暗殺に失敗した男たち
翌日早朝。
ガシャーンッ。
一人の男が半狂乱となって、長テーブルの上に置いてあった調度品やらなんやらを、テーブルごとぶちまけていた。
激しく叩き付けられたそれらが床の上に散乱し、木っ端微塵に弾け飛ぶ。
「クソクソクソクソ、クソガァァァァッ~~!」
聖城の敷地内の一角にあるその場所には、大勢の騎士らが三列ほどに並べられ、直立不動の姿勢を取っていた。
そんな彼らの前でひたすら絶叫し続ける男。
軍施設の地下に設けられた秘密の
ここは彼ら暗部『堕天の黄昏』が普段、稽古に使っている演習場の一つだった。
「貴様らっ。どの面下げて戻ってきやがったっ。帰還命令など出した覚えはないぞ!? それなのにどうして貴様らはたった一晩で捜索を断念しやがったっ。どうして地の果てまで追いかけていかなかった!? ふざけるなよっ」
数いる大隊長の一人で、複数の小隊を任されている下級貴族のベルゲンシュタットは、眼前の部下たち相手にひたすら吠え続けていた。
腰に吊り下げていた長剣を引き抜き、ずらっと整列した騎士たちに剣先を向けていく。
「本当にどいつもこいつも、役立たずの無能どもめがっ。どうしてあんな平民風情一人始末することができんのだっ、バカたれがっ」
自らが陣頭指揮したがゆえに、確実にあの男を暗殺できると自信満々だっただけに、彼の自尊心は激しく傷つけられていた。
ベルゲンシュタットが暗殺を命じたわけではなく、彼もまた上からの命令に従い、今回の任についただけだが、以前から気に入らなかったあの小僧を自らの手で排除できると、大喜びしていたのだ。
それなのにこの様だ。
「すべては貴様らの責任だっ。俺が立てた計画は完璧だったのだっ。奴の寝込みを襲いさえすれば、いかな剣聖といえども簡単に討ち取れるはずだったのだっ。それなのに、貴様らが無能だったがゆえにこんな大失態を犯すことになったっ。恥を知れっ」
まったく収まらない怒りに顔を紅潮させていると、それまで静かにしていた彼の部下たちがガヤガヤし始めた。
中でも、小隊長を務め、更には実際にグレアムの寝所へと侵入して暗殺しようとした一人の男が、「お言葉を返すようですが」と意見し始めた。
「あのクソ野郎は、既に今回の計画について、何かしらの情報を掴んでいたように思われます。ですので、計画それ自体がそもそも無謀だったのではないでしょうか?」
それに追従する形で他の連中も愚痴をこぼし始める。
「第一、あいつはただの平民だが、聖騎士団の中でもトップクラスの強さを持っていたからな。あんなバケモンの相手なんか端から無理があったんだよ」
「あぁ。暗殺計画を事前に察知されてなかったとしても、どうせ野生の勘とやらで逃げられていたんじゃねぇか?」
「だなぁ」
「ぎゃはは」
暗部は貴族出身者が多い。にもかかわらず、下品極まりない言動を見せ大笑いし始める部下たち。
そんな彼らに、ベルゲンシュタットは赤を通り越して顔を紫色にしながら激高した。
「貴様ら、だまれぇぇぇっ!」
言うが早いか、彼はげらげら大笑いしていた一人の騎士へと近寄るや、そのままの勢いで手にしていた長剣を振り下ろしていた。
「ギャァァァッ」
絶叫と共に血飛沫撒き散らしてその場に倒れ込む若者。彼はそのまま痙攣して動かなくなってしまった。
一瞬でその場の空気が変わった。
暗部の尖兵らは全員顔を凍り付かせ、ベルゲンシュタット本人は「ぜぇはぁ」と呼吸を荒くしていた。
その顔からは既に正気が失われていた。
常軌を逸したような引きつった笑みを浮かべ、血塗れの長剣を部下たちに突きつける。
「……これ以上、この俺を愚弄することは何人たりとも許されはせん。そいつと同じ末路を辿りたくなければ、貴様ら全員、口を慎め!」
クヒヒと笑いながら叫ぶ大隊長に反意を示せる者は誰もいなかった。
ベルゲンシュタットはそれらを見つめながら、高らかに宣言する。
