第6話 再会

《Sting 2-1, Luijiang approach, you are cleared for overhead approach runway 06.》(スティング2-1、瑞江ルイジャンアプローチ、滑走路 06へのオーバーヘッドアプローチを許可)  


 着陸許可が下りる。市街地上空を通過し、周波数を切り替えて管制塔と交信、進入を継続せよと伝えられる。滑走路上空を通過、スピードブレーキを開いて減速しながら180度旋回。滑走路と平行に飛んだ後、ギアダウン、再び旋回を開始。


《Sting 2-1, Luijiang Tower. Runway 06, cleared to land. Wind 330 at 10 knots.》

(スティング2-1、こちら管制塔。滑走路 06への着陸を許可。風向は330度、風速は10ノット)


 仰え角を確認しながら推力を微調整。機首を上げたまま、主輪から接地、着陸。機速が落ちると前輪もストンと接地。機体後部からドラッグシュートを展開し減速、切り離してから誘導路に入る。交信先は地上管制席に切り替わり、駐機場へと誘導される。


 機体が走行していった先で、J-11が三機、翼を休めていた。もう何年も前に搭載 AIの学習が終わって無人化された機体ばかりだ。そのうちの一機と並ぶ形で、Mig- 29は停止した。


 エンジンカット。油圧が切れて尾翼が垂れ下がる。


 整備員によって車輪止めが置かれ、航空燃料が抜かれ——機体を降りてから、もう一度J-11を眺めに向かう。もう二度とパイロットが乗ることのない機体を。夕陽に照らされたキャノピーが一際輝く。風が不意に通り抜けて、ギアや兵装に挿された安全ピンの赤いリボンを揺らす。


 踵を返して、再び歩き出した。





 そういうわけだから、数年ぶりに瑞江ルイジャンに戻ってきた輝華グイファがJ-11を操縦すると聞いた時は、嬉しい驚きがあった。未だに予定していた全機の無人化が完了していないことは空軍にとっては頭の痛い話だろうけれど。無人の僚機って変な気分になるねと輝華は笑って、


「あなたもすっかり一人前になったのね。入隊したばかりの頃からみんなを驚かせていたと聞いたけれど」

「うん……」


 ややぎこちない笑顔を作りつつも、本当に自分を認めてくれたのだろうかと思ってしまう。輝華グイファを疑っているわけではなかった。しかし、昔のように彼女の言葉をそのまま受け取れない自分がいる。彼女が古巣に戻ってきたことも、嬉しいと思うならもっと素直に喜べばいいのにと思う。けれど、躊躇いに似た何かがあった。


 輝華グイファの首元に、背後から手を回して、


「もう離さないから」

「え?」

「……何でもない」


 そう言って、彼女の背中に額を擦り付ける。大きな背中。そのまま枕にしてしまいそうな心地良さ。実際、輝華グイファに寄り添う度にうたた寝をしてしまうことはままあった。そうして目が覚める度に、まだ彼女の温もりが傍にあることを知ってほっと胸を撫でおろすのだった。離さない、離したくない、ずっと私の手に……。  


 ふと疑問が頭をもたげる。輝華グイファの首元に回した手にさらに力を込めながら、


瑞江ルイジャンに戻るまでどこに居たの?」

「そんなの、決まっているじゃない」


 輝華グイファは小さく笑って、


「ずっとあなたの心の中にいたのよ」

「そうじゃなくてぇ……」


 顔がぽっと熱くなる。思わず手をほどいて背中をぽこぽこと叩く。肩叩きかしら?  なんて輝華グイファがからかうものだからますます両の拳に力が入る。


 輝華グイファを追う形で空軍に入り、実戦部隊に配属されるや否やあっという間に五機撃墜してエースの仲間入りをしたというのに、彼女の言葉や仕草一つ一つは今でも甘い毒でしかなかった。





 はるばるミャンマーから飛んできた二機のMig-29は、解体後に再び組み上げられ、紆余曲折を経たのちに瑞江ルイジャン基地の実戦部隊に配備されていた。雲南の臨時政府軍が同一機種の導入を進めた結果、一個飛行隊が組める程度の機数はすでに揃っていた。ならば持て余していた鹵獲機もそこに加えようと、空軍は非常に場当たり的な判断を下したわけだけれど、航空戦力をかき集めるための涙ぐましい努力を笑う者は一人もいなかった。


 あの機体に乗っていたパイロットたちは今どこで何をしているのかと、飛行隊の古株たちに尋ねてまわった。明瞭な回答は誰からも得られないでいた。けれど、彼らが昆明に送られたきり消息が途絶えた、という大筋だけは共通していた。


「ミャンマーの『群体』からの保護が目的かもしれない。翼を奪われるのは可哀想だけれど……」


 それ以上の追及はやめた。代わりに考えだしたのは「群体」のことだった。


 石の欄干の上で腕を組みながら、あの化け物に取り込まれた人間というのはどんな存在なのだろうと思う。隣人を、仲間を、身内を失いたくない。「群体」内部ではそんな思いが異常なまでに極まっているというのはよく知られている話だった。他の「群体」や臨時政府たちには牙を剥きながら。


