二. 双六と賽子

 最初の賽子さいころの目は【1】だった。一つ目のます、次の駅で降りねばならないのだろう。どうせ遅刻だから平気で降りられる。

 ただ駅の升には駅名もないが、停まったらどうしろという指示もない。いざ降りた殺風景な駅でまた十分待つのは退屈で、私の頭は自然と凪くんを思い浮かべる。彼と初めて会った運命の場所は女子テニス部で遠征した高校の向かい側、そこが彼の住む芹野家だった。

 次の電車に乗って出た目は【3】、ここからは二升飛ばしていい快速運転である。段落も二段落飛ばして三段落目に進むかどうか選ぶってことだよね、意味わからないけど。神様はそうだ、『どちらかが間違ってるかもしれないし、間違いが正しいかもしれない』とも話していた。


①快速運転といって乗るのは普通電車だから、自分の意思で二駅飛ばして三駅先で降りた。人の多い駅で十分後の電車に乗り、今度出た目はまた【1】、私は時間かかるなあと湿ったため息をついた。

②それでも私は双六すごろくに従い、乗って降りて乗って降りての連続にいくらばかばかしくなろうと賽子は振られる。次は【6】で、ばかにしてたのに〝ばか〟に喜んでしまった。


 私は非日常感で本当に快速に乗ってるつもりのふふふん鼻歌、だがうっかり凪くんが暮らす街にさしかかって鼻歌が一瞬でのどに飲み込まれ、もちろん遅刻なんかしないまじめな彼は見当たらない。私は哀しげな十八歳が窓でにらむ憂鬱ののちに降りる駅に着いた。

 あの日は土曜日で、彼は友人たちと高校の前まで「競輪」、一位で涼しい顔をしていた。でもそのあどけない汗だくの頬とやわらかい琥珀こはくの髪だけでなく、一人になってしゃがみ込む姿に私は母性本能とやらをくすぐられ、胸がきゅうんんんと締めつけられたのだった。

 次は十三分待って乗った電車で、賽子は【2】である。ちなみにこの路線には実際は快速も急行もないため、どの電車も双六の展開――賽子の目とずれる心配がなかった。


①乗っているのは古くてださい車両だけど、私は勝手な快速運転で一升飛ばす。もし凪くんが隣に乗ってたらと妄想が始まり、手すりを強くつかんで目を瞑った。まだ発育途中の彼は同じ高さの華奢きゃしゃな肩を私にぶつけてあっ、すみませんと恥ずかしがる。妄想ならもっとむふふにしていいのに……。


 自己快速運転を終えて降りたのは、私の高校の最寄り駅。同じはなだ色の制服ブレザーを着た女子生徒を見かけて改札口が恋しくなるも、私はもっと別の恋に生きる女澤地凜だ負けるなと頭を左右に振った。

 私が凪くんと言葉を交わしたのは、とても神聖な一回だけ。あれは私が帰り道にあの遠征先の高校に、いや芹野家の前に寄ってみたときだった。平日の彼は黒い学蘭姿で、すれ違いざま私を「かわいいですね」とほめてくれた。もうどっきーーーん!である。私は舞い上がって「あ、ありがとう、ございます」と年下相手にぺこぺこしてしまった。

 しかし、今の私は孤独でむなしい。アルミ色の新型車両に乗って出た目は【1】である。別に〝鉄子〟じゃない私でも、めずらしい車両がたった一駅間なのは残念な気がした。

 突き抜けるトンネルの轟音にまぎれて「凪くんっ」とこっそり呼んで振り返る、凪くんはなぜあんな声をかけてきたのか。私が学校を出て身につけたワンピース、リボンとカラーコンタクトのおかげ。私は彼がアニメ『かぐや様は告らせたい』の四宮かぐやにはまってると過去の寄り道で盗み聞きずみで、彼は私のコスプレ姿を見て喜んでくれたのだ。

 駅に降りて再び十三分待つと、車内がすき始めた電車で【4】が出た。


①私は電車の扉が開くたびに計三回深い息をつく。そういえば、あの日「かぐや様」の私に出くわしたあと、凪くんは高校に向かって「姉ちゃーん! 高校に忍び込んだら姉ちゃん絶賛の椿つばき先生、世界史の先生だったよぉ? ねえ聞いてる?」とかわいらしい大声で叫んでたっけ。私は記憶の中のおいしい空気を吸って四駅目のホームに降りた。

②┈┈まもなく、二番線に快速電車が参ります。

③次のアナウンスを聞き、私は街の中から現れた電車に吸い込まれる。脳内の賽子がころころ回転を始め、今回の目は【1】だった。


 電車は長いトラス橋をがたごど渡っていく。私は乳白色の天井に凪くんの笑顔を浮かべ、彼とのふわふわな将来を夢想――彼の輝きが強すぎて見えない! もう彼の何がすてきって、彼は人気アイドル並みのルックスと私をしびれさせる甘く幼い声を併せ持ってるのである。そして我が校は男子もブレザーだから、彼の黒い学蘭が尊くて尊くて……、

 橋を終えて真新しい高架ホームに着いた。ここは最近改装された乗り換え駅で本数の多い別の路線に移ることもできるが、神様からは乗り換えていいとは聞いていない。そもそも本数が多いといっても、快速や急行では停まる升が賽子の目に反するかもしれない。

 ああ、電車を降りた私は脳内の漆黒の幕を端から端まで眺めて思う、少しずつ恋の双六の「あがり」が近づいてきた。すべて終わったら神様――キューピッドはまた現れてくれるよね? もしだめでも、私は双六をすませれば恋はかなうと思いたかった。純朴な年下に言い寄るのは恥ずかしすぎるから、信じられるだけで違うのだった。

 勝手な未来を描きたがる胸のまま次の電車に乗ると、すぐに賽子の【3】が現れた。そのときふいに緑色のにおいがし、ついつい原因を探しそうになってぎりぎりこらえる。でも何だろう……、においは数秒で消えてなくなり、私は窓に目を逃がしてため息をついた。


①車窓には墨と鼠色が織りなす低い雲が広がる。私は不思議な双六が間違ってるとはまだ思ってなかったけど、次の駅を発車したらちりちり違和感、不安の赤いうずがひたひた迫ってきた。うわあと怖くなり、すべり込んだホームの平たいろく屋根に転げ落ちる私――。

②うう……、額の汗をぬぐって周囲を見回し、視線が電車側面の「普通」表示に止まってはたと気づく。さっき、これの前に乗った電車「快速」って言ってたよね。普通電車だけの路線で、なっ、何で? 鞄が揺れるほど身震いした私はまだ二駅目なのも思い出し、めまいをこらえて電車にはい戻る。脳内の賽子がみじめな私をけたけた笑い、空調の乾いた風が妙に生あたたかくて逆に寒気がした。


「――何か、私、変な気分がする」

 まだ午前中にもかかわらず、私はいたく疲労を感じて扉の細長い窓に左手を当てる。遠い霧の飛行機に心だけで右手を振り続ける。

 やがて私の降りるべき駅が近づいてきて、そばの座席にいくつも余裕ができた。地元の駅を出てどれだけ時間が経ったのだろうか、この電車はやけに人が少なかった。

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