第8話 ヘイリーの推理

 ナットの話しを聞いたのち、ヘイリーは再びサーカスサークルの小屋の前へと足を運んだ。

 先ほどよりは野次馬は数を減らしていた。それというのも、ここにいてもなにも事件は移ろいを見せないからであろう。


 すでにエイザンは犯人と決めつけられており、あとは警察の到着を待つのみなのである。端から見ていて面白いことなど何一つないのである。


「なにかわかりましたか、ヘイリー・フォード先生」


 ニースが鼻で笑うようにそう問うた。


「少しだけ気になることがある。だから、もう一度だけ小屋の中に入らせてもらうよ」


 ヘイリーはそのままずかずかと小屋へ足を運ぶと中心部にどすりと腰掛け、瞳をゆっくりと閉じた。

 そして、頭の中でこれまで得たピースをつなぎ合わせていく。


 現場はこの小屋。凶器は小刀。犯行時刻は深夜。 


 ゆっくりと離れていた事実と事実が重なり合っていく。そして、真実が少しずつ顔を現していく。


「そうか。そういうことか」

「先生、分かったんですか?」


 それまで静観していたマリーリが興奮気味にヘイリーに詰め寄る。


「ああ、全てね」


 ヘイリーはマリーリとともに小屋を出た。 


「なにかわかったかい、ヘイリー・フォード」


 オスがそう問うてくる。


「ああ、この事件の真相がね」

「つまり、犯人はエイザンだっていうのが確定したってわけだな」

「違う、俺は何もしていない」


 ニースの言葉にエイザンは狼狽する。


「まあ落ち着きたまえ、君たち。順を追って話していくから」


 ヘイリーの言葉に二人は黙った。


「さて、まずは前提を改めて確認しよう。オスくん、君たちがエイザンを犯人だと断定した理由は彼がサーカスサークルの所属であること。その時間のアリバイが確定できないこと。凶器に使われた小刀が彼のものであること、そしてそれを操る魔法を使えること。こんなところで間違いなかっただろうか?」

「ああ、相違ない」


 オスは頷く。


「たしかにエイザンくんには痴情のもつれという動機たり得るものはある。しかし彼が犯行を行ったと仮定したとき、いくつか不自然な点があげられる」

「不自然な点、ですか?」  


 マリーリはその言葉を復唱した。


「うん。まず第一に現場。サーカスサークルの小屋内での犯行だったわけだが、なぜ被害者はのこのことそこまでやってきたのか」

「それはエイザンに呼び出されたからだろう」


 ニースがさも当然のように答える。


「本当にそうだろうか。深夜に以前告白をこっぴどっく振った相手から小屋に来るように言われた。それでのこのこやってくるのは不自然だ」


 これまでの話しを聞く限り、シャーディーという女性がエイザンが夜に会いに行くようには思えない。

 それにはさすがのニースも言いよどむ。


「まあ、とはいえなにか弱みを握っているだとか行かざるをえない状況にあった可能性もない、とは言い切れいない。ひとまずは呼び出されたと仮定しよう」

「そんなこと、俺はしていない」


 エイザンが声をあげる。


「あくまで仮定の話だよ。さて、まずは小屋に被害者を呼び出す。そして、魔法でナイフを操ってざくりと後ろから背中を何度も突き刺して殺害した。その後、何事もなかったかのように小屋から去って行ったわけだ」


 マリーリはそんなヘイリーの話しを聞きながら小さく首を傾げる。


「そのまま小屋を出て行くっていうのは、なんだかおかしいです」


 どうやらマリーリもその違和感をなんとなく覚えたようだ。


「その通り。そこが不自然な点だ。犯行後に遺体も凶器も残したまま去るというのは、まるで自分が犯人だと言っているようなものだ。もし動揺して一目散に現場から立ち去ったからだったとしても、そのまま部屋に帰るのでは説明がつかない。その場合に取り得る行動は学内から逃亡するか冷静になって自首するかあたりだろう。そういう意味で、エイザンが犯人であることはあり得ない」

「だ、だから言っているだろう。俺は犯人じゃないって」


 エイザンが安堵の混じった声でそう叫んだ。

 ヘイリーの言葉はその日初めてのエイザンに対する擁護であった。きっと彼の感じた安堵の気持ちははかりしれないものであろう。


「エイザンが犯人じゃないとしたら、誰が犯人だっていうんだ」


 オスがそう尋ねる。それはもっともな問いだ。誰もがエイザンが犯人だというスタンスで動いていたのだから。


「犯人は君だ。ニース」


 だから、そんなヘイリーの紡いだ言葉に場は驚きの感情を帯びた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 僅かに訪れる沈黙。そんな中で最初に言葉を発したのはニースだった。


