1-5.ラフィリアウナを慰める白猫ちゃん
「やぁ、ご苦労だったね」
「ニャ~」
そこら中の草むらの中で、男たちが倒れ込んでいる。
誰一人としてピクリとも動かず、全員が失神していた。
それらを一通り確認しながら、グレアムは足下で毛繕いしていた相棒の白猫マロに労いの言葉をかけてから、背後を振り返った。
少し離れた大樹の陰に、表情を怯えに硬直させた幼女が佇んでいた。
グレアムは軽く肩をすくめて見せたあと、にっこりと微笑みながら彼女へと近寄っていった。
「もう心配ないよ。悪い人たちは全員、やっつけたから」
そう声をかけながら右手を伸ばしたのだが、幼い少女は短く「ひっ」と声を上げ、逃げるように大樹の後方へと完全に隠れてしまった。
そのときに浮かべていた彼女の表情には、ありとあらゆる負の感情が浮かんでいた。
恐怖、絶望、悲しみ。
決して他者を受け入れまいとする、強い警戒心がそこには現れていた。
薄汚れたぷっくりとした頬には、先刻流したであろう涙の跡が鮮明に浮かび上がっている。
「参ったな……」
グレアムは途方に暮れて右手で後頭部を触った。
彼女の窮地を救ったものの、当然、詳しい事情を知らないし、ましてや彼女からしたら、グレアムも知らない大人だから、敵意や警戒心を抱いてもおかしくはない。
さすがにそこまで考えていなかったから、失敗したかと頭を悩ませた。
「こんなときにマルレーネがいてくれたらなぁ」
村長の娘であるマルレーネは、ギルドの支部長を務めながらも村が運営している孤児院で子供たちの面倒まで見ているような女性だ。
子供たちの扱いには長けているし、何よりあの、のほほんとした雰囲気のお陰で、凝り固まった子供たちの心を溶かしてしまうような、不思議な力を持った女性だった。
「まぁ……仕方ない。とりあえず、賊どもを先に拘束しておくか」
ぼそっと呟きながら、その辺で倒れている男たちの元へと歩み寄ろうとしたとき、木の陰に隠れてしまった幼女が再び少しだけ顔を出した。
彼女はグレアムではなく、彼の足下にいたマロの方に視線を向けている。
瞬間的にそれを確認したグレアムは、
「マロ、俺は賊どもの相手をしてくるから、お前はあの子の面倒を見ていてくれるか?」
そう声をかけていた。
「ニャ? ……ニャ~」
白猫ちゃんはわかっているのかわかっていないのか、短く返事をすると、てくてく幼女の元へと歩いていった。
それを見届けてから、グレアムは作業に取りかかった。
◇◆◇
それから数分後。
都合よく男たちが持っていた奴隷拘束用の拘束具やロープなどを使って、男たちの手足などを縛り、一本の大樹に円を描くように全員をくくりつけた。その上で、グレアムはマロと幼女の元へと戻ってきた。
「ん?」
一人と一匹を視界に入れたグレアムは、予想外の光景を見て小首を傾げてしまった。
先程まで、あれほど悲哀に暮れていたというのに、幼女の顔から絶望の色が消えていたからだ。
目の前に座っている白猫を前に、女の子座りでちょこんと草むらに座り、何事かを一生懸命話しかけている。
相手をしているマロも目を瞑って、
「ニャ、ニャ、ニャニャ♪」
まるで会話でもしているかのように、楽しげに鳴いていた。
「もう……大丈夫そうか?」
子供にあまり慣れていないせいか、幼子の心の状態が今どうなっているのかいまいちよくわからない。
仕方なく、グレアムは腫れ物にでも触るように、ゆっくりと歩み寄った。そして、少し距離をおいた草地に、あぐらをかいて座る。
それに気が付いたらしい幼女が、ゆっくりとグレアムの方へと顔を向けた。
まだ少し、警戒したような表情を浮かべている。
遠目で見たときにはわからなかったが、彼女が着ている服は奴隷たちがよく着ているようなボロ布ではなく、レース地で作られた白いワンピースのような服だった。
それがところどころ破れたり、泥などで薄汚れたりしている。
もしかしたら、結構裕福な家柄の娘だったのかもしれない。
「改めまして、俺はグレアムって言う。言葉はわかるよね?」
可能な限り優しく声をかけたつもりのグレアムに、幼女は始め、身体をピクリと反応させた。
そのあと一度マロの方へと視線を投げ、白猫が短く鳴いたのを受けて、こくりと、不安そうな表情を浮かべたまま頷いた。
グレアムはその反応を見てほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。言葉がわかるなら話は通じるね。俺の名前はグレアム。君の名前は?」
「ラフィ……ラフィリアウナ……」
「ラフィリアウナか。いい名前だね。それじゃ、ラフィ……でいいかな? さっきも言ったけど、君に酷いことをしていた悪い人たちは全員やっつけたから、もう大丈夫だからね。安心していいよ。俺が君を保護――て言ってもわからないかな。君のことを助けてあげるからさ。だからもう、安心していいからね」
そう言って、最上級の笑みを浮かべたグレアムの言葉を理解できたのかどうか。
ラフィリアウナと名乗った女の子は、一度マロを見た。
見つめられた白猫が短く「ニャ~」と鳴く。