「いいか、貴様らっ。今すぐあのクソ野郎を追いかけ絞め殺してこい! いいか!? 今すぐだっ。奴を始末するまでは絶対に戻ってくるなっ。さもなくば、二度とこの聖都の地に足を付けることができなくなると、そう思えっ」
口角から泡を飛ばしてひたすらまくし立てる大隊長に、騎士たちはしぶしぶながらに敬礼し出ていった。
一人その場に残った大隊長だったが、そんな彼の元へ使いの者が現れる。
「ベルゲンシュタット様、部隊長がお呼びです」
育ちのよさそうな少年風の男の言葉に、今度はベルゲンシュタットの方が青ざめる番だった。
◇◆◇
呼び出されて向かった部隊長の執務室。
入るなり、大隊長は罵声を浴びせられた。
「貴様は何をしている! すべて貴様に一任したのだぞ? だのに、この体たらくとはいったいどういうことだ! 絶対に間違いはない、大丈夫だから自分に任せろと言ったのは貴様だぞ、ベルゲンシュタット!」
がたいがよく、鋭い刃のような眼光を飛ばしてくる男を前に、大隊長はただ立ったまま低頭することしかできなかった。
顔だけでなく、全身から脂汗が吹き出しており、今しも気絶しそうなほど怯えていた。
(このままだと処分される……! それだけはぁっ……)
一人心の中で絶叫していると、暗部すべてを指揮している部隊長は「はぁ」と派手に溜息を吐き出した。
「それから、貴様がした粛正についての報告も上がってきている。本当にバカな真似してくれた。貴様が殺した男は曲がりなりにも貴族の子弟だぞ? たくっ。貴様のせいで余計な仕事がどんどん増えていくわ」
どこか投げやりにそう言うと、部隊長は机の上に置かれた羊皮紙の束を掴み上げて、それをそのまま振り下ろした。
バンッという鈍い音が鳴り響き、ベルゲンシュタットがビクッと震える。
「まぁよい。ともかくだ。貴様も部下たち同様、さっさとあの小童を抹殺してこい。いいな? もし今度しくじれば、お前たちに未来はない。そう思え」
「は、ははぁっ」
彼はそう叫ぶように返事をし、逃げるように退出していった。
「やれやれ……」
一人取り残された部隊長はうんざりとしたような顔を浮かべるが、そこに、
「……なんだか嫌な予感がするんだがな?」
「えぇ。そのまさかですよ。今回の暗殺失敗の件で、枢機卿が激怒しております」
「やはりか……あのクソ老人は本当にしょうもないな。そこまであいつを目の仇にする必要があるのか?」
「ですね。まぁ、私としては所詮は人事ですのでどちらでも――と、いうわけでして、枢機卿と侯爵様のお二方がお呼びです」
暗部が所属する聖教最高評議会のトップに君臨する二人。そして、暗部すべての実権を握っている男たち。
「やれやれ……」
ただの実行部隊の指揮官でしかない部隊長はもう一度溜息を吐くと、部屋から出ていった。
◇◆◇
一方その頃、なんとか聖都を脱出して街道を南進していたグレアムは、トンビの鳴き声が聞こえたような気がして、空を見上げた。
昨夜とは打って変わって雲一つない青空が広がっている。
新しい門出に相応しい、清々しい一日になりそうだった。
「さて、とりあえず、どこを目指すかな……?」
軽く呟きながらひたすら歩き続ける。
聖教国内をぶらぶらするのもいいが、安住の地を求めて異国へ旅立つのもいいだろう。
生まれ故郷ではあるが、もはやこの国に未練など欠片も残ってはいないのだから。
「そうだな、そうするか」
おかしな陰謀に巻き込まれはしたが、久しぶりの自由の身。お堅い宮仕えから解放されて、再び冒険者時代の気ままなぶらり旅を満喫できる。
グレアムは、開放感に満たされていくような気がして、一人朗らかに笑った。
この先、何が待ち受けているのかはわからない。しかし、きっと何か
――こうして、かつては剣聖とまでもてはやされ、聖騎士としても大活躍した男の名声は地に落ち、瞬く間に六年の歳月が過ぎ去っていくのであった。
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