「なにを馬鹿な。俺がシャーディー殺しの犯人だって。そんなはずないだろう。その時間のアリバイがあるし、そもそも動機がない」


 ニースはそうつらつらと言葉を吐き出していく。

 想定通りである。ヘイリーは一歩足を踏み出す。


「そうだね。君にはアリバイがあるように見える。まずはそこから話していこう」


 ヘイリーはそう言って小屋の前へと歩みを進め、壁に手をついてニースらを見つめた。


「改めて確認しよう。被害者の殺害された時間は魔力残滓から見るに深夜一時ごろだ。そしてニースの証言から彼は一時ごろまでの間に寮の庭の前で目撃されている」

「そうだ。だからどう考えたって俺の犯行は不可能なんだよ。それに、いまの状況だと、まだエイザンがやっていないとも言い切れないんじゃないか。犯行に使われていたのはそいつのナイフなわけだしよ」


 たしかにその通りである。エイザンの犯行の可能性は限りなく低いとはいえ、彼でないということも明らかにはできていない。そこをつこうとするのは至極まっとうな話しである。


「そのナイフについて、一つ言えることがある。せっかく実物があるのだし、小屋の中のものを見てみよう」


 ヘイリーは一同にそう呼びかけた。みなの足が小屋へと向く。しかし、一人気の毒にも椅子に縛り付けられた青年が取り残されていた。


「ニース。エイザンも解放してくれないか」


 さすがにいまこの状況でもまだ縛られ続けてというのは可哀想である。


「まだこいつが犯人でないと決まったわけじゃない。逃げるかもしれないし、俺たちに牙を剝くかもしれない」

「それはないと思うよ。それこそそんな行為をしようものなら自分が犯人だと明かしてしまうようなものだからね。それに万が一があったとしてもこちらには優秀な魔法の使い手がいるから」


 ヘイリーはマリーリの肩にぽんと手を置いた。

 そんなことないですよ、とマリーリは髪をいじりながら謙遜する。

 たしかに一見するとマリーリはただの女の子に見える。しかし彼女は魔力の量も魔法の質も一級品である。恐らくエイザンのみならずここにいる全ての人間を一人で制圧できる。伊達に魔法の資質からスカウトされて入学しているわけではない。


「解きなよ、ニース」


 オスの言葉にニースは大きなため息をついたのち、エイザンの拘束を解く。 そうして、すべての関係者が小屋の中へ足を踏み入れた。そこには刃が血に染まったナイフが先ほど見たそのままに置いてある。


「まず、このナイフが凶器であることに間違いないだろう。警察が来て、刃と傷口を照合すればすぐ分かる。問題はそこではない。持ち手を見て欲しい」


 みなの視線が刃の柄に向いた。


「血が一滴もついていないだろう。これがエイザンの犯行ではない証明になる」

「どういうことですか、先生」


 マリーリが疑問を呈する。


「エイザンがナイフを用いるなら間違いなく魔術を利用するだろう。サーカスをしているくらいだ。刃物の扱いには長けているのであろう。とはいえ、ナイフを操って動く標的を刺したさいに返り血が全くつかないというのは考えられない」


 止まっている人間を刺すときですら返り血はつく。ましてや動いている人間であればなおさらだ。


「自分の犯行でないことをアピールするために拭き取ったという線は考えられないか」

「いや、その冷静さがあるのであればナイフを隠すか、いっそのこと刃の血も拭き取って元の場所に置いておくだろう」


 わざわざ柄の血のみを拭き取ってエイザンが得することなど皆無なのである。「つまりどういうことなんですか、先生」


「うん。そもそもこの刺殺は魔法によってではなく、人の手によって行われたということだ」


 オスやその取り巻き、マリーリは首を傾げた。


「つまり、直接ナイフを手に持って背中を突き刺したのさ。そしてそのさい、持ち手を何かで覆ったために返り血が柄につくことはなかった」


 そう、犯人は魔法など使っていないのである。

 シャーディーの背中に目がけて凶器を振るったのだ。


「待ってくれ。ここで魔法が使われていたという話しはどうなる」


 オスの指摘はもっともだ。

 事件当時、現場で魔法が使われたことは確認済み。つまり、刺殺する以外の用途に魔法が使われていたわけである。


「その用途については、被害者が物語っているよ」


 ヘイリーは遺体に近づくと勢いよくその布をまくり上げ、足元が見える状態にした。


「僕にはどうにも最初から引っかかっていることがあったんだ。彼女の履いているヒールには傷がついている。オスくんは追われて慌てて転んだのではと言ったが、仮に転んだとしてつま先から足の甲にかけてが傷つくというのはいささか不自然だ」