 この結束力に気味悪さを感じられるかどうかが、その人間に正気があるか否かを判定するリトマス紙というわけなのだろう。だが「群体」に対抗する自分たちだって、何十年も同じ地に篭り続ける、同類の排他的集団じゃないかと声を上げる人たちもいるらしい。


 小さくため息をつく。ぼんやりと視線を落とした湖面に、一つの人影。

 隣のもう一人がいないだけで、少し胸が痛い。


 精神が幼いまま体だけ大きくなってしまった気がする。いまだに自分の足だけで立てる自信がないのは情けない。ずっと昔、輝華グイファ馬幇マーバンと共に旅に出ることを許してくれたというのに。依りどころを失うことを恐れもせず、自分を未知の世界へ送り出してくれたというのに。それなのに。


 面倒くさい女だと思われている。だから会える機会も減っている。負のスパイラルに陥っているのは自分のせいなのだ——


 橋を渡った先の東屋で腰を下ろす。遥か遠くの玉龍雪山が夕陽の色に染まっている。意味もなく足を揺らしながら、黄昏時の空に伸びる雲をぼんやり数えていた。  噂が流れてこなければ、あるいは自分の気持ちがさらに深く沈むことはなかったのかもしれない。Mig-29亡命事件の真相を上層部は知っている、軍の指導役であるCCASが情報を握っている。それだけならまだ他人事でいられたかもしれない。


 ついに、輝華グイファの名が出てしまった。


「考えてもみなよ、あの人は中華人民共和国が存在していた時代を生きていたんだよ。そりゃあ、『群体』だなんだに囚われない考え方が生じたとしても、おかしくはなかっただろうさ」

「でも……」

「まあ、かなり昔に聞いた話だけどね。あれから色々あったらしいし、もう真相は分からないんじゃないかな」


 そんな話を聞いてしまってから久々に帰った実家に彼女がいたのだから、黒い感情を抱かないわけにはいかなかった。


 このお店は変わらないのね。輝華グイファは微笑んで普洱プーアル茶を啜りながら、


「どうしたの? 入ってこないの?」

「……輝華グイファは、私のことをどう思ってるの」

「急にどうしたのよ」


 大丈夫? とでも言いたげに輝華グイファはこちらの顔をのぞきこんで、


「そんな怖い顔しないで。こんなに可愛いんだから」


 近づいてきた彼女に両手で顔を包み込まれる。目を閉じるように言われて素直に従うと、彼女の吐息が近くに感じられた。そのまま顎を軽く持ち上げられる。


 束の間、夢見心地に浸る。


 はっと目を開けたときには椅子に座らされていた。まさか立ったまま寝ちゃうなんてねと輝華グイファ。よっぽど疲れているみたいね、体を休めた方がいいわ。  差し出された茶器を受け取る。ややカビくさい普洱プーアル茶の香り。まろやかな味わいを舌で感じているうちに少し体が温まる。すっかり暗くなった外から微かに聞こえる水路の音。膝の上で両手を組んでこちらを見つめる輝華グイファの、姉のような、母のような眼差し。


 無意識のうちに口が動いていた。


「私のこと、好きなの……?」

「当たり前でしょ。大好きよ。本当に、本当に好き……」

「だったらどうして——!」


 思わず立ち上がった勢いで、置いたばかりの茶器が倒れる。輝華グイファが手拭いを取り出して、無言で机を拭く。言いかけた鋭い言葉は喉元で詰まってしまった。消え入るような声でごめん、と謝って椅子を引く。輝華グイファはお茶を注ぎ直してまた茶器を差し出してくれた。


 結局、何も言えないのだと自己嫌悪に駆られた。自分はいつまでも子供で、情けなくて、何より、臆病者だ。


《Sting 2-1 flight, check in.》

(スティング2-1編隊、チェックイン)

《Two.》

(ツー)


 今日の二番機からは人工音声で応答がくる。無人化した機を従えて実戦で出撃するのは今回が初めてだ。少なくとも訓練では有人機と上手く連携できることが実証されていた。今後の実戦でも同じことができると証明され続ければ、いずれは無人機のみで編隊を組んで運用することも空軍は検討しているようだった。


 滑走路上で先に離陸しようとする編隊——輝華グイファの一番機と無人化された二番機が出力を上げる。先に輝華グイファの機体が動きだし、アフターバーナー点火、あっという間に滑走路を駆け抜けて離陸。二番機も後に続いて滑走を開始、空へと翔け上がる。


《Sting 2-1, taxi to runway 24.》

(スティング2-1、滑走路 24へ進入せよ)

《Roger, taxi to runway 24.》

(了解、滑走路 24へ進入)

《Two.》

(ツー)


 とりあえず、きちんと返事はできるようだ。

 二機のMig- 29から車輪止めが外される。整備員が翼下のミサイルから抜いた安全ピンをかざして見せる。誘導係がパドルを上げてから、パーキングブレーキを解除。双発の小型戦闘機はかまぼこ屋根の格納庫を出て前進し始めた。


