夏の思い出

たなべ

夏の思い出

 約11年前、私が小学三年の時、クラスメイトが失踪した。一家丸ごといなくなった。あまりに突然のことだったので、先生やらまわりの大人たちは何も事態を把握出来ていなかった。唯一、一家の玄関に直径10センチくらいの血痕が見つかったくらいのものだった。そのことを行方不明者が報道される度に思い出す。そんな折の話である。


 そのアルバイトに応募したのは確か五月の終わり頃だったから、もう二ヶ月も前のことになる。商店街の角の書店の隅の方に蹲るように置かれていた求人本の最後から二番目のページにその応募はあった。光を恐れるように、人目を忍ぶように。大半の求人はもう五年とか、十年前に募集締切が過ぎていた。ただ一つ、「それ」を除いて。そもそも求人本という代物がまだこの世界で機能しているのが驚きだったが、記載されていた連絡先に連絡を入れてみると、ちゃんと応対があった。


 「…じゃあ7月24日にそのお宅に伺えばいいんですね」

 「はい。ですが、朝早くの訪問はおやめ下さい。なるべく昼時、一時頃がいいと思います」

 「分かりました。それでは失礼します」

 「はい。ではお願いします」


 応対は淡白だったが、必要事項を必要なだけ伝えてくれたので、安心した。7月24日に長野県の南牧みなみまき村というところに行くこと、そこで農家をしていた赤松さんのお宅に伺うこと、家に行ったら、給料は一括後払い、契約期間は二週間、交通費全額支給…。電話をした時は、辛うじて夏の気配、というか梅雨の気配がする程度のものだったので、あまり現実感がなかったが、みるみるうちに気温は上昇し、いつの間にか約束の一週間前になっていた。蝉の声やら入道雲やら、一体いつどこから現れたのだろう。いつも彼らは幻のようだ。例年のことなら、彼らは私に代え難い安心感を与え、夏の去来を歓び侘ぶ契機を作ってくれるありがたい存在だったのだが、今年はむず痒い不安感を育てる悪性腫瘍だった。自分で応募したくせして、必要なこと全部聞いたくせして、いざ7月24日が迫ってくると、どこからともなく不安になるのだった。そもそもあの応募は実在するのか、更にそもそも赤松さんは存在するのか。そんなことを自分に問い掛けては無駄と分かっているのに、考えざるを得なかった。配信者とかが急に人気を得て、自分事と思えない状況に似ているのかもしれない。勿論、私は配信者でも何でもないのだが。

 この一週間は何もかも身に入らなかった。講義内容も耳を通り抜け、友人が投げたボールが頭に当たり、自動車学校の教官には幾度か叱られた。そのどれもこれもあの応募の所為だ。もっと言うと、あの電話対応の所為だ。分からないことが何一つないように説明されて、事実、私に分からないことなど一つもない筈なのに、逆にそれが私を不安にさせる。本当に私は分かっているのか?あれから一度も電話も連絡もないが、私は本当に明日、長野県南牧村の赤松さんちにいくのか?分からない。分かる筈がない。もう怖い。行きたくない。明日、朝6時には家を出発しなければいけないのに、23時現在、全く眠れる気がしない。何か眠ったら死んでしまう気がする。或いは10時くらいに起きて絶望するか。でも眠らなきゃ仕事にならないだろうと思って、頑張った。人生で二度目のことだが、私は羊を数えた。羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹…。このやり方を疑うのはやめて、正直に数えた。ただ、あまり効果はなかった。3872匹目のところでもう諦めた。寝るのも諦めた。そしてトイレに行って、歯磨きをして、顔を洗って、さあ起きてやるぞ、と意気込んだ時、ふわふわ眠気が漂ってきて、ふらふらベッドへ向かって、そのまま飛び込んで寝てしまった。

 

 時計を見ると5時半だった。東の空が赤らんでいた。背伸びしてトイレの小窓から外を眺めると、夜のメロウな空気感を受け継いだ、怠惰な光景が広がっているのが見えた。いつもの路、お向かいさん、ごみ置き場、打ち捨てられた自転車、自販機、大家さんの軽自動車…。「はあ…」そのどれも絵画とは違う、温かい美しさを孕んでいる。「私もこの街の一員なんだなあ」空き缶を捨てながら私は長閑のどかだった。今日はあの7月24日だというのに。