 ここの床は平坦で障害物となりそうなものも全て壁際に置かれている。そしてそれらが散らかった形跡はない。唯一凶器であるナイフが落ちているのみである。ここでなにかに躓いたような転び方をするというのは奇妙な話だ。


 足をくじいてしまってなどであれば考えられるが、靴の傷や足首の状態から足を捻ったようには見えない。


「つまり、転倒の要因が魔法であるということか?」


 その通りとヘイリーは頷く。


「ではなんの魔法か?それも彼女の靴が明らかにしてくれる」


 ヘイリーはしゃがんでシャーディーの靴を脱がした。そして再び立ち上がった。


「な、なにをするんだ」


 ニースが激高してヘイリーの胸ぐらを掴んだ。

 だが、ヘイリーはひどく落ち着いた様子で口を開いた。


「さて、靴の甲を見てほしい」

「無視してんじゃねーよ」


 握りしめられた右の拳を打ち付けようとする。

 しかし、その拳がヘイリーへ届くことはなかった。空気の渦がニースの腹部や顎、脛などを打ちつけ、その衝撃でどすりと尻餅をついた。 


「い、一体何が」


 突然の出来事にニースは呆けた表情を見せる。自分の身に起こったことを理解しきれていないようだ。そして、オスらもその顔には戸惑いの色が見える。


「マリーリくん、手荒なまねはよしたまえ」

「でも先生。そうでもしないと倒れていたのは先生の方でしたよ」


 ニースを迎撃した正体はマリーリであった。

 彼女の使う風魔法がニースの身体を打ち付けて倒したのである。ヘイリーもなにか危険があればマリーリが手を出すだろうと思い、ニースに絡まれている最中もとくに動かなかったのだ。


「く、くそが」 


 ニースの掲げられた右手。その周囲にみるみるうちに砂が集まっていく。そして、指の爪ほどの大きさの砂でできた球体が造られる。

 その用途は弾丸のようなものだろうか。強烈な威力を敵にぶつけるものであることは疑うべくもない。


「それだよ、それが見たかった」


 ヘイリーは声を上げた。


「ど、どういうことだ」


 ニースが依然として右手をかざしながらやや困惑の混じった声を上げた。


「被害者の靴の甲には砂が付着しているんだ。初めはこの小屋内のものかと思ったが、この床は石灰で固められている。そこに甲を打ち付けるというのは考えにくい。だから、なにか砂状の作られた障害物に足をかけたのだと思ったのさ。そして、いまニースくんが作り上げた砂の色とまさに同じだ。君が魔法で彼女を転倒させたのだろう」

「なるほど。そして顔から転倒したためにがら空きの背中を突き刺したというわけですね」


 マリーリが納得したように声を上げる。


「さて、これでもまだ申し開きがあるかな?」


 ヘイリーの刃はニースを少しずつ切り裂いていき、その首元へと迫る。

 追い詰められた獣の如き瞳をした男。


 さあ、どう出るか。ヘイリーはニースを見やる。その顔は下を向いており、正しく表情を読み取れない。


 次の瞬間、ニースは不意に顔を上げる。そして、エハハハハハハと不敵な笑い声を上げた。


「ヘイリーさん、あなた、いいミステリー作家になれるんじゃないですか。話しとしてはおもしろい。でもね、一つ触れていないところがあるんじゃないですか。俺はその時間寮にいた。これはどう説明するんですか?」

「たしかにその通りだ。そのアリバイが崩れない限りは犯行も難しい」


 オスが顎に手をあて、考え込むようなそぶりを見せる。


「そう、それは鉄壁のアリバイのように見える。だが、そのトリックももう解けているよ」


 ニースの顔がやや歪む。 


「そうか。それなら話してもらいましょうか、そのトリックとやらを」 

「うん。今回の目撃者はソヨミネという学生だ。彼は頻繁に飲み歩いては深夜に帰宅している。その習性を利用して、自身がまるでいるように見せたんだ」「どういうことですか?」 

「つまり、ソヨミネくんが見たニースくんは偽物だったというわけだよ。おそらく、砂で作った人型の人形だろうね。そこに服を着せれば暗がりでかつ遠目から見たさいにごまかせる」


 ソヨミネはニースのしゃがんだ後ろ姿を目撃したと言っていた。

 彼の顔を見たわけでも声を聞いたわけでもない。また、酔っていて判断力もおぼつかなかったはずだ。これほど欺きやすい人間もいないだろう。


「たしかに、それならソヨミネさんを誤魔化せますね」


 はあ、とニースは嘆息した。


「面白い仮説ですね。だが、そんな妄想で犯人に仕立て上げられたらたまったもんじゃありませんよ。俺はそのときそこにいて花を見ていました。それとも、それを覆すような証拠があるんですか」 

