恋の快速運転はどっちにする?

海来 宙

一. キューピッド

 私は十八歳の高校三年生、澤地さわちりん。華の恋する女の子である。寝坊して駅に二十分遅れて着いたら、私を乗せても遅刻しかさせられない朱色の電車の代わりに神様が現れた。

 いや、電車がすべり込む前に神様がやってきた。もちろん電車を走らせる鉄の線路の上じゃないし、現れた方向も違う。たぶん神様らしく雲から降りてきたんだと思う。それが〝たぶん〟なのは、遅刻が迫る私に空など見る余裕はなかったためで――。

 髪が黄金こがね色の神様は純白の翼を背中に銀色の弓矢を持ち、かわいいだけの平凡な人間の私を蛍みたいな若草色の光で包む。本当に蛍だったら太古の巨大昆虫の復活になるけれど、蝶よりも美しい神様はみずからを『愛の神キューピッドだ』と名乗った。

 キューピッド、そうそうキューピッドは天使じゃないし女神でもない。あと私は、ホーム上に数センチふうわり浮かんだ神様を人間によるコスプレだとはとても思えず、本物だと信じて疑わなかった。

 ┈┈まもなく、一番線に普通電車が参ります。

 ここは現実の世界えきだから、電車の接近アナウンスが始まる。私が「今から行っても遅刻、つまんなーい」となげけば、神様は『恋はしてないのか』と意外そうに目を見開く。恋、確かに好きな人がいてくれれば、学校は今よりもっと輝きを放つだろう。

 しかし、私はうなだれて神様に答えた。

「私、好きな人が学校にいないから――」

 私が恋いこがれる男の子、芹野せりのなぎくんは四歳も下の中学二年生で、当然ながら別の学校に通っている。でも今日だって、寝坊しなきゃ車内から通学途中の横顔をほんの一瞬拝めたのに……。

 ところが、キューピッドの神様は人間にはとても想像できない提案をしてくる。

「えっ、これ、双六すごろく?」

 駅のホームに現れた私の部屋の机ほどもある漆黒の厚紙。各ますには駅っぽい建物が白く描かれ、升と升を結ぶのは線路だ。私の当てずっぽうに深くうなずいたキューピッドの神様は、『これは恋を成就させる鉄道双六だよ』とほほ笑む。私一人だからか駒は用意されず、あるのは白銀しろがねの立方体、賽子さいころだけだった。

 てか恋を成就って、双六上で芹野家の最寄り駅にでも行けというのだろうか。私はまだ理解できていない双六と賽子に手を伸ばす。すると神様は、『「あがり」の駅に到着すれば恋がかなう』と言って長い睫毛を下ろし、さらに一つ補足して一気に弱まる蛍の光――、

 あっという間に神様も何もかも消失し、私は駅のホームに独りたたずんでいた。ううう、今のはいったい何だったのか。

 ┈┈まもなく、一番線に普通電車が参ります。

 おっと、同じアナウンス。私は時間が戻ったかと思ったけれど、寝坊しても忘れなかった腕時計の蒼い文字盤を確認すると十分ほど経っている。次の電車らしい。

 私はいいかげん学校に向かわなければとその電車に乗り、えっ、あれ?

 遅い時間帯のせいか混雑がやや甘い電車の中、私は双六も賽子も失ったはずが――いやそれは間違いないのだが、脳内のもやに黒い幕が張られ、妙に鮮明な〝その上〟で賽子が躍る。双六、始まった?

 ええぇえーっと、私の恋の双六でいいんだよねこれ。あと神様、『賽子の目のぶんだけ段落も先に進むかどうか選べて、どちらかに決めたら「あがり」まで貫くこと』って最後に言ってたけど……、あの、どういうこと?

 背の高いにび色の男性に囲まれた揺れる車内を背伸びで何とか見回しても、あの金髪キューピッドの姿はなかった。

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