 ごみ置き場から帰ってくると、悠長にする余裕はなくなっていた。私は急いで髪を整え、昨日準備した荷物類を確認し、そして誰もいない部屋に向かって「行ってきます」と呟いて鍵をかけ、駅へ行った。

 朝6時代の駅は案外、混んでいた。列車には誰もいないだろうと思っていたのに、座れもしなかった。「いつもの通学と変わらないじゃないか」嘆息にそんな憂いが混じった。


 南牧村のJR小海こうみ線、野辺山のべやま駅には午前10時半頃着いた。受け取った住所によれば、赤松さんちはここから徒歩25分というところだ。一時頃がいいとかあの人は言っていたが、一時間も二時間も誤差だろう。何か笑えてくる。普段は全然そんなことないのにここの風景を眺めていると、時間に頓着がなくなっていく気がする。実際、ここには時間が存在していないようだった。すかすかの時刻表を見て確信した。駅の待合室には草臥くたびれた人が、まるでこの世界には何も存在していないかのように、ただ存在していた。私も時間までそうしていようかと考えたが、この人に悪いかと思ってやめた。駅の横には観光案内所があって、多分誰も利用していなかったが、この空間に確かな意味を与えていると感じた。このような山奥にも人々の生活があって、しかも私と同じ言語を操って、同じようなものを食べて、多分考えてることはちょっと違うかもだけど、今更ながら、国家という大きな集合の圧倒的な力を実感した。「日本」が知らない場所まで広がっていて、嬉しくなった。

 駅前にはソフトクリームを売る店が何故か二つあって、左のと右のとどっちにしようか迷ったが、丁度客がいた右の店にした。気温は29度。そんな中、この白いクリームが齎す冷感は、何よりもここでソフトクリームを売ることを肯定している気がした。多分冷たいものなら何でも良かった。自宅に持ち帰ったらきっとずっと放置するだろうに、ここではかけがえのないものに思えた。そんな力がこの空間にはあった。近くに木もないのにどこからか蝉の声がして、遠く山の稜線近くに青空を切り抜いたような雲が、悠然としていて、絵画のようだった。蝉の声は、白い雲は、こうでなくてはいけない。そう直感する。蝉の声はBGMじゃない、白い雲は背景じゃない。主役なんだよ。人間は助演俳優。脇役なんだよ私たちは。気付きもしない内に人間主義に憑りつかれていたことを、心底残念に思った。ありがとう南牧村。思い出させてくれて。私を生態系の仲間に入れてくれて。…合掌。

 

 JR小海線に沿って、レタス街道と名の付く路があって、赤松さんちはその先にあった。森やら畑やら、そういうものがただひたすらに羅列されて、途方に暮れかけた。遠くにずっと同じ山を見据えながら、ぜんまいがらくりのように私は足を動かした(あまりにも景色が変わらないのでいつの間にか私は足元ばかり見ていた)。乾涸びたミミズでも拝めるかと思ったが、意外にも一つも見かけなかった。たまに蟻の点列が行く末も知らず、長々と伸びているのを横切るだけだった。

 赤松さんちは大きいらしい。あの人は「前任者」だったらしいが、ルーブル美術館くらい広いらしい(きっと大袈裟だろう)。赤い屋根が目印で、畑の中にぽつんと佇んでいるとのことだったが、いまのところ、そんな家は見かけていない。

 私はここへきて急に楽しみになってきた。都会生れなのが大いに起因して、私はこんな「冒険」をしてみたかったのだ。それが今日からの二週間で叶うかもしれないと思うと、うきうきしてきた。気持ち足取りも早く、軽くなってきた。アスファルトからの輻射熱は厳しかったが、同じくらいの熱量を私はアスファルトへ返していたと思う。生きることの素晴らしさ。熱を孕むことの美しさ。そんな途方も無いことに考えを馳せて、道程みちのりの短くなるまでの暇潰しとした。時刻は11時少し過ぎ。そろそろだろう。スマホをちらちら見て、再三再四、赤松さんちの位置を確認した。あと一キロ弱。


