みんなの天使は僕の前だけ小悪魔になる。
@hirune_330
小悪魔な天使
「あ、雪ちゃんだ」
「わ! 本当だ! いつ見てもマジでかっっっわいいいい~!!」
雪、という名が耳に入った瞬間にポヤポヤとしていた意識が一瞬で覚醒した。
「何かさ、女子が女子に言う『可愛い』って怖いよな……」
「うわ、分かるわぁ……。何か妬みとか嫌味が含まれてそうで怖いよな……」
「あ? 聞こえてるぞ男共」
「聞いた? 彼氏に対してのこの態度だぜ? これが本性ならきっと──」
何か言葉を継ごうとしていた男子生徒だったが、女子生徒の蹴りに「痛っええぇ!」と意思に反した情けない絶叫を吐き出す。
同じ二年生で、確か二組の
(っと、今はそんな事はどうでも良い……)
佐藤に肩で突かれながらとぼとぼ歩く裕也を先頭にして、四人組が真っすぐ通り過ぎて行くのを横目に、僕は彼らの話題の対象でもある少女の元へと駆け寄る。
『みんなの天使』
それが高校に進学するなり、その天使のような容姿や性格から名付けられた、
……たぶん。
そんな雪は一人、寒さが肌を刺すような中でコンビニの前に立っていた。顔の半分は澄んだ空色のマフラーで覆われ、その奥にはどんな表情が隠されているのか想像するしかなかった。
小走りで雪の隣まで足元の積もった雪を踏みしめながら歩を進める。
「おはよ。早かったな」
「おはようございます。はい、今朝は母が朝ごはんを用意してくれていましたので」
ぱっと明るい笑顔を見せた雪には高校生になっても消えぬ、あどけなさが残っていた。そんな雪の手を握って、通学路を二人で歩く。
雪は幼馴染であり、自慢の彼女であり、僕にとってかけがえのない存在でもある。家が割と近いため、こうやって毎日のようにコンビニ前で待ち合わせをして一緒に登校しているのだ。間違いなく、この何気ない日常が僕にとっての幸せの一つだろう。
白い絨毯のように降り積もった雪の上を歩く度に、ふんわりとした感触と共にシャリ、シャリ、という軽やかな音色を奏でる。
そして、改めて隣を歩く雪に視線を向ける。
そのさらさらとした髪は純白。まるで、誰もいない草原に積もったばかりの新雪のように清らかで、風が吹く度に軽やかに揺れては光を反射して輝く。冬指定の制服の上から羽織った少し大きめのカーディガンが一層、雪を愛らしく見せている。
サファイアのような存在感に溢れる瞳と垂れた目尻が語るのは、無邪気さと優しさ、そしてどこか儚げな魅力、と言ったところだろうか。
(確かに天使、と呼ばれるのは分かるなぁ……)
「……楓くん」
そんな事を考えていると、不意に顔を赤く染めた雪が僕の裾を人差し指と親指だけでつまんでいた。
「ん?」
「その……。見過ぎです。前を見て歩かないと転んでケガしちゃいますよ?」
「え」
チラッと遠慮気味に視線を向けていたつもりだったが、気付けば人目も気にせずジロジロと見てしまっていた事に気が付いた。
「ご、ごめん! つい……」
「いえいえ、逆に言えば転ぶ恐れのない場所、それこそお家の中とかであれば構わない、ということですからね?」
雪はそう言って唇の端をゆっくりと上げ、まるで小悪魔のようないたずらな笑みを溢した。
天使のような雪が時々見せる小悪魔のような表情。そして、その表情は外ではめったに見せない。なので外でそれを拝めるのは縁起が良い。……ような気がする。
僕は「悪い小悪魔め」と手をギュッと強く握るが、雪にまんざらでもなさそうにギュッと握り返され何も出来なくなるのであった。
───
「おやおや」
「ふむふむ」
学校に到着し、席に着くなりニタニタとした表情の宮本健と爽やかイケメンの
「……何だよ」
「いやぁ、今日も初々しい登校風景だったなぁ、って」
「うんうん。甘い香りが漂ってたね~」
「うるせぇ、お前らも似たようなものだろ!」
「いやいや、俺らはお前たちみたいな初々しさはないなぁ。なぁ、颯士?」
「そうだねぇ~。楓君たちを見ると懐かしい気がするよ~」
そう言って健は肘でちょいちょい、と僕の肩を突いてくる。相変わらずニタニタとして気持ち悪い。それでも恋愛に関しては僕より遥かに上位互換の立ち位置なので相談に乗ってもらっているのも事実。
