一番のファン

増田朋美

一番のファン

かなり寒くなって、外へ出るのはちょっと躊躇するかなと思われる季節になってきた。ある意味では、こういう季節になって良かったのかもしれない。一年中暑いとなってしまうと、ちょっと困ってしまうことになる。

そんな日であっても、製鉄所はいつもどおりに営業していた。製鉄所というのは単なる施設名で、鉄を作るところではなく、居場所のない女性たちが、勉強や仕事をするための部屋を貸し出している、民間の福祉施設である。一応住み込みで生活する間借りという形で利用することもできるが、大体の利用者は、自宅から通っている。そのような利用者は現在3名で、一人でバスやタクシーを利用して通うものもいれば、家族の送迎により来所する利用者もいる。その日やってきた利用者は、母親に送ってもらうという形で来所したが、なんだかひどく落ち込んでしまっているようであった。

「どうしたんですか?大垣富士子さん。なにか落ち込むことがありましたか?」

製鉄所を管理しているジョチさんこと曾我正輝さんは、心配になって彼女に聞いてみた。すると富士子さんの代わりに、母親が答えた。

「すみません。この子、長年ファンだった、漫画家の方が亡くなって、落ち込んでるんです。」

「はあ、それはなんていう方ですかね?」

とジョチさんは聞いた。

「ええ、何でも、堀之内重美さんという方だそうで。」

ちょっとピンとくることはなかったが、ジョチさんはとりあえずそうですかと言っておいた。

「なんでも富士市に住んでいる漫画家の方らしいのですが、生前富士市の歴史漫画を書いたことで、有名になったそうなんです。この子も歴史が好きだったものですから、それでその人の漫画を読んでいたみたいです。」

「そうなんですね。確かに、尊敬する人がなくなったりすると、ちょっと落ち込んだりしますよね。了解いたしましたよ。誰だって落ち込むことですから、あまり気にかけずに見守ってあげてください。」

心配そうにしているお母さんに、ジョチさんはそう言ってあげた。大垣富士子さんは、その日、一日指定された利用時間まで製鉄所の中で勉強を続けていたが、なんだかとても悲しそうで、気軽に声をかけられそうな雰囲気ではなかった。テレビのニュースで、漫画家の堀之内重美さんがなくなったニュースも報道されたが、他の利用者がそれは見せないようにしようとテレビを消してくれた。とりあえず退所時刻になり、お母さんが迎えに来るまで、大垣富士子さんは、何も口を効かなかった。そうなってしまうのが、大垣富士子さんなのである。落ち込むときには、そうやって誰とも口を効かなくなるほど落ち込んでしまう。確かに、悲しみを感じることができるのは、とてもいい心の持ち主であるのかもしれないが、社会生活をやっていくうえでは、重大な障害になってしまうこともあるのである。ジョチさんは、明日は来てくださいねと言って、彼女を見送ったが、彼女は何も言わないでさっさと帰ってしまった。

困ったなと言う顔でジョチさんが、大垣富士子さんを見送っていると、

「まあ、大往生というわけではなかったようですよ。確かに、普遍的に人気だった漫画家というわけではありませんが、精神障害のある人とその家族を主人公にした作品が多かったというわけで、一部の人からの支持はあったようです。」

水穂さんが、スマートフォンを持って、ジョチさんに言った。ジョチさんは、水穂さん起きてきたらだめでしょうというのも忘れて、

「そうだったんですか。」

と言ってしまった。

「ええ、ただ精神病院や教育機関などではあまりグロテスクに描きすぎているということで、支持されていなかったようですけどね。テレビドラマ化を嘱望されたこともあったようですが、やはりグロテスクすぎるということで却下されています。」

水穂さんがそう言うと、

「そうなんですか。それで富士子さんもその漫画家の作品が好きだったというわけですね。確かに、富士子さんのような人であれば、そういう漫画を読むかもしれませんね。」

ジョチさんはそう答えた。

「ええ。何でも、精神疾患を持つ患者さんと、そのご家族が本気でぶつかりあうシーンが見ものだったようです。ときには暴力的なシーンも有るようですが、それがかえって、読者の気を引いたのではないかと。」

水穂さんは、スマートフォンの画面をジョチさんに見せた。そこには、拳で親子が殴り合うシーンが描かれていた。どちらかが疲れて終わるまで殴り合い、そこでやっと親子の本音を語りだすシーンは確かに、映像化するのは極めて難しいと思われた。

