【第一話】 運命の出会い
花売り女のような占師ライラと一人の男
深い深い森の中。
天まで届きそうなほどの大樹に囲まれた大樹海。
いっさいの木漏れ日すら許さないその場所には、燐光のような仄かな光が溢れていた。
霧のような青白いそれらが揺らめいている。
そんな世界で、一人の少女が
周囲には彼女よりも遙かに巨大な動物がいっぱいいる。
まるで彼女を守るかのように取り囲み、白くてふわふわの被毛の中に隠してしまっている。
ふかふかのベッドの中で、ただひたすらに、すやすやと眠りにつく愛らしい銀髪の少女。
そんな彼女の心の中に優しげで澄んだ声色が響き渡った。
まだ起きてはダメだよ。もう少し寝ていなさいと。
あるいは、あなたはきっと幸せになれる。だからそのときが来るまでは眠っていなさいと。
その慈愛に満ちた二つの声は、やがては存在感を薄れさせていき、消えていく。
けれど、幼い少女は知っていた。
彼らがいつも、側にいてくれるのだと。
目の前から消えてしまい、ひとりぼっちになってしまって寂しかったけれど。
既に我慢も限界で、辛くて不安で泣きそうで、心が張り裂けそうだけれど、二人のお陰であとちょっとだけはがんばれるのだと。
彼女はまだ、眠りについている。
そのときが来るまでずっと。
自分のことを助けてくれる人が、いつかきっと、必ず現れてくれると信じて……。
~~ * ~~ * ~~
暦の上では初夏となり、朝早い時間でも大分暖かくなってきた。
そんな時節。
ハイネアン聖教国の領土である中央大陸から、海を渡った南西にある小大陸。
そこを治めるグラーツ公国南方の辺境に、カラール村と呼ばれる小規模から中規模に当たる村落があった。貧困に
そんなどこにでもある農村の片隅に、店舗兼住宅を兼ねた小さな小屋が建っている。
店舗部分は簡素な作りとなっており、四人ほど人が入ったら、ぎゅうぎゅう詰めとなってしまいそうな狭さ。
そんな場所に、現在一組の男女が顔を付き合わせるように、小さな丸テーブル挟んで
店の出入口側の椅子に座っていたのは、背が高くて筋肉質で、厚手の白いシャツを身に付けた男。袖はまくられ、日焼けした肌が顔を覗かせている。履いているズボンは紺色。茶色のレザーブーツを履き、いかにも冒険者といった風体をしている。
髪型も、暗蒼色の前髪が軽く垂れているが、全体的には耳や襟足が軽く隠れるぐらいの短髪。
そんな、田舎の村ではどこにでもいるような男。
対する女の方はといえば、こちらもまるで装いが異なっており、この二人が今いる辺境の農村には似つかわしくないような格好をしていた。
おおよそ農民とは思えないような、破廉恥極まりない見た目。
上半身は大きく胸元が開いた白いシャツを着ており、深い谷間も肩も腕もほとんどが剥き出しになっている。
シャツの丈が短いからか、くびれたむちっとした腹まで露出する形となっている。胸元から伸びたひらひらした布が左右の二の腕に巻き付いており、そこが唯一服を固定する場所となっていた。
更に、腰から下も似たようなもので、くるぶし丈の水色スカートを履いていたが、両腰辺りからスリットが入っているため、上半身同様、日焼けした肌がほとんど見えてしまっている。
靴も踵の高いサンダルのような形状をしており、肌色多め。
付け根近くまで露出した細くて艶めかしい両脚が、目の前の男を誘っているようだった。
そんな、どこか花売り女みたいな格好している女が、眼前の男を前に、妖艶に笑った。
「うっふふ……あなた、
そう言って、切れ長の瞳と赤い唇をいよいよもって愉快そうに歪めた。
腰まである藍色の髪を揺らしながら、錬金術と魔法を融合させて作り出した『魔法の水晶球』を操作しながら舌なめずりまでしている。そんな女に、男は派手に舌打ちした。
「たく、ホントかよ。女難って、心当たりないんだけどな?」
「あら? もう六年もの長い付き合いになるのに、今更あたしの占い疑う気?」
「いや、別にそんなことはないけど、ただなぁ」
男は、自分と同い年の色気の塊みたいな女に肩をすくめて見せた。
この女は村の占師でもあり、また、錬金術師でもある。
村にはもうひとり錬金屋を営んでいる錬金術師がいるが、そちらとはまた違った技術を併せ持つ女だ。彼女が使う錬金術はハイネアン聖教国が生み出した錬金術と魔法を融合させた錬金魔法にどこか似ている。
通常の魔法は言わば古代魔法と呼ばれている古の時代から使われてきたものだが、錬金魔法はその魔法の力を近代化させて、より一層強力にした近代魔法と呼ぶべきものだった。
