第3話 撃墜
「たしかに、今の合衆国は滅んだも同然だろう」
「せめてあなたからは明るい言葉を聞きたかったのですが」
「たしかにまだ東海岸の領土はいくらか残されているが、それだっていずれ……」
私たちは
「我が社は今、日本列島への支援を強化している。あそこは最後の防波堤だ。来るべき大陸上陸作戦まで、あの島国は死守せねばならない」
それから中東だな、とデイブは言葉を足した。イランが味方についたおかげでペルシャ湾防衛がやりやすくなった——
「アフガニスタンは見捨てられたのですか?」
「今の我々が取りうる最良の戦略に基づいて決定された。もうしばらく辛抱してくれ」
「CCASの経営者ならホワイトハウスに介入できるのではありませんか」
盛大なため息。
デイブが再び顔を上げたとき、そこには父親の表情が張り付いていた。
十年以上見つめてきた表情。
最後まで受け入れることができなかった表情。
「いい加減、素直になってくれよ」
「ユリシーズ兄さんみたいに?」
言ってしまってから口を噤む。デイブも口をあんぐり開けたまま固まってしまった。
兄が私よりも聞き分けが良かったのは事実だ。子供の頃の話だけれど。
「まあ、いい……家族の時間はこれからも設けよう」
育ての父には、これからも迷惑をかけ続けることだろう。
『東部居住区で始まった暴動はいまだ収束していません——警察がバリケードを築いており、一部は暴徒と衝突して双方に負傷者が発生しています——タリバンの扇動であるとの情報も流れていますが——』
ザラの声にわずかな怒気が感じられる。こんな日に限って私のAV-8Bはエンジントラブルで離陸できず、地上で待ちぼうけを食らっている。
「こないだの領空侵犯の件も気にかかるんですが」
同じ災難に見舞われた(ひどいものだ)ロイが話題を振った。
「あれ、『群体』の航空機じゃないかって話がでてますけど」
「防空識別圏でうろちょろ飛んでいたんじゃなかったっけ」
「一瞬だけ侵入してきたらしいですよ。今までこんなことはありませんでした」
そもそも私たちの管轄空域が「領空」と呼べるのかどうかは置いといて、「群体」が直接、同盟を挑発するような行動を取ってきたのはたしかに今回が初めてだ。
「上層部は?」
「そりゃもう大騒ぎですよ。だからここ最近は空軍のF-16が飛びまくっているんです」
手持ちの航空部隊でなんとか対応しているという印象は正直ぬぐえない。
廊下の向こうからつかつかと歩く足音が聞こえてきて、自然と顔がそちらに向く。
「ザラ」
「休憩中です」
さっきの放送で浮かべていたであろう表情をそのまま顔に張り付けて、
「私の放送——」
「聴いていたよ」
「大尉たちも動かれるのですか?」
返答につまってしまう。ロイに小突かれて「否定はできない」と答えてしまい、
「今の私たちには、この地域における治安維持の役割もあるから……」
「そうですか」
それだけ言うと、ザラは踵を返して行ってしまう。
いざとなればここの部隊が動くことはザラも知識として知っている。だから今の質問は私個人に対するものだろう、おそらく。
「東部と言えばソルド人居住区でしたね」
「パシュトゥーンやウズベクの人々も住んでいるけれど、構成比率でみれば、たしかにそう、ね」
「新北部同盟は民族融和を掲げていますが、実態はどうなのやら」
外部とのつながりを絶たれた世界で、さらなる断絶を繰り返したくない、同盟はそう思っているだろうけれど、思いをそのまま理念として掲げただけで力の応酬が消えてなくなるとは思えない。くり返される報復の連鎖もある。同胞を思う気持ちが他人種への憎悪にすり替わることもままある。
つながり、か。
「脆いものね」
「だから我々は基地の外の世界を知る努力を続けてきた、違いますか?」
もっとも関わりを嫌われる対象になりうるのは、外征軍としてやってきた私たちなのだから。
「——きっと、兄君もそうおっしゃると思いますよ、大尉」