「リアルに書かれていますね。ストーリーも救いようが無いモノが多かったんでしょうね。なにか持病でもあったのでしょうか?」

ジョチさんが聞くと、

「それが、インターネットのニュースを見た限り、彼はそのようなものはまったくなかったようです。警察は自殺と判断されているようですが、でも、自殺をするきっかけがないと、抗議する動画が載せられています。」

と、水穂さんは、動画サイトを見せた。そこには太った中年の男性が、堀之内重美さんは自殺ではないと必死で訴える様が掲載されていた。この男性もおそらく精神疾患患者なのかもしれない様子があった。それだけ精神障害のある人達に支持されてきたのだろう。

「そうですか。最近有名人の自殺が多いですが、こういう人には自殺なんかしないで、もっとたくさんの作品を生み出してほしかったですね。ですが、世の中と言うのは、そうもいかないのかな。」

ジョチさんは、ちょっとため息を付いた。

「そうですね。できれば、富士子さんや他の利用者さんのように、問題を抱えている人の代弁者になってほしかったですね。」

水穂さんも、大きなため息を付く。その後水穂さんが咳をしたので、ジョチさんはすぐに水穂さんに布団で寝るように言った。今のところ製鉄所で間借りをしているのは、水穂さんだけであった。

それから次の日である。ジョチさんが、他の利用者たちの受付をして、杉ちゃんたちは、いつも通り着物を縫ったりしていたところ、製鉄所の固定電話がなった。

「はい、曾我でございます。」

ジョチさんが電話に出ると、

「ジョチさん!なんとかしてくれ大急ぎ!」

と困った声で華岡がそう言っているのが聞こえてくる。

「なんですか。華岡さん。なんとかしてくれと言われても困ります。何があったか説明してもらわないと。」

ジョチさんは、急いでそういったのであるが、

「大垣富士子という女性と、堀之内弥生という女性が警察署に押しかけてきたんだよ。堀之内重美の死因は自殺じゃないからって!なんとか止めてくれ!」

と華岡が言うので、女性二人が警察署にいるのだと言うことがわかった。それに大垣富士子は、製鉄所の利用者であるので止めなければならなかった。ジョチさんは、すぐ出かける支度を始めた。杉ちゃんが僕もいくというので、小薗さんにワゴン車で迎えに来てもらい、二人で警察署に向かった。

警察署に到着して二人が車から降りると、華岡がやってきて、大垣富士子を止めてくれと、再度ジョチさんに懇願した。杉ちゃんたちは、とりあえず、警察署の刑事課に通される。

「お願いします!あたしたちはちゃんと知ってます。堀之内重美先生は、自殺なんかする人ではありません。だからもう一回調べ直してください。」

と、大垣富士子さんの声が聞こえてきた。

「あたしからもお願いします。堀之内は、死ぬ前日まで私と一緒でしたが、そのようなことは全くありませんでした。ご機嫌で、ご飯のことを楽しみにしていました。だから、自殺するような雰囲気はなかったんです。それに、漫画家としても順風満帆で、編集者の方も締め切りを守ってくれる良い人材だと褒めてくださいました。それなのにどうして、堀之内が自殺をしなければならないんですか。どう見てもおかしいのです。」

と別の女性の声がする。

「だから、堀之内さんの事件のことは、もう自殺ということで決着がついているんですよ。それは納得していただかないと。他に、堀之内さんを恨むような容疑者も見つかりませんでしたよ。」

刑事が言い返しているが、二人の女性たちは、真剣な顔つきで、堀之内先生は自殺では無いと一生懸命抗議するのであった。

「ちょっとまってください。本当に、堀之内さんを恨むような人物はいなかったんですか?」

とジョチさんは、近くにいた刑事に聞いてみる。

「ええ、いませんでした。そこにいる奥さんが言う通り、堀之内は時間を守る、締切を守るということで、評判は良かったようですし、敵対する人物もいませんでした。」

刑事がそう答えると、

「それで、誰かにひどいことを言われたとか、そういうことはなかったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「全くありません。まあ確かに、漫画の内容は暗くて重たすぎるということであまり支持はなかったようですけど、でも、一部の障害者からは、熱狂的なファンも出ていたようです。」

と、華岡が答えた。

「じゃあ、ライバル視していた人もいなかったのか?」

杉ちゃんが言うと、

「ええ、何よりも、今までタブーとされてきた自傷行為や、家庭内暴力のことを漫画家する人物は少ないですからな。あまり取り扱わないジャンルということで、彼をライバル視する漫画家もいなかったようですし。」

