第4話 入院

亜紀と十文字はあのバス停で毎朝


そして、決まったように互いに自己紹介をしてから、十文字は昨日、あるいはその前に話した事のある話題を今初めて聞いた話のように新鮮に驚いて見せた。


そんなやり取りが続いたある日の事。二人の関係に変化があった。



* * *



「おはようございます!


「えっ?……………」


まさか、記憶力が戻ったのかと驚く十文字の顔をいたずらっぽい笑顔で見ると、亜紀は自分が持っていた鞄の中から、一冊のノートを取り出してをして見せた。


「アタシ、すぐ忘れちゃう病気みたいだから、んです」


十文字がそのノートを見せて貰うと、そこには昨夜のうちに亜紀が書いたであろう様々な大事な出来事、大事な約束、大事な物、そして大事な人が、それぞれ系統別にノートにびっしりと書き綴られていた。


その中の『大事な人』の欄には、十文字の名前もあった。名前の隣には、亜紀が色鉛筆で描いたであろう、あまり上手に描けているとは言えない眼鏡を掛けた十文字の上半身の似顔絵が添えられていた。


「この、僕の名前の横に描いてあるのは、ひょっとして僕の絵だろうか?」


「そうだよ。上手に描けているでしょう?」


「うーん、どうかな……僕は、こんな顔しているだろうか……?」


わざとらしく顔をしかめて首を傾げる十文字に、亜紀は頬を膨らませて彼の肩を叩いた。とはいえ、勿論本気で怒っている訳では無い。


「もうーーっ、十文字さんのイジワル!」


「ハッハッハッ、ごめん、ごめん。もっといい男に描いてくれたら褒めてあげたのに」


「分かりました!今度描く時は、もっとハンサムに描いておきます!」


そう云って亜紀は笑ったが、その後十文字から返してもらったノートの時、急にその笑顔を真剣な表情に変え、彼女は十文字に向かって少し言い辛そうにぽつり、ぽつりと語りだした。


「あのね、十文字さん。……アタシ、十文字さんに伝えなければいけない事があるの……」


「伝えなければいけない事?」


十文字は、亜紀からノートを見せて貰った時にいた。なので、亜紀がこれから何を云おうとしているのか、全く見当が付かないでいた。


「アタシね、入院する事になったの」



* * *



「入院? それは、いつから?」


「今日から……」


亜紀は、俯いて少し寂しそうに答えた。


「……だから、しばらく十文字さんとは会えなくなっちゃう」


「そうか、今日からか……それは急だな」


十文字は、顎に手を当てて何か考えているようだった。


「ごめんなさい……もっと早く云えば良かったね……」


一日経てば記憶を失ってしまう亜紀にとってそれは無理な注文だと、十文字は痛い程理解していた。しかし、それにしても時間が足りない、もうすぐバスが到着する時間だ。そんな短い時間で亜紀と別れるのは、今の十文字にはとても承服出来るものでは無かった。



「高橋さん、病院には次のバスに乗らなければ間に合いませんか?」


十文字は、突然亜紀の横にいた高橋に問い掛けた。


「いえ、病院は待ち時間も十分考慮して予約を取っていますので、次のバスでなくても大丈夫だと思いますが」


「よし、それならあと三十分は大丈夫だな」


十文字は、バスの時刻表と自分のスマートフォンを見比べて独り言のように呟いた。


「亜紀ちゃん、今からここでを撮ろう!」


「記念写真?」


「そう、カメラならここにある!」


そう云って十文字は、自分のスマートフォンを掴んだ手を高々と挙げた。


なんでこんな簡単な事に気付かなかったのだろう。この写真の画像があれば、入院中にたとえ二人が会えなくても、この画像を見て亜紀は僕の事を思い出せるに違いない。


十文字は、会社に連絡して私用で出社が遅れると上司に伝えた。彼にとっては今この瞬間でもっとも優先すべき事柄は、間違いなく会社より亜紀だった。


* * *



「あの辺りがいいかな……」


バス停から五十メートル程離れた場所に、一見ヤシの木かと見間違えるような背の高い植物が植えられていた。十文字も、いつだったか午後のワイドショーで観た事があった。


「あの植物の下で撮ろう!」


その付近には撮影の邪魔になるような障害物は無い。写真を撮るには最適な場所のように思えた。


「あっ!


それを見つけた亜紀が、嬉しそうに指を差して叫んだ。




十文字と亜紀が二人で並んで撮った記念写真の画像をニヤニヤと眺めながら、亜紀が云った。


「ねぇ、十文字さん。それなら今度からよ!」


花が咲いていたのを見つけたのがそんなに嬉しかったのか、亜紀は十文字にそんな提案を持ちかけた。しかし、そんな亜紀に対して十文字は呆れたように云った。


「亜紀ちゃん。君はのかい?」



【リュウゼツラン(竜舌蘭)】外観が伝説の生物、竜の舌のように見える事からこの名前が付いたという。

百年に一度だけ花を咲かせる大変珍しい植物。2024年は温暖化の影響か、全国のあちこちで開花の報告がありテレビのワイドショーでも話題になった。


「百年に一度! 十文字さん、それホント? 」


とても信じられないといった顔で、亜紀は十文字に確認した。


「本当だよ。だから、少なくとも僕はあの花が次に咲くのを見る事は出来ない。亜紀ちゃんなら、長生きすればもしかしたらもう一度見られるかもしれない」


「へえーーー百年かあーー。じゃあ、アタシあの花が咲くところを見に来ようかな」


亜紀はリュウゼツランの花をまじまじと見つめ、独り言のように呟いた。


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