彼女が使う錬金術もそれと同じ。この女が何を目指しているのかはわからないが、錬金術の専門分野である薬学とはまた違った何かを極めようとしているようだった。
その一端として普段から行っているのが、この占い小屋である。
一説によると、彼女の占い『星読みの力』は未来だけでなく
そういったわけで、皮肉にも、残念ながら彼女の占いは
(う~ん……まったくないといえば嘘になるが、しかし、俺に女の知り合いなんて……いや、いるな。こいつやあいつら除いて、他に
そんなことを考えていたのが悪かったらしい。
「あら……?」
「ん? どうした?」
突然、わざとらしく驚いたような表情を見せた美貌の女に、男がきょとんとする。
彼女は面白そうに笑うと、
「あなた……本当に女運悪いわね」
「へ?」
「……近いうちに、運命的な出会いがあるかもしれないわね。それも、今後の人生を左右するぐらいの大きな出会いが」
「大きな出会いって……なんだそれは? 運命を左右するとか、まるで
「はい?」
眉間に皺を寄せて呟く男に、女がきょとんとした。
「言っとくけど、あたしは正真正銘の占師だからね?」
「そうなのか? 俺はてっきり錬金屋かと思っていたぞ」
「まぁ、それはそうなんだけど」
彼女はそこまで言って、気だるげに
花のような香りのする煙が漂う。
「いいこと? よく聞きなさい。あなたの判断次第で、あなたの今後の人生が変わってくるわ。取るに足らない小さな選択肢だけれど、将来的には世界を巻き込むような大きなうねりの中へと引っ張られていく可能性がある。だから重々考えることね。どうするかを」
彼女はそこまで言って、手を振った。男は狐につままれたような気分となりながらも軽く肩をすくめると、
「邪魔したな」
と、立ち上がる。
「いいのよ。今日はこの小屋を直してくれたお礼に占ってあげただけだから――あぁ、それと、あたしの
そう言ってにっこり微笑む色っぽい女に、男は同じように口元を綻ばせると、「遠慮しとくよ」と言い残して小屋の外へと出ていった。
取り残された女は残念そうに頬杖つきながら目を瞑る。
「ねぇ、
彼女はそこまで呟き、切なげに溜息を吐く。
「だけれど……だからこそ世界が放っておいてくれないのよ――ねぇ……どうする? そのときが来たらあなたは……」
誰に言うでもなく、そう独りごちたときだった。
占い小屋奥の住居部分へと繋がっている扉が開けられ、水色の長い髪をした娘が顔を覗かせた。占師の女とは似ても似つかないぐらいのおっとりとした愛らしい娘。
おそらく十六歳とかそのぐらいの年齢だろう。年相応の純朴さを持ち、色香というよりかは清楚さが際立っている印象を受ける少女だった。
「ライラ! ねぇ、今
教会のシスターがよく着る黒と白のスカプラリオを身に付けた少女が、ライラと呼ばれた占師の女のすぐ背後まで歩いてくる。更に、
「ん? 今兄さん来てたの? スノーリア」
「えぇ。多分、声聞こえていたし、来てたと思う」
「ふ~ん」
どこか気のない返事をしながら現れたもうひとりの少女も、シスターのような服を身につけていた。
二人は髪型こそ違えど、髪色や瞳だけでなく、顔や背格好、声まで瓜二つだった。彼女たちはおそらく、双子なのだろう。
占師ライラはニコッと微笑んだ。
「グレアムだったらさっき出ていったばかりだから、今行けば追いつけるんじゃない?」
「う~ん……そこまでは。お兄ちゃんにぎゅ~してもらいたいのはやまやまだけれど、それ以外、特に用があるってわけでもないし、会おうと思えばいつでも会えるしね」
「そう?」
「えぇ――それじゃ、私たちもそろそろ教会に行くね」
「えぇ。行ってらっしゃい。また気が向いたらいつでも戻ってくるのよ?」
「うんっ。それじゃ、行ってきます!」
最初に顔を覗かせたスノーリアと呼ばれた少女は、無邪気な笑みを浮かべながらライラと軽く抱き合い、外へと出ていく。
もう一人の少女も、ウィンプルと呼ばれる黒い布を頭に被りながら、快活な笑みを見せ、出ていった。
再び一人取り残されたライラは一瞬きょとんとしたあと、
「今日もこの村は平和になりそうね、
そう呟いて、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべるのであった。
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