第7話
約束の土曜日。
「詩織さんとのカフェ、楽しんで来てね!」
咲良は私に手を振った。
咲良を車で部活に送ったはずが、なぜか咲良に見送られるような形になって、私は学校を後にした。
昨日の晩ご飯のときに少し話し合って、今日は迎えのLEINメッセージを入れないことになった。土日の部活のときは、私の仕事も休みなので車で送り迎えをするのだが、今日の咲良は歩いて帰ってくるそうだ。
平日は家から学校まで歩いて登校しているし、決して歩いて行けない距離ではないが、咲良は明らかに、詩織と会う私を気遣ってくれていた。
気を遣えるようになった咲良の人としての成長が嬉しくもあり、娘に気を遣わせるようでは母親としてまだまだだなと、少し反省する気持ちもある。
一旦家に戻った私は、急いで詩織に会うための身支度を始めた。
綺麗な詩織とお洒落なカフェに入るにはいつも以上に入念な準備が必要で、やらなければいけないことが多い。
普段ドラッグストアで働いているときは短い髪を後ろにきつく縛り、化粧もナチュラルにしているが、今日は髪をアイロンで綺麗に伸ばした。
アイシャドウとチークは、いつもより少し濃いめにした。
そして、昔買ったブランドもののショルダーバッグをクローゼットから引っ張り出し、玄関の姿見で全体的におかしなところは無いか何度も入念にチェックした後、普段履くことのないヒールを履いて家を出た。
予想より身支度に時間がかかってしまったのと、ヒールを履いていて走りにくかったのとで、お店に着いたのは集合時間ちょうどになってしまった。
店の前には、既に詩織が待っていた。腕時計をじっと見ている。
今回はワンピースのみというシンプルな格好だが、モデルのような佇まいは色気があり、少し気後れしてしまう。
「遅くなってごめん」
私の声は緊張でこわばってしまった。
詩織は腕時計から顔を上げた。
「あ、美咲」
そして優しく笑みをこぼす。
「今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。詩織に負けないようにってオシャレしてたら、準備に時間かかっちゃったよ」
「ふふ。私が待ちきれずに早く来すぎちゃっただけよ」
詩織はお店の扉に手をかけた。
「この店、狭い割にけっこうお客さん来るから、すぐ満席になるの。今はまだ時間が早いから空いてると思うけど」
詩織が店の扉を開けると、コーヒーの芳ばしい香りが鼻を抜けた。
歴史を感じる木造の店内は、電球色の照明で薄暗く照らされている。テーブル席が3つと、カウンター席がいくつかあるだけの、こぢんまりとした雰囲気だ。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中から、中年のマスターが声をかけてきた。
白髪混じりだが、背筋が伸びてスタイルも良く若々しい。
詩織はマスターと目を合わせると、何も言わずに一番奥のテーブル席に腰掛けた。
「カウンターの方が良かった?」
「ううん。詩織のお好きなように」
「とりあえず、アイスコーヒーでいい?」
「うん。お任せする」
詩織は店員さんを呼ぶと「いつもの」と言い、指で2つを表した。
店員さんも、詩織に対して特に何か聞くわけではなく、サッと厨房の方へ消えていった。注文のやりとりは、時間にして5秒程度だった。
「詩織はこのお店、よく来るんだね」
「ええ。よくモーニングを食べに来てるの」
毎日家事や仕事で手一杯の自分と比べてしまって、大人らしい優雅な生活が垣間見える詩織を少し羨ましく思った。
つい、テーブルの上で指を組む詩織の華やかなネイルに視線を落としてしまう。
詩織は「ん? どうしたの?」と、少し私に顔を近づけた。
「えと、詩織って昔から大人っぽいところがあるけど、本当に大人になったんだな。って」
詩織は「なにそれ?」と微笑む。
「私と違って、詩織は余裕があるなーと思ってね」
「……余裕なんか、無いわよ」
ポツリと呟いた詩織は、笑顔を作りながらも少し目を伏せた。
それってどういう──
そのとき、店員さんがコーヒーを運んできてくれた。
詩織の指がほどけ、私もコーヒーにグラスに手を伸ばす。
一口、大事そうにコーヒーを飲んだ詩織は「私は──」と、口開いた。
「美咲が、いい意味で昔と変わってなくて安心した」
どういうことか分からなくて首を傾げると、詩織は更に続けた。
「今週久しぶりに会ったとき、美咲は一生懸命働いてた。それに、私からのメッセージもすぐに返してくれたから。いつも真っすぐで、妥協しないのは変わってないんだなって」
素直に私のことを褒めてくれる詩織の目線がくすぐったい。
「余裕が無いだけだよ。家事に育児に。働かないと娘を養えないから」
私が照れ隠しで言うと、詩織は笑った。
「お互い、大人になると余裕が無くなるんだね」
詩織の笑顔を見たら、大人になっても変わらないものがあるんだと思って安心できた。
「詩織も、子供がいると大変でしょ?」
「ん?」
詩織は不思議そうな顔をして、首を傾げる。
「私、独身なんだけど」
「え⁉」
私は驚いて、持っていたグラスをテーブルに戻した。飲んでいるときに言われたら、コーヒーが気管支に入って咽ていたかもしれない。
「てっきり結婚しているものだと……」
「よく言われるけどね」
「でも、モテないわけではないでしょ?」
詩織が誰のものにもなっていないことが妙に嬉しくて、私はつい大きな声で畳み掛けてしまった。
それに対して詩織は、ため息交じりに「まあね」と答える。
「自慢ではないけど、いろんなところで声をかけられるわ」
「それってナンパだよね。今もそういうのあるんだ」
「いい迷惑よ、本当に。私はそういうの、興味無いから」
多分、その誘いに乗って嫌な思いをした経験があるからこそ、そう思うのだろう。
私にはナンパされて男女の関係を持った経験なんて無いので、全く分からないが。
「じゃあ、詩織が引っ越してきたのって、仕事の転勤か何か?」
詩織は私を見つめ、「実は……」と切り出した。
「私がこの町に引っ越してきたのは、ある人を追いかけてきたからなの」
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