《Beebuster 3-1, Poseidon, single group, BRAA 1-8-0 50 15 thousand, hot, bandit.》
(ビーバスター3-1、こちらポセイドン、シングルグループ、方位180、距離50マイル、高度15000フィート、そちらか接近中の敵機だ)
マスターアームオン、空対空モード。 AN/APG-65レーダーを積んだこの機体には中距離ミサイルの運用能力がある。しかしAWACSからは接近して識別せよとの指令が飛んできた。新北部同盟はまだ、「群体」とは戦闘状態にないというのが公式見解だ。この高度を高速ですっ飛んでくるような軍用機をタリバンは持っておらず、周辺諸国家が壊滅状態となれば、不明機の所属先は一つしかない。
九時方向にロイの二番機。東の太陽を背にして、酸素マスクをはめてヘルメットを被ったロイの姿が浮かび上がる。AV-8B特有の丸みを帯びたフォルム。機尾から引かれる航跡雲。インテーク横の偏光ノズルと、そこに描かれた星のマーク。
レーダー上の光点が近づく。晴天の空の彼方に、小蠅のような黒点が見えた。接近するにつれ、その姿が異様に長い直線翼を生やした灰色の機体に変わっていく。斜めに伸びた二枚の尾翼、キャノピーはない——無人機だ。中国製の無人攻撃機だった。
《Poseidon, Beebuster 3-1, tally single UAV…….》
(ポセイドン、こちらビーバスター3-1、無人機一機を視認……)
斜め後方から無人機に接近して、速度を合わせる。翼に円形章の国籍マーク。外側に緑、内側に白の配色。中国機のユーザーとして知られるパキスタン空軍の機体だ。いや、だった、と言うべきか。「群体」の航空機というだけで、UFOと遭遇したかのような不気味さが感じられる。
片翼に二発ずつ、計四発の空対地ミサイル。偵察任務にしては随分と豪華な装備だ。AWACSに状況を報告すると、数分という長い時間をかけてから、半ば予想していた命令が下された。
《Beebuster 3-1, kill the UAV.》
(ビーバスター3-1、無人機を撃墜せよ)
兵装をガンポッドに切り替える。射程内。レティクルに無人機を合わせる。針路を変える気配はなさそうだった。
トリガーを引くと同時に、機関砲弾が無人機に叩き込まれる。翼をもがれて発火、紙屑のように落下していく。クレー射撃よりも容易だった。拍子抜けするほどあっけないものだ。
基地に戻れとAWACSからのお達し。さほど遠くまで進出はしていなかった。十分後には見慣れた街の上空にいて、滑走路へのアプローチに入ろうとしていた。降りたらすぐに、燃料と弾薬を補給して再び待機——。
着陸用のギアを下ろそうとしたとき、異変に気付いた。市街地の彼方の飛行物体は見慣れないシルエットだった。着陸中止を伝えてから変針。基地周辺にはハリネズミのような防空網が構築されていて、呑気に侵入でもすればたちまち地対空ミサイルが飛んでくる——はずだった。では、超低空を這うように飛行しているあいつらは一体なんだ?
スロットルレバーを前方に押しやる。攻撃機といえどもそれなりの速力はある。あっという間に距離が縮まって──
「あれは……!」
上空を通過するその一瞬の間に全てを見た。居住区の上空をホバリングする多数のヘリ。そのヘリから次々と降下する兵士たち。降下地点に倒れているいくつもの死体。
肉片と血の海が広がっていた。 操縦桿を引き付ける。鋭い旋回で引かれるベイパートレイル。ヘリを正面に捉える。ガンポッドで射撃、一機撃墜。三時方向にさらに一機。距離が離れている。短距離ミサイルを選択、ロックオン。甲高いトーンがヘルメット内に響く。すかさず発射。
《Beebuster 3-2, splash one.》
(ビーバスター3-2、一機撃墜)
ロイも戦果を上げている。急にだんまりを決め込んだAWACSより遥かに優秀だ。
状況が不可解すぎる。なぜ基地の友軍機は一向に緊急発進してこない? なぜ居住区への敵の侵入を許している?
