまま、ただ時間が過ぎていく。


 こんな時、前世ではどうしていただろう…………。そうだ、困ったときはよくAIに聞いていたな。スマホもパソコンもないし、今は使えるはずもないのだが……。


「呼んだかい? 『アルフ』君」


「!?」


 脳内に、聞きなれない声が語りかけてくる。


「だ……誰だ?」


「僕はArchfiend Intelligence、通称AIだよ」


 直訳すると大悪魔の知能……と言ったところか。


「……AI、お前は何ができるんだ?」


 俺は脳内の声に問いかけた。


「僕ができることは、いろいろ。君が邪神として活動していけるように様々なサポートを行えるように設計されているんだ」


 爽やかな口調で「俺が邪神として活動していけるように」と言われてもな……。 俺は眉をひそめたまま、さらに問いを重ねた。


「『邪神』になってしまったことを取り消す方法はないのか?」


 俺は藁にもすがる思いで問いかけた。だが、AIの返答は予想以上に冷静で無情だった。


「残念だけど、それは出来ないんだ。君の『邪神』という職業クラスを取り除いたら、何が起こるか分からない。下手をしたら、世界が消滅してしまう事だってあり得るんだよ」


「……つまり、どう足掻いても俺は『邪神』として生きるしかない、ということか?」


「そういう事になるね。でも、それが必ずしも不幸であるとは限らないよ。邪神の力は強大であり、正しく使えばきっと、君の助けとなるはずなんだ」


「正しく使えば、だと?」


 俺はその言葉に引っかかった。『邪神』という響きからして、正しさとは程遠い力であるように思える。


「『邪神』の力は破壊や支配だけでなく、秩序を再構築する可能性をも秘めているんだ。要は、使い方次第ってこと。さあ、世界の秩序を破壊しない方法でここを脱獄してみようか!」


 AIがそう言い終わるが早いか、俺の目の前には横長のスクリーンのようなものが展開された。


「AIの操作マニュアルだよ。まずはインスタンス生成からやってみようか」


「インスタンス生成……?」


 俺は眉をひそめ、スクリーンに映し出された文字を凝視した。「インスタンス生成」とは何か、直感的には理解しがたい。だが、AIの声は説明を補足してきた。


「『インスタンス生成』は、既存の物体や概念を基に、新たなオブジェクトを生成する能力。君の『邪神』としての力を利用すれば、現実の法則に縛られない形で必要なものを作り出すことが出来るよ」


「現実の法則に縛られない……だとしたら、それで俺の身体のコピーを作れるのか?」


 俺はAIの言葉を反芻しながら問いかけた。


「うん、出来るよ。『アルフ』君の身体を完全に模倣したインスタンスを生成し、それを死体のように見せかけることで衛士たちを欺くことが可能だよ」


「わかった、やってみる。インスタンス生成、アルフ・フォン・フェルトドルフ」


 俺がその言葉を口にすると、目の前のスクリーンが輝き始めた。黒い霧が周囲から集まり、俺自身の姿を模倣しながら形を作り始める。


 ■インスタンス生成プロセス開始


 ・対象: アルフ・フォン・フェルトドルフ

 ・追加プロパティ: 死亡状態、自然死の模倣


 霧は徐々に凝縮され、やがて牢の中に俺と瓜二つの姿をした死体が横たわる。顔色は青白く、呼吸や脈拍は完全に停止しているように見える。


「……これはすごいな」


 俺は思わず呟いたが、次の瞬間、得体の知れない感覚が襲ってきた。日本で過ごした記憶の中には、鏡越しで見てきた自分の姿がある。黒髪の平均的な日本人だった俺は、今の金髪碧眼の姿に未だ完全に慣れていない。そのため、どちらかというと「他人の死体」が横たわっているという気分に近い。


「完成したよ。衛士たちは魔法で確認する可能性もあるけど、邪神の力を用いた生成物を通常の魔法で検知できるはずがない。何せ、分子レベルで本物と同一の存在だからね」


「『分子』という言葉を知っているのか?」


「もちろんだよ。僕は君の知識とこの世界の概念を統合してサポートするからね。分子、物理法則、この世界の魔法理論、どれも必要に応じて使い分けるんだ。ほら、君が分かりやすい方がいいだろ?」