「証拠ならあるよ。昨夜、君は庭に座り魔花を観察していたと言っていたね」

「ええ、そうですが」

「僕も庭に行かせてもらったよ。素敵なマリンライトだった。さて、昨夜何色の花が咲いたか教えてくれないか」


 そんなヘイリーの問いかけにニースは言葉を詰まらせた。

 みるみるうちに顔が青ざめていく。


「どういうことだ?」

「マリンライトは開花に発光を伴う花なんだそうです。つまり、何色の花が咲いたか答えられるとういのがその場にいたことの証明になるんですよ」 


 そして、それはまた逆もしかりである。その色が分からないということは、自身がその場にいなかったことを自白しているようなものだ。

 それまでの勢いは完全に消失し、ニースは無言のまま僅かに俯く。 


「ち、違うわよ。これは何かの冗談よ。そうでしょ、ニース?」 


 リネの言葉に、しかしニースはうんともすんとも言わず、僅かに顔を上げた。


「白状しなさい」 


 マリーリの強い声音に、ふっと小さく息を吐いた。


「ああ、そうだ。俺がやったんだ」


 ニースの瞳は視点が虚空を捉えている。


「そう、だったのか。しかし、一体動機はなんだったんだ」 

「それは、シャーディーの浮気だろう」


 オスの言葉にそう返した。ヘイリーはナットに聞いた言葉を思い返す。


 ほんの噂程度であるが、シャーディーは彼女の専門であるとある魔法服飾学の教員にえらく好かれていた。たびたび教員室に呼び出されたり、一緒に出かけることもあったようで、怪しい関係でないかと邪推する声が僅かながらにあったということだ。


 とはいえ、シャーディーはエルーナコンテストで選ばれるくらいに美貌のみならず服飾への興味関心も高く、それほど学生の間で流布していたものではなかったようである。

 だが、同じ大学の教員という立場からから言わせてもらうなら、その話が出た時点でほぼ黒である。とくに、魔法服飾学は専攻の学生も多い。ヘイリーのゼミならいざ知らず、あまり一対一になるような機会も訪れにくそうに思う。


 ここからは推測であるが、そんな教授とシャーディーは恋愛、あるいは肉体的な関係にあったのだろう。そしてそれがふとした拍子にニースの知るところとなった。そのことに恨みを持ったニースが犯行を起こしたというところか。


「ヘイリーさん、あなたの言うとおりです。シャーディーはメシーナ教授と恋愛関係にあった」


 そこからニースは動機の詳細を語り出した。


 二人が付き合いだしたのは二年前のこと。しかし付き合ったあともなかなか距離が縮まらなかった。

 ニースに何も言わずに出かけることも多く、ある日、不審に思ってついていったところ、教授との密会現場に遭遇したようである。


 シャーディーに問い詰めたところ、元々かなり年上の人間に惹かれる質であり、ニースは学生たちからの告白を防ぐいわば当て馬のような存在であったことをカミングアウト。その上で、ニースが他の恋人を作っても構わないためこのままの関係を続けて欲しいとお願いしたようである。


 ニースははらわたが煮えくりかえりそうになりながらも、平常心を装いその願いを聞き入れたふりをした。そして、今回の犯行に望んだというのが事の顛末であった。


「元々自持ちの凶器を使おうと思ったんだが、たまたまサーカスサークルのナイフが落ちていたものだから使わせてもらったんだ。悪かったな」


 恋人を手にかけた罪を認めた男に、先ほどまでの勢いはなかった。

 エイザンはそんな謝罪にとくになにも言葉を返さなかった。


「時期、警察も訪れる。悪いが拘束させてもらうぞ」


 オスの右手から縄が出現し、ニースの腕と足を縛り上げる。そして、エイザンが先ほどまで座っていた椅子に今度はニースが座ることとなった。


 しばらくすると、警察が事故現場へとやってきた。その場にいたヘイリーらは事情聴取を受ける。ニースはそこで自身の罪を認め、その腕に手錠がかけられることとなった。

 ニースは立ち上がって彼らにされるがままに、罪の懺悔へとその歩みを進めていく。


「最後に一つ聞いてもいいかい?」


 その哀愁漂う背中がぴたりと止まった。


「なんだ?」

「なぜ、でまかせで花の色を答えなかったんだい。たしかにマリンライトは無数の色に発光することで知られているが、適当に答えて当たる可能性もあっただろう」

「これでも、魔法生物学専攻の研究者の端くれだ。そこに嘘はつけない」


 専攻で学ぶ上での矜持。

 この事件が起こらなければ、彼はその分野で名を残す研究を紡ぐことができたかもしれない。そんなありもしない未来の想像が、ヘイリーにもの悲しさを感じさせたのであった。

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