それを彼女がどう受け取ったのかわからないが、急に、大きな金色の瞳にいっぱいの涙を浮かべてしまい、見る見るうちに顔がくしゃくしゃになっていってしまった。
どうやら、グレアムが危険な人間じゃないとわかって、安心して緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。
彼女は我慢できなくなったかのように、いきなり声を張り上げ泣き始めてしまった。
「……こわかったっ……ラフィ、こわかったのです……! もうひとりぼっち、イヤなのです……!」
彼女はそう叫ぶと、弾かれたようにグレアムへと抱き付いていった。
ぎゅ~っと、短い両腕を必死になって彼の首に巻き付ける。
そんな彼女に、グレアムはなんとも言えないやるせない気持ちになってしまった。
事情はよくわからなかったが、この幼い少女は、おそらくこれまでずっと不安な気持ちや悲しみ、恐怖といった感情を押し殺しながら、必死になって暴漢たちから逃げ続けてきたのだろう。
一人きりで生き延びるにはあまりにも小さな存在。
堰を切ったようにひたすら泣き続けるラフィリアウナ――ラフィを、グレアムはそっと、優しく抱きしめてあげた。
「もう大丈夫だ。大丈夫だからね。もうひとりぼっちじゃないから。俺が側にいてあげるから」
そう優しく慰めるように、何度も何度も言葉をかけてあげた。彼女が落ち着くまで、そうやってずっと、優しく声をかけ続けた。
◇◆◇
その後、どれくらいの時が流れたかわからないが、遠くの方から大勢の人間が駆け入ってくるような音と、鳥の羽ばたき音が聞こえてきたような気がした。
グレアムは、すっかり泣き疲れて眠ってしまったラフィを胸に抱きしめ立ち上がると、森の入り口方向へと視線を投げた。
「……ようやくのお出ましか。しかし、予想以上に早かったな」
ニヤッと笑いながらぼそっと呟くグレアムの前に、人を呼びに行かせたカルガモのチョコを始め、村長や自警団、冒険者たちの面々が姿を現した。
皆、息を切らしながら、仏頂面となっている。
「おめぇが世界の危機とか言いやがるから、まさかと思って慌てて来てみりゃ、ただの賊どもじゃねぇか……」
肩で息をしながら冒険者の一人が恨めしげに吐き捨てた。どうやらグレアムが書いた
「ホントだぜ。てっきり、幻獣どもが大暴れしてんのかと思ったじゃねぇか」
自警団員の一人がグレアムに近寄り、疲れたように肩に手を置いた。
グレアムはどこ吹く風で、笑いながら応える。
「だけど、ある意味、その通りになるところだったんじゃないか? ここは聖域に近いしな。万が一賊どもが一線を越えるような真似したら、それこそ
本気とも嘘ともつかない台詞を吐くグレアムに、「そこまでにしておけ」と、村長が釘を刺した。
「状況から察するに、おそらくそこに縛られている連中は、奴隷商が雇ったごろつきのようなものか?」
「たぶんね。俺がここに来たときには、この子が襲われて連れ去られる寸前だった」
「それで助けに入ったというわけか」
「まぁね」
笑みを消して説明するグレアムに、娘のマルレーネと同じ金髪の村長は渋い顔をする。
「相変わらずのお人好しだな」
「ん~? そうでもないけどな。一瞬、見捨てようとしたのも事実だし」
「だが、それも村に危険が及ばないようにと思っての配慮だろう?」
「どうかな? そんな大層なことは考えていないさ」
グレアムは肩をすくめてうそぶくと、大樹に縛り付けてある賊どもに一瞥をくれた。
「とにかく、さっさとあいつら連行して締め上げよう。あいつらが本当にただの賊なのかどうか、調べる必要があるからな」
そう言って賊どもに近寄っていく。
「たく。簡単に言ってくれる。もしかしてと思って、念のため馬車を一台手配していたが、まさか九人もいるとは思わなかったぞ」
「それはこっちも同じさ。まさか賊どもと遭遇するとは思いもしなかったからな。何しろ、俺はただ、薬草採取に来ただけだし」
賊どもの前に佇み、気の弱い人間が見たら怖じ気づきそうなほどに冷たい瞳を浮かべ、じっとそれらを見下ろすグレアム。
村長もそんな彼の真横に並び、幼子を抱いた彼を見つめた。
「それで、その子供は保護対象、ということでいいんだな?」
「あぁ。いったん村に連れて帰るよ。この子とも約束しちゃったしね。もう大丈夫。安心していいからねって」
そう呟いたときのグレアムの視線は、限りなく慈愛に満ちた優しげなものだった。
先程賊どもを見下ろしていたときの、冷酷ささえ感じさせるものとはまるで違う。
村長は軽く溜息を吐いたあとで、周りの男たちに手早く指示していった。
それを見守っていたグレアムは再度、賊の頭目を見下ろし、しゃがみ込む。
「可哀想にねぇ。俺の手で自白させてあげたかったけど、いろいろ面倒だし。たぶん、自警団がやさ~しく面倒見てくれると思うよ。まぁ、もっとも。奴隷売買に関わったんだから、全員処刑されると思うけどね。それもまぁ、結局は自業自得なんだけど」
グレアムは気絶したままの頭目に対してそう声をかけ、酷薄なまでのにっこり笑顔を浮かべるのであった。
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