確かに鬱陶しいことも多いが、それでも互いに確固たる友情で結ばれている。
「で、最近いつヤった?」
「死ね」
そしてたった今、その友情を
「健……。それは流石にキモいよ……。ちょっと引いた。僕の癒しを汚さないで。と言うか近づかないで」
「そ、颯士……? そんなガチトーンで睨まないで!? お前のキャラじゃないって!! お前はもっとこう、ふわふわ系男子のままでいて!?」
基本的にほんわかとしている颯士の口からはあまり聞かないガチトーンで責められる健。
「健たちが早いだけだからね~? 楓君たちは焦っちゃダメだよ?」
「当然だ。……今思えば健じゃなくても颯士に相談すれば良くね? 今度からは颯士に恋愛相談するようにするか」
「え」
「あ、じゃあ健君は不要だね~」
「え」
よほど健の発言に嫌悪感を抱いたらしい颯士はいつもに増して辛辣な言葉を淡々と告げる。いつも通り、と言えばいつも通りかもしれないが。
「で、でもでも楓! そっち系の事なら俺はコイツよりもアドバイスが出来るぞ!」
「……参考にならなかったら、分かるな?」
「では一つ!!」
ごほん、とわざとらしい咳払いをしてから健は人差し指を立てて目を瞑る。
「カラオケは意外とヤれ──」
「カラオケでバイトしてるけどカラオケではっちゃけるヤツ、大嫌い。せめて痕跡は消せよ。何で僕が痕跡を処理をしないといけないんだよ。楓君、コイツは社会の不要物だよ。関わるだけ無意味」
健の発言を思い切りぶった切った颯士はゴミを見る目……いや、それ以下のものを見るような凍てつく視線を向けている。
(颯士をここまで怒らせらるのはもはや才能だろ……)
「あんたらさぁ……朝からする話じゃないでしょ……」
と、ここで唯一、健の暴走を止められるかもしれない人物が輪の中に入って来た。
「あ、詩音。週番の仕事終わったの?」
「終わった。で、帰ってきたら猿みたいな話で盛り上がってるし。これだから男は」
「児玉さん、変な勘違いは止めてよ~? それにコイツと比較するのは猿に失礼だと思う」
けっ、と悪態を突く詩音に颯士はいつもの柔らかい表情で念を押す。だが、口から発せられる言葉の節々に纏わりつく明らかな苛立ち。それを読み取ったらしい詩音は「うわぁ」というジトーっとした目で健の頭を日誌で
「颯士に『コイツ』呼ばわりされてるし……。一体どうやったら颯士をここまで怒らせられるわけ」
驚いたような、呆れたような、そんな複雑な表情を浮かべる詩音。
「俺もちょっとびっくりなんだよねぇ……。それより週番出来て偉いの意を込めてハグしてあげようか?」
「ん? ああ、うん。それはどうでも良いんだけど楓。放課後、雪ちゃん借りてもいい?」
「どうでも良い?」
「え、それは雪に聞いてよ」
「いや一応彼氏にも許可取っとこう、と思って」
「僕は雪を束縛したりはしないよ……」
詩音は「べつにそうは思ってないけどさ」と言葉を継げながら手を上げて去って行った。
「……どうでも良い?」
「お前ら本当にカップルなのか?」
「この光景を見た後に楓くんたちの初々しさを見ると整うんだよねぇ~。ねぇ、朝凪さんにギューってして来てくれない? 体を蒸した後の冷水は浴びたからさ。また体を蒸したい」
「お前も大概だな」
人のお付き合いをサウナ代わりにするんじゃありません、と軽く注意すると健に「俺と扱いが違いすぎない?」と恨めしそうに睨まれるが誰が悪いのかは言うまでもないので無視を徹底する。
───
「ほら、早くお家に帰りなさい」
「え~、今日は楓くんの家に泊まります」
クッションにぐてーっとだらしない恰好をしている雪に帰るように促すも、雪は全く動こうとしない。それどころか、更にぐてーっと伸びてしまった。
「外とキャラが違いすぎだろ」
「みなさんに『天使』と崇められている清楚で可憐な私と、楓くんに『小悪魔』と呼ばれているいたずら好きなボク。楓くん的にはどちらがお好みですか?」
不意にぐてーっ、と溶けながら視線と共に質問を投げかけてくる雪。
そう、現在進行形で雪はだらしない姿を恥じることなく晒しているが、学校での雪は言葉通り「天使」なのである。容姿が整っているのは言うまでもなく、スポーツをやらせればエースになるし、勉強をさせれば容易く満点を取る。
