1-4.無双する白猫ちゃんと小さな女の子




(はぁ……参ったな)


 グレアムは草むらに伏せて隠れているマロと同じように、天高くそびえる大樹の陰に隠れながら、前方の様子を窺っていた。


 鬱蒼と生い茂る樹林のせいで、日の光があまり差していない。


 視界があまりよくないから、肉眼ですべてを捉えるのは不可能に近い状態だが、それが逆に、逃げる女児には助けとなったのだろう。


「どこ行きやがったっ。探せっ。探し出して生け捕りにしろ!」


 革鎧をまとったリーダー格と思しき筋骨隆々の男が、怒声を飛ばした。

 グレアムが確認した限りだと、男たちは九人ほどおり、草木をかけ分けながら右往左往している。


 腰に長剣を携帯しているものの、手には網やら棍棒などを持っていることから、おそらく殺すつもりではないのだろう。


 一瞬、ここに来るまでの間、もしかしたら今もまだ自分を追っているかもしれない聖教国の刺客かもと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。


(となると、奴らはいったい何者だ? この地方の人間であれば、ここが曰く付きの森だということは知っているはず。知っていて入るなんてことあるはずがないし、てことは外部の人間か?)


 考えられる唯一の答えは奴隷商という線だ。

 一応、この国では奴隷売買は禁止されている。しかし、どこにでもそういう法の目をかいくぐって、犯罪に手を染める輩はいるものだ。


(おそらく、闇の奴隷市に売り飛ばしている奴隷商といったところか)


 奴隷として捕らえた女の子を移送中に、なんらかの原因で逃げられ追いかけてきたのかもしれない。あるいは――


(どうする? 下手にここで揉め事起こすと、のちのち面倒なことになるのは目に見えている。村に被害が及ぶかもしれないしな)


 一応グレアムは、今もまだお尋ね者であることに変わりはない。下手に大立ち振る舞いすれば自分の所在がバレて、刺客が送られてくる可能性がある。


 村長やマルレーネ、一部の村人たちには事情を説明してあるから、村に招かれざる客が来ることもあり得るとは理解してもらえているはずだ。


 しかし、いざ本当に賊どもが侵入してきたら、戦闘力のない村人たちなど、たとえ対策を講じていたとしても、争乱に巻き込まれたらあっという間に殺されてしまうだろう。


 だから逡巡してしまう。


 事情を知りながらもなお、お尋ね者である自分を迎え入れてくれた村長たち。


 詳しい事情は知らないものの、どこの馬の骨ともしれない流れ者のグレアムを温かく受け入れてくれた村人たち。彼らには極力、迷惑をかけたくなかった。


(しかし、かといってこのまま見過ごすというのも胸くそ悪い)


 見て見ぬ振りすれば、間違いなくあの女の子は暴漢たちに取っ捕まり、悲惨な末路を辿ることになるだろう。


(助けるか、それとも無視するか)


 そうグレアムが逡巡したときだった。


「いたぞっ。そこの草むらん中だっ。取っ捕まえろ!」


 一人の男が絶叫を放った。

 たちまちのうちに怒号が飛び交い、グレアムから見て真正面の樹林の間を包囲するように男たちが走り始めた。そして――


「捕まえたぞっ。さんざか面倒かけやがってっ」

「ゃ~~~! はなしてっ。はなしてくださいなのですっ」


 リーダー格の暴漢に抱きかかえられる形となった少女。

 薄闇の中でもはっきりとわかるぐらい、彼女は大暴れして泣き叫んでいた。

 その背丈も本当に小柄で、まだ三歳とかそのぐらいにしか見えない。


 薄汚れたボロボロのワンピースを着ていて、白銀の髪も衣服同様ボサボサだった。


 ここからでは表情の細部までは見えなかったが、それでも恐怖と絶望一色になっているだろうことは容易に想像できた。


「これは……やっぱりあれだよな。ほっとくなんてこと、できるはずがない」

(ただ薬草採りに来ただけなんだけどな)