と、別の刑事が言った。

「そうなんだねえ。つまり向かうところ敵なしだったわけか。」

杉ちゃんが言うと、

「まあ確かに、教育機関では、病気の描写のことで、なにか注意されたことはあったようですけど。」

刑事がそう答えた。

「じゃあ、それを気にして自殺してしまったということは?」

杉ちゃんがまた聞くと、

「いいえ、主人は、そんなことでいちいち気にする人ではありませんでした。確かに、あたしたちのところに抗議の手紙が来たことはありましたが、主人は、教育機関なんて、そんなもんだと笑い飛ばしてました!だから自殺するようなきっかけなんて何も無いんです。それなのに、自殺だなんてあんまりじゃないですか。どうかお願いします。もう一度調べ直してください!」

「あたしからもお願いします。堀之内重美先生のファンの一人として、絶対に放っておけません!」

奥さんがそう頭を下げると、大垣富士子さんも一緒に頭を下げた。

「ちょっと待って。富士子さん、どうして、堀之内重美先生の奥さんと知り合いになったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「SNSよ、杉ちゃん。投稿しているのに返事が来てそれで仲良くなったのよ。」

大垣富士子さんはそういった。

「ええ、彼女はアシスタントとして雇ったわけでは無いですけど、あたしの話をよく聞いてくれました。だから、子どもがいなかった私達は、娘みたいにかわいがっていました。」

奥さんがそう言うので、現在はそういうことでも友だちになれるんだなと、杉ちゃんたちは驚いてしまった。

「とにかくですね、堀之内弥生さん。彼の親族や、仕事の関係者で、彼のことを恨むような人は全くいなかったんです。だから、他殺とみなされるようなことは無いんですよ。死因は一応毒物による中毒となっていますが、堀之内さんの遺体が発見されたとき、近くに紙コップが落ちていましたね。それからは、堀之内さんの指紋以外検出されてないんです。もし誰かが飲ませたら、その人の指紋が出るはずでしょ。それがまったくないわけだから、堀之内さんが自分で飲んだとしか考えられないですよ。それでも、弥生さん、堀之内さんは自殺ではないとお考えですか?」

華岡が、一生懸命そう言うと、

「でも、堀之内先生は、自殺するような理由がありませんでした。」

と大垣富士子さんが、代わりに答えた。

「確かに、事件を早く終わらせたいとか、そういう気持ちがあるんだろうけどさ。でも、これだけ自殺する理由が無いと言う人間が二人も出たんだ。だったら、全部の人間に納得してもらうように説明できるようにしたほうが良いんじゃないのかな。警察ってのは、偉そうな顔してればいいかっていうもんでもないでしょうしね。」

華岡の話に、杉ちゃんがでかい声で言った。確かにその通りだなと華岡も呟いた。

「まあ何も出てこないだろうけどさ。とりあえず、堀之内重美の人間関係をもう一度試してみるか。もし何も出てこなかったら、ちゃんと納得してくださいませね。」

華岡がそう言うと、他の刑事たちは面倒くさそうな顔をした。大垣富士子さんと弥生さんは、とてもうれしそうな顔をした。華岡が、今日のところは帰ってくれと言うと、ジョチさんは二人の女性を送って行くと言った。

「本当にありがとうございました。あたしたちは、堀之内重美先生が自殺ではないと信じています。だって、あれだけすごい漫画を書いた人だもん。簡単に自殺するような人ではないと思いますよ。少なくともあたしは、先生の漫画で、ずっと励まされてきた一人ですし。」

大垣富士子さんはそう言っている。

「それにしても、富士子さんが、堀之内重美さんの奥さんとお友達になるとは思わなんだ。」

杉ちゃんは驚いていった。

「ええ、あたしもとても丁寧なファンレターをもらって、びっくりしました。でもそれが新たな漫画を書く原動力になってくれました。あたし自身も病気になって、堀之内には随分迷惑をかけましたが、富士子さんのファンレターをいただいて、もう一度頑張ろうと言う気持ちになったんです。」

弥生さんはとてもうれしそうに言った。

「そうですか。奥様もなにか症状があったのですか?堀之内さんの漫画では、娘さんと、父親の確執のようなことが書かれていましたけど。」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ。漫画の主人公のモデルは、私なんです。私が、心の病気になって、いつも誰かが側にいなければならなくなったとき、堀之内は会社をやめて、いつでも家にいられるように漫画を書き始めたんです。特に、絵の才能とかあったわけではありませんが、でもストーリー性はうまかったって、初めて会った、出版社さんが言ってました。」

