第5話 病魔

亜紀が入院してから、三ヶ月が経過していた。


その日の朝、十文字はバス停でバスが来るのを待っていた。


愛車のセドリックはとっくに直って戻って来ている。しかし、十文字は毎朝バス停で待っていれば、ある日突然亜紀がまるで何事も無かったかのように、十文字の前に再びあの人懐っこい笑顔を携えて姿を見せるような気がして仕方無かった。


そんなある日。いつもの場所でバスを待っていた十文字の前に、高橋が姿を見せた。


「高橋さん!!」


「十文字さん、ご無沙汰しております」


「そんな事より、亜紀ちゃんはどうしたんです!」


高橋の隣には亜紀はいなかった。もしかして、まだ退院していないのだろうか?


「亜紀は……亜紀は……」


高橋の唇は震えていた。その後の言葉を必死に絞り出そうとしているように。










「亜紀は、亡くなりました……」


殆んど言葉にはなっていなかったが、唇の動きがそれを物語っていた。


「亡くな………」


そんな事、十文字には信じられなかった。いや、信じたくなかった。


「そんなっ!だって、入院前あんなに元気だったじゃないですかっ!」


記憶力に問題はあっても、それ以外はあんなに快活だった亜紀が、わずか三ヶ月で死ぬなんて事は十文字にはとても信じられなかった。



* * *


「あの病気は遺伝性のものだと、以前十文字さんにもお話した事を覚えていますでしょうか?」


「ええ、確か亜紀ちゃんのお母さんも同じ病気を患っていらしたとか……」


「そうです。実は、亜紀の母親、凛子も病状が急進行して、それからあの世に旅立って逝きました。

あの病気は、脳の機能が次第に失われていく病気です。

脳の機能は、なにも記憶だけではありません。最初は歩行機能……一週間で脚が麻痺して歩けなくなります。その次は腕。そして、その次が指。更に進行すると排泄機能、咀嚼機能……身体からだ中にチューブを巡らせ、声も出せなくなり……」


「もう、いいっ!! もう止めてくださいっ!」


十文字は両耳を塞いで叫んだ。これ以上の残酷な高橋の説明は、とても聴くに堪えられなかった。



なんで……どうして亜紀がそんな目にあわなければならないのだろう。たった一日しか記憶が維持出来なくても、亜紀はあんなに必死に一生懸命生きていたじゃないか。


亜紀の病気は遺伝性の病気だったのだという。後天性だったとしても、亜紀がこの世に生まれた時から既にその遺伝子には、あの残酷な病魔のシナリオが刻みこまれていたのだ。


その亜紀を前にして、なにひとつとして彼女の治療の力になれなかった事が、十文字は悔しくて仕方無かった。


ロボットなら。これがロボットなら、どんなに難解な問題でも立ち向かい解決していける自信がある。しかし、こんな病魔の前では自分はどれ程無力なのか。




バス停から五十メートル程離れたところに、亜紀と二人並んで記念写真を撮ったリュウゼツランが植えられていた場所があった。リュウゼツランは、花を咲かせた後にはもうその寿命を終えて枯れてしまうらしい。あと百年経てば、再びあの場所に花を咲かせるのだろうか。

自分は無理だが、長生きすれば亜紀ならもう一度見られるなどと云ったのが僅か三ヶ月前だったなんて、今でも信じられない。

その場所をただぼんやりと黙ったまま眺めていた十文字。

その時彼は、胸の中にいったいどんな思いを抱いていたのだろう。

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