お前はもう必要ないと、国を追われる元剣聖
その日、ハイネアン聖教国聖都ファルトネーの街には、朝からずっと雨が降り続いていた。
「どこ行ったっ。追えっ。絶対に逃がすなっ」
辺り一帯は夜闇に包まれ、石畳には水溜まりができている。
降りしきる雨音に混じって、黒い
そんな中、男たちと同じような格好をした青年が、息を潜めながら建物の陰に隠れている。
彼の名前はグレアム・ヴァレン・アラニスと言う。
現在二十二歳の男で、かつては剣聖とまで讃えられた伝説の元最強冒険者だった。
しかし、今はただのお尋ね者として指名手配されている。
国家反逆罪、国家転覆罪、教皇暗殺未遂といった、どれも極刑に値するような罪状を冠せられた重罪犯だった――表向きはだが。
(――たく。本当についてないな。やっぱり、余計な真似するんじゃなかったってことか)
グレアムは追手の上げる足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、建物の陰から飛び出し、街路を駆け抜けていった。
一歩前へ踏み出すたびに、路面に溜まった雨水が弾け飛ぶ。
しとしとと降り続く雨が、街路に灯された明かりに照らされている。
グレアムはそんな街中をひたすら南門目指して駆け続けていた。
いずれこうなる運命だったのだろうということは、なんとなくわかっていた。
――あの日。
相棒でもあり幼馴染でもあった
それでもかつて自分や仲間たちが命を賭して守り抜いたこの世界が、よりよい方向へと変わってくれることを期待していたのだ。
その結果がこの様だった。
(本当に笑える。所詮は腐った政治体制ということか。戦争を終結に導いても、根本的な病巣を駆逐しない限り、世界はよくはならない。お前が言った通りだよ。エミリー……)
『この国の上層部はやがていつか、用済みになった私たちを切り捨てる』
彼女は常々そう口にしていた。
そして文字通りそうなった。
北方大陸を支配下に収めるラーズ=ヘル魔導帝国と、この中央大陸を支配するハイネアン聖教国との間に起こった覇権争い――
なんとも皮肉な話だった。
グレアムは冒険者時代には若くして剣聖とまで讃えられ、多くの冒険者たちから崇拝されるような存在だったのだ。
そして、そこに目を付けた聖騎士団団長エドワール・ド・シュクルーゼ公爵の勧めに応じる形で聖騎士となった。
国に仕えることとなったグレアムは、数々のめざましい武勲を上げ続けた。更には一年前に勃発した最終戦争の折には、持てる力のすべてを使って、多くの冒険者や他の聖騎士たちとともに突破口を切り開き、見事に戦争を終結へと導いたのである。
しかし、望まれて招かれたにもかかわらず、用済みとばかりに排除されようとしている。
(バカバカしいったらないな……おそらく目立ち過ぎたってことなんだろうけど)
グレアムが有する圧倒的なまでのカリスマ性が、現政治体制を維持したい権力者たちにとっては目障りでしかなかったということなのだろう。
グレアムの脳裏に、自分を暗殺しようと襲いかかってきた暗部『
『おい、グレアム! どこへ逃げたって無駄だぞ!? 既に包囲されている! この都からは絶対に逃げられやしねぇぞ!』
『あっははっ。てめぇはもう必要ねぇってさっ。ざまぁねぇなっ。冒険者時代にどれだけ活躍したのかしらねぇが、所詮は貴族でもねぇただの平民風情が調子に乗ってからこういうことになんだよ!』
『俺たちベテラン差し置いて手柄立てようとするからだ! てめぇのような出しゃばりクソ雑魚野郎はさっさと死ねや、ボケがっ』
いち早く危険を察知して寝所から離脱したグレアムの背中に、そう、彼らは負け犬の遠吠えのような台詞を浴びせてきたのだ。
あのとき、奴らを返り討ちにすることも容易にできたが、不要な争いで血など流せば、更に余計な濡れ衣を着せられる可能性がある。だから戦闘を回避して逃げたのだ。
それに、権力欲や名声欲に取り憑かれたような、あんなクソ野郎どもをいくら切り捨てたところで意味がない。奴らを動かしている大本を叩かなければ、無実を証明できないからだ。
誰が暗殺を企んだのかは依然わかっていない。しかし、おおよその見当ならついている。おそらく、教皇や枢機卿だろう。この国の頂点でもあり教会を支配しているあの二人が、自分たちより影響力のある人間を放っておくはずがないからだ。国家としても教会としても組織が揺らぎ、権益が守れなくなるから。
だからこそ、彼らはグレアムを排除しようと無実の罪をでっち上げ、暗殺しようと目論んだのだろう。
(だが、その手は喰わん。今の俺は冒険者を引退してはいるが、それでもまだ多くの仲間たちとの繋がりがあるからな)
グレアムの無実を今もなお信じてくれる仲間たちが大勢いる。彼らのお陰で、随分前からいろんな噂を耳にしていたから、今回の暗殺の機運も事前に察知できた。それゆえに、暗殺部隊が寝所に侵入してくる前に難を逃れられたのだ。
(当面の軍資金も準備ができているしな。あとは聖都を脱出するだけだが、本当に南門が手薄かどうか……)
仲間たちから仕入れた情報によれば、今夜は南門の警備が手薄とのことだった。
そこさえ突破できれば、あとは国外逃亡すれば寝込みを襲われる心配は幾分か減る。
そう思って南門の前まで来たが、普段、二人ほど門の警備に当たっているはずの門衛が一人もいなかった。
(おかしい)
建物の陰に隠れながら、グレアムは眉間に皺を寄せた。
いくら警備が手薄とはいえ、まったくいないなんてあるはずがない。考えられる理由として挙げられるのは、罠だろう。
油断して門に近づいたところを一斉包囲して捕縛、もしくはそのまま殺害。
(どうする……?)
彼は剣聖とまで呼ばれた男だ。数十人程度の精鋭に囲まれたとしても、生きて切り抜けることは可能だろう。しかし、何事にも絶対なんてものは存在しない。
万が一にも予想外な展開が待ち受けていたら、対処しきれるかどうかわからない。
(だが、迷っている場合でないのも事実だ)
このままではいずれ追手に感づかれ、包囲網が敷かれてしまうだろう。そうなったら面倒だ。
(雨や民家の物音のせいで、人の気配を察知するのも難しい……やるしかないか)
グレアムは覚悟を決め、建物の影から飛び出した。
そのまま高速移動し、下ろされた巨大な鉄扉門付近まで近寄る。
夜間通用口として設けられている人一人通れる大きさの扉の鍵を開けるため、隣に設営された制御室内へと入ろうとして、思わず絶句した。
高い城壁に設けられたその一室から、鼻をつくような血臭がしたからだ。
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