《Sting 2-1, Wind 200 degress at 10 knots. Runway 24, cleared for takeoff.》

(スティング2-1、風向200度、風速10ノット。滑走路 24からの離陸を許可) 《Sting 2-1 runway 24, cleared for takeoff.》

(スティング2-1、滑走路 24からの離陸許可、了解)


 誘導路を通って滑走路に進入。一旦ブレーキをかけ、スロットルを上げて出力を確認。二番機も特に異状はない。スロットルレバーを一気に前方へ押しやった。





 ミャンマー側の対空陣地を潰そうというのが今回の作戦内容だった。すでに電子戦機が展開し、その支援下で対レーダーミサイルを積んだ機体が敵の地対空ミサイルを狩り始めていた。その後方から攻撃隊と、護衛隊が続く。


 一度空に上がれば、再び地上に降りるまで我が身は機体の一部品でしかなくなる。編隊を組んで飛ぶ輝華グイファも、今は友軍機のパイロットであって私情を挟む余地はない。先制攻撃が続く目標空域まであと少し——


 けれども、パイロットも結局は人間なのだ。視線はいつの間にか彼女の機体の方向に向いていた。だからこそ、それが起きたとき、真っ先に気がつくことが出来たのだった。


 空域到達直前に、輝華グイファ機は突然、編隊から離脱した。


 彼女が率いていた僚機——全て無人機だった——は何事もなかったかのように飛行を継続、空域上空で哨戒を開始。それが仇になった。無人機の一機、がら空きの背中に輝華グイファ機が回り込み、回避する間も与えず機関砲で機体を蜂の巣にした。


 燃料タンクに引火、不意打ちを受けた無人機が爆発する。

 絶叫が聞こえた。

 私の声だった。


 愚かなことに、無人機隊はなおも本来の任務を継続し続けていた。ポンコツAIに呆れつつ、即座に輝華グイファ機の追撃を開始。彼女の行動は予想以上に早かった。大推力にものを言わせて一気に距離を取ろうとしている。その機首が向く方角は——ミャンマー。


 脳裏で、何かがぷつりと切れる音がした。


 マスターアームオン。即座に中距離ミサイルを発射。輝華グイファ機はひたすら増速して空域から離脱しようとしている。逃がすものかとアフターバーナー点火。ミサイルはまだ中間誘導中だったものの、レーダー上からJ-11が消失してしまう。数秒後に肉眼で再び発見。逃げ続けるのかと思いきや突如反転し、こちらに向かってくる。


 ヘッドオン。


 だが予想以上に近づきすぎたのか、咄嗟に撃てぬまま二機がすれ違う。操縦桿を引き、インメルマンターンで引き返して短距離ミサイルを発射。J-11はフレアをばら撒いてミサイルを回避するが、その間にこちらが距離を縮めていた。激しく絡み合う二本の飛行機雲。


 荒い呼吸は、空戦のせいだけではなかった。


 肉薄して機関砲を射撃。だが向こうがわずかに機体を滑らせていたのか、全弾外れる。一度上昇し再下降ハイスピードヨーヨーで狙い撃とうとした瞬間、J-11がアフターバーナーに点火、上方へ離脱してしまう。引き離されるものかと追跡。互いの背後を取ろうと旋回戦に突入する。


 体重の何倍ものGが体を襲う。耐Gスーツに空気が送り込まれ、血液の下降を抑えるべく下半身を締め上げる。視界が狭まりゆくのを感じながらも腹式呼吸で耐え抜く。旋回をやめるなど微塵も考えなかった。燃料が尽きかけてでも追い続ける、絶対に撃ち落としてやる——


 不意に、向こうが旋回をやめた。照準円に機体を捉えた——だがトリガーを引きかけた瞬間、前触れもなく、J-11がガクンと機首を持ち上げた。


 束の間、J-11が空中に静止。そのすぐ横を通り過ぎてしまう。

 振り返ったときには手遅れだった。


 見開かれた私の瞳の中に、それは映り込んでいた。機関砲をこちらに向けたJ-11が。そのコックピットが。その一瞬は限りなく引き伸ばされたように、私には感じられた。


 


 ずっと前から、そうだった。


 その一瞬後に、J-11が爆散する。ようやく追いついた私の無人機が一撃を加えて飛び去ったのだった。


「……知っていたよ」


 作戦はまだ続いていた。空域に戻るべく変針。まだ残弾はある、まだ戦える、戦うんだ……冷静なパイロットとしての感覚を取り戻そうとする。迎撃に上がってきたミャンマー側の戦闘機を狙う。攻撃隊の猛攻で、敵の対空陣地が次々と撃破されていく——


 一つ分かったことがある。AIはポンコツなどではない。少なくとも、はそうだった。


「私は……私は……」


 あの機体が、己に向かって一発も発砲しなかったことに気付かぬほど、乱心はしていなかった。きっと、大きな慈悲がかけられていたのだ。なおも彼女の幻影を求める自分に、あえて刃を突き付けたのだ。そう解釈してから、少し心が落ち着いた。


 頬を伝うものは拭わずに、スロットルレバーを再度、前方へ押しやる。

 航跡雲を引いて、Mig-29は群青の空へと翔け上がっていく。

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