そして、雪が人気である最も大きな理由が「性格」である。誰にでも優しく、嫌な顔一つせず人を助ける雪が「みんなの天使」と呼ばれるのは必然なのだ。
しかし、雪の本当の顔は別にある。
そして、その顔は僕の前だけに現れる。
僕は「うーん」と雪の問いかけに頭を捻らせた。
恋人以前に雪とは「超」が付くほどの幼馴染だ。なので前者と後者、どちらが本当の「雪」なのかは当然よく知っている。普段とは見れない彼女の一面が見れる、という意味では前者であるが、いつも通りの気取らない後者も捨てがたい。
「どっちも好きに決まってる。恋人なんだから」
「……なるほど、そう来ましたか。予想外の回答だったので少し反応が遅れてしまいました」
「べつに繕っているわけではないのですが……。あまりに優等生扱いされるので最近は完全に素のボクで学校に通おうかな、と思い始めていたんです」
「うん、ダメ」
何を隠そう、雪の本性は「悪戯大好きの悪魔」なのだ。しかも、そのあどけなさのせいで「悪魔」が「小悪魔」であると錯覚してしまい、大抵の人は「まぁ、良いか」と許してしまう。僕が証言しよう。特に男共。悪戯に快楽を覚える変人集団へと化すことを防ぐためにも雪の提案は何としても阻止しなくてはならない。
ちなみに小悪魔の雪は僕が独占したい、みたいな他意は決してない。決して。
今のところ、雪が天使なんかではなく、小悪魔みたいにいたずらっ子であることを知っている者は一人もいない。誰もが「雪は天使である」という幻想を見ているのだ。強いて言えば、一番仲の良い詩音は薄っすらと気づいていてもおかしくはない。
「独り占めしたいんですか~?」
「意味が分からん」
「自分だけが素を知っている。自分の前だけ小悪魔になる、その方が特別感があって嬉しいのでしょう?」
「…………」
「否定しないんですね」
「嘘は嫌いなんでね」
「にゃはっ」
「まぁ、毎日毎日悪戯してくるのは止めてほしいけどな」
「嫌、でしたか……?」
「…………」
しょげたように少し悲しそうに眉を下げた雪。
(本当にズルいよなぁ……)
「にゃは、否定しないんですね。可愛い子に悪戯されて嫌な男の子はいませんもんね~?」
「自分で可愛い言うな」
「ボクは可愛いを維持するために努力してますもん。自分が努力している事をボクは誰よりも自覚してます。だから誰に何を言われようと、笑われようと気にしませんよ。自信を持って可愛い、と言ってやります」
そう言って雪は自慢げに壁を……ではなく胸を張る。
確かに雪は日々の食事は健康に気を遣っているようだし、定期的に外で体を動かしてるのも知っている。肌はしっとりと潤い、トラブルの痕跡すら見えない程に健康的な光沢を帯びて均一なトーンが美しく映えている。
雪の言葉に嘘偽りはないのだろう。まさに努力の賜物によって得た美貌なのだ。
「……ところで楓くん」
「ん?」
しばらくの沈黙の後、突然雪が何やら含羞を含んだ面持ちで話を切り出す。
「楓くんはボクを……その……」
「………雪?」
雪はほんのりと頬を朱色に染めながら目を伏せる。微かに見える瞳は、何かと葛藤しているように揺らいでいる。
「……やっぱり何でもないです」
「うわっ、一番モヤモヤするタイプの返答辞めて!!」
雪はベッドの縁に座っていた僕を頭突きで壁側に押し込んだかと思えば掛け布団を一人で被って丸くなって寝ころぶ。
仕方ないので壁に押し込まれた僕も部屋の電気を消してから横に転がってしばらく雪の様子を伺う。
「……追及してこないの?」
「嫌々聞き出すなんて事はしたくないからね。その気になったら言ってくれたら良いよ」
「楓くん、ボクに対する好感度高すぎませんか?」
「そりゃあ彼氏だからな」
土下座でもして懇願すれば流石に教えてくれるとは思うが、そこまでして追及しようとはしない。
「……今朝の宮本君や清原くんたちとの会話について、ですよ」
「──っ!」
唐突に告白される話の続きに声にならない声が喉の奥から飛び出す。
(あの野郎……! 会話の内容もバカなのに声もバカみたいにデカいせいで雪に聞かれてたのかぁぁぁ!!)