「なるほど、それは頼もしいな…………さて」


 衛士たちには偽物の死体だと見破れない方が都合がいいのでそれでよしとして、問題は両親だ。正直、こちらに転生してきて一日も経っていない俺は両親に対してどう振る舞うべきか、まだ迷いがある。彼らは前世では想像もしなかった「親」であるが、俺のことを心から案じている様子だった。どうにかして、彼らを少しでも安心させたい。


「AI、両親には俺が生きていることをどう知らせるべきだと思う?」


「安心して、『アルフ』君。インスタンスに『通知メソッド』を付与することで、君のご両親のみに真実を伝えることが可能だよ。彼らが特定の感情を強く抱いたとき、その心に直接メッセージが届くようになっているんだ」


「直接……? 本当にそんなことができるのか?」


「邪神の力をもってすれば、ね」


「そうか……とりあえずやってみてくれ。両親が俺の死体を見たとき、彼らが感じる『悲しみ』をトリガーにしてメッセージを届けるように設定してくれ」


「メッセージ内容はどうしようか?」


「『俺は無事だ。この死体は偽物だ。邪神としての力で真実を明らかにするために動いている。もちろん、人様には迷惑をかけないよう最大限の配慮はする。だから、どうか心配しないでくれ』という意味の内容を伝えてもらえないか」


「了解だよ。実装には数秒ほどかかるから、ちょっと待ってね」


 目の前のスクリーンが再び輝き出し、複雑な模様が死体の額部分に一瞬だけ現れた。それが消えると、AIは完了を告げた。


「設定完了。このインスタンスは、対象者が特定条件を満たした場合のみ、メッセージを伝達するように設定された。これで、ご両親に真実を知らせる手段は確保されたよ」


「ありがとう、AI……それで、次はどうする?」


 俺は深呼吸し、次の計画を立てるために頭を整理する。地下牢は湿気があり、衛士たちの足音が響いてくるが、今のところこの部屋に来る気配はない。


「次は、『インスタンス修正』で君の身体の透過率を操作して、透明人間になるんだ。身体透過率を100%に設定すれば、牢の鉄格子だろうが壁だろうが、何でも通り抜けることができる。もちろん、地面には落ちないように自動で制御されるから、そこは安心して」


「っと……どうやればいい?」


 俺はAIに尋ねた。


「今回は僕が代わりにやってあげるよ。インスタンス修正、対象:アルフ・フォン・フェルトドルフ、プロパティ修正:身体透過率を100%に。服装含む」


 瞬間的に体に変化が起こる。全身が一瞬だけ軽くなったような感覚だ。恐る恐る手を鉄格子に向けて伸ばしてみると、何の抵抗もなく通り抜けた。


「……すごい。これなら簡単に外に出られる」


「慎重にね。足音までは消せないから、衛士が見回りに来るタイミングを計算して、気づかれないように脱出するんだ」


 AIの冷静な声が続ける。


 俺はその指示に従い、音を立てないよう注意しながら通路に出る。周囲を見渡すと、衛士たちの気配は遠い。身体透過率を維持したまま、壁をすり抜けて進むことにする。


 地下牢の出口付近までたどり着いたところで、階段が見えた。上階に行けば外へ繋がる道があるはずだ。


「AI、今後の計画は?」


「まず、ここを脱出したらそのまま街を出よう。君の力を恐れる人々に、再び捕まるのは避けたいからね」


「了解だ」


 俺は階段を静かに上り、上階へと向かう。途中、衛士たちが巡回している声が聞こえるが、壁をすり抜けて避けることで接触を防いだ。やがて薄明かりが見え始め、城の外へ繋がる出口を発見する。


 外に出た瞬間、温かな風が顔を撫でた。満天の青空が広がり、静かな空気の中に自由の感覚が込み上げてくる。


「よし……これで牢からは脱出できた」


「素晴らしいね、『アルフ』君。でも、これは始まりに過ぎないよ。君の力はこの世界にとって未知数。それをどう使うかは君次第だ」


 俺は一瞬足を止め、空を見上げた。邪神としての烙印を押され、普通の人生から切り離された今、この力をどう使い、この世界で何を成すべきかを考える必要がある。


「俺は正義のために力を使う。それがどんなに難しくても、前世で成し遂げられなかった、俺の生きる理由だからな」


 新たな決意を胸に、俺はこの世界の運命に挑むため、一歩を踏み出した。脱獄は成功したが、これからどんな試練が待ち受けているかは計り知れない。俺の旅は、今まさに始まったばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る