 グレアムは一人、ぼそぼそと呟きながらも、手は勝手に動いていた。

 素早く懐から取り出した小さな羊皮紙にペンを走らせると、伝書用の筒に入れ、チョコの背中ポケットにそれとわかるように収めた。その上で、


「チョコ。急いでギルドに応援を寄越すように連絡してくれ」


 まるでその言葉がわかったかのように、カルガモのチョコは一声「グワッ」と鳴くと、村の方へと飛び去っていった。


「マロ」

「ニャ」


 チョコが離れていく姿を見届けたグレアムは短く白猫の名前を呼ぶ。

 マロは心得たように、右手側へと移動し始めた男たちの背後を突くように駆け始める。


(俺も行くか)


 グレアムは腰の長剣を引き抜こうとして、すぐさま思いとどまる。


「さすがに幼女の前で流血沙汰はまずいよな」


 ぼそっと呟き、彼もまた素早く駆けていった。

 そして次の瞬間、男たちの一角から怒号が上がった。



◇◆◇



「どわぁっ。なんだ!? なんかいやがるぞっ」

「くそっ。なんだこいつはっ。魔獣か何かか!?」

「バカ、違う! ……ネコだっ」

「はぁ? ネコだとっ? なんでそんなもんが――いてぇっ。バカなっ。なんでただのネコに切られんだよっ」


 縦横無尽に草むらの中を駆け抜けては飛び出し様に、空から一気に男たちの頭の上に乗って、そのまま顔中を引っかき回す一匹の白猫。


 爪で引き裂かれた男たちは、鋭利な短剣で切り刻まれたかのように、無数の傷を作っては鮮血撒き散らして地面にのたうち回った。


 突然、隊の後方がパニックに陥ってしまったため、幼女を小脇に抱えていたリーダー格の男が背後を振り返った。


「お前ら何してやがる! 何が起こった!」

「ネコです!」

「は?」

「だから……突然、ネコが襲いかかってきたんですよっ」

「はぁ? お前ら何ふざけたこと抜かしてやがるっ。ネコに襲われるとか、バカ言ってんじゃねぇよっ」

「嘘じゃありませんっ。ホントなんですよっ。ホントにネコが――て、いてぇっ。ふざけんな、この化けネコがっ」


 もはや統制も何もあったものではなかった。


 男たちはいきなり降って湧いた、たった一匹の白猫を前に理性をかき乱され、あっという間に壊滅状態に追い込まれてしまった。


 自身が流す鮮血が目に入り、視界を奪われメチャクチャに剣を振り回す者もいれば、完全に戦意喪失して地面にしゃがみ込んでいる者もいる。


 爪で引っかかれるだけでなく、鋭い牙で腕や足、股間を噛まれて悶絶している者もいた。


 そんな情けない部下たちの姿を見て、ようやく事態の異常さに気が付いたらしいリーダー格の男が顔を真っ赤にして絶叫した。


「くそがぁぁっ。いったい、なんだってンだっ」


 男は幼女を小脇に抱えたまま、腰の長剣に手を伸ばして引き抜こうと身構えたが、それより早く、背後に強烈な殺気を感じ、焦って振り返った。


「なっ……てめぇはどっから湧きやがったっ」


 音もなくすっと現れた暗蒼色の髪をした青年を前に、リーダー格の男は思い出したように剣を引き抜こうとするも、それより早く、


「まぁ……気持ちはわかるよ。うん。そうだよね。いきなり目の前に誰かいたらびっくりするよね」


 そう呟いた青年の右拳が腹にめり込んでいた。


 その動きがあまりにも速すぎたせいか、筋骨隆々の男は何が起こったのかまったく理解できないまま、「げはっ」とくぐもった声を発してもんどり打った。


「て……めぇ……」


 そのたった一撃だけで身体を宙に舞わせ意識をロストした男は、抱えていた幼女を落として大地に叩き付けられた。

 青年は幼い少女が地面に落ちる前に優しく支えてから、彼女を地面に立たせた。


「さて、面倒だが残りもさくっと片付けるか。それまでちょっと待っててな?」


 彼――グレアムは幼女に優しく微笑むと、暴れている他の男たち目がけて駆け入っては、同じように片っ端から拳を叩き込んでいった。


 そうして、すべての男たちが気絶するまでには十秒とかからなかった。

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