「ア、イヤ……。ナンノコトカナァ……?」
「おや? 嘘は嫌いだと伺っておりましたが?」
掛け布団から顔を出した雪がいたずらに微笑む。
「……すいません」
「何で謝るんですか……。べつに責めてる訳ではありませんよ? そうじゃなくて……」
「……そうじゃなくて?」
「か、楓くんはボクをそういう目で見たりするのかな、って……。確かに男女の関係ではありますが、それ以前にずっと幼馴染だった訳じゃないですか……。現に、そ、その……。ちゅーしたことすらない訳ですし……」
雪は今まで見たことのないほど頬に朱を注いでいる。
雪は両親の次に長い時間を共に過ごして来た幼馴染だ。だからと言って、そういう目で見たことがないか、と言われればノー、と即答する。だが、キスはともかく、実際にそれ以上の事に発展させられるか、という問いにもノー、と即答することは確かだ。
幼馴染以前に、自慢の彼女である以前に、たった一人のかけがえのない存在なのだ。少なくとも、
「可愛い彼女が側にいながらそういう気が起きないとでも?」
「──っ!」
僕の素直な返答に、今度は雪が声にならない声を出す。
「でも今は──」
その先の言葉を継げるよりも雪が動きだす方がほんの少しだけ早かった。
「……だったら証明してみて下さいよ。……ちゅー、したいです」
「ちょ、雪!?」
掛け布団を背中から垂らしながら、仰向けに寝転ぶ僕の顔を覗き込む雪。
雪の細い肩がわずかに震え、息を呑む音が聞こえる。心臓の鼓動が早まり、胸の奥で響いているのが感じられる。
雪の指先がそっと頬に触れ、熱を帯びた肌を感じる。その瞬間、雪は羞恥と緊張が複雑に絡み合ったような表情を浮かべる。その表情には、普段のいたずらっぽい面影はない。
毛先まで手入れの行き届いたさらさらのロングヘアが頬をくすぐる。こんな時さえもされるがままの僕で良いのであろうか、という迷いで頭が支配されるが、その迷いも次の瞬間には消えていた。
ただ、スッと諦めがついたかのように自然と体中から力が抜ける。視界から光が消えた。
「…………?」
実際は数秒の出来事なのだろうが、体内時間では数分の時が流れていた気さえする。
そっと目を開ければ悪戯な笑みを浮かべた、いつも通りの雪が僕を見下ろしていた。
「期待しちゃいました~? ボクとのちゅー、今期待しましたよね~?」
そう言って人差し指を自分の唇に押し当ててあざとく笑う。
「ボク、初めてのちゅーは楓くんから、って決めてるんです。だからその時まで、お預け──」
気付けばそう二ッと笑う雪を逆に押し倒していた。
「ふふん、ボクと同じ作戦で悪戯ですか? でも手が震えているのがバレバレですよ?」
ほんのりと顔を赤くしつつも、相変わらずのいたずらな笑みを崩す様子のない雪。
「急ぐ必要はありません。楓くんがボクを好き、って言ってくれるようにボクも負けないくらい……んぅ!?」
自慢げな表情をしながら早口で語る雪の口を一瞬だけ塞ぐ。
「………………」
「………………」
どれほどの時間が流れたのだろう。一時間の気分ではあるが、きっと五分くらいなのだろう。お互い何も言わないまま、顔を合わせないまま、沈黙の時間が流れていた。
ただ、背中に暖かい体温を感じながら、気が付けば眠りに落ちていた。
ベッドの壁側に付いた小さな小窓から淡い光が差し込む。透けるような薄いブルーのカーテンは朝の光を柔らかく受け止め、部屋全体を優しい空色の光で包み込んでいる。
そんな中、僕は部屋に敷かれたカーペットの上で目を覚ました。
(雪が寝相酷い事をすっかり忘れてた……)
記憶の中では僕が壁側に寝ていたはずだが、どういう訳か雪にその場を略奪されていた。壁側にいたはずの僕がどうやって反対側に落ちたのかさっぱり分からないが。
ベッドに膝をついて、小窓のカーテンを開ける。
透明な青空が視界一杯に広がる。すっかり明るくなった外の明かりが眩しく無意識のうちに目を細めた。薄い雲が絵のように点在している空の色は、まるで水彩画のような淡い水色から始まり、徐々に深みを増していっている。
「んぅぅ」
しばらく日光を浴びながらボーっとしていると眩しそうに雪が起き上がった。
「おはよ、雪」
「んんぅ……。おはようございます、楓くん」
体を起こした雪だったが、しばらくは目を瞑ったまま、ゆらゆらと体を揺らしていた。しかし「あ」と言う短音を漏らしてから紙粘土のように体が硬直した。
そして──。
「ふへ……」
そう無邪気で、あどけなさ全開で、満面の表情で。
そして小悪魔のようないたずらな笑みを溢すのだった。
───
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