 見えてきた。やっと見えてきた。多分あれだ。というか絶対あれだ。屋根、赤いし。でかいし。二階建てっぽいのに何であんなにでかいんだろう。三階か、四階でもあるんじゃないか。ああ、きっと大きな屋根裏があって、赤松さんの孫たちの秘密基地にでもなっているんだろう。いいなあ。私もそんな幼少時代を送りたかった。私は両親とも東京出身なので、田舎に行ったことが本当にない。多分、いままでで一番田舎だったのは修学旅行で行った奈良だ。いや、日光も行ったことがあったかもしれない。でも畑を間近で見たのは初めてだし、そもそも土を見るのも久し振りだ。最近は公園とかも行かないし。私の近所は全部灰色でコーティングされている。硬くて無機質な灰色。辛うじて電車が緑色だけど、こないだ手を触れてみたら、本当に氷みたいだった。とても人のための道具とは思えなかった。よくそんな中で生きていたな。多分、このアルバイトに応募していなかったら、いつしか私も氷みたいになって、氷漬けになって、身動き取れなくなっていたに違いない。世界を知らないまま年を重ねて、寒々しい老人になって、そのうち死んで。火葬されたら、骨も残らず灰燼かいじんに帰すんだろうなあ。だって、すかすかだもん。骨が、人生が。

 そうこうしているうちに赤松さんちの前にきた。やはりでかい。建築基準法とか満たしているのか。容積率の基準に抵触している気がするのだが。でもそれは関係ない。私は役所の人間じゃない。ただのアルバイト。金にたかる蝿。だから大丈夫。昂る気持ちを抑え、二車線の「レタス街道」を渡った。

 アプローチは30mくらいあった。塀の中にも畑が点在していて、多分、全部レタスだろうと思った。玄関は立派なものだった。先祖は豪族なのかもしれない。インターフォンは左の柱にこじんまりとしつらえてあった。ボタンしかないタイプだ。私はやや躊躇した後、慎重にボタンを押した。

 耳を澄ますと、確かに呼び鈴の鳴る音がしていた。容積が大きいからか、こだまして輪唱みたいになっていた。赤松さんは暫く出てこないだろうと思った。午後一時にはまだ早いし。もしやするとまだ寝ているのでは。そうなら赤松さんの健康が心配だが、私が憂うことではない。ここで、私は玄関脇に腰掛けがひっついているのを見つけた。恐らく応対が遅いことの証左だと思う。私はでも、若干遠慮がちに座った。庇の下の腰掛けは随分涼しく感じた。ここでも私は「いいなあ」と思った。だって絶対、私の近所にこんなんあっても涼しくならないし。

 五分経過。流石に遅すぎないかと思うが、ここには時間が存在していないことを思い出し、我慢した。…十分経過。私は苛ついていた。庇の下は涼しいとはいえ、限度があった。暑い。気温31度。おまけに太陽がちょっとずつ位置を変えた所為で、だんだんと日差しが照るようになってきた。むかつく。何で出てこないんだ。ここで、私はもう一度インターフォンを押した。ピンポーン…。さっきより大分虚しい音がした。そうしてこだまがやんで、静かになり、私が深い深いため息をついた時、突然、音もなく玄関は開いた。見えたのは、60代くらいの男性だった。


 「何か御用ですか」

 明らかに彼(赤松さん?)は不審がっていた。平生、訪れない種類の客人に吃驚しているのだろう。私は、一から全部説明した。勿論、そんな必要はないと思った。雇い主は赤松さん(彼?)であるわけだし。でもあまりに私を不審者扱いするので、そうせざるを得なかった。ただ、全部説明し終わった後、彼が発したのは思いもよらぬ言葉だった。

 「僕は『赤松さん』ではありません」

 「…えっ?」

 「僕は、伊藤です」

 「…」

 いま、有り得ないことが起こっている。いや、田舎だと有り得るのか?赤松さんの家から、然も「自分の家ですよ」みたいに伊藤さんが出てきた。留守番か?例えば伊藤さんは、赤松さんと仲良しで、自分の留守中の番を頼んだとか。でも田舎ってそんな危ないのか?本当に留守番?