と、弥生さんは答えた。

「そうですか。それであれほどリアルに描いていたわけですね。変な話ですが、本当に、堀之内さんに敵対したりする人物はいなかったのでしょうか?」

とジョチさんが確認するように聞いた。弥生さんは少し考えて、

「ええ。いなかったと思います。ファンレターをくれたのは、精神障害のある方ばかりでしたし、まあ確かに、有害だとされたこともあったんですけど、でも、すべて断ってましたから。」

と言った。

「もしかして、堀之内さんが、わざと、敵対者がいても隠していたとか、そういうことは考えられないかな?」

不意に杉ちゃんが言う。

「お前さんや、そこにいる大垣富士子さんは、堀之内さんの一番のファンであるわけだから、それを傷つけないように、敵対者がいても隠していたとか。」

「杉ちゃん、何を言うの?そんなわけ無いでしょう。第一、隠し事をしていたら、あたしたちもそうだけど、精神疾患の家族はやっていけないわよ。」

と、大垣富士子さんがそれを止めたので、杉ちゃんたちはそれ以上言えなかった。とりあえず、堀之内弥生さんを、自宅まで送り届けた。堀之内さんの自宅は、平凡な一軒家だったけど、郵便ポストに、荷物がぎゅうぎゅうに入れられていた。堀之内弥生さんは、主人がなくなって、毎日のように、お悔やみの品物が届くのだと言った。家に入ろうとした堀之内さんであったが、その時風がピーッと吹いて、持っていた手紙の束を吹き飛ばした。ジョチさんと、大垣富士子さんは慌てて、手紙を拾い集めて、堀之内弥生さんに渡した。堀之内弥生さんはありがとうございますと言って、それを受取り、自宅内に入っていった。

「ジョチさん、何を考えているんだ?」

製鉄所に戻って、ジョチさんは杉ちゃんにそんなことを聞かれた。大垣富士子さんのほうは、また勉強を再開するようになっている。

「ええ。先日、堀之内弥生さんのお宅に行きましたよね。その時、堀之内さんが落とした手紙の中に、一枚だけおかしいものがありました。その差出人が吉永高校だったんです。」

とジョチさんは言った。

「ああ、あの、進学率で色々問題を起こして、利用者を増やす原因になった学校ね。」

杉ちゃんが言うと、

「そうですよね。今でも吉永高校の被害は絶えないのですが、その吉永高校が、堀之内重美さんに、有効的な手紙を出すと思いますか?」

とジョチさんは杉ちゃんに聞く。

「思えないな。」

杉ちゃんは即答した。

「だって、吉永高校は生徒さんの前で、働けない人間は死んでしまえと怒鳴り散らした教師がいることで有名だぞ。そんな学校だから、堀之内重美さんのような漫画を各人は、うるさい敵なんじゃないの?」

「そうですよね。思うんですけど、重美さんは、かなり、吉永高校から、嫌がらせとかされたんじゃないですかね。それで、今回、なにか重大なことを言われたか何かしたのかもしれません。それを最愛のファンである弥生さんに見せるのが辛くなってしまったのではないかと思うんですね。僕の勝手な推論ですが、そうなると、重美さんが自殺した辻褄もあいますし。」

「よし!吉永高校に行ってみようぜ!」

そういうふうに考えてしまうのが杉ちゃんであった。すぐにスマートフォンを出して、タクシーの予約をしてしまった。二人は、用意されたタクシーに乗って吉永高校に行ってみた。

やはり吉永高校は、不良校と言われても仕方ないところである。伝統があるとか、そう言われても、今では茶髪にピアスとか、スカートをお知りが見えるまで短くしたりしている生徒が大勢いる。まじめそうな子が、ここで潰されてしまうのもわかる気がした。

杉ちゃんたちが吉永高校の校門前でタクシーを降りると、一人の生徒が、本を持って校門から出てきた。その本の大きさから見て、漫画の本だと言うことがわかった。杉ちゃんが思わず、

「お前さんなんの漫画を読んでいるんだ?」

と聞いてしまうほどである。

「ええ。大きな声では言えないですけど、こないだなくなった、堀之内重美さんの漫画です。いつも学校の先生には、読んではいけないって、怒鳴られるんですけど、でも、先生に言われてこういう症状を出してしまわないように、あたしは読んでいます。」

とその生徒さんは答えたのであった。つまり、吉永高校でも、堀之内重美さんの漫画を支持している人はいるんだなと杉ちゃんとジョチさんは顔を見合わせた。


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一番のファン 増田朋美 @masubuchi4996

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