撃墜したヘリが市街地に落下して、派手な爆発を見せた。交戦中であることを知らせても基地からの応答はない。旋回し続けながら何度増援を要請しても、気味の悪い沈黙を守り続けていた。
《All players, all players…….》
(全機に告ぐ、全機に告ぐ……)
突然うめき声にも似た声が流れ始めた。銃撃音と、悲鳴が……民間人らしき悲鳴が聞こえた。
《This is Bear on guard for emergency… emergency close air-support. Any CAS-capable flights… shit!.》
(こちらはベア、国際緊急周波数で緊急……緊急近接航空支援を要請する。支援可能な編隊は……くそっ!)
発砲音とともに交信が途切れた。どこかの部隊が支援を要請している。地上部隊が先に展開していたのだ。今は空対地兵器を積んでいないから、支援するにしても機銃掃射するほかないが。
ベアと名乗ったJTACに返答しようとした刹那、居住区から白煙が高速で伸びていくのが見えた。白煙の先の飛翔体は弧を描きながらこちら側に——
《Missile launch ! Missile launch !》
(敵ミサイル発射! 敵ミサイル発射!)
ロイの叫び声が聞こえた直後、交信は途切れた。
結局、私たちはタリバンとの決着がつかないまま、「群体」との戦争に突入してしまったらしい。けれど、そもそもそんな区別自体が無意味な言葉遊びでしかなかった。
タリバンもまた、「群体」だったのだから。
タリバンも「群体」に取り込まれた、というのがより正確な表現になるけれど。パキスタン軍を破ったパシュトゥーン系の「群体」は、同じくパシュトゥーン系のタリバンを飲み込んでアフガニスタンに進出した。それによってタリバン兵たちも、人間を捨てた怪物に変貌した、ということらしい。比喩ではなく、文字通りの意味で。
そもそも「群体」とは何か。
西暦2010年代に起きた何らかの技術革新が「群体」戦争の元凶だ、という噂話を耳にしたことがあるけれど、それ以上のたしかな話を知る人に出会ったことはない。あの人を除いて。けれどあの人が教えてくれたことだって、幾重ものベールのほんの一枚を剥がした程度の話でしかなかったし、さらに悪いことに、私はあの頃の記憶を失いつつあるのだ。
あの人に一番近しいと思われた彼女──マチルダまで喪われた今、真実に辿り着くためには漕ぎ出さなければならないのだろう。アフガンの険しく聳え立つ山々を超えた先の、世界と言う名の大海へと。
マチルダが戦死してからは、ロイとの会話が増えていた。気軽に呼んでくださいと言われたけれど、私がマチルダの代わりになることはできない。彼女に比べて、私はまだまだ積み上げてきたものが少なすぎる。
それに……罪悪感がある。
かつてのあの人へ──ユリシーズに対して抱いた思いを、私はマチルダにも投影していた。
「この国では、そういう感情を抱くだけで命を落とすこともありますから」
墓石の前で、ロイと共に腰を下ろす。山肌に沿って砂混じりの突風が吹いてきて、思わず目を閉じた。
「ですが、貴女がいてこそだったのかもしれません」
「というと?」
「マチルダが……大尉がソルドの人々への思いを強めたきっかけは、間違いなく貴女でしょう。こう言っては何ですが、大尉のあんな必死な姿はそれまで見たことがなかった。ご自身を変わり者だとおっしゃっていた、あの大尉が、です」
「それは……光栄なことです」
墓石が被った砂を払い落とす。国境に近いこの山に、手を伸ばせば空に届きそうなこの山に、彼女を葬ることを決めたのは、私。
空。濃い青の空。あの青色に染められるのはどんな気分なのだろう。あの場所まで翔け上がることができれば、引き裂かれた地上世界の、あらゆるくびきから解放されるのだろう。空はどこまでも、繋がっているのだから。
再び風が吹いてきて、やや痛いくらいに私の頬を撫でる。近くで草を食んでいた羊が、不意に首を持ち上げて岩場を駆け上がっていった。
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