 「あの、ここ赤松さんのお宅ですよね?」

 「えっ?」

 「…えっ?」

 「…ここは僕の家ですよ。結構前から」

 「…うん?それって本当ですか?」

 「はい」

 「結構前っていつくらいですか?」

 「えっと、11年前です」

 伊藤さんが嘘を吐いているようには見えなかった。嘘を吐いている人特有のあの毅然とした胡散臭さが感じられなかった。でも嘘でないと説明が付かない。

 「じゃあ、赤松さんという方をご存知ですか?」

 「…いいえ」

 「近所にいませんか?赤松さん」

 「いないですよ、そんな人」

 いよいよおかしい。私は最後の切り札を投下することを決めた。あの求人本だ。一応、リュックに入れてきたのだ。私は「ちょっと待ってください」と言って、リュックを地面に置いて、まさぐった。そうして底の方にくしゃくしゃになっているのを見つけた。

 「ほら、見てください!ここに確かに!」

 「…何があるんです?」

 「応募ですよ!この、まさにこのお宅で二週間、アルバイト!」

 「…どれです?」

 「…えっ?」

 改めて頁を見る。文字が並んでいる。ずらずら並んでいる。不思議と意味が読み取れない。焦って読み方を忘れてしまう。えーっと確か、この辺に。左から右へ、ゆっくりゆっくり探していく。いつの間にか右端につく。それを繰り返す。上から下まで繰り返す。あれ?最後から二番目の頁。その真ん中!呪文のように頭の中で唱える。絶対にある絶対にある絶対にある絶対にあ…

 「あの、これ音楽雑誌、ですよね?」

 絶対にある絶対にあるぜった…

 「え?」

 「これ、音楽雑誌ですよ。懐かしいなあ。僕が高校生とかの時に流行ってたやつです。これ、どうやって手に入れたんですか?」

 「えっと、え…」

 「お金出すから、買い取りたいくらいですよ。もう絶版ですから」

 「えっと、えっと…」

 「どうかされたんですか?」

 「…ああ、えっと…、あの、し失礼します!」

 私はぐりんと身体の向きを変え、一目散に走りだした。「ちょっと!」後ろから何やら声が聞こえるが関係ない。じりじりと夏の太陽が照り付ける。平坦で長い「レタス街道」を逃げるように戻る。何度も躓き掛ける。頭がぐらぐらする。髪一本分くらいの距離を車がびゅんと擦れ違う。それを繰り返す。遠くの山はずっと同じ大きさで、果てしない。頼む頼むから早く駅に!その思いを一貫して、走り続けた。地面の反作用がきつく私を当てつけのように、虐めた。



******



 「はっ」

 起きると、汗ぐしょぐしょだった。見たこと無いくらいパジャマは湿っていた。一瞬、まさか漏らしたのではなかろうかと思ったくらいだった。呼吸が荒い。心臓が五月蝿い。ひとまず息を整える。はあはあ。視界がまだぼやけている。意識も朧だ。だけどここが自宅という事は分かる。私は確かに自宅のベッドの上にいる。はっと時計を見る。午前8時。カーテンで遮られているが、日差しも垣間見える。それを見て少し安心する。意識が戻ってくる。徐々に視野の解像度も増していく。色んなことを思い出していく。学校のこと、友達のこと。そして。あっ!そういえば今日は!そう思って、スマホを見る。日付は8月10日。…ん?8月10日?…あれっ?確か、今日は7月24日な筈。今日、長野県の赤松さんちに行ってアルバイトをする筈…。だとしたらまずい。大遅刻だ。急いで準備にかかろうとする。とここで、通知が夥しいほど溜まっていることに気付く。大半が「おーい」か「死んだの?」で不在着信も多かった。でもみんな一週間前の8月3日とかだ。一週間前?今日は7月24日だろう?おかしい。何が起きている。ふと視線を前にやる。そこには見慣れぬ代物がある。それは写真立てで、そこには写真が挟まっている。部屋が薄暗くてよく見えない。カーテンを開ける。太陽がここぞとばかりに役目を果たす。写真に陽がかかる。私は写真に身を寄せる。そこで私はそれを初めて目にする。そこには私と若い女性、そして見知らぬ男女が立っている。みんなにこやかで楽しそうだ。…ん?この子…。忘れもしない、このくりくりの瞳。右瞼のほくろ。キッと通った鼻筋。

 「あ、赤松さん?」

 それは11年前、家族総出で姿を消したあの赤松一家だった。


 「何で…」

 そう呟いて、ふと後ろを振り返ると、迸る血潮を蓄えたTシャツが、ハンガーに吊り下がっていたのである。

 


<了>

 

 

 

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夏の思い出 たなべ @tauma_2004

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